Böhm-Bawerk, Eugen von., "Zum Abschluß des Marxschen Systems", pp.85-205, im Staatswissenschaftliche Arbeiten (Festgaben für Karl Knies) herausgegeben
von O. F. von Boenig, Berlin, Verlag von O. Haering, 1896, pp.v+338, 8vo.
ベーム・バヴェルク「マルクス体系の終結」、『国家科学論集、カール・クニース記念論集』(1896年刊)所収、初版。
著者略歴:オイゲン・フォン・ベームーバヴェルクEugen von Böhm-Bawerk(1851-1914) オーストリア帝国ブルノ生まれ。ウィーン大学で法学を学ぶ。彼はメンガーの講壇に列したことはなかったが、24歳の時にその『国民経済学原理』を読んで熱心なメンガリアンとなった。ベームの経済学はメンガーの基礎の上に構築されたものであり、シュンペーターの言を借りれば、「メンガーのベームーバヴェルクに対するはリカードのマルクスに対するが如くである」(シュンペーター、1952、p.217)。卒業後、1872年財務省に勤務。彼は、「その経歴に関するかぎり、第一義的には公務員であった」(シュンペーター、1958、p.1781)。
30歳の時インスブルック大学の教授に就任(1881-89)。理想的な学問環境ではなかったが、経済財の定義に関する論争によって頭角を現した。この論争の解決により、二つの課題が明らかとなった。一つは経済学体系の根本的説明原理は価値理論に拠っているため、価値現象の理解が重要であること。もう一つは、利子および利潤の理論に未解決な課題が存在していることである。第一課題についてはメンガー理論の彫琢が進められ、「経済的財価値の基礎理論」(1886)として公刊された。オーストリア学派の価格理論を形成し、メンガーともヴィザ―とも違う帰属理論を提示した。
「基礎」公刊時には、既に第二課題の準備作業が進められていた。『資本と資本利子』の第一巻『資本利子学説の歴史と批判』(1884)である。「本書は、利子理論の一連の批判であり、その各々は一個の理論の逸品であり、その完全性においてならぶものなき芸術品である」(シュンペーター、1952、p.215)。こうして、方法論的準備作業を経て、第二巻『資本の積極理論』(1889)を上梓した。「本書は狭き内容を暗示するその表題に反して、経済過程の包括的分析であったし、彼の生涯の主著であり彼の努力の最も個性的なる産物であった」(同、p.216:強調原文)。その独創的貢献は、専門家でさえ容易に理解されず、第一巻より低く評価されがちであった。しかしながら、財務省への出仕要請は第二巻を十分に推敲する時間を与えぬまま出版させることとなった。
1889-1904の期間は三度(1895,1897-1898、1900-04)まで財務大臣に就任し、経済学の思索に耽る閑暇もないほど仕事に精励した。如何なる場合も困難であるが感謝されぬ健全財政維持する仕事を、効果的立法、オーストリア財政管理の最上の伝統によって、財政政策を最大に成功させた偉大なる財務大臣であると、シュンペーターは評価している。この間、1896年『カール・クニース記念論集』に「マルクス体系の終結」を寄稿した。マルクスの本質を捉えた批判論文とされる。
1904年財務大臣を辞任、ウィーン大学の教授に就任する。生涯、有名な彼のゼミナールを指導した(シュンペーター、ミーゼスの他、ヒルファディング、グロスマンも参加した)。1904-09年の間、『資本と資本利子』を改訂することに「5カ年にわたる不撓の努力」(第3版序文)が注がれた。基本原則を変えることなく、本文はほとんどすべての部分が拡充され、筆が加えられた。2篇の付録と12の注釈も付加されて、3分冊となったが、もはや実質的内容の進歩はみられなかった。
