BORTKIEWICZ, L. von, Wertrechnung und Preisrechnung im Marxschen System, im Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik, Bd. XXIII, Heft 1(1906)、pp.1-50;
Bd. XXV, Heft 1(1907)、pp.10-51:Bd. XXV,Heft 2(1907), pp.445-488
ボルトケヴィッチ「マルクス体系における価値計算と価格計算」(『社会科学及び社会政策雑誌』1906-07年23、25巻所載)、初版。
ボルトケヴィッチはマルクスに関して3つの論文を書いた。「マルクス体系の価値計算と価格計算」1906-07、「『資本論』第三巻におけるマルクスの基本的理論構造の修正」1907、および
「ロドベルトゥスの地代理論とマルクスの絶対地代理論」1910("Die Rodbertus'sche Grundrententheorie
und die Marx'sche Lehre von der absoluten Grundrente")である。このうち、前二者がマルクスの価値と価格の問題を扱っている。
二番目の論文はスウィージー『資本主義発展の理論』に転形問題解決の「基礎的著作」にして、その最初の試みであると紹介されて世に知られることとなった。そして、「幸いにして、その数学的側面を処理するのに私よりも長じている他の人々の注意を、この問題にひきよせることになった」(スウィージー、1969、編者序言p.27)。転形問題をめぐる論争の出発点となったのである。
スウィージーは、第一番目の「「価値計算と価格計算」は、この二つの論文のうちではいっそう野心的で一般的なものである。[中略]とはいうものの、それはマルクス自身が示したような具合にこの転形問題を解こうとしたものではない」(同、P.26)と誤解したようである。これに対し、サムエルソン(1978、p.117)は、「よく知られているのは『ヤールビュッヒャー』論文のほうである。これについてはスウィージーが紹介し、彼の編書に収めている。しかし実際は『アルヒーフ』に載ったもう一方の長い論文のほうに深い意義がある。すなわち、こちらの論文では、単純再生産という特殊モデルだけでなく、原則的に一般的な場合を扱いうることが示されている。この論文はマルクスが提出したような転形問題を解こうとしていないとスウィージーは確言しているが、おそらくスウィージーはマルクス表式が数値的に解かれていない事実に欺かれているのであろう」と述べた。
どうやら、「価値計算と価格計算」は、転形問題をより一般的な形で解こうとしている論文のようだが、スウィージーの誤解もあってか、転形問題の文献ではもっぱら二番目の「基本的理論構造の修正」論文のみが取りあげられる。誤解を正したサムエルソンすら、「論者の普通の習慣に合わせて、単純再生産を扱った論文の方に注意を集中させよう」(同、p.118)と、直ちに「基本的理論構造の修正」論文に専心してしまう。
かくて、第一論文に興味をそそられ、概要を知りたく思うが、参考にすべき文献を見出せない。さらば、当論文に直接あたる他ない。幸いに、邦訳はある。国松久彌・岩野晃次郎訳『マルクス価値学説批判』である。稀覯書であるが、国会図書館の「デジタル・アーカイブ」に収められているから容易に閲覧できる(但し、個人のコンピューターにはダウンロードできない、連携図書館で閲覧可能)。
しかし、この邦訳が問題で、数式は途中で中断されている所が多々ある。とても、誤植で済まないレベルである。その上、数式の添字表記が滅茶苦茶である。おして、本文の翻訳も疑われるが、こちらは当方ドイツ語の能力では判定しかねる。普通に邦訳を読んでも、理解できないことだけは請け合える。これも幸いに、原論文があるから数式は確認できるし、Kahaneによる英訳(これも数式の誤りがある)があるので大いに助けられた。
原論文は、『アルヒーフ』の1906年に第1回、1907年に第2、第3回として連載(分載)されたものである。第1論文、第2論文等と書かれたものもあるが、この表記では「価値計算と価格計算」と「基本的理論構造の修正」を示すものと区別しにくいので、以下第1回論文式の表記をする。
各回論文は「マルクス体系における価値計算と価格計算」の標題の他、副題はなく、第1回論文(Erstere Artikel)等の表示があるだけである。邦訳には、第1回論文に「マルクス価値論をめぐる諸論争」、第2回論文に「価値と価格」、第3回論文に「剰余価値と利潤」と訳者による副題が付されている。邦訳を参照して適宜小見出しも付けた。
(注意:1.邦訳原論文からの引用は頁数のみ表示、もっとも文体が古いこともありほとんど改訳している。2.論文の分数式はそのままの形式では、数式ソフトを使用しないと表示できないため、作成上取扱いが複雑となる。そのため、分数式は括弧を利用して一行で表示できるように改めた)
前置きはこのくらいにして、本文の紹介に入る。
(( 第一回論文 マルクス価値論をめぐる諸論争 ))
第一回論文は訳者副題が示すように、『資本論』第一巻と第三巻との価値規定の矛盾についての論争を扱っている。採りあげられた学者(学説)は、現在時点では無名の人が多く、重要なのはベーム=バウェルク、ヒルファディングとツガン・バラノフスキーくらいのものであろう。しかし、これら論者のうち、前二者については、本HPのベーム=バウェルク「マルクス体系の終焉」でも触れたので、必要なら参照頂くことにして、ツガンについて、転形問題との関連も強いのでやや詳しく見ていく。それ以外の論者は、私が面白く思った点だけを以下に簡単に書いてみる。
1.コモルツィンスキー(Komorzinski)は、『資本論』において価値表現と価格表現は混同されているという。両者は、同一事すなわち「経済法則に従って、生産物が交換される数量関係」を意味している。マルクスは、この同一関係を二つの経済法則に用いる時に、名称を変えている。労働支出によって規定する場合が価値であり、均等利潤法則によって規定する時は価格であると。
2.レキシスは、価値と価格問題に関してブルジョア経済学者中では最もよく理解していると、エンゲルスは認めた。レキシスの方も、マルクスに一定の評価をした。価値と価格が一致しないことは、国民所得の総収益が賃金と利潤に分配される問題には何ら関係しない。あるいは、価値計算は剰余価値の分析にとって極めて重要であると認めた。
また、価値は現実価格を推論する出発点たりうる。しかし、マルクスは、資本主義生産の原始段階では、価値が現実の表象として機能したため、そこでは各部門で利潤率が異なると考えた。レキシスはこれを事実に反すると否定し、資本主義生産方法と利潤の均一性は、同時進行したとする。マルクスが、価値から価格を誘導したことは経済的現実と何ら関係しないという。
3.ゾンバルトは、次のように主張した。マルクスにおいては、価値は思考上の事実であり、価格は現実の事実であると。しかし、ボルトケヴィッチは、(生産)価格も学問上の抽象概念で、現実に到達するには更に二三の手続きを必要とすると考える。また、ゾンバルトは、価値と剰余価値では社会的事実が問題となり、価格と利潤では個人的事実が問題であると主張した。なるほど、価値・剰余価値の範疇は労働者階級と資本家階級の関係を説明するのに役立ち、価格・利潤の範疇は資本家階級内部での現象を解明するのに役立つ。しかし、資本家内部現象も社会的事実の性質を有するとボルトケヴィッチは考える。
