CONDORCET, Marie Jean Antoine Nicolas de Cariat , Essai sur l'application de l'analyse à la probabilité des décisions rendues à la pluralité des voix. , Paris, De l'Imprmerie Royale, 1785, pp.CXCI+304, 4to. コンドルセ『投票の多数による決定の確率についての解析学の応用に関する試論』(『多数決論』とも)、1785年刊初版。 以前本サイトで、アローの『社会的選択と個人的価値』を取り上げた。その際自分なりに了解できたのは、次の点である。要するに「一般不可能性定理」とは、コンドルセ・パラドックスを生じない社会的厚生関数は成立しないことを証明したものである。そして、アロー著作の発想の元となったのも、コンドルセ・パラドックスに気づいたことにあるということである。もっとも、アロー自身は、当初コンドルセ論文は知らなかったという。また、チャールズ・R・ドジソン(ルイス・キャロル)もコンドルセ著作を知らないまま、同じパラドックスに言及した選挙に関する論文を書いている。というわけで、コンドルセの書いた本書が長らく気になっていた。また、『人間精神進歩史素描』で略伝を書くときに知った、なにがし江藤新平を思わせるような、コンドルセの人柄も魅力的であった。今回ようやく、欲しかった本書を入手することができたのを機に、取りあげた。 コンドルセは、『試論』を1784年7月に科学アカデミーで読み上げている。その直後同月にボルダ(Borda:1733-1799)も、「選挙投票についての覚書」("Mémoire sur les élections au scrutiny")を発表する。パラドックスにも言及したいわゆる「ボルダ方式」を提唱した論文である。この論文は、コンドルセの解説を付して1781年度版『科学アカデミー論文集』(Histoire de l'Académie Royal des Sciences,1781 、1785)に収録された。1781年度版とはいっても、出版は1785年である。発表論文が活字になるのは、通例3年を要するのが普通だったそうである。ボルダの論文は、緊急度が高いと判断されて、当該年度でない版に繰り上げて掲載されたのである。まことにややこしい。ボルダは該論文で、その主旨は既に同アカデミーにおいて1770年(15年前)に発表していると明記している。出版が急がれたのは、ボルダがプライオリティを主張したためというのが判り易い。 もっとも、コンドルセも1760年代の頃から確率論を社会現象に応用する研究を進め、ノートを取っていたらしい。パラドックスのことは、ボルダと独立して考え付いたとして良いのかも知れない。しかして、その研究が、本書(もその一つ)として、「道徳政治科学への計算の応用」あるいは端的に「社会数学」として発表されるのには、1780年代まで待たねばならなった。 その理由の一つは、理論的なものである。コンドルセの数学の師でもあり、パトロンでもあったダランベールは、確率論を社会的な事象に応用することに消極的であった。確率とは、ラプラス流の定義では、ある事象の生起する場合の数(集合)n を、全事象の生起する場合の数(集合)m で除したn /m である。確率論発生の元となった賭け事ごとでは、全事象の数え上げは簡単である(サイコロの目は 6 しかない)。しかし、社会現象では場合の数の数え上げは困難で、限界がある。例えば、確率論を保険事業に応用するにしても、基礎となる生命保険の生命表、損害保険の事故率等は情報が不足がちである。特に当時は統計が整備されていなかった。もって、確率論の社会的応用には禁欲的であるべきだとした。 ところが、1774年にラプラスが「結果による原因についての覚書」("Mémoire sur la Probababillté des causes parles événemens")という統計学史上特筆すべき論文を、同じ科学アカデミーの論文集(Mémoire de l'Académie Royale des Sciences presentés par divers savants 6, 1744 )で発表する。そこでは、彼の「第六原理」、後の呼称では「確率の逆算法」(普通「ベイズの定理」と呼ばれる)が定式化された。そして、「すでに生起したものにもとづいて未来の結果の確率を確定するための直接的な方法」(第七原理)が見出された。