利子はなぜ発生するか。いいかえれば、人は何故、将来同種の財がより多く払い戻されるのが確実な場合に限り、ある一定量の現在財を手放すのか。ベームは三つの理由をあげた。その中二つは心理的な「正の時間選好」によるもので、現在財を将来財より高く評価することによるもの。「打歩説」あるいは「時差説」と呼ばれるものである。三つ目は、迂回生産の利益という事実を基礎として、現在財の将来財に対する技術的優越性に利子の根拠を求めた。時差説で理論を貫徹できず折衷的なものになった。労働が直ぐに消費される財の生産に投ぜられず、まず非消費財(生産財)に投入されることによって、最終生産財がもっと能率的に生産されることが迂回生産である。この観点から、土地と労働(ベームにとって、これのみが本源的生産要素)を所与とし、迂回生産の剰余収益性という技術的条件の下で、企業者は平均生産物価値あるいは利益率を最大化する最適生産期間を選択するモデルを示した。これは後に、ヴィクセルよって高く評価され、フィシャー、ヒックスもこれに続いた。ちなみに、ベームにとっては資本主義的生産とは迂回生産のことである。
彼の方法論的立場は、時代と国を越えたあらゆる経済組織に適用される法則の樹立であった。しかし、彼の関心は問題と帰結にあって方法論そのものには関心がなかった。また、経済学者が時事論文を書くことは、理論家が真の仕事をなす妨げをなすと考えていた。
オーストリア、チロル州のクラムサッハにて死去。
標題の「マルクス体系の終結」の終結とは完結のことである。『資本論』第一巻の刊行から30年(マルクス死後10年)を経て第三巻が刊行され、『資本論』体系が完結したことをいう。マルクスは第一巻では、価値法則にもとづき、諸商品はそれに含まれる労働の数量に比例して交換されなければならないと述べた。しかし、現実の取引の世界ではそうはならない。剰余価値M(=利潤)は、可変資本に比例して発生するとされるに対し、価格付けに際しては、利潤は全資本(可変資本V+不変資本C)に対して比例する額が必要だからからである。マルクスは、この矛盾を後の巻において解決すると第一巻で「予告」したとベームはいう(注1)。
予告の段階では、解決不可能だと憶測したり、解決を信頼して待機したりすることができたが、今や完結の巻が出たのである。問題にはっきり黒白を付けることができる。「マルクス自身は自分の問題を解決しているだろうか。彼の完結した体系は、それ自身と事実の両方に忠実であり続けているだろうか。この問題を研究するのが以下の課題である」(ベーム、1969、p.35)。
マルクスの第三巻での解決は、諸商品がその価値どおりに交換されるという第一巻の仮定の犠牲の上に成り立っている。それは以下のとおり。マルクスは同一の資本額を持つが資本の有機的構成が異なる5つの産業からなる例を示している。剰余価値(利潤額に等しいとされる)は可変資本に等しいと仮定される。剰余価値率(M/V)100%である。そうすると、産業ごとに可変資本額が異なるので剰余価値額もことなる。それゆえ、利潤率(M/(C+V):ここでC+V、すなわち資本は同額)も産業ごとに異なる。商品価値(C+V+M)(注2)も、剰余価値の相違から産業ごとに異なる。産業別の商品価値と利潤率の表がを掲げられている。ここで、全産業を、例えば一つの木綿工場と考えて、各産業を様々な有機的構成からなるその細部門――梳綿場、紡績場、織物場等のごとく考えると、全工場の平均比率を計算するように、全産業の資本を一つと見て、総剰余価値と総資本額から平均利潤率が計算できる。
さらに、5産業の資本が現実に平均利潤率を獲得した場合の商品価格を示す表を掲げている。ここでは、商品の一部が価値以上(の価格)で売られるのと、同じ割合で他の商品が価値以下で売られている。このような価格で売られることによってのみ、各産業の有機的構成が不等にもかかわらず、総資本の利潤率が均等であることが可能になるのである。
競争を通じての一般(均等)利潤率成立による価格は生産価格と呼ばれる。スミスの自然価格、リカードの生産価格、重農学派の必要価格にほぼ等しい。そして、現実の個々の商品の交換関係は、もはや価値によらず、生産価格によって決定される。あるいは、価値は生産価格に転化(転形)すると表現される。
各産業の資本家は自己の商品生産により生じた剰余価値=利潤を取り出すのではなく、社会の総資本によって生産される総剰余価値(=総利潤)から、総資本に対する自己の資本量の比率で利潤を受け取る。ここでは、各資本家は株式会社の株主のごとく振る舞う。ベームはいう、ここから一つの重要な結論が出てくる。個々の資本家が搾取する利潤は、資本家自身の雇用する労働からだけでなく、全然関係のない労働者から大部分が生れると。