4.次にコッペル(ジンメルの弟子とのこと)の説である。価値は規範的で統制的原理であり、価格は具体的現象として現れる。両者の乖離は必然的であり、その上にマルクス体系は構築されている。価値法則が妥当しないことが資本主義の本質である。しかるに、マルクス解釈家は両者の乖離を謎と考えたと。
ボルトケヴィッチのコッペル批判は以下のとおり。マルクスの価値概念は、価格構成を明らかにするものとしてではなく、資本主義生産方法の本質である所得分配を解明するものとして評価すべきものである(コッペルも認めている)。それゆえ、なぜ価値と価格の乖離がコッペルの意味で重要になるのか理解不能である。マルクスは、この乖離が各部門の資本の有機的構成の相違から生じることを頻説した。資本主義が剰余価値の生産と獲得を目指す限り、価値法則からの乖離は、資本主義の本質的現象ではない。有機的構成が同一であれば、価値法則は商品交換の基準となる。この場合でも、資本家が労働者を搾取ずる事実、及び利潤を追求して生産諸条件を決定することは変らない。
5.ツガン・バラノフスキー。ここで「合法的マルクス主義者」ツガンの『マルクス主義の理論的基礎』(1905)での議論が取り上げられている。これは、後のボルトケヴィッチの論文「基本的理論構造の修正」執筆のヒントになったのではないかと思われるので、少し詳しく書いてみる。
マルクス(ボルトケヴィッチの論文でも)は、一定の価値および剰余価値から始めてそれに対応する価格および利潤を求めようとした。ツガンはそれとは逆に、ある仮定の下に、価格と利潤から、それらに対応する価値および剰余価値を決定しようとする。
ツガンは、マルクス同様に三部門産業の数値例を使って価格から価値への転換を示す。第Ⅰ部門は生産手段、第Ⅱ部門は労働者の消費財(賃金財)、第Ⅲ部門は資本家の消費手段(奢侈品)を生産する。社会は資本家と労働者よりなる。資本は年1回転。資本蓄積のない単純再生産が前提である。これらの前提もマルクスに同じ。次表のような再生産及び所得分配が行われる。いずれも貨幣表示で、単位は百万マルク。
|
p :生産手段 |
a:賃金額 |
r:利潤
|
p+a+r |
Ⅰ |
180 |
60
|
60
|
300 |
Ⅱ |
80
|
80
|
40 |
200 |
Ⅲ |
40
|
60
|
25 |
125 |
次に第Ⅰ部門で、150千人の労働者が1年中(直接)労働に従事していると仮定する。第Ⅰ部門では、180(百万マルク)の価格の生産手段の助けにより、150千人の労働者が300の価格の商品を生産する。この生産量の価値を労働年で表してX(千人単位とする)とすると、(生産手段である)Ⅰの商品を生産するために投入された生産手段の価値は、180/300・Xとなる。従って次式が成立する。
180/300・X + 150 = X
よって、X = 375
すなわち、生産手段の価値と価格の割合は、375対300、あるいは5対4である。
さらに、労働者の1人・1年の賃金は、第Ⅰ部門の数字で、下に計算できる。
60,000,000マルク/150,000人=400マルク
この賃金で a の賃金額を割れば、第Ⅱ部門の労働者数は、200(千人)、第Ⅲ部門の労働者数は150(千人)と分かる。こうして、第Ⅱ部門、第Ⅲ部門においても、生産手段の価値( p ×5/4)と投入労働量が判るので、各生産物の価値が300と200と算出できる。そして、第Ⅲ部門生産物の価値に対する第Ⅱ部門生産物の価値の比率200/300は剰余価値率となる。
かくて、上記価格表に対応する価値表が下に示せる。ダッシュを付したのは、価値表示の意味である。a' は賃金財の価値/価格比率(300/200)から、r' は剰余価値率から求められるからである。明示はされていないが剰余価値率一定の仮定がされている。
|
p':生産手段 |
a':賃金額 |
r':利潤
|
p'+a'+r' |
Ⅰ |
225 |
90
|
60
|
375 |
Ⅱ |
100
|
120
|
80 |
300 |
Ⅲ |
50
|
90
|
60 |
200 |
これで、価格から価値への転換が出来たわけである。
ちなみに、私は次のような価値方程式(2部門表示。t は商品単位当たりの価値、τ は同労働量)
t1= a1t1 + τ1
t2 = a2t1+ τ2
を考え付いたのは大いなる発明だと思っている。価格方程式からこのような価値方程式を思いつくには飛躍があると考える。未だ、誰の発明になるかは知らないのだが、ツガンは同じことを数字例で示しているのは判った。
((第二回論文 価値と価格))
1. 価値と価格の乖離
価値概念が多義であるため、ボルトケヴィッチは注意を与える。ここでいう価値は、生産のために投下された労働量=「絶対的価値」とは異なる概念。ある商品の一定単位が、その価値を尺度として、他の財貨とのどれだけの単位と交換されるかを示す(労働量で計測されたと、付加すべきであろう)大きさである。交換関係の指数に過ぎず、「交換価値」あるいは「相対的価値」と称すべきものである。価値と絶対価値には別概念であるが、無関係ではない。異なる商品間の価値相互関係は、それらの絶対価値相互関係に等しいとするのがマルクス価値法則の内容である。生産価格即ち価格は、平均利潤率の法則にもとづく。そこで、価値計算とは価値法則を基準として商品の交換関係を規定する事であり、価格計算とは平均利潤率の法則を基準として商品の交換関係を規定する事である。
マルクスは以下のモデルを使って、価値計算と価格計算の関係を説明した。有機的構成が異なるいくつかの生産部門がある。各生産部門において、 c を不変資本の価値、v を可変資本の価値、m を剰余価値、 a を生産物の内に入りこむ不変資本の割合、W を生産物の(1年の)価値とすると、次の式が成立する。
W = ac + v + m (1)
ここで、剰余価値率(m /v )は、(マルクスに従って)すべての生産部門で同一であると仮定する。その系として、利潤率(m / (c +v ) )は、生産部門の不変資本割合の多寡に応じて一様ではなくなる。しかしながら、資本主義経済では部門間の利潤率のばらつきは許されない。競争の作用により平均利潤率へ収束する力が働く。総剰余価値(
M )は、部門ごとの投下資本(c + v )の総資本に対する割合に応じて分配される。こうして総剰余価値( M )のなかから、特定の部門に分配される部分をマルクスは「利潤」( m' )と呼ぶ。ここで、総不変資本を C、総可変資本を V と大文字で表現すると、次の式が成立する。
m' = [(c + v ) / (C + V )]・M (2)
いま、(1)式の W に代えて、生産価格( P )を置くと、次式となる。
P = ac + v + m' (3) (注1)
この「ac + v 」部分を、マルクスは「費用価格」(Kostenpreis)と呼んだ。さらに、全(総)生産部門を考えて、M /(C +V ) を平均利潤率と呼ぶ。ここで、ボルトケヴィッチに倣って、平均利潤率を ρで表現すると、(2)、(3)式から生産価格は次式となる。平均利潤率が個々の部門価格に影響を与える。
P = ac + v + ρ (c +v ) (4)
次いで、剰余価値率(m /v 、M /V いずれも同率)を r 、各生産部門において不変資本が全資本に占める割合 [ c /(c +v ) ] を q 、総生産部門における同比率 [ C / (C +V ) ] を q0と表現すると、次式が成立する。
ρ = (1- q0 )r (5)
さらに、(1)と(4)式から、次式が成立する。
P = W + ( c + v )( q – q0 ) r (6)
