一朝醒來是歌星(2002.6)

煙城瓜雅基爾


僕は夢の中に目覚める。夢の中の自分は遥かなグアヤキルの街をひとりさまよい、どこへ行くつもりなのかも分らない。切断された一枚の地図を手に、道を尋ねようとする。「この地図はどうして下半分が切り取られているのですか? 飛行機が降下する時に、確かに窓からこの街の下半分が見えたのだから、この地図にも載っているはずなのに・・・・・」。行く手を遮られたその人は、首を傾げ、差し出された地図を眺め、ペラペラと何やらラテンの言葉を話している。やがて街にたむろする靴磨きの少年たちが集まって来る・・・・・。

グアヤキルは夢河のほとりにある小さな都市である。(訳註 : エクアドルのグアヤス川のほとりにある。グアヤスに「夢」という意味があるのかは不明)三百年前、スペインの独裁者が槍兵を率いてこの街を包囲し、降伏するよりはむしろ死をと、最後の酋長グアヤは妻のキルとともに自刃した。

呪いをかけられたかのように、建設と崩壊の間で、この街は百年余りの時を息も絶え絶えに生き延びてきた。

街全体の外観からすぐに分ることだが、二、三十年前のある日、大事件が起こったかのように、この都市はあらゆる進歩と建設を凍結してしまったのだ。

青年たちは祖父の時代の、とっくに廃棄されるべきだったバイクに乗り、ぼんやりと街を通り過ぎる。

インディオの婦人が、眠り込んだ幼児を胸元に抱き、どなりながら膝元に名も分らぬ雑草の山を並べている。子供の顔は日光を浴びて真っ赤だ。

何十年も補修されたことのない大通りは、陽光に照らされ、油汚れが光を反射している。すでに名前も忘れ去られた日本車が、ランプや窓を欠き、ナンバープレートさえもきれいさっぱりなくして、それでも懸命に街を疾走している。

集まって来た少年たちの多くは、仕事にありつけない靴磨きで、誰もが商売道具の入ったぴかぴかの箱を提げ、無邪気に笑っている。どうやらその磨きこまれた道具箱は、お父さんの代から受け継いだもののようだ。

そんなにたくさんの子供が来るので、すぐに抱く考えはこうだ。「今日は休日なのだろうか? 子供たちは今日は学校へ行かなくてもよいのだろうか?」

子供たちは口々にわめいているが、その話はかえって聞き取りやすい。その地図は切り取られたんじゃない。ただ・・・・・、ただそこまでしか印刷されていないんだ、と口をそろえる。飛行機から見えたそれ以外の低い家並みは、この都市が凍結されてから、外の地方から移住してきた幽霊人口のものなのだと、僕に理解させようと懸命になっている。それは存在しない、存在するべきではない人口なのだ。グアヤキルの栄光は、あるいは執政者の目から見れば、僕が手にしているこの地図止まりなのである。

グアヤキルの栄光が再現された暁には、地図に印刷されていないその他の半分の街は、また消失することになるのだといわんばかりだ。あるいはきれいさっぱり破壊されて平地に戻されるのだといわんばかりだ。

「だから僕らは存在しない人間、存在しない子供なんだ・・・・・」

僕は悲しくなって、彼らに訴えたくなる。飛行機からは確かに、この地図の下半分のところにたくさんの家が見えたのだと。

子供たちはハハハと笑い始める。なぜ僕がこんなに執拗に目にした家並みを本物であると決めつけるのか、その訳が分らないからだ。そして僕もまた心の中で自分自身に告げる。我が街でも、計画にない違法建築は地図の中に書き込まれることはなく、何号公園予定地、あるいは何々建設予定地と呼ばれているではないか。

「あの家並みに対するこだわりなんて忘れちゃいなよ・・・・・」。子供たちはみな笑いながら、そんな風に僕をからかう。

「それより、僕たちと一緒に写真を取りに行こうよ・・・・・」。僕はまたくよくよと悩み始める。なぜなら、この薄暗い都市には、学校に行けない子供たちが山ほどたむろしているのだ・・・・・。

この都市を鏡に写してみれば、息が絶えようとしている老婦人のように見えるだろう。しかし僕には自信がある。その血管の中には、子供のように若い血が、ほんの少しではあるが流れていると・・・・・。

それは何という唐突な出来事だっただろう!

それは何とむごい記録だろう!


