一朝醒來是歌星(2002.6)

虚幻與眞實


音楽は革命のようなものである、というわけには行かない。そのふたつには何か共通するものがあるという人がいるなら、多分、そんな人はとても無邪気で、極端な場合、ちょっと無責任でもある。

常々、好蘭迪(訳註 : ロックレコードの関係者。後述の「擁擠的樂園」のコピーを考案した)に言ってやるのだが、彼のような人間は、何年か早く生まれて、白色テロの時代に生きていれば、とっくに捕まって打ち首になっていたかもしれない。

もし君が問うなら、僕はむしろ李白のように自分自身の終南捷径(訳註 : 目的を達するための近道)を行くことを選択し、毎日、うつけ者のまねをしてもよい。自分の作品に対して責任を負いたくないというわけではない。ただ、意識の形態というものは、年齢や性質に従って簡単に変わってしまうものだ。まして現在のように、何もかもが超スピードで変遷してしまう時代においてはなおさらである。

僕は恐いのだ。今日口に出したことを、明日になれば自分自身でさえ否定したくなる。それならいっそ言わないにしくはない。

そのうえ、作品の中に散りばめた考えを、若者たちは断片的に取り上げ、有難いお手本にしたりするのだからなおさらだ。だから僕はよく好蘭迪に対して、ファーストアルバムのコピーにあんなことを書いたせいだと、うらみつらみを述べるのだ。もし君が僕を変だと思うなら、それは僕が真実であるから。

この言葉には苦労させられた。

自分が真実であることを示すには、何をするにしてもちょっと奇怪でなければならない、という意味に変わってしまったからだ。

あるいは、毎日点検しなければならないのだ。真実という標準などない標準に、自分が背いていないかどうかと

あの日、車で花東海岸に向ったのは、恐らく本当に悩んでいたからだと思う。陽蘭平原を過ぎ、それから花蓮に向う。そこには百キロに及ぶ山道があった。夜、車を走らせると不思議なことがある。灯火の明々と灯る小さな町を無意識のうちに通り過ぎ、再びいいようのない漆黒の闇に包まれると、火に飛び込む蛾のように、止めようもなく光へと吸い寄せられる衝動が、突然、湧き出すのだ。

奇妙なのは、自分自分にこう言い聞かせていたことである。車を走らせるのは、自分が元いた場所、その最も強烈な光源から逃れるためだと。


僕は強い光から逃げ続けることを自分自身に強制した。その何日かは台風が来ようとしていたのだろう! 異常なほどの晴天で、時おりこぬか雨が舞い落ちても、雨の中には満月さえ姿を隠していた。

夜が深まり、行き交う車もほとんどなく、車は断崖の間を行ったり来たり。空飛ぶ円盤にでも遭遇できたらなあ。僕は本当にそう思った。

子供の頃から、この種のSF的な奇想に傾倒していたのだ。円盤に拉致されて洗脳されないものか、いくらかの啓示を得られるのではないか、などと考えていた。

前後の村から遠く離れて、車を下りることにした。灯りを消すと、またこぬか雨が舞い落ち、明月のもと、崖のそばに何と虹がかかっている。


「明月の下の虹」は真実である。しかし幻でもある。この眼で見たから、夜でも虹がかかると、僕は信じている

しかし、その虹には手を触れることができないのだから、それは幻でもある。

僕は困惑した。同じように存在する幻と真実に、どう境界を定めればよいのか、困惑していたのだ。


人々はよく舞台の上は孤独であるという。そこで一時期、パフォーマンスはひとりきりで林を散歩するようなもの、あるいは七美島の海辺をそぞろ歩くようなものである、と想像しようと努力した。

パフォーマンスの中で生まれる異常な気分は、筆やペンでは言い表せない感覚である。

幸福に属するわけでもなければ、悲しみに属するわけでもない。しかし、また何もかもが・・・・・。

心理学でいうところの「半睡眠状態」が、パフォーマンス時に生じる幻や遊離感を科学的に説明しているかもしれない。しかし何事も科学的に説明するのは夢がないというものだ。