マルクスはいう。労働者が生産手段を所有している社会状態では、商品はその価値に従って現実に交換される。しかし、資本主義体制では利潤率が均等化されるので、価値は生産価格に転化すると。商品価値を理論的にも、歴史的にも生産価格の先行者としたのである。
第三巻による平均利潤率と生産価格の理論は、第一巻の価値理論と矛盾しているのではないかという疑問が当然出てくる。それでもマルクスは、商品の交換関係は直接的には生産価格に従っているにもかかわらず、究極的には価値法則に支配されているとの主張を、体系的ではないにしても、第三巻のなかで繰り返して述べている。生産価格理論にもかかわらず価値法則が部分的あるいは全面的に有効であるというマルクス(およびその追随者)の論拠としてベームは4つあげている。その中で、ここに取り上げるのは、転形問題に関係の深い2つ――第1論拠:個々の商品は価値法則によって売買されないが、社会全体としては生産価格の総額は、その価値総額に一致するとする。および、第4論拠:価値法則は少なくとも間接的あるいは究極的に生産価格を規制する。なんとなれば、社会全体の価値総額は剰余価値総額(総利潤額)を決定し、平均利潤率を規制するから――である。後に、「総計二命題」と名付けられたものに該当する。
第1論拠に対するベームの批判は次のとおり。商品はそれに含まれる労働時間に比例して交換されるという価値法則を問題にしているのに対し、全然提起していない全体生産物をもって回答する。「それはちょうど、競争で優勝者がコースを完走するのに要した時間が競争相手より一体何分ほど少なかったかを尋ねている時に、競争者を全部合わせて25分13秒かかった、と答えるのと同じことである」(ベーム、1969、p.61)。しかし、次いでベームが総価値と総価格が一致するのは、同義反復であり真実であるとしていることは、私には理解できない。
さらには、この論拠を論ずるときに、マルクスは余計な誤謬を犯したことに触れている。これについては、みておく。マルクスはいう、「商品の生産価格にひそんでいる価値からのずれも相互に帳消しされるということで、解消されている。一般に資本主義生産全体ではつねに、一般的法則は、非常に複雑な近似的な仕方でのみ、永久の変動のけっして固定されない平均として、支配的傾向として、貫かれるにすぎないのだ」(マルクス、1974、p.795-796)と。謂わんとする所は、価値理論は、社会全体の価格平均を通じて一般法則として顕現するとの意味であると思う。ここで、マルクスは、諸変動の平均と永続的・根本的に差のある諸量間の平均とを混同する誤りを犯しているとベームは批判する。価値からの乖離する生産価格は、変動が問題なのではなく、必然的・永続的な乖離が問題となる。生産に同一量の労働が投下されていても、有機的構成が異なれば、商品は価格が異なる。A商品は$40の、B商品は$60の価格水準を中心に変動するとしよう。この場合、両商品の価格水準が永続的に継続するなら、平均として$50は産出できようが、労働による等価交換の理論には何の意味も持たない。両商品の価格水準の平均からの乖離は、「相互に相殺される」のは平均の性質から当然である。このことは、価値法則が成立することを説明するものではない。
次に、第4論拠。内容を、もう一度示す。価値法則は、社会全体で生産される総価値を決定する。→総価値はその一部である総剰余価値を決定する。→総剰余価値は社会の総資本に対して平均利潤率を決定する→平均利潤率を、個々の商品生産資本に適用すると、具体的な平均利潤を生む。→平均利潤が商品価格に入込み価格が決定される。かくて、価値法則が生産価格を規制するという主張である。
マルクスは、商品の生産に入り込む剰余価値は個々の生産において発生する剰余価値とは無関係であるので、個々の商品の持つ価値と生産価格の関連を究極的には認めていない。したがって、価値法則は、終局的に個々の商品の交換関係を支配するのではなく社会全体としての総価値を決定するという仮象的機能を持つものである。空想的価値に対するもので現実の影響を持たないとベームは考える。
価値法則は労働力のみが交換関係を決定するという。しかし、事実は交換関係を決定するのは労働量ではない。労働量は、生産価格決定の一要素に過ぎない。それは賃金支出額(労働量×賃金)という一構成要因に直接的で、強力な影響を与えるものにすぎない。別の構成要因である平均利潤率には間接的で、微弱な影響力しか持たない。マルクスは、労働量が重要な生産価格決定の要因であるという異論のない前提から、労働が唯一の決定者であり、価値法則が終局的に生産価格を決定するという一面的な結論を導出することを目指した。