この式自体はマルクス自身ものでなく、ボルトケヴィッチが導出したものであるが、マルクスにおける価値と価格の関係を表している。マルクスの転形式といえるであろう。価格は
q と q0 との大小関係に応じて、価値より高くあるいは低くなる。
マルクスは商品価値の生産価格への転形(転化)を、上記のような数式ではなく数値計算で例示している。それらについては、本HPのボルトキェヴィッチ「『資本論』第三巻におけるマルクスの基本的理論構造の修正について」のページに書いたので、ここで繰り返さない。その転形方法について、ボルトケヴィッチ(p.114:改訳)は、「マルクスが価値を価格へ転形するために用いた手続が誤っていることは容易に指摘できる。なぜならばこの転形にあたって、価値計算と価格計算の二原理を厳密に区別するのに失敗したからである」という。具体的には、マルクスは多くの量(
c と v に該当する量)を不変のまま価値表から価格表に持ち込んだので、価格計算表では単純再生産の枠組みが崩れたのである。価値計算で前提とされた、各生産部門の需要・供給が一致しなくなった。
正しくは、価格計算表を構成する費用価格、すなわち不変資本部分 ac および可変資本部分 v (賃金財と考えると解りやすいと思う)にも他生産部門の利潤が含まれねばならないのである。それをマルクスは解決できなかった。マルクスには、一般均衡理論を利用することが、できなかっためであろうと記者には思われる。ボルトキェヴィッチによれば、マルクスはこの欠陥を意識し、二つの弁明を用意していた。第一に、「剰余価値として入るものが、一方の商品で多すぎるだけ、他方の商品で少なすぎるということで、したがってまた、商品の生産価格にひそんでいる価値からのずれも相互に帳消しにされることで、解消されている」そして第二に、「一般に資本主義的生産全体ではつねに、一般的法則は、ひじょうに複雑な近似的なしかたでのみ、永久の変動のけっして固定されない平均として、支配的傾向として、貫かれるにすぎないのだ」(マルクス、1974、p.795-796)と。
一番目の弁明を補足説明する。ある商品は、その商品に付加された利潤が剰余価値と異なることによって、価格が価値から乖離するだけではない。その商品を構成する「費用価格」部分の価格が、価値から乖離することにも影響される。しかし、その価値と価格の乖離は各商品をみれば、プラスの乖離商品があり、マイナスの乖離商品がある。経済全体としては、乖離幅はゼロであるとされる。全体の乖離がゼロすなわち総価格と総価値は一致する事実は、マルクスがある価格表現(可変資本、不変資本、総利潤に関係する)とそれに対応する価値表現を同一視したことの帰結にすぎない。しかしマルクスも認めたように、価値=価格とみなす(少なくとも不変資本、可変資本についてそのようにみなす)ことは、正確ではない。この不正確さを看過することはできない。それどころか、総価値=総価格の命題が一般には誤っていることを論証できると著者はいう。
2.価値計算の体系
価値から価格への転形問題を正しく、「解決するために、ある商品の生産に参加した全資本家の総ての支出を、賃金支出に還元することが望ましい。この方法で、最初に価値を、次いで価格を代数的に記述する」(p.129:改訳)とされる。
w をある生産物の一測定単位の価値、A をその中に体化された労働単位(例えば労働日)数、l を賃金(例えば、一労働日当たりの賃金)、r を(これまで同様)剰余価値率とすると、次の式が成立する。
w = Al + rAl (7)
資本家がこの生産物を生産するために、賃金以外の支出をしない、すなわち可変資本のみで生産される時は、この式が正しいことは自明である。しかし、生産に不変資本を使うとしても、その不変資本が他の不変資本を使わないなら、同様に表現できる。ただし、A は、不変資本に体化した間接労働(のこの生産に入りこむ部分)とこの生産物を生産するための直接労働の合計となる。その不変資本が他の不変資本を使用する場合は、さらにその不変資本が使用する不変資本、さらに二番目の不変資本を生産する第三番目の不変資本・・・という具合に全く可変資本だけで生産される不変資本にまで遡らねばならないが、同様に表現可能である。
ボルトケヴィッチの説明で判りにくい箇所を、私の理解で書いてみる。
まず、普通の価値表式で思い浮かべるのは、
ti = Σaijtj + τi ( i = 1, 2, … n ) (*1)
の式である。ここで、各商品 i の単位当たり価値を ti 、第 i 商品を1単位生産するのに必要な第 j 商品の量を aij (aij ≠ 0 の時第 j 商品は生産財である)、第 i 商品を1単位生産するのに直接必要な労働量を τi とする。価値は「死んだ労働」(第一項)と「生きた労働」(第二項)の計で表せる。
もっと解りやすいように、生産財部門(1)、消費財部門(2)の二部門で書くと、先に掲げたように、
t1= a1t1 + τ1
t2 = a2t1+ τ2 (*2:以上2式)
となる。
以上の式に見慣れた目には、ボルトケヴィッチ式の「賃金支払いに還元する」意味が良く判らない。上記(*1)や(*2)の価値表現式は投下労働力を表す「絶対価値」の表現である。ところが、ボルトケヴィッチは自分のいう価値は絶対価値ではなく、交換関係の指数に過ぎないと第二論文の冒頭で述べている。とすれば、上記(7)式は、
w = c + v + m
の式で、c を v に繰り込んだものと考えれば理解しやすい。Al が v (+c )であり、rAl は m である。そしてそれは、賃金 l が単位とされている、あるいは賃金で表示できる。
次に、A で表せる労働量についても考えてみる。A は直接労働と間接労働の総計である。本来ならこれが「絶対」価値とされるものである。まず簡単な2部門モデルの上記(*2)式で見てみる。
生産財1単位を生産するには、直接労働 τ1 と生産財 a1を必要とする。そして、a1 の量の生産財を生産するためには、直接労働 a1τ1と生産財 a1・a1を必要とする。さらに、a1・a1 の生産財を生産するには、直接労働 a1・a1τ1と生産財 a1・a1・a1 を必要とする・・・
のように続くから、生産財1単位を生産するためには結局、
τ1(1 + a1 + a12 + a13 + …) (*3)
の労働量が必要とされる。a1 は1より小さい正の数であるから、カッコ内の総和は等比級数の和の公式から求められるので、(*3)すなわち、投下労働量の総和は、
τ1 / (1- a1 ) (*4)
となる。これは(*2)式の方程式を解いて求めた t1 の値と等しい(参照:置塩等、1988、p.207)。
以上をサムエルソンの論文(1978、p.87)を参照して一般化して行列式に書いてみると、総投下労働係数は、次の式となる。
A0 = a0 [I – a ]-1 (*5)
この式で、a0 = [a0j ] は n 個の産業の生産物を生産するのに必要な直接労働投入の行ベクトルを表し、a =[ai j ] はその要素が、第 j 産業の産出物を生産するのに必要な第 i 財の投入を表す正方行列をあらわす。I は単位行列。
ここで、さらにドーフマン他等(1959、p.330)を参照すると、次の式が成立する。
I + a +a2 + … = [ I - a ]-1 (*6)
とすると、(*4)式の τ1と a1が、(*5)式の a0 と a に対応していると分かる。
j 商品の総投下労働(係数)は次のようになるだろう。上記(*3)に対応して、この方が私には理解しやすい。
A0j =Σa0j ( 1 + ai j +ai j2 + …) (i = 1, 2… )