最もありふれた現象は、パフォーマンスを終えても、終わったことが信じられず、三時間のコンサートがたったの半時間にしか思えないことである。

これは僕にアインシュタインの相対性理論を思い出させる。熱い焼きごてを握る一秒は一時間よりも長く、反対に美人の胸元に横たわるならば、時は短く感じられる。

確かに僕たちは多少なりとも気づいていると思うのだが、時に人は、アルコール、精神興奮剤、あるいは禁制品の力を借りて、パフォーマンスの機器を駆動させることがある。

これらがパフォーマンスの過程で幻覚を生み出すのは、確かに当然である。しかし結局、それは不自然で少数だ。僕はどちらかといえば、パフォーマンスの中で生み出される異常な気分(あるいはそれを幻覚と呼ぼうか!)の大部分は、わりとスポーツマンに似たものだと信じている。

マラソンランナー。

ランナーは長距離走の過程で、身体的苦痛から脳の中にモルヒネ(訳註 : モルヒネによく似たベーターエンドロフィン)を生み出すのだ。三、四時間に及ぶコンサートは、もしかしたらマラソンレースのようなものかもしれない。もしかしたら・・・・・もっと困難であるかもしれない。

なぜなら、パフォーマーが気にかけねばならないことは、おそらくもっと多く、もっと広範であるからだ。舞台には数え切れない危険が存在する。舞台一面に交錯する電線、さまざまな効果を生み出す何十、何百という機器やダイヤル、ボード、あちこちに配置されたマイクスタンド、目のくらむ、絶えず色を変える照明の光、気まぐれで騒々しい音楽の音。

もちろん、さらに最も奇妙な「協調」というものが存在する。

バンドの協調は、練習を始めた時に成立するわけではない。実際には、ふたりのミュージシャンが出会った時、すでに発生しているのである。僕はそれを好んでこう呼ぶ――カクテル効果。


Vivien's note :
ふむふむ、偉大なるパフォーマー(Vivien は陳昇をこう呼んでいる)の告白、実に興味深いですね。三、四時間のコンサートがたったの半時間にしか思えない。道理で延々とやってるわけだ(笑)。Vivien も最初の頃は、三、四時間があっという間に終わる感じでした。今はそうでもないけど(笑)。うむ、初心に戻らねば・・・・・。

ところで、陳昇が引用しているアインシュタインの相対性理論って、ちょっと違うんじゃない。それは単なる相対論では、ございませんでしょうか。それとも Vivien の思い違い!?。



雞尾酒効應


僕は、音楽を生み出す仕事を、別の言い方で簡単かつ具体的に形容するのも好きだ。それは「料理」であるといえばよい。

録音室は鍋で、プロデューサーが当然、料理長である。彼が鍋に入れる材料を決め、出来上る料理の正否を握っているのだ。プロデューサーの良し悪しは、料理を始める前に決めたイメージがその出来栄えと一致しているかにかかっているといってもさしつかえはなく、テーブルに供されたあとの客の品評で決めるべきではないだろう。さらに厳格にいえば、良いプロデューサーであるなら、客の品評や好みの推測は放棄するべきだとも思う。客の機嫌をとるのは容易ではないし、実際のところ、推測が当たったためしなどないのだ。

僕の無邪気な老板(僕を啓蒙してくれる人でもある)、徐先生はこう言ったことがある。「全世界の好みを推測しようとしても、当たりはしないだろうし、結局は自分自身でさえ不完全燃焼で気分が悪くなる。それよりは、まず自分を気持ちよくさせてみたらどうだい。それで当たらなかったとしても、少なくとも君だけは気分がいいだろう」

前述の「料理の法則」に従うと、明らかに、僕も良いプロデューサーであるとはいえない。

なぜなら普通は、客の好みを推測しないだけでなく、そのうえ料理の出来栄えを斟酌することさえしないからだ。

僕が普通濫用しているのは―――カクテル効果である。

例をあげると、こんな風だ。


ある日、漠河へと向う汽車の中、ギターを抱えた何人かの男が氷に閉ざされた北の荒野を眺めている。行程はすでに二十時間近く、持って来たニ鍋頭(訳註 : 中国の焼酎)も飲み尽くし、二日酔いでむくんだ顔が並んでいる。旅程も終点に近づいたので、持って来た話題もしだいに凍り付き、ギター奏者の小楊が無意識のうちにいくつかのコードを爪弾いている。

そして、このいくつかのコードが、新しい料理の火種となり、カタカタと音の響く、小さな温かい車室がゆっくりと解体し始めるのだ。

僕はみんなに北方の狼族に関する物語を話し、北の荒野までこんなに長い旅をすることを、どうして執拗に求めたのかを説明する。

「メロディはコードの中にある」。これは不変の法則である。しかしメロディを始動させるメカニズムは多種多様であり、時には匂いや風景や思い出であるかもしれない。しかし、決してあらかじめ設計されたものではないのだ。