さて、マルクスは労働価値説を、経験的事実によって証明したのではない。また、限界学派のように生産者・消費者の動機を介した心理的中間連鎖による説明をしたのでもない。彼の方法は、「この種の課題にとってはいくらか奇妙な論証過程、純粋に論理的な論証方法、交換の本質からの弁証的演繹」(ベーム、1969、p.94)なのである。自分の精神的傾向に適合した弁証法的思弁によった。古臭いスコラ的、神学的価値理論である。すなわち、等しいものとして交換される対象物がもつ様々な属性を検討するのに、探求する当の属性でないものを次々に排除し、最後にただ一つの残った属性を取り出す、消極的証明法である。しかし、マルクスは土地、鉱山のような労働によるものではない自然の賜物を含む財貨の中から、労働生産物である「商品」という概念を形成し、研究範囲を後者に限定する。労働生産物ではないが、交換性をもつものを予め排除しておいて、一群の対象に共通な属性として、労働生産物であるという属性を抽象してくる。それは、壺の中から白玉を取り出したいと願望するものが、壺に白玉だけを入れるようなものである。さらに労働以外にも、共通な属性として権利を主張できたものがあるはずなのに、その排除の理由は充分説明されず、説明されたものも論理的にも誤っているとベームはいう。
そうして、商品の交換価値にだけ研究範囲を限定したにもかかわらず、すぐに価値概念は使用価値あるいは財貨に拡げられている。「こうして、使用価値あるいは財貨が価値をもつのは、抽象的な人間労働がそこに体現あるいは具体化されているからでしかないのである」(マルクス、1973、p.101:強調引用者)。
マルクスは、現実世界を前提によって排除した限りでは、堂々たる完結性と論理的一貫性を維持している。第一巻の大部分、第二巻の全部、第三巻の最初の1/4の叙述である。しかし、理論が事実から分離する箇所(第一巻冒頭)、および再度事実が導入されるところ(第三巻第10章)で、決定的に根拠薄弱な推論がなされている。第10章のものは、生産価格と価値との矛盾があるとの非難に対する弁護部分、及び現実を説明する生産価格理論を導入する際のものである。後者を検討する。
そこでは、競争概念が問題となる。マルクスの体系では、競争とその作用力すなわち需要・供給については、できるだけ無視するか軽微なものとして扱う。にもかわらず、商品交換は労働量によって決定されずに、それから乖離した「生産価格」に引き寄せられるのを説明するのに競争が持ち出される。「商品がその価値で売られるとすると、我々が説明したように、さまざまな生産部面に、そこに投下された資本量の有機的構成の相違に応じて、非常に異なった利潤率が成立する。しかし、資本は、利潤率の低い部面から去って、より高い利潤をもたらしている他の部面に移っていく。[中略]資本は、生産部面が異なっても平均利潤は同じになるような、したがって価値が価格に転化するような、需要に対する供給の割合をつくりだす」(マルクス、1974、p.829)。ここでは、競争は商品を価値から離脱させ価格に転化する力として描かれている。しかしその直前で、「商品がたがいに交換されるさいの価格が、商品の価値とほぼ一致するために必要なことは次のこと以外にない」(マルクス、1974、p.811)と有効競争状態に必要な3条件をのべている。そこでは、競争がなければ商品は価値どおりに交換されないとしているのだ。競争は価値どおりの交換を実現する力なのか、価格による交換を実現するものか。このような矛盾は、マルクスの価値理論が現実に適合しない、不完全な理論であることを告白しているのではないか。体系と事実の撞着は、不明確と曖昧さで覆い隠すか、弁証法的技巧で歪められる。それらが役立たないときは、自己矛盾が現れる。
最後の章では、ソンバルトのマルクス擁護論を取り上げられる。ゾンバルトは、「一言で要約するなら、彼(マルクス:引用者)のいう価値論とは、経験上の事実ではなく、思想上の事実である」(ベーム、1969、p.130:強調原文)という。マルクスは、経済行為を行う主体の動機を追跡しないで、個人の意思からあるいは知識からも独立した、客観的要素である経済的条件を探求する。ベームの立場は、外的行為の客観的合法則性を認識するには、因果連鎖を造り出す主観的媒介項の認識を伴わねば、完全なものとはならない、というものである。このあたりは、次に取り上げるヒルファディングのベーム批判、マルクス擁護の論文にも関係する。