それを受けて、「コンドルセこそが、ある現象の生起する傾向など、統計的な事象の「原因」の推定を行う際に、既知のデーターにもとづいてその推定自体の信頼性、確実性を計量するのにはベイズの定理が有用であるということをいち早く理解したのである」(隠岐、2011、p.276)。こうして、コンドルセは、自然科学のみならず、社会科学にも確率論を応用可能とし、その数理化を企てたのである。 第二に、現実面での要因もある。元来1666年創立のパリ王立科学アカデミーは、科学もしくは技術問題の諮問機関として構想・設立された。1780年代には政治経済学を扱った研究や論文が徐々に増加するようになった。そこには、アカデミーの実務を担ったコンドルセの支持があったであろう。そして、1784年頃から科学アカデミーの出版方針に変更が見られた。「政治算術」(「社会数学」)関連著作の発表が後援されたのである。こうした背景で、本書が出現する環境が整ったのである(以上隠岐、2011、によった)。 本書の目的は、「多人数か少人数か、多数票の占率の高いか低いか、諸部分に分割するか全体を一つにまとめるか、構成員が賢者かそれほどでない者かどうかによって、集合的判断はどの程度信頼できるかを、たんなる推論によって探求するものにすぎない」(本書、p.iv、Moulin & Youngの引用による)ものである。 本書は序論(Discours Préliminaire)と試論(「本編」)よりなる。序論はローマ数字で、試論はアラビア数字でノンブルが打たれている(pp.CXCI+304)。序論は、試論で数学を使って得た研究結果を、数学に精通していない者に解りやすく解説することにある。いずれも5部構成であり、序論と試論の各部は厳密にではないが互いに対応している。 序論は試論以上のことは書かれてはいない。そこで、試論の内容の紹介となるのであるが、その理解には、当然数学的な素養が必要である。のみならず、内容が相当難解である。「まず、コンドルセの著作がいちじるしく難解であることを述べなければならない。難解だというのは、数学的研究にあるのではなくて、これらの研究をはじめるため、あるいは研究の結果を述べるために用いられる表現にあるのである。多くの場合、コンドルセが何を云おうとしたのかを理解するのはほとんど不可能である。[中略]彼の著作の曖昧さと自己矛盾は他に例をみない。[中略]われわれは、この著作がほとんど研究されなかったのだと思う」(トドハンター、1975、p.301-302)。原書を読めず、たとえ読めたとしても私には容易に理解できないであろう。そこで、以下は主として、トドハンター(北海の狩人のごとき名前である)著作(1975)に寄り掛かりながら、内容を紹介することとする。 「試論」の内容をすべて、紹介する必要はなかろう。その「さわり」というべきものを説明する。広く知られる「コンドルセの逆説」と「陪審定理」に話題を限定する。理解できた所を、実例を使って説明するようにする。数式の部分は適宜飛ばして読んでください。 (コンドルセの逆説) 多数決の選択肢が三つ以上の場合、各人が理性的に投票を行っても、多数決が解消不可能な不合理な結果を招くことを明らかにした。コンドルセ自身の例(第11仮説 [11節] )で示す。 3人の候補者A、B、C、に対し60人の有権者の投票があるとする。投票者の候補者に対する選好の順序付けを集計したものが「表1」である。第1列は、A>C>B(AをCより選好し、CをBより選好する。コンドルセの自身の表記法。現代表記では AP C 等) が23人であること等を示す。
この場合、単純な多数決では、A23人、B19人、C18人で、Aが当選する。しかしながら、候補者の二者を取り出し比較すると、C>Aが37対23で多数を占め、C>Bが41対19で多数、B>Aが35対25で多数である。コンドルセは、ペア比較による順序付けから導かれた、C>B>Aを「最も可能性が高い選択の組み合わせ」として、この方法を推奨する。この方法では、最有力なCが多数決では最下位となり、最劣位のAが多数決では最上位となっていた。コンドルセの方法で、Cのごとき他の選択肢のいずれにも勝るものが存在するなら、それは「コンドルセ勝者」と呼ばれる。 しかし、コンドルセ自身、彼の方法にも問題が生ずる場合があることを認めた。「表2」を見てもらいたい。
