B.B. et Fashion
ブリジット・バルドーに関連する流行


「素敵だけど私にはシャネルは似合わない」有名デザイナー達から
ドレスを作ってらったが、BBには高価なだけで窮屈なものだった。


ニットとジーンズのお手本は?女優

ニットとジーンズの相性の良さを最初に広めたのは誰だろうか?紛れもなくBBだろう。
1950年代半ばまでは、きっちりとした仕立ての洋服が女の子のおしゃれだった。
マリリンは、まさにこの仕立ての良いダーツが入ったスーツがよく似合い、メタルゴージャスなドレスも
マリリンのスタイルを引き立てるものだった。しかしそれは神が彼女のために与えた勲章みたいなもので
マリリンのおしゃれを真似しようにも、今の時代ではあまりに古典的で遠すぎる。

BBのおしゃれはゴージャスとはかけ離れている。
むしろメイクよりもお手本に出来るものが多い。
BBはニットがよく似合う。アンサンブルのニットセットなどがよく似合う。
ざっくり編んだ男物のニットを一枚着るだけでセクシャルで自由な部屋着に
できるのだと証明したのが彼女である。
業とボタンを掛け違いしt前開きのカーデガンをポンチョのように斜めに着てみたり。
それは後に「パリ、テキサス」でナスターシャ・キンスキーがVネックのニットを業と
前後ろ逆に着たシーンで残される。
美しい背中に刻まれたVのニットは、役柄への意味を込められたのか
観た人に鮮烈に印象を与えて、ファッション誌でも非常に話題になったのである。
BBのイメージは、ベビーピンクやサーモンピンクなどの可愛い配色か、はっきりした色で。
ニットは善し悪しが出やすい素材なので、シンプルなだけに素材にはこだわりたい物。


過去にマリリンは、ジーンズがよく似合うスターとして取り上げられたことがある。
本当にマリリンはお尻でジーンズをはきこなし、その腰から太股のラインにかけて
魅力的なスタイルを惜しげもなく見せてくれた。アメリカのレディジーンズのシンボルである。

ブリジット・バルドーも、ジーンズが似合い、それを世界の女性達に開放的な感覚を流行として与えた。
ブリジットの素足は、マリリンと同じく腰から太股のかけてのなだらかなラインは印象深いが
ジーンズでマリリンと違う点は、腰から足首までのラインがスリムなところである。
そして、ウエスト辺りで短めに捲し上げたギンガムチェックのシャツをラフに着こなした。
ロールアップされた裾に素足とミュール、フォーキーなショルダーでマドラ−グ周辺を歩いていたBB。
最近日本の有名歌手やタレントが再び流行らせた。
深いブルーのジーンズにシンプルな赤のニットの配色は、BBスタイルの定番だ。

このスリムラインのジーンズは、80年代半ばから後半まで日本女性の間では絶大な人気を誇ったのである。
フランスの「ピカデリー」、色が他国に類を見ないほど豊富なスペインの「シマロン」ウェストにアルミプレートが個性の「ディーゼル」
などの珍しいジーンズメーカーも日本の市場に参入してきた年で、80年代後期から90年初頭までジーンズブームに沸く。
そして、しばらくしてジーンズのヴィンテージとオリジナルバリエの競いに始まり、現在の自主制作のデニムの登場となった。

「エドウィン」は、女性のブランド「サムシング」というラインを出し、ここでは女性が好みそうなフレンチテイストを取り入れ
パリの町角をさっそうと歩く足長の女の子が有名のCMは、エルザの「T’en va pas」の曲と相乗効果でセンスの良さを強調していた。
それに対し「リーバイス」は、ジェニファー・ラブ・ヒューイットを起用し、60年代POPのカラフルでセクシーなイメージを表現した。
小柄で可愛くてグラマーなジェニファーのカラージーンズは、やはり近年定番のアイテムになっていた。
こちらのジェニファーは意外と背丈が160a未満と小柄なので背の低い女性も真似しやすい。
ブーツカット到来とともに定番になり、どちらかと言えば腰で穿くアメリカ的ボヘミアンなデニムが主流となった。


又、BBは60年代後半からよくパンツスーツを好んで着ていた。少しスリムになった彼女の
長い足にパンツとアンクルブーツ。これらは大抵イギリスものだった。ベロア素材やツイード、
どれも仕立てが良く、無造作に伸ばしたロングヘアーがロックスターみたいに見えた。