意に適っていると思えるいくつかのコードを用いて、メロディを自然に浮かび上がらせ、心の中で咀嚼する。もし、そのメロディとコードがもたらしてくれる感動を受け止めることができないなら、すぐに放棄する。もし、同じコードにその他の多くのメロディを組み合わせてみても、何の感動も覚えないなら、コードもろとも放棄し、また違う雰囲気から新たにこのメカニズムを始動させるのだ。

しかし、決して周囲の事柄のせいにしてはだめだ。そんな風に自分で自分を追い込むことは必然的なことなのだと、肝に銘じなければならない。「創作は死よりもさらに深い孤独である」という言葉があるだろう? この覚悟を持続しなければ、すべては徒労に終わる。


有能なプレイヤーは、誰もが豊かな想像力を持ち、得意の楽器でメロディを醸し出し、なおかつそれをしっかりと記憶する。

なぜなら、漠河へと向う汽車の中では録音はできないので、自分自身をメロディの貯蔵庫に変えなければならないからだ。

実際のところ、僕は一貫して、創作は一種の「反芻」であると考えている。牛のように、今回溜め込んだたくさんの草を、次回にゆっくりと取り出し咀嚼するのである。

北の荒野を走る汽車の中で弾いたあの短い曲を、ニ鍋頭とともに記憶の深部に沈殿させるのだ。

もしかしたら、永遠に使われないまま、肉体とともに老い、消えてしまうかもしれない。

もしかしたら、何年もたったある夜、一編の詩の如く湧き出で、想い続ける君を振り向こうともしなかった、美女の心を動かすかもしれない。もしかしたら、コンサートのさなか、狼がうなり声をあげる氷に閉ざされたあの夜へ、引き戻されるかもしれない。


だからこう考えてもさしつかえはないだろう。素晴らしい曲には多くの人の想像が含まれている。

同じ理屈で、見る人が変われば、違うものが見えるともいえる。一般的に考えられているように、ドラム奏者とベース奏者はどちらかといえば理知的にかつ深く物事を考え、キーボード奏者とギター奏者はどちらかといえば活発で楽観的である。それでは歌手はどうだろう? 常に軽佻浮薄に過ぎるものだ。

だから、素晴らしい曲、あるいは素晴らしいプレイというものは、実際には、緊密な協調の上に成り立ち、喜びと悲しみ、理知と酔狂を無理にも混ぜ合わせたものである。素晴らしいプレイというものは、実際には剃刀の上を歩くようなもので、細心の注意を払わねばならず、ひとつの過ちも犯してはならないのだ。

うまく決まった一組のコードは、会場や雰囲気が異なれば、異なる効果を生み出すものである。

僕らが常に同意し、また訝ってもいるのだが、ある歌、あるいは歌の中のある言葉は、異なる場所や雰囲気の中で、非理性的な興趣を生み出すことがある。

あるいは、それを「迷幻的趣味」と呼べばよいかもしれない。

コードは実際、一種の化学なのだ。

コードに対する好みによって、その人の気性を決めることができそうだ。赤や緑、好きな色によっても決められるように。

僕が気ままに簡単に要約してみると、農夫は短調のコードを好み、軍人は長調のコードを好む。

さらにひとつひとつのコードが、明らかに異なる性格を示している。僕自身はこんな風に思う。たとえば、詩人はGメジャーを好み、教師はCメジャーが好き。革命を志す者はEマイナーが好きで、ホームシックにかかった時にはAマイナーがぴったり。Dメジャーは爽やかすぎて、Aメジャーは情が深すぎる。Bメジャーは人に嫌がられ、Dマイナーはあまりにもつかみどころがない。Fマイナーは言葉にならない寂しさで、Gマイナーは行過ぎたロック、あまりに反逆的だ。


もし、音楽から見る心理学というものが実在し、誰もがピアノの弾き方を理解できるなら、精神科医は病人をピアノの前に座らせ、ちょっと引かせてみればよい。どういう病状なのか、多分、すぐに分るだろう。