終わりに邦訳が収められた論文集の編者であるマルキスト・スウィージーの見解を見てみる。この論文は本質的にすぐれた出来ばえではないとの評価である。刊行当時「あたらしい経済学」であった主観価値理論家が、マルクス体系を全面的に拒否した理由を述べたものである。彼は、マルクス学説のような系統的な経済学説体系をどのように評価してよいかわからない。まず、価値理論を検討して、それが典型的な市場状態における交換価値の現象を説明できるかを検証する。それが説明可能であれば、その他の理論部分もの検討するに値する。しかし、価値理論が正しくなければ、他の部分も誤りで検討する必要はない。あたかも算術問題と同様、最初の一行に誤りがあれば答えは間違であり、それ以上の計算は不要であるごとく。スウィージーの考えるベームの結論は次のとおり。ベームの考える価値ターム=市場の交換比率の意味では、マルクスは『資本論』の第一巻と第三巻での二つの互いに矛盾する価値理論を持っていた。そして、その矛盾は表面的なもので、第一巻の理論が正しいことをマルクスは、証明しょうとしていると。
(注1) ベームのあげた『資本論』の箇所をみても、とても「予告」というほどの明確なものではない。マルクスは第一巻執筆時この矛盾に気づいていなかったという見解が広く行われた(実際は第一巻刊行時に、第三巻原稿は存在した:スィージー、1967、p.136注)というところからも、「予告」の存在は疑われる。
(注2) マルクスが示しているのは、正確にはCではなくて、消費されたCである。
(附論:ヒルファディングのベーム批判)
スウィージーが編集した同じ本のなかに、ヒルファディングのベーム批判論文(Hilferding, Böhm-Bawerks Marx-Kritik, Marx-Studien, Bd.1,1904)も収められている。この論文は、ベームの個々の論拠に対する批判部分は、説得的とも思えぬし、よく理解できぬところもある。しかし、マルクス(ヒルファディング)とベーム、客観学派と主観学派との方法論の違いを述べた所は、秀逸である。スウィージー(1969、p.17)も「ヒルファディングの労作のもっとも重要な貢献は、マルクス主義を限界効用理論から区別する論点の認識とその明確な叙述である」としている。ここでは、その点を重点に、該論文の章別にとらわれずに、概要を以下に書く。
マルクスは、交換において商品に存在すべき共通の属性を求めるに際し、労働以外の属性を恣意的に無視することによって、自分の望んだ結論を得た。不当に捨象された属性には使用価値も含まれるとベームはいう。もとより、物が使用価値を持つことと、それに労働が費やされたこととは、関係がない。労働生産物であるだけでは、財は商品ではない。けれども、商品としてのみ、財は使用価値ならびに価値(労働生産物)として二重に規定される。ある財が商品となるのは、それが他の財との関係、すなわち交換によって具体化され、量的に観察可能な財の交換価値なる現象としてその関係が現れることによってである。しかしながら、商品という物は、自ら他の商品と関係することはできない。商品間の物的相互関係は、所有者の人格的関係として表現される他ない。この商品所有者は、私有制度と分業によって分解された、相互に独立した平等な私的労働の生産者でもある(ここでは単純商品生産社会が前提されている)。ただし、生産は自家の個人的消費を目的とするのではなく、交換を前提とした社会的需要の充足を目的としたものである。
商品が社会のための労働生産物であるなら、私的労働は社会的必要労働の性格を帯びる。マルクスは、具体的・私的労働の概念から抽象的・社会的労働への抽象を試みた。この抽象過程によって、個人的価値評価の尺度である使用価値は捨象されるが、商品に労働一般がある客観的な量で支出された事実、およびそれが時間的に継続して計量される事実は残る。この客観的な量をマルクスは問題にした。