(追加私注解:レオンチエフ型の投入係数とオーストリア学派の投入係数)
しかしながら、(*5)で表現できるのは、(*6)式のように投入係数が収束する場合である。いわばレオンチエフ型である。レオンチエフは総ての産出物が投入物となる可能性を考えて、投入産出関係を現した。サムエルソンの記述(1978、p.87)を借りれば、「穀物を生産するためには石炭が必要となり、石炭を生産するためには穀物が必要となる。穀物を生産するためには穀物が必要となる」体系である。穀物のようにその生産に直接的に必要とされる商品のみならず、間接的にすべての商品が生産に必要とされる可能性が前提とされる(実際は、ai j = 0 となる場合がある)。
ところが、ここでボルトケヴィッチが議論しているのはオーストリア学派型の生産体系である。「逐次型」であり、前の段階の生産物が次の生産段階に使用されるが、次の生産段階で生産された生産物は前生産段階では投入物とされていない。投入行列の要素
a =[ai j ]は、i ≧ j のとき、ゼロとなる(サムエルソン、1978、p.126注7)。それゆえ、商品の総投下労働量を求めるには単純に各生産段階の直接投入労働を総計すればよいのだろう。
ボルトケヴィッチのテキストに戻る。さて、(7)式は次の式でもあらわせる。
w = ( 1+ r )lA (8)
この式は価値 w が労働投入量 A に比例していることを示している。なぜなら、( 1+ r )l は総ての商品について同一だからである。
(8)式を使って、市場で取引される諸商品の価値を次のような連立方程式体系で表すことができる。
W1 = ( 1+ r )lA1
W2 = ( 1+ r )lA2
……… (9:連立方程式全体として)
………
Wn = ( 1+ r )lAn
この連立方程式で Ai は所与であり、未知数は Wi (i =1, 2…n )と l (賃金率)と r (剰余価値率)の n+2個である。これに対し方程式数は n であるから、方程式が2個不足する。この不足を補充するために、ボルトケヴィッチは次の2方程式を追加する。
Wv = 1 (10)
μ1w1 + μ2w2 + μ3w3 … + μnwn = l (11)
ここで、(10)式は第 v 番目の商品を価値尺度とすることを示し、(11)式は実質賃金を表す。μi は労働者の生活必需品を構成する i の量である。i のなかには奢侈品も含まれるから μi の一部はゼロである。ボルトケヴィッチが、この実質賃金は貨幣賃金に等しいとしているのは、(10)式により貨幣表示されているからだと思われる。
こうして、未知数と方程式の数が合致して、(9)の連立方程式は解くことが可能である。ボルトケヴィッチは応用を考慮して一つの解法をあげている。(9)と(11)式から、次の方程式がえられる。
( 1 + r ) l (μ1A1 + μ2A2 + μ3A3 … + μnAn ) = l (12)
次に、この式の第二の括弧内の数式、すなわち実質賃金を構成する商品バスケットに体化された労働量、を U とする、すなわち、
μ1A1 + μ2A2 + μ3A3 … + μnAn = U (13)
(12)と(13)式から、次式が導ける。
(1 + r ) U = 1 (14)
あるいは、
r = ( 1 - U ) / U (15)
これにより、r が求められる。また、この式はマルクスがいうように、剰余価値率が、剰余労働/必要労働であることを示している。
更に未知数lを求めるには、(10)式を
( 1+ r )l Av = 1
と書き換えて、(15)の r を代入すると、次の式が成立する。
l = U / Av (16)
こうして、r と l が求められると、これらの値を(9)式に代入して、個々の商品価 Wi が求められる。
なお、直接に
Wi = Ai / Av (17)
と表記することもできる。この(17)式は、商品価値はその生産に必要とされる労働量にのみ依存し、賃金と剰余価値率には無関係であることを示している。
3.価格計算の体系
一般に、不変資本がない生産体系では価値は価格に一致する。剰余価値率が利潤率と同じだからである。しかしこのことは、厳密にいうと、すべての生産の(可変)資本の回転期間が同一であるという前提の下でのみ正しい。ここでは、一般的な理論研究を目指しているのであるから、資本の回転期間の相違を考える。
まず、生産に可変資本のみが用いられる簡単な場合から考える。価格を p、生産に必要な労働量を A、賃金(率)を λ(貨幣賃金強調のため l と異表記か:記者)、利潤率を ρ、そして資本の回転期間を t とする。
賃金は総額が期首に支払われるとする。そうすると、価格計算の(7)、(8)式に対応して価格計算では、次の式が成立する。
p = Aλ + { ( 1 + ρ )t - 1 } Aλ (18)
p = ( 1 + ρ )tλA (19)
価値計算式(8)では同一労働量で生産された二物が等しいが、価格計算式(19)では t が存在するため、同一労働量の生産物でも一般に不等で、回転期間も同時に一致するときにのみ等しい。こうして、不変資本が全く欠けている場合でも、価格はけっして価値に一致するものではないことが証明されたと。
ここで注釈(というか記者の理解)をいれる。投下労働量と資本の回転期間が同一とすると価値と価格が等しいことについてである。この場合、価値と価格は次のように表現できる。
w = ( 1+ r )l A (8)
p = ( 1 + ρ)λA (19: t = 1)
両者とも投下労働量 A に比例しているから、価値 w と価格 p が比例することはわかる。しかし、W と p が比例するのではなく、一致するとするためには、r = ρ かつ l = λ でなければならない。不変資本がないから、剰余価値率rと(一般)利潤率 ρ が一致するのは明らかである。さらに、実質賃金 l と貨幣賃金 λ が同じでなければならない。これは、価値計算のところで、ボルトケヴィッチが(10)式により両者は一致することは「明らかである」としたことに従えばよいと思われる。
次に、賃金が全額前払いされないで、異時点に m 回支出される場合を考える。生産期間の終了に先立つ t1, t2, t3, … tm の時点(1/n 年)に、a1λ, a2λ, a3λ, … amλ が分割支払いされると、(19)は次とおりとなる。
p = ( 1 + ρ)t1λa1 + ( 1 + ρ)t2λa2 + … + ( 1 + ρ)tmλam (20)
ここで、
a1 + a2 + … + am = A (21)
(20)式は、生産原料への支出及び労働手段の消耗分の支出が、賃金支払いに付加した場合にも適用できる。流動不変資本及び固定不変資本が、可変資本に付加した場合である。但し、価値計算と同様、不変資本自身は労働(可変資本)のみから生産されると仮定する。
上に(20)式は流動不変資本及び固定不変資本にも使えるといった。流動不変資本については、それぞれの生産段階で消費尽くされるので、その適用は明らかである。一商品の生産は多数の独立した段階を経過する。各生産段階の資本家は前段階の賃金支出に利潤を上積みして費用とし、価格付けするだけである。固定不変資本の場合はもう少し複雑である。
[ 固定資本が使用される場合にも、(20)が使用できることを証明できる。話が詳細になるため((付論1))として、末尾に廻した。 ]
価格計算における連立方程式体系を考える。市場に n 個の商品があるとする。(20)式で表される n 個の pi (i = 1, 2 ・・・ n )の価格方程式を立てられる。ti と ai は生産技術によって与えられる既知数。pi 、ρ と λ の n + 2 個が未知数である。価値方程式体系と同様に2個の方程式が不足するから、これも価値方程式体系の(10)、(11)式と同様、次の2式を追加する。