思い返してみると、あるいくつかのコードによる曲は、多かれ少なかれ、そのコードに相応しい性格を本当に具えているものだ。「別讓我哭」を思い出す。僕と編曲の江建民は麗風(訳註 : 徐先生の経営する録音スタジオ)の踊り場に腰を下ろして煙草を吸っていた。いや、煙草を吸っていたのは僕だ、というべきだろう。作者はその日の作業に対して、実際にはいくつかの草案を持っていなければならないのだが、どういうわけだったのだろう。もしかしたら、秋の風光のせいだったかもしれない。もしかしたら、編曲が心を許せる小江だったせいかもしれない。

その日一日、家を出てからも、何も浮ばなかった。そして何も浮ばないと言うこともできず、ただ胸の中にはずっとわだかまっているものがあった。小江がふらりとやって来ると、自分も煙草に火をつけ吸おうとする。僕は心の中で思った。これはだめだ、煙草は吸わないヤツなのに!

ふたりは無言のまま煙草を吸い終える。

「どんな歌だい?」。まるでなじみの店で品物を注文するように、彼は尋ねた。「どれぐらいの間、行き詰まっているんだい?」とは言わないのだ。僕はすぐに答えるだろう。「それは僕の問題じゃない」。自分でも止められずに答えてしまう。「それは僕の問題じゃない」。彼のような魚座のミュージシャンとはこんな風に話さなければならないのだ。僕たちはそれを「太空(訳註 : 宇宙空間)話」と読んでいる。なぜなら、彼らは人類ではなく、宇宙人なのであり、人類の話法やロジックで、彼らと仕事をしたり、付き合ったりははできないからだ。

僕は言う。「それは僕の問題じゃない。つまり、君という偉大なアレンジャーが弾いたとおりに、僕は歌わなければならないということさ」。これこそ・・・・・カクテル効果なのだ。


僕はパラオでみすぼらしい酒場に行き、カウンターに腰をおろすとバーテンダーに尋ねた。「レインボーはあるかい?」

「ないよ!」。素っ気ない。

「マイタイはあるかい?」

「ないよ!」。素っ気ない。

「B−52はあるかい?」

「ないよ!」。素っ気ない。

「じゃ、何があるんだ?」。僕にもどうすればよいのか考えつかない。

「棚にあるだけさ!」。彼はあいかわらず素っ気ない。

ぽつんぽつんと置かれた数本の瓶、カクテルのベースになる酒さえも揃ってはいない。

「じゃ、きっとロングアイランド・アイスティならあるだろ?」。あるはずだ。

「ない! ない!」。彼はいんねんをつけられていると考え始める。

「それじゃ、大きなグラスに棚の酒を全部、少しずつ注ぎ、そう、それから氷を加えてくれないか。コーラならあるだろ?」

「あるさ!」。彼は笑う。

「それからコーラを少し加えるんだ!」。僕はそのでたらめなカクテルをかき混ぜると、持ち上げて灯りに透かしてみる。

「See?」。僕が味見をすすめると、彼は笑いながらうなづく。

「これこそ僕の飲みたかったロングアイランド・アイスティだ!」。本当に君が好もうと嫌おうと、それが僕のロングアイランド・アイスティなのだ。君がそのレシピは間違っていると思っても、それがやはり僕の飲みたいロングアイランド・アイスティなのだ。

その天才は煙草を吸い終えると、こう言った。「しかし、僕にはバンドがない!」

「あの煙草は吸うべきではなかった。きっと何か悩みがあるんだ、そうだろ?」。僕はなおも訝っていた。彼はどうして煙草など吸い始めたのだ?

「しかし、僕にはバンドがない・・・・・」。彼はとても悩んでいる。

僕は心の中で考える。君には煙草があり、あの煙草を吸いたくなった悩みがある。僕という歌手と僕の心を満たしている物語があり、秋の午後があり、僕たちを待っている録音室がある。

その録音室をグラスとしよう。あの吸うべきではなかった煙草は氷だとしよう。まもなく僕たちに満ちあふれてくる感情を、その録音室に収めきれるだろうか?

