緑島日記 U(2001.12.30)




二日目は北部観光

勢いで緑島まで来たのはよいが、帰りの飛行機も当然、全便満席。船で帰ることにして、お昼の船出までタクシーで北部を回ることにしました。前日のうちに服務中心で手はずを整えて(ここの林小姐にはお世話になりましたが、紹介してもらった宿は彼女のお姉さんの家、タクシーの運転手さんは彼女の旦那だったことが、のちほど判明。だから安くしてあげたと言ってましたが、ホントかな。笑)、約束の8:00、宿の前で待つ Vivien。ところが一向に現れないタクシー。仕方がないので、大きな荷物を引っ張って服務中心に到着(といっても、10分もかからないんですけどね)。この日は日曜日で林小姐はお休み。応対してくれた立派な顔立ちの女性に事情を話すと「台湾の八時は八時半よ」。話には聞いていたけどさ・・・・・(笑)。その女性は花蓮から来た阿美族の方だとかで、そのあとしばらくお喋りしていたのですが、花蓮附近の地図を書きながら、難しい字が書けなくて「アタマワルイ(日本語)」。子供の頃にさんざんこう言われたのかな、と Vivien の想像が翼を展げ始めたところに、タクシーが到着。時刻はまさに8:30!?

Vivien の足跡。
X のところで道路封鎖(PartT参照)




人權紀念公園 ・・・ 白色テロ時代に受難した人々を記念して作られました

緑州山荘 ・・・ 刑務所跡



牛頭山大草原真中辺に見える黒い点は野生の羊

海に突き出た断崖の上に広がる草原。今回、いちばん気に入った場所がここ。東北からの強い季節風に吹かれながら、目の前に広がる海を眺めていると、いやなことは何もかも忘れてしまいました(親愛的陳昇、天使也有許多的苦悩)。しかし、この強風では、船はきっと揺れるだろうな。



海參坪

緑島で一番の名所。海を見晴らす観海亭がふたつあり、抜群の眺めです。二日とも曇り空だったのですが、ちょうどここにいる時だけ、輝くばかりの陽光が降り注いで・・・・・。この日は日曜日だったので、さすがに貸切状態というわけには行きません。でも、到着した時には、ふたりの金髪のおばさん(「Hi!」と挨拶したら、「Ni 好!」と答えてくれました。Vivien は何人?)と入れ違いで、しばしの間ひとりきり。素晴らしい眺めを堪能しました。




予期せぬ出来事 2

北部観光を終えて、11:50に南寮港に到着。ところが、12:00の船はなかったのです。あいよー! 14:00出港に変更されていたのです。林小姐にも聞いたし、前日、船着き場のとなりの憲兵派出所(みたいなところ)でも確かめたのに・・・・・。そういえば、阿里山でも同じような事がありました。ホテルのお姐さんが14:00と言っていた嘉義行きの最終バスは15:30に変更されていたのです。みんな悪気はないみたいだし、後ろにズレてるからいいんですけど・・・・・。

教訓その1:台湾では乗り物の時刻は自分の目で確かめること。

まあ、どうせお昼ご飯はどこかで食べなきゃならないんだし(船に酔いそうで、あとにしようと思ってた)、港の近くの「夏の緑」というおしゃれ(多分)なお店で花生土司と藍山珈琲のランチ(台湾菜食べると、酔いそうでしょ)。藍山珈琲といえば、「愛情萬歳」で小康が注文してましたが、あの時は確か150元。ここ緑島では80元でした。少し薄かったけど・・・・・。




緑島の犬・・・・・

小黄 : 私って、キレイでしょ。
小黒 : ふん、どうせ私は・・・。

小黄 : ボディラインもセクシーでしょ。
小黒 : ふん、どうせ私は・・・。

何だよ。写真なんか撮るなよ。



緑島航路

船は定刻に出港。予想通り、揺れましたよ。大揺れ。最初はちょっとヤバイかなと思ったのですが、あまりに豪快な揺れに、だんだん気持ちよくなってきました(笑)。しかし、まわりは全滅。出港まぎわに乗り込んできた大家族に取り囲まれて、ちょっと閉口していたのですが(子供は騒ぐ、大人はしゃべるで、うるさかったの)、やがてあたりはシーンと静まり返り、後ろのおばあちゃんが清潔袋を取り出すガサガサという音だけが・・・・・。ここのおじいちゃんは優しかったです。かいがいしくおばあちゃんの面倒を見てました。で、Vivien の隣の席の清潔袋も、そのおじいちゃんに持って行かれてしまいました(笑)。降りる時にそれとなく見たら、みんな青い顔でぐったり。Vivien が無事だったのも実は不思議なんですけど、旅に出ると、やたら元気になるのであった。ふふ、根が単純なのさ。

陳昇の「寂寞帯我去散歩」の後記にもあるように、船内には日本の流行歌が流れます。三部構成。出港直後は台湾語バージョン(「昔の名前で出ています」、こんなのまで台湾語になってる!)。沖に出てしまうとカラオケバージョン(「赤い夕陽の故郷(黄昏的故郷)」がかかったのを覚えてます)。で、本島が見える頃には、なぜか日本語バージョンなんです。突然、五木ひろしの声が聞こえてきた時には、ムッとしました。日本でも避けているのに・・・・・。せめて吉幾三にしてくれよお(笑)。でも、二曲目がちあきなおみの「喝采」だったので機嫌が直りました。「喝采」はなぜか唱和したくなる曲。で、緑島航路の船内に、低く響く Vivien の声・・・・・(笑)。



