伊良部島騒動

 
いやはや、目が
になったとはこの事を言うのでしょうか。赤ん坊を抱えて、どうしようと唸ってしまった。

 ここは、南海の離れ小島、伊良部島と言っても御存じない方が多いだろう。なにしろ、私だってこの島に来る一昨日までは全く知識の外にあった人知れぬ島であったのだから。普通の日本地図を見ても載っていない。アトラス日本地図という分厚い地図帳をめくって、やっと宮古島の隣にぽつんと浮かぶ可愛らしい(?)島を発見。今すぐこの島に医師を送ってほしいという。今なんて、そんな無茶な。ここ一番は院長が辛い役割を背負わねばなるまい。しやあない、俺が先に行っておくから、後は続いて手配しておいてくれと言いおいて、翌朝、飛行機の中の人となった。名古屋空港、那覇空港、宮古島空港と乗り継いで、車で船着き場まで送ってもらい、更にフェリーで30分ほど移動したところが伊良部島だった。背丈は優に越す砂糖きび畑だらけの島というのが、この島の第一印象だった。夕刻、渡辺院長を送りだしてほっとするつかの間、この後はこの診療所の医師はどこを見回しても私だけという状況に甘んじなければならない。

 夜間1時頃、白河夜船でぐっすりと眠りこんでいる頃に、宿舎に突然、けたたましく電話が入った。「先生すぐ来てください。妊婦が破水して、病院の前に来ています。」なぬ!破水!不機嫌一杯の私の顔から一瞬眠気はふっとんだ。ありゃ、これは出てしまうぞ。この島に産婦人科はないと聞いていたがどうすりゃいいんだ。せめて産科の道具なんてと期待するほうが無理というものだ。もたもた、ばたばたと、とりあえず服を着て走りだしたのだが、不安と混乱とちょっぴりの絶望が頭の中を往来する。確かに妊婦が車の中に横たわっていて、破水している。まだ、胎児は頭を出していないが時間の問題だろう。当直の看護婦が、宮古島に送るので紹介状を書けという。よっしゃあと、机に向かってとりあえず宜しくと書きはじめた所で、「先生、頭が見えてきました!」と叫び声。今度は吹っ飛んで行った。

 確かに頭が数cm見えていると思った途端、それこそズルっという感じで赤ちゃんが出てきた。何かえらい小さな赤ちゃんだなと思ったが、そんな事に関わってはいられない。「吸引器はないか」「止血鉗子を持ってきてくれ」。ところが、赤ちゃんは、揺すろうが、叩こうがうんとも言わない。息をしないのだ。どうしよう!!!!!!すべての思考が一瞬止まってしまった。この島に新生児の挿管道具なんてあるはずはない。異常に小さい赤ちゃんの顔を見ているうちに、何か愛おしくなってきた。すまん母ちゃん、母ちゃん以外の人にとうとう俺の唇使っちゃうで。許してくれと赤ちゃんの唇に私の口を当てた。ほんの数分だったと思うが、無茶長い時間に感じられた。マウスートウーマウスが効を奏したのか、かすかに呼吸を始めたのだ。時々かすかながらフギャと泣き出しさえしたのだ。

 救急車で船着き場に行き、フェリーに乗ったが、これは緊急臨時便だ。だだっ広い客船の中に病院の関係者3人と家族だけというゴージャスな気分まで味あわせてもらってしまった。毛布にくるんで、大人用の酸素マスクを口のあたりにあてて、力弱くうごめく赤ちゃんを見ていると何か切ない気分がよぎってきた。生きてくれよと呟いてしまった。後から聞いたのだが、赤ちゃんの体重はわずか700g、妊娠6ケ月目ということだった。軽いはずだ。納得。宮古島の産科の先生もこんな小さな子は初めてだと感慨深気に言っていた。5日後、名古屋に帰る時、保育器の中でちゃんと元気にしていますよと聞いた時はとても嬉しく、何か少し誇らし気な気持ちになってしまった。一瞬、肝が潰れたが、なかなか出来ない貴重な体験ありがとう。帰りがけには伊良部島の完全なフアンになってしまっていました。