Pv = 1 (27)
μ1 p1 + μ2 p2 + …… μnpn = λ (28)
これらの方程式体系を解くために、(28)式の pi に(20)式の右辺を代入して整理すると次式となる。
( 1+ ρ )τ1λ u1 + ( 1+ ρ )τ2 λu2 + … + ( 1+ ρ )τs λus = λ (29)
ここで、τ1、τ2等は資本の回転期間、u1 、u2 等は実質賃金を構成する商品バスケットを生産するに必要な労働量である。(29)式の両辺をλ で除すと次のごとし。
( 1+ ρ )τ1 u1 + ( 1+ ρ )τ2 u2 + … + ( 1+ ρ ) τsus = 1 (30)
この式は、(14)式に対応する。ここで、次式が明らかに成立する。
u1 + u2 + … + us = U (31)
(ちなみに、(30)と(31)式を見るに、回転期間が1年に統一されたときには、(14)式と同じとなり、ρ = r の関係が成立する)
さて、式(30)は高次方程式であり、「初等代数学の意味においては解くことができない。[中略]我々は高等代数学の方法を用いて、その助けによって希望するだけの ρ の近似値を確定することができる」(p.152:改訳)と書かれている。ここは、私の浅学のためによく理解できない。一般に5次以上の方程式は、代数的には解けないので、数値解析すなわちニュートン法等の求根アルゴリズムで解くことをいっているのであろうと思う。
ρ が(近似的に)確定されれば、(20)式の価格方程式の pv = 1の場合(方程式(27))から、λ が決定できる。ρ と λ が決まれば、個々の価格 pi は価格方程式から確定する。
λ を使って、最後に pi を決定するのに代わりに、ρ の値だけで直接 pi を求めることもできる。pi /pv を作り λ を除いて、pv = 1から、pi を求めるのである。原論文では詳細は書いていないが、pi は次式で表せよう。
pi = [ ( 1 + ρ )t1a1i + ( 1 + ρ )t2a2i + … + ( 1 + ρ )tmami ] / [ ( 1 + ρ )t1a1v + ( 1 + ρ )t2a2v + … + ( 1 + ρ )tmamv ] (*7)
上記の価格決定論の代数的解決はドミトリエフという学者のロシア語論文の要旨を採用したとボルトケヴィッチはいう。自分は固定資本の要素の説明を付け加えただけだと。ドミトリエフの方法は形式的には代数学的で因果関係を相互依存関係で捉えるに対し、マルクスの方法は算術的に継起関係でとらえる。当時の経済学はワルラスの影響により、継起主義から離れつつあるとする。
ドミトリエフの代数学的諸公式が価格理論に対し、次いで利潤論に対し、どのような結果を導くかを、ボルトケヴィッチに従って見てゆく。
(*7)式から解るように、生産物価格からはλ (賃金)が排除されている。このことから、リカードとともに、賃金は交換関係の直接的な決定要因ではなく、間接的に利潤率の高さに関係するかぎりで交換関係に影響を及ぼすものであるといえる。
さらに(*7)式(注2)の分子と分母から次のことが判る。いま、n 個の商品のうち i 番目の商品の価格を取り上げる。もし、i の回転期間の長さが、価値尺度とする商品 v と同じなら、i の価格は価値と一致する。回転期間の一致とは次の事実の表現である。t1、t2 等の大きさが両商品で同一であり、かつ i 商品1単位に体化されている総労働 A が、Av の総労働と同じやり方でそれらの回転期間に配分されていることである。この配分は、次の式で示される。
Ai = ai,1 + ai,2 + … + ai,m (注3) そして、
Av = av,1 + av,2 + … + av,m
の時、ここで、次の比例が成り立つことである。
ai,1/ Ai = av,1/ Av 、ai,2/ Ai = av,2/ Av 等々
(20)式により、次の二式が得られる。
pi = λ { ( 1 + ρ )t1 ai,1 + ( 1 + ρ )t2 ai,2 + … + ( 1 + ρ ) tmai,m }
pv = λ { ( 1 + ρ )t1 av,1 + ( 1 + ρ )t2av,2 + … + ( 1 + ρ ) tmav,m }
これらの式に、上記の比例を考えると次の関係が導かれる。
pi = (Ai / Av )・pv すなわち、 pi = Ai / Av
最後に(17)式により、次の式が成立する。
pi = wi
これにより、価値尺度商品と回転期間が同一の商品に対しては、価値・価格は同一であることが判る。しかし、回転期間が異なれば、i が v 比しての回転期間の長短に応じて、価格 pi は価値 wi に比して大小となる。回転期間が異なる場合、より精密には関係式を定式化できない。
しかし、こんな場合でも、少なくとも ρ が非常に小さく ρ の二乗及び三乗を無視してよいならば、かなり真実に近いものとなる。もし、この正当化が許されるならば、(20)式は次の形態となろう。
p = λ { ( 1 + t1ρ ) a1 + ( 1 + t2ρ ) a2 + … + ( 1 + tmρ) am } (32)
(ここで注釈。この式は、(1 +ρ )n ≒ 1 + nρ を用いていると思える)
(21)式に従い、d を次のように定める。
(a1t1 + a2t2 + … + amtm ) / (a1 + a2 + … +am) = d
すると、(32)式は次のようになる。
p = λA ( 1 + ρd ) (33)
d の大きさは、当該商品の生産に要する回転期間の(加重)平均の表示に他ならない。d は商品ごとに異なっているから、一つの指標で示す必要がある。その指標は、特定のd に対応する商品である。こうして、次の方程式を得る。
pi = λAi ( 1 + ρdi ) (34)
pv = λAv ( 1 + ρdv ) (35)
ここで、pv = 1 と Ai / Av = wi から、次式が得られる。
pi = [ ( 1 + ρdi ) / ( 1 + ρdv )]・wi (36)
そこで、あくまで概算値で厳密な等式ではないが、di とdv の大小関係によって、pi が wi に比べて大小することがわかる。
以上が「価値計算と価格計算」におけるボルトケヴィッチの価値から価格への転形式である。結論となる転形式(36)を求める過程で、二段階の概算作業が行われている。第一が、(30)式で ρ の解を求めるとき、高次方程式の理論的解法の制約のため、概数値をそれに代えている。第二に、結論を導く過程で、高次の価格方程式をそのままでは用いることができず、(32)式により、厳密ではない簡易な計算式に変更している。
最初に書いたように、本論文は単純再生産という制約(資本の回転期間を同一とする制約も)を外した一般的モデルとして、「基本的理論構造の修正」論文よりも理論的に意義が深いとされている。にもかかわらず、転形問題といえば、もっぱら「修正」論文が取りあげられ、ほとんどこの論文の内容が紹介されていないのは、この厳密でない証明によるものか。論理構成も、「修正」ほどすっきりしていないせいもあるだろう。
続く第三回論文についても、以下に概要を書いてみた。それは、これまでに得られた方程式を使って、利潤率低下の法則を扱うものである。転形問題にのみ関心がある方は読む必要はない。