「心ときめくリズムがあるんだ」。僕はペンで階段の手すりを叩く。

「君は僕にどんなコードをくれるんだい?」。時には自分がペテン師のようにも思え、人に言いたくなる。自分自身は実際には何も持ってはおらず、すべての歌は、このペテン師が天才の頭の中から騙し取ったものなのだと。


彼は勢いよくギターを取りに行った。そして腰を落ち着けると窓外の青い空を眺め、しばらくハミングしながら考えていたかと思うと、あのコードを弾いたのだ。

Eマイナーだった。革命を思わせ、また孤独を思わせる。甘美でもあり、悲しみが宿ってもいる。僕自身の心のさまが彼に伝染してしまったのだ。僕はそう思っていた。

「無責任なラブソングってところだな?」

「知るもんか! 最近はいつもこんな気分なんだ。悶々としてるのさ」。彼は機械的に笑う。

「多分、秋になったせいだ!」

ミュージシャンが録音室でひとつひとつのコードを築き始める時、秋の午後、行きつ戻りつしている廊下に、ギター奏者の弾く楽音が少しずつ高まって行く時、歌詞の中の山や雲や愛欲がひとつにまとまり、紙とペンの間にありありとその姿を現すのだ。

ああ、不思議なカクテル効果!

音楽にはこんな法則があるようだ。

コードの中にメロディがあり、メロディの中に想いがあり、想いの中に言葉がある。

この法則には背かないほうがよい。さもなければ、多少とも出来損ないのカクテルを飲んだように、すぐに失敗して、取り返しがつかなくなるだろう。そういうわけで、何年もたったあと、友達にこう言われても、作者が訝ることもない。

「君の歌の中には流水が聴こえるんだ」

「聴こえるのは、田舎の・・・・・」

「おばあちゃんの言い聞かせる声が聴こえるよ!」

一組のコードは特別製のコーヒー、あるいは特別製のカクテルなのだろう! 精神的でもあり、しかし物質的でもある。存在しないものであり、しかしまた存在しているものである。多情多感な人々は冬の夜、車で寺廟の門前を通りがかり、イカをあぶる匂いを嗅ぐと、民族英雄史の艶麗な文章を思い出さずにはいない。たまに飲む一杯のニ鍋頭に、北の荒野の青白い夜を思い出す。そして、何年も何年もたったあと、よく知っている一組の楽音を耳にしたとたん、ある気分に落ち込み、故郷を想い、誰かを想わずにはいられない。楽音の力は変わることがないのだ。


Vivien's note :
これも非常に興味深いです。「別讓我哭」の好きな人なら、小江がギターを引き出すくだり、ワクワクするはず。Vivien はそれほど好きではありませんが、それでも、「おおっ」と興奮しました。

カクテル効果というネーミングが絶妙。いかにも聖なる酔っ払い(Vivien は陳昇をこう呼ぶこともある)らしい呼び方です。お料理の好きな Vivien は「チャンプルー効果」と名づけましょうかね(笑)。



那些個南島的雨季裡


緑島のログハウス、雨雲が低く垂れこめたひさしの下に身を寄せ、毛毛という犬が蝶を追って走るのを見ていた、あの数年を思い出す。

そこに行ったのは雨季だったので、早春の風はなおも湿気を含み冷たかったが、馬纓丹は四季を問わず、いつも花を開いていた。西に傾いた日差しの中のかすかな雨は、絹の糸のように馬纓丹と蝶の上に降り、まるで綿布にかがられた明るい色彩の湘繍(訳註 : 中国湖南省産の刺繍製品)のようだった。

毛毛という名のあの犬は、退屈な午後を過ごしたのだと思う。冷たいこぬか雨などおかまいなしにうろついたあげく、あの馬纓丹の草むらに舞う小黄蝶を追いかけに行った。

生まれて七年目に、毛毛は腹を壊して死んだ。飼い主だった育ての母は何日も泣き明かし、僕は電話口で笑いながら言った。「あの犬は、あんな風に暮らして、都会で汲々と生きている人間を見比べて、ひそかに笑っていたはずさ」

「この人でなし、笑うなんて! 何日か前には元気だったのに、どうして突然死んでしまったんだろう? 本当に分らない」と、また泣いている。

可哀想だとは本当に少しも思わない、と僕は言う。微風が吹き雨が降る南の島、馬纓丹の馥郁たる香り、そして一緒にひらひらと舞い踊ってくれる小黄蝶、あの犬はそれを我が物としていたのだ。

その豊かで充実した一生は、台北に住む半数の人間よりも優っていたかもしれない。

僕たちは何を所有しているだろう? 五メートル平方の冷房のある部屋。自分が使っているのか、それとも使われているのか分らないコンピューター。あっても厄介、なくても厄介な携帯電話。そして、実現させようとしなかった頭一杯の夢。