Vivien's note :
学校へ行けない子供たちに心を痛める陳昇。世界にはそんな子供たちがどれほどいるのでしようか。Vivien も読んでるだけで切なくなります。この子供たちにはどれだけの可能性があるのだろうかと? もし勉強すれば生まれてくる可能性、そしてその機会を得ることなく埋もれてしまう可能性・・・・・。



我們都需要切・格瓦拉


僕は悲しくなってしまう。のんびりとハッピーな気分で何かをしようとすると決まって、ちょうどグアヤキルの街をのんびりとハッピーな気分で散歩しようとしていた時のように、一枚の地図のせいで、どんな事柄にも当然存在する、あるいは常に存在する本質的な悲しみに、再び囚われてしまうのだ。それがいかなる事柄であれ、物事にはすべて異なる角度から見たいくつかの面がある。しかし、自分の拠って立つ角度からのみ物事を見ようとする人間がいるのである。

僕は誰かに会って話したかった。また遥かな煙都をそぞろ歩いたことを話すのだ。

しかし僕の友達はみな正常ではないので、こんな時間に明晰な意識を保っている者などいない。

僕は食堂の窓のそばで書きものをしている。キッチンの流し台には弱々しい薄荷草の鉢が置かれている。少し丈が伸び、その伸びた部分はすべて、窓外の光源を受けようと曲がりながら伸びている。僕は考える。その草は常に一定の角度から陽光を浴びているのだろうか?

どの方向から陽光が来ても、草は光を受けながら茎を伸ばし成長して行く・・・・・。

グアヤキルを離れる前にエクアドルの友達と話したことを思い出した。

「どうしてちゃんとした国家がこんなざまになってしまうんだ? 発展が停滞していることは言わずにおこう。でも、街には学校へ行けない子供があふれてる・・・・・。子供は学校へ行くものだろう?」

「貧富の差が激しく、大部分の富が少数の人々の手に集中しているからだよ。国家の資源もまた外国の商人に奪われ、実際のところ、今はどうすればよいのか、誰にも分らないんだ」

「君たちに必要なのはたくさんの ―― チェ・ゲバラだ・・・・・」

「チェだって! あれは革命をしようとしたんだ。また混乱が起こるなんて、僕らには耐えられないよ・・・・・」

しかし実際には、彼は遠慮会釈なく反問するべきなのだ。「君のような黄色い肌の外国人が、はるばる地球の裏側からやって来て、僕らの生活がどうのこうのと説教するのかい・・・・・。余計なお世話だ。自分の国家のことを心配しろよ!」

本当に彼がこう反問してくれたらよいと思う。そうすればまたひとつ、言葉による戦争を挑発することができるというものだ。僕はあれから、この何年か、いつも戦争を挑発してきたような気がする。時には国際戦争さえ挑発した。


クアラルンプールのパブほら貝へ行ったことがあるかい? あの店のことを考えると、あそこで不定期のハウスシンガーをしていた友達のことを思い出す。店内は混んでいるので、屋外へ出て軒下にいる方がまだましだ。湿気が多く蒸し暑いのは変わらないが、時には少し風がある。

僕は足を伸ばす。例の蚊でさえも羽を動かさずに飛ぶほどじめじめした夜だ。

「政治的な曲は、歌うことはおろか、書くことさえできないんだ」。張澤は僕の方ににじり寄りながら、そのうえずっと僕を見つめている・・・・・。たぶんこの話は、彼がこの夜心の中にずっと抑え込んでいた最初で最後の話題なのだろう。

「君たちにはたくさんのチェ・ゲバラが必要だ」。意外なことに僕はそう言ったのだ。マレーシアの確かな国情をまるで理解していない時に、何てことだろう、やはりそう言ったのである。

あるいは僕は行き過ぎて誤りを犯し、創作が具えているべき情操を革命のようなものだと考えているのかもしれない。チェ・ゲバラの写真をエクアドルから持ち帰り、事務室のドアの後ろにこっそり貼ったりもした。

文章を書く時はいつも、どうしても写真の中の生気に満ちた鋭い、しかしどことも知れぬ深い遠い場所へ向けられたその目を見つめてしまうので、性格まで変わり孤独癖が生じてきた。

「音楽をするのは革命をするようなものなのか?」。訪ねて来る友は、その革命家のポスターを目にすると、誰もがそう言う。「まさか! ただ時々自分に注意を促がすだけさ。いい気になって本分を忘れるなよって」

「知ってるかい? マレーシア全体の四分の一近くの人口が華人で、だいたい五百万人ぐらいになるだろう! しかし中国語の創作歌曲を発表できるのは、クアラルンプールのこのほら貝レストランだけなんだ」。こう話す彼の気持ちが僕には分らない。抗議しているかのような語気の中に、しかしまた明らかに当然といったところがあるのだ。

「もしかしたら、場所があまりにも大きくて、人口があまりにも分散しているせいかもしれない!」。僕はいかにも訳知り顔に、しかしまた故意にそう言わざるを得なかった。クアラルンプール新空港で入国の手続きをすませ、迎えに来たマレーシアのスタッフに文句を言った時、すでに心の中では見当がついていたのだ。

