沖永良部島診療記

 

紺碧の空と海。空はどこまでも明るく突き抜けていきそうな透き通った青、海はおどろおどろしくさえ思えてくる深い黒潮の青、おもむきの異なった二つの青が渾然と混じり会うことなく水平線で一線を画している。病院の窓から見えるこの二つの青に何度も何度も感動しながら、私の沖永良部での診療は始められた。そう、それは二ヶ月前の院長会議でした。理事長にまず先生が模範を示すべく離島研修をすべきだと言われ、素直な私はそれもそうだと妙に納得して、志願して沖永良部島へ来たのです。これはあくまでも私が志願したものです。ここから私の一生の思い出に残るような素晴らしい離島応援が始まりました。

 毎朝何と6時半から、この病院の回診は始まります。私を入れてもわずか5人の医師で100床あまりの病院の諸々の診療とサテライトクリニックの応援と、訪問診療までもやろうとすれば、これもいたしかたがないことか。さて、水曜日、この早朝回診をしていると、一週間に一度しか来られない前田名誉院長がいつのまにか横に立っておられた。さあ、それから、前田先生にひっぱりまわされて、8時会、朝礼、医局会と出席したが、それぞれの会の最後に先生一言と言われてしまった。沖永良部に来てやっとおぞましい挨拶から解放されたとくつろいだ気持ちになっていたのだが、突然の指名にそんな気持ちもぶっとんだ。感極まって、この挨拶そのものをネタにして即興で喋ってしまった。とんだスピーチに沖永良部の職員の皆様、泡を喰われたことだろう。それにしても、よその院長は毎日どんな挨拶をされているのか興味津々で小平院長の挨拶に聞き入ったが、なかなかうまくまとめておられて、これとこれは使わせてもらわなけばと、来た甲斐があったと心密かに喜んだ。ここで感想、離島研修はやっぱりやってみるものだ。

  午後からは、帝王切開と腹壁瘢痕ヘルニアと胆嚢摘出術と鼠径ヘルニアの手術の前立ちに入る。ポラロイドのスナップ写真を撮られる。応援の医師の写真が手術室に一杯はってあるが、その中の仲間入りをするそうだ。皆さん機会があって行かれることがあったら私の証拠写真があるかどうか探してみてください。私の頭は髪の毛はふさふさあるのに、写真ではてかてか光っていた。何か誤解されそう。

 死亡された患者さんのお見送りは院内放送があり、手のあいた職員は裏口に集合するようにとのメッセージが入る。私も参加しようと裏口を探していると、おばあさんの患者さんにとっつかまってしまった。「私もレハビリをしてほしい」とリハビリの部屋に直接行って頼んだらしい。それで、看護婦さんか、医師にまず相談しなさいと言われてうろうろされていたのだ。相手をしてあげて、受付けと病棟とレハビリに行ってホットパックのオーダーを出していたら、お見送りは終わってしまっていた。うーん、残念。

 その他には外来診察、サテライトクリニックの応援、訪問診療、当直、医療講演等をやり非常に多忙な一週間でしたが、のびのびとした楽しい一週間を過ごせたと思います。最後の夜は職員たちのバーベキュー・パーティに呼んでもらい、名古屋病院のうわさ話など聞きました。

 沖永良部空港で35席の小型飛行機に乗り込んで、窓から空港ビルの方を見ると、誰も周りにいない中で、小平院長夫妻だけが屋上から手をふってくれている。こちらからも手をふるが、どうも気がつかないみたい。滑走路から飛び立っていくまで、一生懸命二人で手をふっていただいて、有り難いやら嬉しいやらで胸がキュンとなってしまった。さようなら、沖永良部島。          (カスタネット 99年8月号より)