かのオードリー・ヘップバーンこそ、フレンチ的カジュアルの手本かも。
あのスリムなラインは、グラマーコンプレックスを跳ね返すだけの魅力があるというのは、過去にも言われた事だ。
そして、事実になった。日本人はグラマーで金髪の女優よりも黒髪で細く、潤んだ瞳のオードリーに
手が届くか届かないかを試しみた。時代を超えて何度も。
オードリーの造形美は、まさしくマリリンと同じ、オードリーのためだけに与えられたものだ。
スリムである事がマイナスではなく、かえってふくよかだと肥満と悩む女の子も出てきたのだった。
みんながオードリーのような着こなしや髪型ををしてみたいと思った。
それは、現在の洗練されたファッション界において、日本のみならず、世界の女性の永遠の憧れの的。


ゲンズブールの「Initials B.B.」の歌詞に出てくる
アルメリアは、海岸付近に咲く太陽の恵みを受けた花。
太陽や海を象徴するこの花はまさしくBBのイメージの花。
ゲランの香水とアルメリアは、彼流のバルドーへの献上物の
代わりになる賛辞として書かれたのである。
この赤の半そでのニットは、オレンジ色と同じぐらい
BBの代表的なアイテムカラーに
なった。

ニットにミニスカート。
同じ時期、カトリーヌ・ドヌーブとBBはバーバリーの同じデザインのミニスカートを穿いていた。
存在をひと目で判らせる伝統的なあのバーバリーチェックのミニスカートである。
カトリーヌは素足にローパンプス、BBは素足に黒のブーツ。どちらもトップスにニットを合わしていたが
キャラクターが双方違うので同じデザインのものでも全くイメージが異なって見事に完成していた。
人と同じでも流行でも「誰」「私」の境が出るのは、ちゃんとその人なりが出ていてこそ。
ミニのスカートという衝撃的なデザインに物怖じせず、素足をかけ合わす両者のセンスは
当時のフランスのファッションリーダーである。そして今も世界で受け継がれる。
70年代風ヒップ VS 60年代POPのファッション

90年代はメイクもファッションも70年代風の取り入れが激しい。
まず、「GUCCI」がデザイナー トム・フォードの起用で、若々しくイメージチェンジ。それまで野暮ったく人気からは蚊帳の外だったのが見事にブランド人気の上位に返り咲き、人気のバッグや靴はいつも入荷待ちの状態で個人輸入という形で海外通販を試みる人がこれまた増えた年でもある。
そして、イタリアミラノから「プラダ」の出現も、日本女性の特有のブランド信仰心をあおるきっかけになる。

これらの2つのブランドは、小物類だけでなく、洋服の分野でも流行を生む。トムフォードは、70年代ヒップなイメージを展開し、光沢のあるシルクやベロア素材のシャツ、腰ではくボトムなどのアイテムを出しそれは、他の服飾メーカーも取り入れるほど市場を左右した。

このヒップな洋服も、モデルたちが普段着に取り入れたりした事は、美に感心が高い女性の注目を常に浴びた。
そして、そのモデルたちは、70年代のヒップでダークな印象と反対に、「TOCCA」などの小さなメーカーの60年代POPなミニワンピースも、ガーリーで普段着としての着やすさをアピールしたのだ。

これは、ギンガムチェックの可愛い柄をモチーフに、シンプルなノースリーブの形にまとめたものにその共布を使って、おそろいのバッグも揃えられるという新しいアイデアも人気の的である。
これらの両方のスタイルを過去に着こなしたのがBB、キュートなおしゃれをアンナ・カリーナなどが・・・それは近年の日本で若い女の子の手本の材料として度々扱われてる。


汗っかきで化粧崩れが激しいBB。
50年代よりも60年代半ばのBBは
汗が滲んでスクリーン上でもそれを
感じ取れるほどの色香があった。
ウェスタンハットとは縁のあるBB。
これを被りBBは写真と映画を幾つか撮った。最近ではマドンナがBBとゲンズブールの世界を参考にアルバムを製作した。「Music」

大人のコレクターから始まったバービーの人気は加速気味。
高度成長気前に日本で生産されたバービーは瞬く間に消費された。
それまで、「粗悪な日本製」と罵られていた日本の生産物は
戦後、日本人の手の器用さと仕事に対する几帳面さにマテルは目を付ける。
「子供のおもちゃに妥協はしない」という強い信念をもとに、生産地に日本を
指定し、厳しく指導する。そしてバービーが売れる度、大きく実績が証明されたため
海外の偏見は、見事に黙って仕事で反し耐えた日本に撤回されることになる。
メイド・イン・ジャパンの品質の高さを海外に認めさせた成功例だったのだ。