「おい、こんなに大きな空港の、すべての標識が、マレー語あり、英語あり、日本語さえある。なのにどうして中国語がないんだよ? これは明らかに・・・・・いやがらせじゃないか!」

「かまわないんだ! 僕らはまずマレー語を学ぶのだから。普通の生活でもマレー語が優先されているし・・・・・」

「君らは反応しないのか、勝ち取る気はないのか?」。冗談で言ったことだったが、あとになって考えてみれば、実際にはちょっと人を傷つける言葉に思えた。

僕は突然気づく。阿VONと話す時、中国語でかまわないかと尋ねたことなどなかった。元から台湾に住んでいる人々に対しても、僕たちはすでにこんなにも粗暴なふるまいをしていたのだ。そのうえ千里離れたマレーシアの友達に向って、中国語で話す機会をむりやり勝ち取ろうとする。

「君に何か関係があるのかね?」。その日迎えに来たのがマハティール首相であったならば、きっとそんな風に反問しただろうと思う。「君に何か関係があるのか?」。これは、僕が創作やパフォーマンスをしている時に、頭の中によく浮んでくる言葉である。

自分たちの同胞である原住民を、僕たちはこんな風に扱っているではないか? 最もひどい土地を与えて耕作させる。学校へ来て、僕たちと同じ学課を受け入れ、僕たちと同じ言語を話すように指導し、僕たちのなじんでいる基準で彼らの計画を立てる。彼らを困窮させ、志を失わせ、そのあと最も安い、品質の悪い酒を売りつけ、彼らの脳細胞を殺し、彼らを中風にしてしまうのを、僕は気にかけているだろうか?

そのうえ千里の道のりをはるばると他人の土地まで出かけて来て、チェ・ゲバラが足りないなどと忠告しているのだ。


ある年、阿里山の特富野へ行き、村の中を散歩した。秋の午後は陽光が輝き、このうえなく美しい・・・・・。

突然、門口に腰を下ろしぼんやり日を浴びている人々の、その多くが老人ではないということに気づいた・・・・・。

「あれは僕のいとこ。中風で都会から戻って来た・・・・・」

「彼は交通事故で障害が残り、都会から戻って来た・・・・・」

「彼はアルコール中毒で仕事が続けられなくなり、都会から戻って来た・・・・・」

「だけど、みんなとても若く見えるぜ!」

「もっと若い者もいるよ! もっと若い者も・・・・・」。僕たちは村の中の小さなバスケットコートがある球場で足を止める。球場は過去に造られた大きな建物で、彼らは「男集会場」と呼んでいる。

黄昏がせまり、冷やりとした空気の中、林のそこここに妄執めいたものが漂っているかのようだ。男集会所は草地が裂けて湧き出た巨大な亡霊のように、杉材を打ち付けた甲冑をまとい、西に傾いた陽光の中で揺れ動いている。球場では幾人かの子供が遊び、やはり時折中国語を話している。

僕の心の中には言葉にならないざわめきが起こっている。

「僕には何の関係もない・・・・・。僕には何の関係もない・・・・・」

しかし達邦と特富野、この五千人の美しい部落、音楽、言語・・・・・、それらはすべて、この沈み行く夕陽のように、果てしない林の木々の間に失われようとしているのだ。

ここにこそ、たくさんのたくさんのチェ・ゲバラが必要なのである。


Vivien's note :
チェ・ゲバラに憧れる陳昇。何か可愛い(笑)。しかし、エクアドルにも、マレーシアにも、そして台湾にも問題があり、それはまた私たちの手に余る問題でもある。伝説の革命家でも現れない限り、解決できそうもない・・・・・。



夢中的理想國


マレーシアの友人には彼らの知恵があり、それは昔から変わらない。

未来にも変わらない希望は、あの美しい国を開発することだ。そして僕が街中に煙や塵が漂っている都市グアナキルを去ったあと、街にたむろする靴磨きの子供たちは、またその数を増やしただろうか?

