訳詞集前言


始まりはやはり映画だった。去年の三月、陳國富の監督した「宝島/トレジャーアイランド」を観た時、挿入曲に怪しい胸騒ぎ。沢田研二の「時の過ぎゆくままに」の北京語バージョンである、その「愛 Ni 一萬年」を歌っていたのが、陳昇と呉俊霖。「あなたを一万年愛することに決めた」という大仰な歌詞も、このふたりが歌うと切なくて胸がドキドキ(オリジナルとは似ても似つかない編曲も素晴らしい)で、彼らの名前を記憶に留めていたある日、陳昇のソロアルバム「風箏」を見つけて、さっそく購入。

もともとその声がとても好きだったのだが、曲も好き、詞も面白そうと、中日辞典を引きながら聴いていたら、やはり詞も好きになってしまった。そこには哲学的な感触と呼びたいようなところがあって、さまざまな感情や考えを喚起するのだ。たとえば、「VIVIEN」「最後一盞燈」「Last Order」には人間という存在に対する根源的な悲しみを感じてしまうし、「20歳的眼涙」「風箏」には、そういう悲しみを乗り越えて、人間はなおも生きて行かなければならないのだ、という啓示を覚えたりもする。

もうひとつ忘れてはならないのがヒューマニストとしての一面。「孩子的鞋」にもそれはうかがえるが、黄連Yu とともに製作した、台湾語、客家語による「新寶島康樂隊」が興味深い。細部を語って全体へ到るといえばよいだろうか、台湾各地に生きる人々、とりわけ何かを失ってしまった人たちに温かい視線を向けることによって、人間全体への愛を感じさせる。これはやりはヒューマニズムと呼ぶべきであろう。その包容力に満ちた陳昇の歌は、まさに「男の世界」。というわけで、少し前まで何の興味もなかった台湾の歌の世界に夢中になってしまった今、「出会うべきものには、出会うことになる」という自己の信念を再確認している次第だが、その「我真喜歓的」のほんの一部をあなたにも・・・・・。

Note : 1995年4月に作った初めての訳詞集に付けた前言です。それまでに発表されていたのは、ソロアルバムが「風箏」までの六枚と「魔鬼的情詩T」、新寶島の第一輯と第二輯。そのうち「貪婪之歌」「私奔」そして「新寶島第二輯」はまだ手に入っていませんでした。陳昇のさらに奥深い部分は、またのちに発見することになるわけですが、1995年時点での Vivien の陳昇像ということで、ここに記録しておくことにします。
陳昇に送った訳詞集には中文の前言も付けました。今、読み返すと、変なところもありましたが、気持ちは伝わったのではないかと思います。それも手を入れて別のページに掲載しました。



HOME
INDEX