((第三回論文 剰余価値と利潤))
1. 利潤率と賃金
方程式(30)により、利潤率は賃金財を生産するのに必要な労働とその回転期間によって決定されることが明らかとなった。それは、利潤率は実質賃金に入り込まない商品の生産関係には影響されないとのリカード命題と完全に一致する。マルクスはこの命題を否定し、リカードは利潤率と剰余価値率を混同したと考えた。社会の総資本は奢侈品を生産する資本からも構成されており、このような資本の有機的構成が変化すれば、一般利潤率にも影響すると考えるからである。
マルクスの考えの前提となったのは、有機的構成と利潤率の関係式を示した先の(5)式である。再掲する。
ρ = (1- q0 )r (5)
しかしここでの利潤率は、m / (c +v ) とされ、価値表現である。すなわちマルクスは、ここで価値表現と価格表現を混同するという誤りを犯している。
いま、方程式(30)において、((20)から(32)を導いたように) ρ が非常に小さく ρ の二乗及び三乗を無視してよいとするなら、近似式として
1 = (1 +δρ) U (37) となり、
ρ = (1-U ) /δU (39)
が導かれる。ここで、δ は実質賃金バスケットを構成する財を生産・販売するのに必要な生産期間の加重平均である。
(39)式からは次のことが確認できる。第一に、リカードがいったように、賃金の騰貴は必然的に利潤率の低下を伴い、賃金の低落は必然的に利潤率の高騰を伴うことである。この場合の賃金は、貨幣賃金でも実質賃金でもない。実質賃金を構成する諸商品を生産するのに必要な労働量(
U のことである)、すなわちマルクスのいう労働力の絶対的価値であると解釈すべきである。次に、これもリカードがいったように、利潤と賃金の対立関係は価値又は価格が一定の時においてのみ成立するものではないことである(記者:このことは、(39)式に
p も W も含まれないことをいうか)。
2. 労働生産力と利潤率
マルクスの利潤率低下(傾向)の法則は、資本の有機的構成の高度化を労働生産性の増強と結び付けることによって、初めて意義を持つ。労働生産力(性)の増大が、有機的構成の高度化を通じて利潤率の低下をもたらす。労働生産力の増大は、商品生産に使用される労働量により測定される。マルクスいわく、労働生産力の増大は、商品に含まれる労働量が減少するという事実だけでなく、同時にその総量のうち生きた労働の部分が減少し、過去労働が増加するという事実にも表され得る。直接労働量減少、間接労働量増大、トータル労働量減少の場合であろう。より少数の労働者がより多量の生産手段を使用する。ボルトケヴィッチの表現では生産がより迂回化し、実質賃金財の平均生産期間 δ が大きくなることである。
δ が大きくなる事実は、二つの様式を区別するのが便宜である。第一は、賃金財生産部門に関連する一つあるいはいくつかの部門に、ある新しい前生産段階に現れる場合。第二は、生産の様々な段階で、生産性の状態が変化する場合である。
まず、第一の場合を考える。従来の手工業が、新しい生産手段(機械等)を導入する場合に見られる。完成品からみれば、労働手段の生産は予備生産段階である。δ が増大する時は、U すなわち実質賃金(財)に体化された総労働量は減少する。資本家が新生産手段を採用するのは、賃金財の労働生産性が向上する場合に限られるからだ。しかしながら、資本制生産では、それは単に必要条件であって、十分条件ではない。新たな生産手段の採用には、追加利潤が期待されねばならない。これまで以下の利潤率が得られてはならない。資本家に決定的なのは、生産力ではなく収益性である。しかしながら、マルクスはそれでも利潤率の低下は不可避であると主張する。
『資本論』では、新生産方法を採用した資本家は、当初、社会的必要労働の平均と新しい生産方法の必要労働との差額を超過剰余価値として入手するが、競争による新生産方法の普及の結果、利潤率は低下するとしている。この利潤率低下をボルトケヴィッチは以下のように否定する。
最初に、利潤率 ρ、平均回転期間 δ、労働の価値 U、貨幣賃金 λ の状態があり、最終状態での対応するそれらが、ρ'、δ'、U'、λ' であるとする。その場合、労働生産力の向上により U' < U かつ、生産過程の迂回化により δ' > δ である。この時、ρ' < ρ であるというのがマルクスの主張である。この場合、(37)式によると(注4)、次の二式が成立する。
λ = ( 1 + δρ ) Uλ (42)
λ' = ( 1 + δ'ρ' ) U'λ' (43)
ここで、新生産方法が導入され、最終均衡状態に至るまでの過渡的な状態を考える。価格は元のままであり、従って実質賃金財を構成する諸商品の価格表現である λ もまた不変である。しかるに、革新的資本家では労働節約がすでに実現されている。この資本家は、より少ない労働量 U' のコストで(δ' となる生産期間の延長も考慮して)、U で計算された市場価格により販売することによって、差額の剰余利得を得る。こうして、次式が成り立つ。逆にこの式が成立しない場合は、資本家は新生産方法を採用しない。
λ > ( 1 + δ'ρ ) U'λ (44)
そして、(43)式からは
( 1 + δ'ρ' ) U' = 1 (45)
一方、(44)式からは、
( 1 + δ'ρ ) U' < 1 (46)
となり、ρ < ρ' が明らかとなる。
ボルトケヴィッチは、マルクスの説明が誤っていたことには、二つの原因があるとする。 1.利潤率の変化を価格変動と関係させたこと。価格変動は、費用にも生産物にも同じように起こりうる。マルクスは実質賃金を構成する諸商品の価格を考えないで、任意の商品を選択した(新生産方法の商品のことか:記者)こと。2.労働支出あるいは支払賃金だけを考慮し資本の回転期間を考えなかったこと、にある。
以上の説明は、個々の資本家が総ての生産段階を担当する前提があるのではないかとの批判が予想される。そこで、ボルトケヴィッチは、独立した種々の生産段階からなる生産過程を前提として、その一段階で、生産方法の変革が起こった場合にも、同様にρ <ρ' であることを証明している(証明略)。こうして、あたらしい生産手段の採用による生産過程の延長は、利潤率を低下させないことが明白となった。
次に、δ が大きくなる第二の様式の場合である。すべての生産段階において同一比率で変化するなら、資本の回転期間に何ら影響を与えない。それは、原文には書かれていないが、δ の定義式(37)の分母と分子に定数を乗じても(投入労働量の定率変化)、δ が変らないことで理解できる。そこで、δ が変化するのは、労働生産力の変化が総ての生産段階で一様でなく、ばらつきがある場合である。
特に δ が増大するのに「上位の生産段階に有利な生産性関係の変更」と称される場合を、ボルトケヴィッチは検討する。次の三つのケースが考えられる。生産段階が進むにつれて、労働生産力が逓増的に増加する場合、逓減的に減少する場合、そして最初の段階では逓減的に減少し、ある段階から逓増的に増加する場合である。
公式(30) τ1、τ2 等の回転期間記号をそのまま利用する。これらは連続する生産部門に対応している。その時、τs は最低の段階に、τ1 は最高の段階にあると仮定する。――ちなみに、ボルトケヴィッチは、ベーム・バヴェルクの記法に従っているのであろう、消費財に最も近い生産段階(最高段階)の添え字が小さく、初発的な生産段階(最低の段階)の添え字を大きくしているので注意が必要である。そこで、次式が成立する。
τj >τj+1 (52)
τ1 ,τ2 … 等の回転期間に次の労働量が対応するとする。