僕は開希(訳註 : 天安門事件の闘士ウーアルカイシ、ウイグル族出身)に尋ねる。「僕たちの夢見るユートピアは、結局存在するのだろうか?」

彼は大きな両目を見開き、しばらく僕を見つめたあと、またゆっくりと目をそらす。

その目に浮ぶ涙を僕に見られるのが恐いのだと思う。あるいは、また強情に僕に口答えするつもりなのだと思う。「くそったれ、具体的なユートピアがどんなものか、知っていなきゃならないってのか!」

ふたりとも良心からこの世界が素晴らしいものになるよう希望してはいるが、互いに明確ではない細部のせいで、よく言い争いになるのだ。

僕はまた軽はずみに誰彼を非難し始め、明らかに国を治める術も知らないくせに、意地になって革命を唱える。

理想という言葉についていえば、ウイグル族の我が友がもちろん僕よりはるかに上を行く。

「革命では人が死ぬんだ。分っているのか?」。彼は突然振り向き、怒号し始める。

「それじゃ、どうしてやろうとしたんだ?」。僕はまた人を傷つけたことに気づくが、しかし我慢できずに彼よりも高い声を出してしまう。

「学生はただ少し改革を求めただけだ。君の思っているような革命であるものか。革命や何かじゃ・・・・・」

「僕には分らない・・・・・」。僕には本当に分らないし、今まで分ったこともないし、どうやら年齢を重ねるにつれてさらに分らなくなっているようだ。

僕はただこう思っているだけだ。僕のような人間は、あれを改めなきゃ、これを改めなきゃと、毎日口の中でぶつぶつつぶやき、君たちに頼んで少しばかりの寄付金や力を出してもらうけれど、そのあとまた何もなかったふりをするのだ。そんな人間に、うまく行かなければ人が死ぬ事なんて分るはずが・・・・・。

「人が死なない革命があれば、君と一緒にやってやろう・・・・・」。いつも少し悲しくなって、冗談まじりに彼にそう言うのである。

そのあと、真夜中の街角でタクシーを待つ。街燈が彼の姿を照らし、その影が長く長く伸びている。

「本当に巨大で孤独な魂・・・・・」。手を振って別れるとき、いつも彼にそう言いたくなる。


僕はといえば、実際には多少なりとも分ったことがある。それはただ僕たちにはあまり似てはいない宿命と戦場があるということだ。

その戦場において、僕たちは確かに公開の場に立つ人間だといえる。つまり狙撃手が最も好む標的である。しかし僕の戦場には本物の銃や実弾は存在しない。存在するのはただ酒色財気(訳註 : 酒に女に金儲けに立腹)だ。

彼の戦場が彼を選択したのだ。それが彼の宿命である。しかし僕は酒色財気を選択し、勇気までも失った・・・・・。

僕たちが親しいと知ると、誰もが軽蔑して僕に言う。「彼は・・・・・、彼は変わっただろ!」。まるで自分の胸に刺さった針か何かのように。自分自身が変化していることに気づいているので、ウイグル族の我が友のために弁解することもできず、せいぜい重苦しく言い返すだけだ。「どうして誰もが求めるんだ。他人に烈士になれなんて?」

「人のまねして烈士になるなんて馬鹿はするなよな! 可愛い子供のことを忘れるなよ!」

「だったら君はちゃんと、僕が君にあげたあの歌詞に曲をつけてくれよ・・・・・」

言っているのは何回も僕にくれた歌詞のことだ。あるいは手紙なのだろうか!

「タイトルは何とつける?」。僕は長々と続く文字を見ている。彼が無邪気に持ち帰って何度も直してきたものだ。頭を掻きながら、しばらく考えたあと言う。「じゃ『父さん』にしよう!」

「どこに『父さん』なんてタイトルがあるんだ・・・・・、父さんにあてた歌なんてめったにない。どうしてまた『父さん』なんて・・・・・」。僕は思い悩み始める。

「君こそ分ってないんだな! これこそオリジナルじゃないか? 恋人にあてた歌、母親にあてた歌ならあんなにたくさんある。どうして『父さん』という歌があってはだめなんだ・・・・・」。彼には本当に理解できないのだ。

「変なんだよ! よし・・・・・、信じないなら、適当にメロディを作って歌ってやろう」。僕はじっと考える。

「変だな! 父さんと歌えないんだ・・・・・」。僕は本当に思い悩んでいる。もしかしたらこんな歌は、女流作家たちに討論させるべきなのかもしれない。男の子には・・・・・、本当に大声で父さんとがなるのはあまり容易なことではないようだ。

「だから・・・・・、僕が思うに、僕たちの文化には問題があるんだ。父権があまりにも重く僕らに圧しかかって息をつくこともできない。『父さん』という歌でさえ、気軽に歌えないんだ・・・・・」