「本当さ! 時には僕らは一匹の犬にも及ばないんだ! そう思わないか?」。電話口で、僕は彼女を笑わせようとする。

「あんなに長い間飼っていたんだから、諦めきれないんだよ!」

「あいつがあんたを飼ってたんだろ? あんたが飼ってたとしても、あいつは何の束縛も感じてはいなかったと思うよ」

いつも思うのだが、阿国も何の束縛も感じてはいない。涼風の中を忙しく走り回る犬を見かける時はいつも、阿国もやりかけの仕事を投げ出して、ログハウスのひさしの下でぼんやりと眺めながら、そっと笑っているのだった。

雨季、この南の島のログハウスにいるのは、毛毛、阿国、僕、そして亡霊のように姿を見せない時もある阿桑だけだった。

阿国は十七、八歳だろうか? 彼らの話では、小さい時に熱を出し、頭をやられて、学校を中途でやめたのだという。村の若者たちは一定の年齢に達すると、みな都会に出て行ってしまうが、阿国はログハウスに留まり、掃除をしたり、寝具を換えたりといった仕事を手伝っていた。

もしかしたら、その裏表のない心が彼の成長を阻んでいるのではないか、と僕は思っている。数年前、初めてここへ来た時も、彼はずっと同じ様子で、大人になる気配もなく、ただ笑っているのだった。ある時には笑い続けたあげく、口中の唾がすべて流れ出してしまったようで、急いで服の襟を引っ張りあげて隠してしまった。

それから顔を赤らめその場を離れると、自分の仕事を始める。

彼が話をするのを、耳にしたことはなかった。遅くまで寝ていて、インスタント麺でも食べようと起き出した時、ひさしの下に座り、洗ったばかりのタオルを、一枚一枚畳んでいる彼を見かけたことがあった。人を構うでもなく、ただ道の向こうを眺めながら笑っている。そして、そこにはいつもただ毛毛がいて、通りがかる犬、あるいはバイクを見つけると、小走りに出てゆき、自分の縄張りを主張するかのような間の抜けたそぶりをしている。その他には何もないのだった。

それだけのことでも、そんなに幸せになれるのだ、と僕は考えていた。

彼の真似をして、ひさしの下に座ってみたりもした。

そうして、その雨季は何てことだろう。そんな風に過ぎて行ったのだ。

何もしなかったというわけではない。ただあのログハウスのひさしの下に座り、雨を眺めているばかりだった。

静かに落ち着ける場所を見つけ出すことができたら、普段は思いつきもしないことを思いつくものだ。そういう言葉があるだろう?

もし、身をかがめて足元の小さな世界に注意を払いたいと願うなら、そこに大空を発見することができるという。

僕には分っていた。もし旅人のいない雨季を選んで、南の海にぽつんと浮ぶ小島に行かなかったとしたら、一匹の犬が小黄蝶とともに雨の中を舞う姿が、こんなにしなやかであると気づくこともなかっただろう。阿国は紙の箱を取り出してタオルを敷くと、黄昏の中をひとり自転車に乗り、幸福のうちに死んだあの犬を載せ、島の東に向ったという。

毛毛をどこに葬ったのか、話すつもりはないだろう。みんなも尋ねようとはしなかっただろうと思う。

そして、やはり同じような日々。その後、また何度行っても、阿国はなおも機械的な笑いを浮かべ、ひさしの下で、永遠に畳み終わらないかのように、新しいタオルを畳んでいた。

夜、阿国が僕のために敷いた新しいシーツに横たわる。遠くの海鳴りが、遠くから響き、そして近くに響く。僕は思う。生命にはあまりに多くの企てなど必要ないのかもしれない。

潮が満ち、潮が退く。潮が満ち、潮が退く。

阿国はたくさんの富や名声を手に入れたから、あんな風に笑っているというわけではないだろう? もしそうなら、阿国と比べると、僕は毎日、いつも心から笑っていられるはずだ。

阿国はきっと僕の知らない秘密をたくさん持っているのだと思う。あるいは、僕が富とは認めない富をたくさん持っているのだろう。

阿国はきっと大富豪なのだ。

毛毛もきっと大富豪だったのだ。

そして僕は貧しい人間なのだ。


Vivien's note :
「皮皮的下午」の後日談といったところでしょうか。「皮皮」は実は「毛毛」だった。ふーむ。じゃあ、小邱 や「寄居蟹偸走了邱佩的殻」に出て来るその奥さんとかは、陳昇の創作だったんだ。何か、すごく楽しくて、てっきり実在する人だと思い込んでいたなあ。




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