努力に酔う

 

 ある男が仕事の上で失敗した。ところが、この男から「私は努力したのだから、それだけは認めてほしい。」と言われた時、あなたならどうしますか。一瞬、言葉に詰まってしまって、そうだな君の努力は認めようとしか言い様がないのではないか。しかし、ここでその男をある程度良い部類に評価してしまうという間違いをしでかすと、その男の伸びる芽を摘み取ることに気がつかなければならない。

 


 大切なことは、努力は結果を生み出して始めて認められるのである。結果をみて初めて努力したと周囲は認めるということである。結果が出せなかった努力というものは、やり方に何か問題があったはずだ。努力にも量と質がある。量ばかりをこなして、質の面での調査が不十分ではなかったのか。ここでは、徒労に終わった悔しさを思いきり噛み締めて、悔しさをバネにして、その理由について徹底的に検討を重ねる事だ。ここを一つ間違えると、不完全燃焼型の人間に落ちついてしまう。いや成り下がってしまうのだ。その結果、彼は伸びない。

 

 世の中を見ると、がむしゃらに努力している人がそれに見合う結果を得られずに、割にのうのう、ズルズル、ぬけぬけと働いている人がすいすいと世の中を渡っていくという光景によくお目にかかるが、これは一体どういうことだろう。もし、貴方がこんな状況を嘆くようであれば、貴方に成功という栄光は遠のいてしまう。努力という枠を乗り越えて、更にその後の障壁の向こうに成功はあるのだが、この障壁を乗り越えなければいけない。障壁の手前は何もしないという状況と同じ世界なのだ。障壁の前で、自分は努力していると感動して留まっていて何になる

 いくらこつこつと毎月貯金をしていても、緊急の入用でお金をおろして使ってしまえは貯金はゼロである。いくら貯金はしていましたと言っても、これを認めるわけにはいくまい。

努力という言葉に酔ってしまっては、後一歩がおぼつかなくなるという事に早く気付かなければならない。