「これには考えなければならないところがある・・・・・」

「バランスを失っていることなら、すべて持ち出してきて考えてみなければならん」

「実に筋が通っている・・・・・、いつも僕たちが話しているユートピアの境地に、くそっ、ちょっと近づいた雛型というわけだ・・・・・」。僕は心の中で悪態をついている。

「人から始めて、バランスを失っているものは、すべて持ち出して考えてみなければ・・・・・」

「東洋と西洋の問題・・・・・、貧富の問題・・・・・、少数民族の問題・・・・・、それから・・・・・」。僕はなおもいくつかの問題を考える。

「君ってやつはロマンチストだな・・・・・、僕が言ってるのは人権問題だ・・・・・」。彼は抗議している。

「分らない・・・・・」。僕は本当にまた分らなくなる。

「それじゃ開希さん。私たち同性愛のためにも身を挺して、ちょっと話していただけますか・・・・・」。やぶからぼうにジミーという友達が、僕たちの論争を聞いて、深く考えもせずに突然口をはさんだ。

「何と何だって!」。僕はジミーをぐっとつねってやる。その結果は驚いた彼の黄色い悲鳴だ。

「ああ、私たち同性愛だって弱小グループなのよ! ああ、ずっと抑圧されて、ずっと抑圧されて、ずっと抑圧されて、今まで誰も身を挺してくれる人なんていなかったの。私たちのために話をしてくれる人なんて・・・・・」

僕の人権闘士は、しばらくの間そこで石になり、どう答えればよいのかも分らない。

「それは確かに正しい!」。人権闘士はテーブルをぽんと叩くと、突然言った。

「何が正しいって?」。僕とジミーが同時に尋ねる。

「男らしく身を挺して、出て行かねばならんのだ! 立ち上がって宣揚するのだ・・・・・宣揚するのだ・・・・・何を宣揚するんだ?」。ウイグル族の我が友にも何と言葉に詰まる時があるのだった。

「だけど、私たちは男じゃないから・・・・・」。ジミーはあわてて泣き出しそうになっている。しかし僕には何の手助けもできない。

「その通り!」。そのあと、また巨大で孤独な魂がひとつ、道端に立ち車を待っている。

「こんちくしょう、きっと生きる時代を間違えたんだ・・・・・」。僕には心の中でつぶやく自分の声が聞こえている。


あのグアヤキルと街にあふれる靴磨きの夢を話すと、彼は僕をぐっとにらみ、しかしまた顔を背けてしまう。あの大きな両目を僕に見せたくはないのだろうと推しはかる。

適当な人間でいることは、実際には難しいことではない。もしかしたら、僕たちはどちらも、自分が過去に何かの過ちを犯したと思っているので、もう適当な人間でいることを望まないだけなのかもしれない。

僕たちは今でも昔の北京のことを話すことがある。ふたりとも行ったことがある哈爾濱や漠河の面白かったことを話したりもする。しかし中国が大々的に開放されてからは、どういうわけか、僕はもう二度と行ったことはない。

その感じは実際、時間という一枚の地図が巨大な変化を生み出しているかのようだ。しかし、僕が夢に見たグアヤキルの地図にはそんな感じはない・・・・・。

グアヤキルの地図は、開希が夢見る古い中国の地図にも似ている。巨大な変化を生み出している中国は、僕たちが夢見る地図には存在しないのだ・・・・・。その後、起こった出来事は、たとえ一生の熱情を費やしても、おそらくは、もう追い続けて行くことはできないだろう・・・・・。もう二度と・・・・・。

そして煙都グアヤキルは、記憶の中の都市に過ぎないけれど、しかし半分しか存在しないのである。

創作をする人間は、美しい記憶や感覚を言葉にしようと努力しながら、いつも異常な疲労感を覚えるものである。もしかしたら素晴らしい記憶や感覚というものは、煙都グアヤキルのように、その半分は蝕まれて空白になっているからかもしれない。だから具体的に述べることは永遠に不可能であり、そのため極度の失望に蝕まれた空白が生まれるのである。

おそらく改革が成し遂げられなかった時のように、心の中で声には出さず、僕はウイグル族の我が友に告げる。「君なりの烈士になれよ! そうすれば君の心の地図を補うことができる! だから君なりの烈士になればよい! そして僕は特富野に行って散歩がしたい。あそこから逃げてきたと思い込んでいたけど・・・・・、しかし、僕だって不完全な地図しか持っていないことを認めなければならないんだ」

「煙都グアヤキルにはもしかしたら、グアヤキルのチェ・ゲバラが出現するかもしれない! しかし僕には何ができる? もしかしたら・・・・・、この一生で、もう二度とあそこへは行けないかもしれない。僕にはウイグル族の友があり、彼には勇気がある・・・・・」

「僕には僕のものである半分の地図がある・・・・・、僕も勇気を持ってその半分を補いに行こう・・・・・」


Vivien's note :
ウーアルカイシを非難する人々に対する、陳昇の反応にとても共感します。他人のことをとやかく言うのは簡単だけど、自分ができないことを他人に求めるのは・・・・・。Vivien も自分自身が変わり続けてきたことを自覚しておりますので、他人の変節をとやかくは言えませんわ。時代は変わる、私も変わる、ごめんなさい、といったところでしようか(笑)。でも、この世界が少しでも素晴らしいものになればよいと、いつも思っています(思うだけなら、誰でもできることですけど)。そのへんの陳昇の想いにも共感しております。



