面白いもので、人間というものは悩むようにできているのですね。私も、生れてこの方、常に悩んできたのですが、特にこの5年と1ヶ月間は本当に悩みぱなしでした。考えてごらんなさい。320名前後の職員が勤めていたら、職員の一人は一年に1回位は問題を抱えても可笑しくないと思いませんか。ということは、365日毎日、職員の誰かが問題を持ち込んでくるのです。毎日毎日、「ああ駄目だ、もう病院は潰れる」と行ったシビアな問題を院長室に持ち込んで来るのです。どうにもならないで、何度、もんもんと眠れない夜を過ごしたことでしょう。何度、そんな状態に耐えられず、病院の窓から、マンションの上から飛び降りなきゃならないかって考えたことでしょう。
そうやって悩みぬいて、ある日ふっと気が付いたことがあるのです。人間追い込まれて、面白い考えに到達するんだなと感心している自分に気が付いたのです。
先ず、第一番に気が付いたことは、あまりにたくさんの問題と悩みに押しつぶされるのではなく、瞬間瞬間では、一つの悩みを考えあぐねている間は他の悩みを忘れていることでした。20や30位の悩みまでの時は真面目に1つずつ、丹念に悩んでいたのですが、それを越えるともう、一緒には悩めなくなるのですね。そこで、一つの悩みで頭が一杯の時は、他の悩みを忘れさせてもらって有難いと思うようにしました。するとすーっと体の力が抜けていったのですね。
第2番目に気がついたことは、悩み始めると決まって旨く行かなかった将来の事を必ず思い描いて、気分がどんどんと落ち込んでいくのですが、院長として、沢山悩んでいるうちに、いくら悩んでみて将来を描いても、本当の所は、それほどどん底までは落ち込まないものだという事に気がついたのです。病院が潰れると悲鳴を何度上げたことか。私の悩んだ回数から計算すると、もう、百回以上は潰れてもよかったのではないでしょうか。でも5年1ヶ月の間、一度も潰れなかったのですね。何とかなるのですね。そりゃ、100%うまくはいきませんが、60%位にはなってしまうものなんですね。
第3番目に気がついた事は、悩みぬいて何とか立ち直れてきたのは、よく考えてみたら、一生懸命人のことばかりを考えてきたからだという事です。職員を路頭に迷わせない、少しでもボーナスが高くなるようなんてことから、どうしようもない奴かもしれないが何とか立ち直れないか、このままでは病院変革に遅れをとってしまうなんて事まで、自分以外の人を中心に考えていたからこそ、何時の間にか、悩みが自分の糧になったのだなという事です。自分が、という視点を捨てた時点から、醜い自分がふっきれてしまうのですね。そうなると、むしろ、そんな悩みを持てた自分がとても誇らしげに思える瞬間があるのですね。こうなると、これは凄いことですよ。
それでも、悩みの種は尽き無いものなんですね。その時は、あっ、「悩みホルモン」がどんどんと分泌され始めたなと、自分に言い聞かせるようにしています。そんなものがあるかどうか、分かりませんが、エンドルフィンと言って気分が良くなる麻薬物質があるのですから、きっとこれに拮抗するような物質が体内で作られているという仮説もあながち嘘ではないと思います。何しろ、躁鬱病も精神分裂病も薬で治す時代です。そんな物質があっても可笑しくはないですよね。そんな物質が出始めたなと感じたら、自分を追い込むのはやめて、しばらく時間を置くことです。体内の物質は時間がたてば外へ排泄されるのは全ての物質共通です。あっ、大分「悩みホルモン」が代謝されてなくなってきたななんて、そんな状況を想像するのも悩み克服の助けになるのではないですか。
私流 悩みの解決法