ここでは、コンドルセの方法では、A>Bが33対27で多数となり、B>Cが42対18で多数となり、C>Aが35対25で多数となる。A>B>C>Aとなって、順序付けが循環して、順位が決定できない。これが、いわゆる「コンドルセの逆説」といわれるものである。ちなみに、「循環」(サイクル)という用語は、コンドルセを知らないまま選挙学を研究した数学者チャールズ・R・ドジソン(ルイス・キャロル)の命名である。 ![]() 一見、このパラドックスは数学者の遊戯の類で、現実的にはそれほど起こり得ないと思われるかもしれない。選択肢の可能な順位の組合せが等確率で生起すると仮定して計算すると、3択の場合は、投票者数が増えても、パラドックスの生じる確率は8%程度に収まる。しかし、投票者数を無限大(多数と考えていいだろう)として、選択肢の数を増やしていくと、選択肢が10を超えると、50%の確率で、選択肢が20を超えると約70%の確率でパラドックスが起こるという(佐伯胖、1980、p.19-20)。 コンドルセが循環を崩すために、考えたのは次のとおり。最も弱い環、すなわち得票差が最小の順序を棄却することである。(表2)の例では、33対27のA>Bを棄却する。そうすると、B>C>A が求める順序となる。 しかしながら、このやり方では選択肢が4つ以上に増えた場合、うまく行かない。サイクル解消のために、複数の順序を棄却すると、順序そのものが付けられない場合があるのだ。コンドルセは、本書において選択肢が4つ以上の場合の扱い方を書いてはいるが、叙述が曖昧で、簡単に過ぎた。それを忖度して、コンドルセの意味するところは現代統計学でいう最尤法であるとしたのが、ペイトン・ヤングである。最尤法そのものは、1920年代に確立した手法であるらしい(注1)。考え方自体は、難しいものではないから、コンドルセが気付いていても不思議ではない。はたして、ヤングによる再発見か、深読みに過ぎないのか、私には判断しかねる。ともかくも、現在「コンドルセ・ヤングの最尤法」として、社会的選択の一手法として確立している。 最後に、その後の展開をごく簡単に付け加える。選好順序が「単峰性」という性質を満たすなら、循環は起こらないという研究が、コンドルセ・ルネサンス(?)を将来したブラック(Black, D.:1908-1991)によって1948年に示された。そして、ペア比較による順序付けの考えを突き詰めたアローは、「一般可能性原理」を証明した(本サイトのアロー『社会的選択と個人的価値』のページを参照下さい)。 (陪審定理) 「陪審」と名付けられているが、中身は投票一般に通ずるものである。コンドルセ自身は、「陪審定理」という言葉は使っていない。しかし、彼の想定した投票はどうも、陪審による審理を想定しているように思われる。第1部の中程に、「いままでわれわれはただひとつの法廷を想定しきた」(注2)という記述があるからである。 陪審が扱われたのには、次の理由が考えられる。(1)命題の真偽がはっきりしている。有罪か無罪の判断に対し、正当な判決か誤審しかない。普通の投票では、裁判ほど命題の真偽が明白とはいえない。(2)判事(注3)の能力と経験から、正しい判断を下す確率が高い(0.5 を大きく上回る)と考えられること。――であろう。 前置きは此のくらいにして、「陪審定理」とは、①多数決の判断が正しい確率は、投票者一人一人の正しく判断できる確率より高い。いわば、個人の判断より集合的な判断の方が正しい確率が高い。②多数決の判断が正しい確率が、投票者数の増大につれて1に接近すること。以上の両義を含む定理である。以下その説明である。 ① 多数決の判断は、個人の判断より正しい確率が高い。 いま、一番単純な投票者が3人(A、B、C)の場合を考える。この3人が正しい判断をする確率は、全員同じと仮定し、v とする。誤った判断をする確率は e ( = 1-v ) とする。普通なら p ,q とでもすべきところであるが、コンドルセの略号に従ったものである。正誤を意味する仏語Véritéとerreurに由来するものらしい(トドハンター)。「正しい判断する確率」という概念が少し解りにくいが、陪審の例でいえば、有罪である事件を有罪と判断し、無罪である事件を無罪と判断し、誤審を起こさない場合が、100件中v 件あると想定することであろう。