社会を構成する個々の成員の相互関係は、交換となって現象し交換価値で表現される。社会的関係は、私的個人の関係ではなく、私的な物と物の関係の結果として現れる。社会的生産過程の結果は投下された社会的労働の総量によって規定され、個々の商品は社会的労働生産物の一部分としてそれに含まれている総労働時間に対する取り分に応じて規定される。マルクスは労働から出発する。労働こそが、人間社会を構成する要素であり、その発展を規定するものである。労働が価値の原理となり、価値法則が合法則性をもつのは、労働が私有制と分業を基礎とする社会において原子にまで分解している社会を結合する社会的紐帯であるからである。社会的必要労働から出発することにより、社会の内面的機構を暴露できるのである。労働が価値尺度となることにより、経済学は歴史科学として、社会科学として構成される。
マルクスは『資本論』第一巻では、商品がそれらの価値どおりに交換される関係を論じた。そこでは、交換される商品は等量の労働を含む。しかし、その第一巻に、「価格は、価値に等しいと想定されているのである。第三部でわかるように、この等置は、平均価格についてさえも、このような簡単なやり方ではなされえないのである」(第7章第一節末尾の注:全集版、p.286)とも書かれている。ここにベームは、マルクス価値論の矛盾を見た。ヒルファディング(1969、p.188)は、「マルクスの価値法則は、第三巻の諸結果によって廃棄されてしまうものではなくて、ただ一定の仕方で変形されたものにほかならない」と考える。価値どおりの交換は、交換一般の条件ではない。たとえそれが特定の歴史的前提の下での交換では必然であったとしても、歴史的前提が変化した場合は、交換の変形が生じる。こうした変形も、合法則的なものとして、すなわち価値法則の変形として説明できれば、価値法則は交換ならびに価格変動を支配しているといえる。
マルクスの価値法則は、商品が価値(それに含まれる労働量)どおりに交換されるという所から出発する。それは、より詳細な分析の理論的出発点に過ぎない。ただし、それは商品生産の一段階である単純商品生産社会を直接支配する法則でもある。商品の交換関係は、人間の社会的関係の物的表現に他ならないとすれば、価値どおりの交換関係は生産者の平等性を表現している。単純商品生産社会では、労働者は生産手段を所有し、対等で独立した生産者として、価値と一致した交換を行うからである。またそうすることによってのみ、この社会の再生産が継続可能となる。
独立生産者が労働者と資本家に分解した資本制社会では、剰余価値の実現が目的である。そこでも、経済主体の平等性が現れる。しかしそれは、独立生産者の平等ではなく、資本家の平等である。交換が利潤均等の実現すなわち一般利潤率の成立によって資本家の平等が表現される。この交換は、もとより以前の社会でみられた労働支出の平等性による交換ではない。それでも、私有制と協業という制度は同一であり、資本制社会が単純生産社会の発展であるように、価値法則も基礎的には不変であって、社会の変化に対応して一部変形したにすぎない。総生産物に対する取り分(剰余の分配分および生産物価格)は、個人労働支出に比例するものから、労働を稼働するに必要な資本に比例するものに変化した。
「むしろ価値法則は社会的生産物およびその各部分(総生産物価値および総剰余価値等か:引用者)には直接妥当するけれども、資本家的に生産された個々の商品価格においては一定の合法則的な変形があらわれることにのみよってのみ、みずからを貫徹するのである」(ヒルファディング、1969、p.193)。もっとも、その「一定の合法則的な変形」についての詳しい言及はない。リカードと同じように、有機的構成が異なる産業において、賃金が変化した場合の価格変化についての例示はある。個別的資本に与える影響は、個別資本が社会的(総)資本の価値増殖過程に関する比率に応じて現れるので、社会的資本の一部として考察されるべきだと述べているだけである。詳しい解明は、ボルトケヴィッチ以降の転形問題研究に残されることになった。
資本制は、それ以前のどの生産様式よりも人間を広範囲に社会化した。個人の経済的立場は属する階級によって決定されるという意味で、個人は社会に対して直接的関係を持っていない。階級のこうした意義が、価値法則を社会的法則として表現する。それゆえ、価値理論を否定するためには、(解りにくい表現であるが)社会的領域において成立しないことを示さなければならないとヒルファディングはいう。主観学派は、個人の欲望充足は個人の善良な意思にもとづくとしているが、それは彼の経済的購買力、剰余価値の階級間分配という客観的条件に支配されている。