革命事業


というわけで、僕にも僕の革命事業があり、僕の職業の中で、自分自身の革命を進めている。

ここまで筆を進めた時、窓外のキワタノキはすでに綿毛を出さなくなっていた。(訳註 : 最初の章に綿毛の描写がある)僕は編集者に、自分がまるで桶を蹴倒し、強力なゴム溶液をぶちまけてしまったようだと言う。元はといえば、ただここ数年来の創作についての感想を単純に書いてみたいと思っていたのだ・・・・・。

思いがけず、長い思い出の中に囚われてしまった。親しい友は誰もがこう言う。「君の文章を読んで疲れるところは、どの文章にも結末らしきものがあるべきなのに、君はといえば、悪ふざけをするように、いつも問題をまた他人に投げてよこすんだ・・・・・」

僕はいつも言う。「だって物語はまだ続いているんだぜ! それにどの物語にも結末があるというわけじゃない。ヒーローかヒロインが死ねば、それが結末になると言いたいのかい? 別の主人公はまだ演じて行かなきゃならないんだぜ! だから、僕たちはどんな物語にも結末があるということに慣れるべきじゃないんだ・・・・・」

だから、とても辛くても、この創作という強力なゴム溶液から脱け出すことはできないのだ。

僕は自動車補修工になるはずだった。学校で学んだのは自動車補修の技術だったからである。正直にいうと、音楽界で発展を求めるような願をかけたことも、志を立てたことも、本当にないのである。

子供の頃、僕には根気がない、何をやっても三分で飽きる、と母さんがよく言っていたが、しかし今度ばかりは意外なことに、元来就くはずがなかった職業を二十年も続けているのだ。

こんな奇妙な時代に生きられることを、僕は幸いだと思う。コンピューターとE世代が生き生きと旧式の人間を愚弄しているのが目に入るけれども、僕はまだ状況をはっきりと理解しないうちに、ある朝目覚めると、何と「スター」になっていたのだ・・・・・。

本当のことを言うと、今までずっと、自分は本当に歌が書けるのか、文章が書けるのかという疑いを時折抱いてきた・・・・・。また仕事が特殊なせいで、たくさんの場所へ行き、多くの奇妙な人々と知り合うことにもなった。彼らは僕を、僕がいうところの「幻界」へと連れて行ってくれるのだ。

仕事が特殊なので、時には奇妙な場所で目覚めることになる。石垣島行きの定期船の中、ガラパゴス・ダーウィン島の滔滔たる大波の中、さらに武界ブヌン族の山深い野営地で目覚めたことさえある・・・・・。ある時には、ひとり片手にビールを提げ、聖ミラノ大聖堂の前にたむろするルンペンの群れに混じり、たぶんあまりにも疲れたせいだろう。何と夢うつつのうちに眠り込み、真夜中の鐘の音に目覚めたのである。

いつも・・・・・、目を開く前に、僕はまず考えなければならない。今度はどこへやって来たのか? 僕は何者なのか? 僕は何をしている人間なのか・・・・・。

僕の頭に最も浮びそうにないもの、それは自分が「スター」であるということだ。正直にいうと、僕はわりと虚栄的に「もの書き」、あるいはもう少し高尚に「作家」と呼ばれるのが好きだ。

「スター」という呼び名は人にあまりにも奇妙な色彩を与え、さらに「戯子」(訳註 : 旧時俳優をこう呼んだ。訳すならば「役者」というところですが、原罪感うんぬんについては不明)のように振り捨てられない原罪感を帯びている。

僕が思うに、自分があんなに努力して文章を書いている、そのそもそもの原因は、確かに「家計を補うため」ということになるが、しかし今になって潜在意識の中に発見したのだが、おそらくは「スター」という軽薄な名前や肩書きのために、その色彩や罪悪感を漂白したかったのだろう!


