サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

23.アホは馬鹿か?

 このページにご投稿いただいたリーガル天才さんが「関西の人が良くぞ私のことを覚えていてくれた」と喜んでおられたと言う話を聞いた。私の場合は関東で生活した期間が圧倒的に長いから当然リーガル天才・秀才さんの漫才は知っている。

 ただこのことはまったく意識していなかったのであるが、リーガル天才・秀才さんほどの漫才師は関東の人でなくとも関西でも当然知っているものと考えていたのである。 云われてみると関西で関東の漫才を見るのは時たまNHKが採り上げる位で、殆ど見ることがない。

 ちなみにリーガル天才・秀才さんは社会風刺やちょっぴりエスプリの利いた政治風刺などを得意としたいわゆるインテリ漫才であり、くろうとうけのする漫才界のトップスターであったのである。したがって、私以外でも当然知っているものと思っていた。 かつては落語・漫才とも今のように聴衆を侮辱したり、汚い話や言葉は使わなかったような気がする。いわゆる使用禁止用語があったのである。その意味ではリーガル天才・秀才さんの漫才にはちょっぴり辛口ではあるが、品格があった。

 その後、ビートたけしさんのツービートが出てきてこのタブーを逆手にとって、「う○こ」の話などを平気でするようになって、今のような何でも有りの時代になったように思っている。 現在、関西の漫才は東京に進出しているが、関東の漫才が関西に出てきている話は聞いたことがない。これは関西が上手で関東が下手と言うことではない。これは大阪弁(関西弁)の持っている独特の表現が漫才にマッチしているものであると考えている。

 同じ寄席物でも落語のほうは、関西落語より関東の落語の方が味わいがあるような気がする。それは落語と言う一種のデフォルメした話法が、古典的な江戸っ子弁にマッチしているのかもしれない。関西のお笑いタレントの話術が優れているわけでもなくギャグが面白いわけでもない。大阪弁の持つ音感がそれぞれの意味する情景に合っているだけである。「お尻かいーの」なんてのも関東流に言えばそれがどうしたと言いたくなる。

 考えてみると、大阪弁と言うのは巨大な方言であり、今では古典的な江戸っ子弁なども方言の範疇に入るのかもしれない。そもそも標準語と言うのは意味を伝える言葉であり、感情を伝える言葉ではない。その意味では関東の漫才師は意味を伝える言葉だけで人を笑わせなければならないところに難しさが有るのかも知れない。

 私が17年前に関西に来て最初に出会った言葉は新大阪の構内のうどん屋でうどんを食べたとき、「ありがとう」と言われたことである。この「ありがとう」と言う言葉は関東流にいえばお客に対してはぞんざいな言葉であり、「ありがとうございます」と云うのが正しい言い方である。
 ところが大阪弁のこの「ありがとう」は標準語のように平板に発音するのではなく、「とう」のところにアクセントを置いて、しかも尻上がりに云うところに、お客に対する感謝の念が含まれているのである。

 それと関西に来て最初に覚えた言葉は「アホ」である。いわゆる標準語の「馬鹿」であるが、この「アホ」が馬鹿かと言うとそうではない。関東人が喧嘩(口論)すると、先ず口から出る言葉は、「何だこの馬鹿」である。
 次が「てめえこの野郎」であり、ここら辺りからのっぴきならないところに進んでいく。「何だこの馬鹿」と云って笑いをとったのはドリフターズの亡くなった荒井注さんだけである。
 何故かと言えばこの「馬鹿」には馬鹿以外の意味はなく、露骨に侮辱されたような気がするのである。

 ところが大阪弁で、「何やこのアホ」と言われてみても心底腹が立つ事はない。最近はこれに「ボケ」等と言う言葉が加わるが、自らボケているなどと思う人は多少ボケている人でも居ないのである。
 更にこの「アホ」でも「ボケ」でも関東流に平板に言うのではなく、「アホゥ」とか「ボケェ」と語尾を少し伸ばして、ここでも少し尻上がりにするところに、微妙な相手に対する気遣いがあるような気がする。
 したがって、「アホ」は「馬鹿」ではないのである。 これは何も大阪弁に限ったことではなく、何処の方言でも同じである。テレビのドラマでも津軽弁丸出しの悪党役などというのは見たことがない。多少ヤクザ言葉にマッチした方言がないでもないが、これとても任侠道を表すのに最も適した表現と言うことになる。

 最近、同類のシルバーエージの仕事を探す仕事をやらせてもらうことになった。生まれて始めての営業である。ここで気が付いたことであるが、いわゆる標準語では仕事にならないのである。多少「訛りのある大阪弁」でも大阪弁で話し掛けないと聞いてくれないのである。

 私の場合は付け焼刃の方言であるが、生まれ育ったときから使い慣れた方言は、その人の人間性まで表してくれて、安心して付き合えるような気がする。その意味では、味も素っ気もない標準語など放り出して、日本中がそれぞれのお国言葉を使うようになれば、世の中もう少し穏やかになるのではないかと思っている。
 それでは少し長くなったが、この辺で我がお国言葉で「あちゃ、ごめんなさんし(では、さようなら)」(00.5仏法僧)