その証拠に日本人の人件費は高くなり、マテル社は泣く泣く撤退する.
ビンテージの高値の理由はメイド・イン・ジャパンであり、いかに精巧に造られていたか、
それが再現不可であるかをコレクターがよく知っているからである。

おまけのおまけ(BBとBarbie Dollの関連性は?)
1958年に発売されて、世界中で愛され今なお子どもと大人を魅了し続けてる人形「Barbie」。
このBarbieが発売され瞬く間に、人気になった裏でささやかれた「Barbie」のBBモデル説。
何故グラマーなボディに発売元である国のアメリカのイコン、モンローを囁かなかったのか?
発売当時の「Barbie」は、慎重な企画段階を得て世に送り出されたはずなのは、「Barbie」ファンなら誰でもが知ってること。だからそんな人からすれば「Barbie」が誰に似てようがどうでもいいのである。

既存の子供向けの着せ替え人形にはなかった、パリの最新の(クリスチャン・デイオール風)豪華絢爛なファッションに身を包み、小さな子どもの手のひらにもしっかり握れ、そのコンパクトさと、ディティールの細かさに子ども以外に大人も魅了された。「ファッションプレイドール」としての地位を現在まで40年以上も不動の位置にある。発売初代のバービーのルックスは、「可愛い」とはほど遠く「いかめしい」という感じで、お洒落ではあったが若さがない。それに加え、ボデイは銀幕女優さながらのグラマー。その反対に「Barbie」は10代という無茶な年齢設定であるために、前髪と毛先がカールされたポニーテールで一応はそれなりに役目を果たした。しかしマダムのような雰囲気と高価そうな洋服のミニチュアは時代遅れに思われながらも、1966年の第2回イメージチェンジまで何とか女王として君臨していた。1960年といえばプロムナイト以外は、パリのオートクチュールよりも、ロックでゴーゴーダンスを軽快に踊るためのファッションがティーンの身近な存在だったのである。

このルックスが当時のBBにそっくりなので、モデルはBB?説も出たという。時代的な背景もあり、それは、あながち嘘とも言えない部分もある。
この「Barbie」にはちゃんと発売前に原形が存在した。それはドイツの新聞「ビルド」紙の4コマ漫画
「Liliy」という女の子の主人公である。それをシンボル化し人形としてドイツで販売されていたのが「ビルド・リリ」なのである。リリは好奇心旺盛で可愛くて美人。口にしにくいことも平気で言ってしまう。
まさしく若き日のバルドーにそっくり。
ビルド・リリドールは対象が子供向けと言うよりも大人の男性向けの人形だったというのも驚きである。
ところが、このドイツの人形はあまり売れなかったのか、(まさか男性が堂々と人形を手にする時代でもなかったので)わずかな期間で姿を消し、結局はアメリカのマテル社のオーナーである、ルース・ハンドラー氏に原形を買い取られ、後に「Barbie」となったわけである。名前の由来は企業の人形の象徴を壊さない為にか、長い間、そう90年代に入るまで明らかにされなかった。一応控え目であるが、ハンドラー夫妻の娘であるバーバラ・ハンドラー女史とのことのようである。

実際にバービーが所有しているアウトフィット(着せ替え用の服)の中には、BBが着ていたのと同じデザインのものが偶然にもいくつかある。もちろんギンガムチェックのシャツに麦わら帽子、スリムジーンズも
人気アウトフィットセットとして、コレクターが取引に高値を出す。
BBが後期で着た菱形のモチーフが前面にプリントされた大胆な60年代サイケなミニワンピースも、バービーが若返りイメージチェンジした際に、バービーTNTシリーズのアウトフィットの中に存在している。

「Barbie」の誕生時、パリの最先端のファッションに身を包むあたり、そしてさまざまな夢や希望を持ち意見を掲げ多種多様な職業に就いてしまう、みんなの羨望の眼差しを受けた行動派の「Barbie」はBBに似てなくはない。ことあるごとに歌手の歌に出てきては中身の無い人形と叩かれたが、実際に手にした少女たちは、バービーという人形を通じて、いろんな思いを馳せては、感情を豊かに育って行ったのである。バルドーも夢の女といい意味でも悪い意味でも言われていた。豊満な肉体だけで、後は何も無いなどと女性から批判されていた。実際は違う。
おまけに二人とも頭文字はBとBということも、偶然にしてはマッチしすぎている。


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