僕は確かに努力家といえるだろう。仕事に努力するだけでなく、遊びにも努力している。ひとりひとりの人間が生まれた時は半分の地図のようなもので、人生の意義は、豊かに生きることによって、もう半分の地図を補うことなのだ。

時には昔の方がよかったと思うことを否定はしない。当然だろう! こんなにも変化の激しい時代に生きて、誰もが多かれ少なかれ息をつけないのではないかと思う・・・・・。

しかしたとえ、決り文句でいうならば、たとえ人生が二度あっても・・・・・、それは必要のないことだ。しかし、どうしても二度あるというならば、僕はそっくりそのまま同じことを繰り返すだろうと思う。付け加えるのはせいぜい、自分が傷つけたことのある人に「ごめんなさい」と言うぐらいだろう。本当だ。

輪廻だとか、来世だとかを気にかけようとも思わない。もし生活の意味を理解できないなら、八度の生を与えられても、空っぽのままなのだから。

この道で、たくさんの人々と知り合った。好いやつもいたし、悪いやつもいたが、誰もが僕の天使である。ああ、あいつは別だ。僕がこの職業についたばかりで製作アシスタントをしていた頃、月収七千五百元だったのに、僕の五万五千元の会銭を踏み倒したあいつだ。(参考 : 真情指数W)捕まえたら、きっと八つ裂きにしてやる・・・・・!それ以外には、恨みに思う人間なんて、実際のところ思い出せないのだ。

ある年、蕭言中と七美島へ向う船のデッキに横たわっていた。秋の風は爽やかで、陽光は穏やかだった。少し離れて、何羽かの鳥があとをついてくる・・・・・。

「阿昇!」。ふたりは泥水のようにデッキに貼りついている。

「うん!」。ちょっとぼんやりしている。

「僕の画いたあのウサギ、背中にサキソフォンを背負ったほうがいいと思う・・・・・?」。彼は大真面目に尋ねている。昨夜、僕に見せてくれた新しく発明したウサギのことである。

「吹けるのかい? サキソフォンを習うのは簡単じゃないぜ!」。どうやら、また名も知れぬ「幻界」へ歩み入ろうとしているようだ。

「ただ背負うだけでいいんだ! 吹かなくてもいいよ!」。やはり大真面目である。

「それなら背負うがいいさ!」。太陽を浴びながら、僕はどうでもよい気分だ。僕たちは昨夜手に手をとって家出し、七美島へ逃げることを決めたのだ。胸の中には罪の意識が少しだけ混じった幸福感があふれている。

「阿昇!」。

「うん!」。また何か新発明の動物でも現れるのだろうか。

「昨日見せてあげた、僕の書いた歌詞、どう思う?」。ちょっと覚束ない口調だ。明らかにちょっと落ち着かない気分のようだ。

「君はまだスターになる夢を見てるのか!」。僕は突然心配になってくる。あの年、旧鉄道が取り払われて長い駐車場になり、ワタノキが成長を始め、小白の花柳病が治り(訳註 : 最初の章に出てくるエピソード。小白は犬)、海賊版にもわりと良心があり、学生はまだ色情VCDを焼き付ける技術をマスターしてはいなかった。レコード業界は前途洋洋で、歌が歌えると少しでも評判になれば、ほとんど誰でもレコード会社に目をつけられ、容易にレコードを出すことができた・・・・・。

しかし「スター」というものは、結局、入ることはできても、出て来ることができない稼業である。そして僕はといえば、そのドアにはさまって、それほど入りたいというわけではないが、しかし出てくることもできない人間なのだ。実際のところ、うまくやって行くには、性格的に普通の人と異なるところが本当に必要なのだ。この無邪気な友達は日がな一日、楽しげに漫画を画いている。僕は思っていた。わざわざ僕の稼業に入って失敗でもすれば、いったい楽しいのか、悲しいのか、区別もつかなくなる。

「違うよ。ある人に興味はないかと尋ねられただけだよ!」。彼はひどく驚いている。僕がなぜいつも自分の職業を辛く困難なものであると言うのか、その訳が分らないのだ。

「君のように無邪気な人間が、この稼業でやって行けると思うのかい?」。僕は彼の言い訳や何かを相手にするのも億劫になっている。

「本当に?」。何だって、疑う気か!

「ロックの三要素というのを聞いたことがあるかい?」


「Sex、Drug、Violence・・・・・」。海外から伝わって来た考えなので、英語で言うほうが権威があるというものだ。

「つまり性、薬物、そして暴力だ・・・・・。その中のひとつでも欠ければ、ロックはやれないんだそうだ。分ったか?」。僕は憎々しげに彼の注意を促がす。

「道理で君たち、以前、練習をすると喧嘩になってたんだ・・・・・」。彼が言っているのは、僕たちの「恨情歌バンド」が結成された当初、たいしてはっきりもしない気分的な問題で二進も三進も行かなくなる時があり、やけ酒を飲んだあげく、不名誉な事をやり始めたことを指している。

「君だって見ただろ!」。ある時、彼がギター奏者とベース奏者の間にはさまれ、喧嘩の仲裁をしようとしていたのに、反対に肉用のまな板のように手ひどく叩かれる羽目になったことを覚えている。