使用価値から、すなわち物の自然的属性から出発するベーム等の主観価値学派は、人間相互の社会的関係からではなく、物と人の個人的関係から理論を構成する。このような主観的・個人的関係から、客観的・社会的な尺度を導出することはできない。このような価値論は非歴史的・非社会的方法であり、自然的・非時間的なものである。ベームにとっては、価格現象の説明こそが経済学の本来の課題と見ているから、価格の絶対的な数値を確定できる換算尺度を要求している。マルクスはそれとは異なり、価値論を価格確定の手段としてではなく、資本制社会の運動法則を発見するための手段としている。この運動自体にとって、価格の絶対的な数値は第二義的であり、価格の規則的変動法則を研究するのが目的である。
生産価格に見られるように商品や資本を個別的に考察する限り、資本主義社会の現象は捕捉しがたい。個別商品・個別資本の運動を支配するそれらが取り結ぶ社会関係の理解なしには、その解明は不可能である。労働はその社会的機能として、社会の総労働として把握され、価値の原理とされる。それゆえ、経済的現象は、個人の意思から独立した客観的な社会組織の運動法則となる。しかるに、主観主義経済学派は、社会から出発せずに、個人から出発する。ベームは、「主観主義的方法」と「客観主義的方法」は、相互に補足、併用すべきだと考える。ヒルファディングにとっては、両方法は一方が他方を排除する二者択一的な異なった社会理解の方法である。
ドイツの古書店よりの購入。少し書誌学的なことを書く。今回の解説には、スウィージー編の論文集に収められている翻訳を使用した。邦訳には、別に木本幸造訳(未来社、1969年)がある。木本訳は、大阪市大のゾンバルト文庫の本を底本としている。これは、"Sober-Abzug
aus staatwisenschaftlichen Arbeiter"と書かれ、『記念論文集』の抜き刷りとされている。木本訳本には現物の何ページかの写真が添えられている。それをみると、本文の版組は原論文集のままであるが、抜き刷りのページ付けは原論文集のページとはことなり、ベームの論文だけで独自にページ付けがなされている。そのため、抜き刷りというより、全く独立した本の体裁となっているように思える。スウィージーの解説中(1969、p.
2:強調引用者)に「ベーム=バウェルクの著作は、カール・クニースの記念論集の一冊として、『マルクス体系の終結』という標題で1896年のはじめて出版された」と書かれ、その注に、「O・V・ヴェニック篇『国家科学著作集、カール・クニース記念論集』(ベルリン、1896年)。その論文は同じ年のうちの分冊で出版され」とあるのは、このことを指しているのであろうか。
(参考文献)
- シュムペーター 中山伊知郎・東畑精一監修 『十大経済学者 マルクスからケインズまで』 日本評論社、1952年
- シュムペーター 東畑精一訳 『経済分析の歴史 5』 岩波書店、1958年
- スウィージー、P.M. 玉野井芳郎・石垣博美訳 「編者序言」(P.M.スウィージー編 『論争・マルクス経済学』 法政大学出版局、1969年 所収)
- ヒルファディング 玉野井芳郎・石垣博美訳 「ベーム=バウェルクのマルクス批判」(P.M.スウィージー編 『論争・マルクス経済学』 法政大学出版局、1969年 所収)
- ベームーバウェルク 木本孝造訳 「マルクス体系の終結」 未来社、1969年
- ベームーバウェルク 玉野井芳郎・石垣博美訳 「カール・マルクスとその体系の終結」(P.M.スウィージー編 『論争・マルクス経済学』 法政大学出版局、1969年 所収)
- マルクス・エンゲルス 鈴木鴻一郎他訳『資本論―経済学批判 第一巻、第二巻』(世界の名著 43) 中央公論社、1973年
- マルクス・エンゲルス 鈴木鴻一郎他訳『資本論―経済学批判 第三巻』(世界の名著 44) 中央公論社、1974年
- マルクス 岡崎次郎訳 『マルクス=エンゲルス全集 第23巻』(資本論 Ⅰa ) 大月書店、1965年
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(2020/7/29記) |

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