u1 ,u2 , … us
労働生産性変化後の労働力は次のように示せる。
k1u1 , k2u2 , … ksus
生産力変化の仮定から、次の不等式が成立しているので、
kj > kj+1 (j = 1, 2, … , s -1) (53)(注5)
さて、以上の要件で、事前の平均回転期間 δ と労働生産力変化後の平均回転期間 δ' は次のごとく表せる。
δ = (u1τ1 + u2τ2 + … + usτs ) / ( u1 + u2 + … + us ) (54)
δ' = (k1u1τ1 + k2u2τ2 + … + ksusτs ) / ( k1u1 + k2u2 + … + ksus ) (55)
この時、δ' > δ が証明できる(証明略)。「それゆえ、上位の生産段階に有利な、生産性状況の変動は、平均的な回転期間の延長もたらすものであり、そしてその結果(剰余価値率が一定に留まるなら)、(39)式により、必然的に利潤率が下落する事実を否定しきれない」(p.222:改訳)。
こうして、利潤率低下法則についてのマルクスの説明は少なくとも部分的には了解できる。マルクスの説明は、生産延長すなわち不変資本増加の特殊な場合にのみ真実であるに過ぎない。マルクスは、労働の生産力が通常上位の生産段階に有利に変動することを、現実経済に特徴的な過程だと考えた。
さて、マルクスの主張は、ρ>ρ' である。ここで、(39)式より
ρ = (1-U ) /δU
および、
ρ' = (1-U' ) /δ'U' (62)
が成立する。そして、マルクスは、利潤率低下にあたって、剰余価値は不変であることを前提している。すなわち、
(1 – U ) / U = (1 – U' ) / U' (63)
ρ>ρ' を論ずるのに、(63)式を前提するのが可能であろうか。すなわち利潤率低下を証明するのに、剰余価値不変を仮定することは矛盾しないか。
上に見たように、マルクスは、利潤率低下は上位の生産段階に有利なように労働の生産性が変動するケースと想定していたから、次式が成り立つ。
δ' > δ
(63)式から U = U' となるから、
U'δ' > Uδ
これは、(54)と(55)式によれば、次のようになる。
k1u1τ1 + k2u2τ2 + … + ksusτs > u1τ1 + u2τ2 + … + usτs (64)
この式は、剰余価値率不変の下で生産状態が変更される場合、利潤率が低下するならば充たさねばならない条件である。それは、ki のうち少なくとも一つが1より大であることを表している。少なくとも一つの生産段階で、労働の生産性が低下しなければならない。然るに、マルクスは、逆に労働生産性は総ての段階で増進し、あるいは総ての k の値は1より小であると仮定している((53)と註を参照のこと)から、(64)式とは矛盾する。剰余価値不変は、利潤率低下法則と併存できないのである。
次に、マルクスの仮定からは、必然的により高い剰余価値率のみならず、より高い利潤率にも導くことは、以下に容易に示せる。(54)と(55)から、次式が得られる。
δU = u1τ1 + u2τ2 + … + usτs (65)
δ'U' = k1u1τ1 + k2u2τ2 + … + ksusτs (66)
仮定により、すべての k は1より小であったから、次の関係が成立する。
δ'U' < δU (67)
また仮定からは(労働生産性の向上があるから)、次の関係も成り立つ。
U' < U
(記者:これは、(63)を参照すれば、剰余価値率が上昇することを意味するであろう)
ここで(62)を参照すると、ρ' は ρ に比べて分子は大で、分母は小であるから、
ρ' > ρ
となる。以上から利潤率が上昇するのは、k の値がどれか一つが1より小であり、かつ他の値がいずれもが1より大でない場合に成立することが明らかとなった。すなわち、同時に他の段階のいずれの労働生産性が低下しないのなら、ある一段階の生産性の上昇のみで、利潤率は上昇するのである。
こうして、マルクスが信じていたのとは逆のことが実際には見られる。労働の生産性の向上は、全産業に生じようとも、あるいは少数の産業に生じようとも、それら産業が実質賃金財の生産に関係するかぎり、その結果は一般利潤率の高めることになる。マルクスの誤りは、剰余価値率を労働生産力から独立した一変数と見たことにある。
しかしながら、(マルクスが想定したような)上位の生産段階の生産関係に有利な生産性の上昇がもたらす唯一の結果は、利潤率が剰余価値率のよりも低い割合で増加することのみである。以前の剰余価値率を
r 、新しい剰余価値率を r' とせよ。(59)のように、全生産段階の平均で、1に対する k0 の割合で生産性が増加するならば、(15)から次式が導かれる。
r' = (1- k0U ) / k0U (70)
そして、その結果は、
r' /r = (1/k0- U ) / (1- U ) (71)
一方、(39)と(62)とによって、
ρ' /ρ = [δ (1/k0- U ) ] / [δ' (1- U ) ] (72)
ここで、生産性の増大は回転期間の延長に現れるから、δ /δ' < 1であることを考えると、次の関係となる。
ρ' /ρ < r '/ r
こうして、全生産段階の平均で生産性が向上(k0 <1 )しても、利潤率は剰余価値率より緩慢にしか増加しない。そこから進んで、剰余価値は増加しても、利潤率は低下することもあるとする(この辺りは、私には理解できないところがある)。利潤率が増加するためには、全生産段階の平均で生産性が増大するだけでは充分ではなく、さらにあらゆる生産段階で生産性が低下しないことが必要だとする。
リカードは労働日の延長と労度強度の強化が利潤率に与える影響を詳述していない、とマルクスは非難した。マルクスに従って、労働量を3次元の大きさとして表す。Q をもって、実質賃金の内に体化された労働量とし、U をこれまでとおり、それに対応する労働日の数を表すものとする(それゆえ、実質賃金が労働日で計算される時は、U は正の分数となる)。さらに、時間で表した労働日の長さを s、労働の強度を i とすると、次式となる。
Q = Usi
これにより、(39)は次のようになる。
ρ = (si -Q ) / δQ (74)
こうして、Q が所与の場合、利潤率 ρ は労働時間 s の延長や労働強度 i の強化によって増大することが示せる。ボルトケヴィッチは書いていないが、Q 所与ということは、Q = Usi の式から、s または i の増大は U の減少を意味する。これは、実質賃金の減少を意味すると思われる。
3. 利潤の起源
ボルトケヴィッチによると、マルクスは控除理論の代表者である。それは、利潤は労働生産物からの控除であるとするものである。搾取理論に代えて控除理論という中立的な用語を用いた(スウィージー)。リカードでは不十分に表明されていたものを、すぐれた説明を与えたと高く評価する。幸運なことには、マルクスは利潤の起源を明らかにするのに、利潤の存在と生産物の価値法則に則る交換との並存状態のモデルを着想した。すなわち、マルクスは価格計算に先行して、資本利潤の存在する価値計算を詳しく分析することによって価格計算が資本利潤の原因であるとの説を否定した。このため、利潤は交換経済の現象である価格上乗せによるものではなく、資本の生産的貢献によるものでもないことが明確になった。