A,B,C、がそれぞれ正誤の判断をするすべての場合を(表3)のⅠからⅧまでに示した。各場合の起こる確率はv とe の積で示される。人間による判断は、サイコロに委ねるより正しいとして、v > 0.5 とされる。v = 0.6 と0.9 として、各場合の起こる確率を具体的に計算したものを示しておいた。 正しい判断が過半数(2人以上)を占める場合は、Ⅰ、Ⅱ,Ⅲ、Ⅴのースである。それらが生起する確率は、v = 0.6 の時、 0.216+0.144+0.144+0.144=0.648(>0.6) v = 0.9の時は、 0.729+0.081+0.081+0.811=0.972(>0.9) いずれも。多数決の結果が正しい確率は、個人の判断が正しい確率を上回る。この証明は、コンドルセ自身もしていないようである(注4)。 ② 多数決の判断が正しい確率は、投票者数の増大につれて1に接近する この場合も実例を上げたいが、①でみたように、3人のケースでも手間がかかる。50人100人となれば、計算はさらに手におえない。計算間違いもするだろう。そこで、坂井(2015、p.65)記載のグラフ(表4)を使わせてもらう。v = 0.6 の場合で、投票者数増加によって、多数決が正しい確率が増加する有様を示したものである。詳しい説明は以下に述べるが、要するに、多数決が正しい確率は、投票者数の単調増加関数で、投票者数の増加とともに1に接近する。数式が並ぶので、飛ばしてもらってよい。 ![]() (表4) (1)多数決が正しい確率は、投票者数の単調増加関数であること すべての個人が独立して判断をすると仮定すると、n人の投票者のうち、m人が正しい判断をする確率は、2項定理を利用して、 ![]() で表せる。 いま、コンドルセに従い、n が奇数(2q +1とする)である場合と偶数(2q とする)である場合が考えられるが、最小の過半数はいずれの場合も、q +1 である。多数決すなわち過半数の人が正しい判断をする確率V (q )は、(式1)のm が、n 人からq +1人までの人が正しい判断をする確率の総和である。 n が奇数の場合は、 ![]() n が偶数の場合は、 ![]() となる。 (式2)を展開すると。 ![]() となる、同様に q +1 の時(式2:奇数)は、下のようになる。 ![]() ここで、v +e =1 から、V (q ) = (v +e )2V (q ) となり、これを使うと、重複項目が相殺される(トドハンター、p.303を 参照した)ので、 ![]() v > e (すなわちv > 0.5)であるから、(式4)は正となり、V (q +1) > V (q ) である。即ちV (q )は単調増加関数である(トドハンター、p.303を 参照した)。n が偶数の場合も同様である。 (2)多数決の判断が正しい確率は、投票者数の増大につれて1に接近する コンドルセ自身は、この証明を上記(1)の(式4)を変形して証明しているのであるが、複雑なので、ここでは坂井(2013)の本を参照して、理解できた所を紹介する。 いま、X を正しい場合1の値を取り、偽の場合0の値を取る確率変数とする。X が起こる確率P (X )は、全事象の起こる確率を1として、正しい場合の起こる確率をv とするなら、 P (X =1)=v、P (X =0)=1-v と示せる(仮定により,v >0.5)。 個々の、独立に生起する確率変数の事例を、X1、X2、X3、…Xnとすると、 [Xn] =(X1+X2+X3、…+Xn)/n [Xn]は、その算術平均である。 大数の弱法則からは、任意のε > 0 に対して、 ![]() が成立する、絶対値を外せば、 ![]() である。 ここで、ε は小さいので、v –ε ≧ 0.5 かつ v +ε ≦ 1 を満たすε ( >0 ) を考えると、狭い範囲の確率は小さいことから 1≧ P ([Xn]>0.5 )≧P (v -ε <[Xn]< v +ε ) となるので、これらの極限値を取ると、 ![]() よって、 ![]() 同様に、v < 0.5 の場合は、多数決の判断が正しい確率V (q )は、単調減少関数で、投票者数の増大につれて0に接近することが、証明できる。 以上は、投票結果がまだ知られていない場合の、多数決の決定が正しい確率であった。しかし、すでに投票が終わり、h 人が賛成し、k 人が反対して議案が採決された(h > k )ことが判明していたとする。 この場合投票者総数が、h +k 人であるから、h 人の賛成で採択された議案の正しい確率を求める(コンドルセは例によって総投票者数が奇数・偶数に分けて考えているので、一般的な場合を考える)。上記(式1)の二項定理から、 ![]() となる。 また、同様にh 人の賛成で採択された議案の誤っている確率は ![]() である。 よって、h 人の多数で多数で採決された議案は、正誤いずれかであるが、その正しい確率は、 ![]() となる。 