医療事故は犯人探しをするな

病院の医療事故が大きく取り上げられ、社会の病院に対する不信感を世の中に広げたのは、平成11年1月11日の横浜市立大学医学部の患者取り違い手術事件からだろうか。それ以後、報道は徹底的に病院、医師を槍玉にあげ、紙面を賑わさない日はないほどになった。

すると、それ以前は医療事故はなかったのだろうか?否。密かにこんなことがあったと、陰で囁かれている内緒話が医療の現場のあちこちに現実にあった。表面に出なかったのは、医療に過誤はあってはならないという考えが、何時の間にか、医療は神域であり、過誤はありえないと根拠なく信じられ、医療側も、ひた隠しにして来た結果だったのだ。

それでも、隠し通せない場合は、誰が起こしたかという事が問題となった。完璧であるはずの医師が完璧でなかったのだから、これは問題であるという議論になる。そこで、誰が悪かったと犯人探しをしてその人を罰することで一件落着ということになる。これでは、医療事故対策を行なったことにはならない。一つの医療事故が他の事故防止に生かされることはなかった。
マスコミの報道も犯人探しと、犯人を悪人として祭り挙げることで視聴率をあげ、販売部数をあげる事に終始した。処罰が医療事故を減らすと考えられた。これでは医療事故の再発防止にはならない。

見方を変えれば、医療事故の原因の殆んどは、聞けば取るに足らないと思われるケアレスミスである。横浜市立大学の事件でも、誰も責任をもって最後まで患者違いを確かめなかったといううっかりミスである。しかも、よく調べてみると、同じような事故が全国に頻発しているのだ。

という事は、他職種の事故対策、例えば、鉄道職員が、右よーし、左よーしと指差しながら声にだして点検しているようなシステムを医療の現場にも工夫して導入すべきなのではないか。それも、現場にあった工夫をである。とすると、医療事故対策は現場中心に行なわれるべきで、現場は自発的な発想で間違いが起こらないようにするにはどうすべきかを思案すべきである。医療安全は病院をあげて取り組むべき問題だが、上からこうしなさいと命令するだけでは現場がむしろ困る事に気付くべきである。

医療事故のキーワードは現場主義だと私は思う。医療事故は現場が他人事だと考えて、事故がおこれば、犯人探しを行ない、とかげの尻尾きりを行なっている間は、その現場は同じような医療事故が繰り返されるだろう。現場にあった対応策を考え、改善を実行する。それも、面倒くささからくる手抜きを許さない。そんなモラルと風土を育てていくという事につきるのではないか。しかも地道にである。さもなくば、その現場は医療事故の危険度があまりに高く、危なかしくて、働いてなんかおれないと職員一人一人が悲鳴を上げるぐらいでなければならないのでは。そして病院は現場の意思を尊重して安全第一で可能な限り援助する。そんな振り返りができる職場が今の私にとっては理想の職場なのだが。