マルクスは、価値計算を、資本主義経済の価格構成及び所得構成の基礎理論だと考えた。しかしこの基礎が堅固なものでないことは、利潤率低下の法則を示す際に価値と価格とを混同したように、数学的に誤っていることからも了解できる。マルクスは矛盾なき科学的構造を創出することに成功しなかった。マルクスは、費用による価格決定と需給による価格決定とが相互に一致することを理解しようとしなかった。価値あるいは価格から、需要と供給の要素を取り除こうと努力した。この仕事を達成するのは、ワルラスに代表される数学的方法である。方程式の数と未知数の数が一致するような方程式体系を作り上げるものである。
((附論1:固定資本が使用される場合にも(20)式が有効なことの証明))
機械または建物のような固定不変資本財 K を考える。これは、E 労働量が体化されたものである。従って、K を生産するに要した賃金支出は λE である。最初に賃金支出は1回きりだと考える。τ を賃金支払時点と K が生産に使用される時点の間隔時間とする。後者の時点の K の価格 C0 は、(19)式により、次のとおりとなる。
C0 = ( 1 + ρ )τλE (22)
次に、C1 、C2 、C3 等は、1、2、3年後等の K の価格とする。K が全く消耗する時間を ω とするなら、Cω = 0 である。さらに、b1 、b2 、b3 、…bω を K が生産に寄与する割合に応じて、1年目、2年目、三年目に、生産物価格に入りこむ K の額とすると、次の諸式が得られる。
b1 = ρC0 + C0 – C1
b2 = ρC1 + C1 – C2
b3 = ρC2 + C2 – C3
……… (23:諸式を併せ)
bw = ρCω-1 + Cω-1 – Cω
(これらの式は、 Cn = (ρ + 1) Cn-1 – bn と書き換えれば、bn が償却を表し理解しやすいと思う:記者)
また、b1 、b2、… 等の価格構成を(19)式を使って次のように表すとすると、
b1 = ( 1 + ρ )τ+1λe1
b2 = ( 1 + ρ )τ+2λe2
……… (24:諸式を併せて)
bω = ( 1 + ρ )τ+ωλeω
次式が得られることが証明できる。
e1 + e2 + … + eω = E (25)
これは、資本財 K の生産への寄与は、K に体化された総労働量が直接その生産に消費されたのと精確に同額であると計算できること意味している。
(25)式の証明は以下のとおり。
(23)式から次の諸式が導かれる。
b1 / ( 1+ ρ ) = C0 – C1 / ( 1+ ρ )
b2 / ( 1+ ρ )2 = C1 / ( 1+ ρ ) – C2 / ( 1+ ρ )2
b3 / ( 1+ ρ )3 = C2 / ( 1+ ρ )2 – C3 / ( 1+ ρ )3
………
bω / ( 1+ ρ )ω = Cω-1 / ( 1+ ρ )ω-1 – Cω / ( 1+ ρ )ω
これら諸式の左辺と右辺をそれぞれ合計すると、Cω = 0を考えて、次式となる。
C0 = b1 / ( 1+ ρ ) + b2 / ( 1+ ρ )2 + … + bω / ( 1+ ρ )ω (26)
(26)式の bi に(24)の書式を代入すると、次式となる。
C0 = ( 1+ ρ )τ λ ( e1 + e2 + … + eω )
この式と(22)を比較して(25)式が証明できる。
このようにして、該資本財生産について賃金支払いは最初に1回きりだとの仮定の下で、固定不変資本支出にも、当該資本が生産に寄与することによる生産物価格に(20)式が適用できることが証明された。先に、賃金支払いが数か月にわたる一般事例では、生産物価格は、(20)式で表せた。それは、その価格が資本設備価格でも同様である。こうして、(20)式は固定不変資本一般の価格表現でもある。
よって、(20)式は、賃金、流動可変資本および固定可変資本が分割支払いされる場合も、商品価格の一般的表現であることが証明された。またそれらの支払いが複合した時の商品価格の表現でもある。
ドイツの古書店より購入。『アルヒーフ』の第23巻と第25巻の形態で購入。ボルトケヴィッチの論文は抜き刷り形態のものを何本か私蔵している。この論文も、抜き刷り形態のものが売られていないかと注意しているのだが、今の所見たことがない。かなりの分量になるので抜き刷りは発行されていないのだろうか。
(注1)原論文では、この式に番号が付されていない。別の式に(3)が付されている。あるいは誤りかも知れない。ここではこの式を(3)とした。
(注2)原論文では「その価格式の分母と分子の考察から」と書かれ、邦訳では「価格式」が「ドミトリエフの価格公式」と訳されている。それに該当するような価格式を見付けられなかったので、仮に私が作った(*7)式とした。
(注3)ここの添え字のm は とすべきと思うが原文のまま。添え字の文字間にコンマがあるのも、原文のまま。
(注4)原文は(14)式となっている。誤りと思われるので訂正した。
(注5)K は少ないほど労働生産性が高い(労働投入量が少なくなる)ので、上位生産段階に有利ということは不等号の向きが反対のように思えるのだが、原文とおりとした。この箇所は省略した証明には影響を与えないように思える。
(参考文献)
- 置塩信雄 『資本制経済の基礎理論 増補版』 創文社、1978年
- 置塩信雄・鶴田満彦・米田康彦 『経済学』 大月書店、1988年
- オット、A・E ヴィンケル、H 『理論経済学の歴史』 東海大学出版会、1992年
- サムエルソン 白金久紀訳 「マルクス搾取概念の理解 ―マルクスの価値と競争価格とのいわゆる転形問題の要約」(伊藤誠ほか編訳『論争・転形問題』 東京大学出版会、1978年 所収)別訳:サムエルソン 「マルクス的搾取概念を理解する:マルクス的価値と競争価格との間のいわゆる転化問題の総括」(『サムエルソン経済体系9 リカード、マルクス、ケインズ…』 勁草書房、1979年所収 )
- サムエルソン 伊藤史朗訳 「マルクス「価値」から競争「価格」への「転化」4:廃棄と置き換えの過程」(『サムエルソン経済体系9 リカード、マルクス、ケインズ…』 勁草書房、1979年所収 )
- サムエルソン 都留重人訳 「マルクス主義経済学について」(サムエルソン 都留重人訳 『経済学 下』 岩波書店、1967年 「日本版のために」)
- スウィージー、P・M 都留重人訳 『資本主義発展の理論』 新評論、1967年
- スウィージー、P・M 編 玉野井芳郎・石垣博美訳 『論争・マルクス経済学』 法政大学出版局、1969年
- ドーフマン、サムエルソン、ソロー 安井琢磨他訳『線形計画と経済分析Ⅱ』 岩波書店、1959年
- ボルトキウィッツ、フォン 國松久彌・岩野晃次郎訳 『マルクス価値学説批判』 日本評論社、1935年
- マルクス・エンゲルス 鈴木鴻一郎他訳『資本論―経済学批判 第三巻』(世界の名著 44) 中央公論社、1974年
- Ladislaus Von Bortkiewicz Translated from German by J. Kahane “Value and
Price in the Marxian System” International Economic Papers, no 2, MacMillan, 1952(第一回論文の翻訳はない)
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『アルヒーフ』第23,25巻 |
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(第一回論文冒頭) |
(2020/11/28記) |

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