これからわかるのは、この確率に影響するのは、賛否の票数差だけであり、総投票数は関係ないことである。30人の10票差も、1,000人の10票差も正しい確率は変わらないということである。このことを「陪審定理」と称することもある(沢田、p.6)。 最後に、「試論」全体の内容を下記に一瞥する。 第Ⅰ部(p.1-136)は11節(11仮説:Hypothèse)からなる。第1節は、上記「陪審定理」に該当する部分で、詳しく紹介した。 第2・3節は、投票者数のある一定数の多数が決定に必要な場合である。投票者数が偶数と奇数の場合に分けて扱う。第4~第6節は、必要な多数が投票者の総数に比例するか、もしくは比例関係に近い場合である。第7節は、必要な多数が得られないとき、決定を次の機会に延期すること。第8節は、必要な多数がえられないとき、2回、3回と多数が得られるまで行うことが論じられている。ここまでは、唯一の法廷を想定してきた。第9節は、同事件を多数の法廷で判決するか、同じ法廷で何回も裁判する場合。コンドルセが重要と考え、紙幅を割いているのは、一連の法廷のうち、ある一定数の法廷により次々と確定される判決が正しい確率である。①r 回の裁判で、正しい判決がp 回連続して起こる確率、②r 回の裁判で、p 回連続して誤った判決が出る前に、p 回連続して正しい判決が出る確率、が扱われている。 そして、第10-11節である。9節までは、投票者は二者択一の選択をしていたが、二つ以上の提案から一つを選ぶ場合の考察である。第11節のなかで3人の候補者についての上記「コンドルセの逆説」の例をあげている。 第Ⅱ部(p.137-175)。第Ⅰ部では、3要素、すなわち投票者数、多数決原理、各投票者が正しい投票する確率が既知と仮定された。これら3要素から、その結果である決定が正しい確率とそれが間違っている確率を導出するのが、主たる内容であった。第Ⅱ部では、3要素のうち2つが既知、そして2つの結果のうちどれかひとつが既知と仮定する。これら既知の値から、残る一要素と、一つの結果を求めるものである。「『試論』の第Ⅱ部で注目すべきものは何もない」(トドハンター、p.317)ということである。 第Ⅲ部(p.176-241)。ここでの問題は、第一に、観察によって、ある法廷の判決あるいは各投票者の意見の確かさを知ることである。第二に、さまざまな状況のなかで、慎重かつ公平な決定をするために必要な確率の度合いを確定することである。この問題の吟味には、一般に、未来の、もしくは未知の事象の確率を確定しうるような原理を樹立する必要がある。そして、「その方法は、唯同種の事象が現在起こったか、過去に起こったかその順序を知ることによってのみ得られる」とする(トドハンター、1975、p.317-318)。まず、13個の予備的問題をあげ、それから主目的である問題を解いている。 第Ⅳ部(p.242-278)。第Ⅲ部までは、現実と離れた抽象的方法や一般的仮定の下での考察にすぎないとして、この部では、実用のために現実的な考慮を原理に取り入れて計算するとする。しかし、論題があまりにも漠然としているので、「コンドルセ自身、ここではほとんど何の目的も達成していないことを認めている」(トドハンター、1975、p.324)。 第Ⅴ部(p.270-304)。今まで展開してきた諸原理を実用例に応用することであるとしているが、実際は例題をあげるよりも、むしろ研究の補足を述べている。第3の例題では、一つの役職に対して数人の立候補者がある場合の選挙方法で、Bordaの論文を引いて批判し、自説を述べている。 坂井の著(2015)には2006年の「社会的選択・厚生学会」の世界大会において、会長に本書(初版本)を贈呈したとし、稀覯本であることが記されている。なるほど稀覯書ではあるが、常時といってよいほど市場で見かける本である。ただ、値段が相応に高い、$5,000~7,000というところであろうか。ブログに既に書いたが、イタリアで私にも買える値段の本を見付けたので購入。ページの耳の部分(上部)が欠けている(削れている)のを紙を補充して、丁寧に補修している。気の遠くなる作業だと思うが、この補修だけでも本の代価に値すると感じている。 参考文献で数式の記載のあるものは、いずれも添え字を中心に誤植が散見され、理解を妨げられた。私も同じ轍を踏んでいないかを恐れる。 (注1) 最尤法については、坂井(2013、第2章)を参照のこと。
(2016/6/19記、2016/7/8 ボルダをボルタと書いた箇所及び『科学アカデミー論文集』の原著スペルの誤りを訂正) |