最後は、緑島の海、海、海・・・・・




台東の歐里桑

富岡(港のあるところ)に着いたら、空港までタクシーに乗ろうと思っていたのですが、岸壁には三台しか停まっていない。それもみんな予約済。まあ、バスに乗ってもいいんだしと、大きな荷物を引っ張りながら、人の波について歩いていたところ、前方50メートルでタクシーが急停車、ひとりの若者と交渉を始めました。これを逃したら、あとがない! 思わず叫びながら走り始める Vivien。「Ni 去那里? 我想去機場!」。若者は台東新站までだったんですけど、無事に Vivien も同乗させてもらって、やれやれ。

運転手さん(以下、おじさん)は若者と何やら相談をすますと、車のスピードを上げます。ほとんど全速力。時々、独り言を呟きます。ちょっと恐いです。思わず隣の若者に話しかける Vivien。「船、すごい揺れた(dian bo)ね、恐かったね」。しかし Vivien の前にまたも立ちはだかる声調の壁。若者は首を傾げながら「dian bo?」。何度か言い直して、意味は通じたようなのですが、ただはにかむだけで答えない若者に二の句を告げず、ひとり恐怖に耐える Vivien(笑)。ほどなく車は台東新站に到着し、若者は「再見」も言わず、つむじ風のように去って行きました。「それはないんじゃないのお。『袖振り合うも他生の縁』という言葉は台湾にはないのお」と機嫌を損ねる Vivien。そこでやおら、おじさんが振り向き、時計を指差します。15:13。「あいつは3時15分の自強号に乗るんやでえ。それを逃すと、二時間待たんならん。台北に着くのは11時になってまう。そやから、わしは・・・・・(このあたり、事実関係を確かめようと時刻表を見たのですが、ちょっと齟齬があります。Vivien の聞き違い?)」。そうだったのね、何も知らずにごめんなさい、と心の中で詫びながら、しかし、おじさんにはきっぱりと「私は急いでないから、ゆっくりやってね」。命は惜しくないけど、ここでは死にたくない。交通事故で死ぬなら、絶対パリよ。ねぇ、陳昇(→「布魯塞爾的浮木 Visual Version」)。

ところが、このおじさん、急がないでいいとなると、今度は口が走る、走る(体内にエネルギーを持て余しているのかあ?)。しかし躾のよい Vivien は、自分より年長の方のお話は無視できないし、長年、父の話相手を務めていた関係もあり、あうんの呼吸で相槌を打ってしまうのでございます(このおじさんの國語は聞き取りやすかったんです)。おじさん、ノリにノッて、独演会! 重複するところ、前後するところもありましたので、要約いたしますと(雰囲気にあわせて、関西弁でね。笑)、

「昔は貨物船に乗ってて、十八カ国に行ったことがあるねん。イギリス、ドイツ、オーストラリア、ブラジル・・・・・。日本にもよう行ったで。名古屋、東京、神戸、福岡、Fushi(この時、Vivien は地名を日本語でオウム返ししていたのですが、おじさんは『ふくおか』にのみ強い反応を。『對、對、Fukuoka』。何か忘れがたい思い出でもあるのかな。ところで『Fushi』って、どこ? 富士山の見える清水のことかあ?)。何回も行ったで。そやけど日本はあかん。飯が高い。高うてまずい。台湾はご飯が安うておいしい。日本の sashimi は一皿3000や。こんなちょっとや。そやけど台湾やったら、500で山盛り、いっぱいあるで」

Vivien が「日本のご飯は確かに高いけど、でも、おいしいよ」と言っても、聞く耳を持ちません。何度も「日本不行(日本はあかん)」と言い募ります。そんなこと言わんと、ちょっとは色をつけてえなあ。台日友好のためやんか(笑)。

「それでは、どこの国がいちばんよかったの?」

「大陸や。大陸はご飯が安い」。どこまでも、食にこだわる台東のおじさん(笑)。しかし、そのあと続いた言葉は、 「わしの兄ちゃんが大陸におるねん」。

それでは、この元気で快活なおじさんにもきっと昔の物語があったのねと、Vivien の想像が翼を展げ始めたとたん、車は空港に到着したのでございます。むむっ。

「今度来たら電話しといで。我是日本小姐(ここは身体をくねらせながら、女の声色で。笑)と言うたら分かる」と名刺をもらってお別れしました。うーむ、ちょっと名残惜しかったぞ。しかし、縁があれば、また会える。この話の続きはいつか、どこかで・・・・・。

それが15:25。空港ロビーに入って行くと、遠東航空のカウンターに「15:30往台北尚有空位」の表示があり、その前にまだ数人の客が! Vivien もすかさずその列に加わり(ここで、またひとつ笑い話が・・・・・。でも、これは内緒。笑)、五分遅れで離陸した飛行機は16:25に台北に到着。Vivien の「両天還遊緑島の旅」は終わりを告げたのであります。

教訓その2:台湾で飛行機に乗る時は、たとえ五分前でも諦めるな。

それにしても、飛行機にかけこみ乗車したのは、これが初めての体験でございました。しかし、Vivien のあとに、台湾小姐がふたり悠然と乗り込んで来ました。何だ、走らなくてもよかったのかあ(笑)。




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