「じゃ、君たちも毒を吸ったり、乱交したりするのかい?」。彼はなおも無邪気に尋ねる。

「見たことあるか? あんなに親しいのに」。

「道理で・・・・・」。含むところがあるようだ。

「何が道理でなんだ。君はこう言いたいのか。何らかの要素が足りないから、道理で僕らの音楽はいつもつまらないんだと・・・・・」。

「そうは言ってないよ」。

「そうさ! そんなことを言ってはだめだ。そんなこと言ったら、人が誤解することになるぜ。すごいバンドになればなるほど、薬物も乱交も激しいってことに」

「じゃ、君はハッピーかい?」。どうやら、彼のスターになる夢はそれほどひどいものではないようだ。

「僕は・・・・・」。僕は彼に言いたかった。時には、コンサートやライブの時、こんちくしょうなことに、涙を流したくなるほど感情が高まることがあるのだと。だけど彼にはきっと分らないだろうと思う。

「僕はおそらく・・・・・、おそらくまだ門のところで眺めてるだけなんだろう? 天王なんかにはなったこともない。天王は遠くに見える山のようなものだ。そこにあるのが見えるけれど、登ったことはない。だから山の上がどんな気分か、本当に理解することなんてできっこない!」

そして天王は家来たちに守られて山に登った女王蜂、あるいは女王蟻のようなもので、頂上に達すると、家来たちは慌しく去り、別の新しい天王を別の山に登らせる。曲が終わり、人が去ると、山上には寒風が吹き始めるが、しかし天王は自分で山を下りる術を失っている。

僕自身もかつてスタッフとして多くの天王を押し上げたわけだが、目を閉じると頭の中に映像が閃いて行く。祭りが終わってしまったことに気づかない天王が、もう名前も思い出せない天王が、ひとつひとつの山の上に座っている映像である。


Vivien's note :
僕は努力家である。自分で言っちゃうところがすごい。でも、僭越ではございますが、Vivien も努力家である、といえると思います(笑)。今回の努力目標はずばり「吉野家」。つまり「早い、安い、うまい!」。自分ではけっこう満足しております。

それにしても、蕭言中って可愛い(笑)。



我快樂嗎?


「僕はハッピーか?」。僕は自問する。

「いつも悲しい歌を書くからといって、僕がハッピーでないとはいえない。それに物語はまだ終わってはいない!」

しかし、ある朝目覚めてスターになった自分を発見することに比べると、目覚めると自分が緑島、あるいは望安に住む犬であることを発見する、そんな感じのほうが悪くない。

目覚めると、山の頂上にひとりぽっちで座っている天王だったらいいと思うかい? 僕を信じろよ。毎日、何もせずに草原を自在に駆け回る犬のほうが気分がよい・・・・・。

シンガポールから台北へ戻る飛行機の中で阿潘に会った。蠍座の女性は、魅力は昔のままだったが、思いやりのある夫だけでなく、身辺に小さな女の子まで増え、うれしそうに会わなかったこの数年の出来事を話してくれた。聞いているばかりだったので、言い忘れてしまった。彼女が会社を離れてから、旧鉄道のそばで起こった物語を・・・・・。それから、彼女が最も可愛がっていた小白が、好蘭迪の言い方を借りれば、光栄にも退職し仙人になったはずだということも・・・・・。僕の旧鉄道、キワタノキの物語はそんなところだろう。

「いつになったら、私のためにまた歌を書いてくれるの?」。別れ際、阿潘はなおも少女のように甘え、女の子は彼女の胸の中で、知らない叔父さんを見つめていた。

時間は本当にチョコレートのようだ。どういうわけか、突然、そう思う。おそらくはどんなに苦い日々も、あとになれば甘い思い出に変わるからだろう・・・・・。

以前、彼女のために書いた歌は、彼女が少女だった頃の港都の物語だ。今なら、旧鉄道とキワタノキの花を書くだろう・・・・・。

僕はやはりひとつの都市から別の都市へとぶらぶらと漂っているはずだ。そしていつか目覚めた時、弁護士、あるいは技師か何かである自分を発見したとしたら、本当にひどく驚くことだろう。

僕はただ「スター」よりももっとハッピーになれることを探し出せなかったのである。そしてある日、目覚めると、すでに「スター」になっていたのだ。

してみると、・・・・・、うん・・・・・、僕はハッピーなのだ・・・・・。


Vivien's note :
訳す時は、もちろん何度も読むことになるのですが、この最後の部分、読むたびに頭の中に音楽が響きます。とても静かなピアノ曲のラスト五秒ぐらいの感じの音楽・・・・・。と言われてもなあ(笑)。Vivien にだけ分ればいいのよ。ねえ、陳昇!? あなたが幸せなら、私も幸せ・・・・・。




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