虎御前山砦
所在地 | 滋賀県長浜市中野町 | 別 名 | |
遺 構 | 曲輪、空堀 | 形 式 | 山城(標高約230m) |
築城者 | 織田信長 | 築城年 | 元亀3年(1572) |
歴 史 | 虎御前山砦は、織田信長が、浅井長政の小谷城を攻めるために築城した付け城である。 元亀元年(1570)の姉川の戦いで、織田軍に敗れた浅井軍は小谷城に籠城した。織田信長は横山城に前線基地を置いて、小谷城の攻略を図った。 元亀3年(1572)に入って、小谷城の包囲網を縮小し、小谷城から数百米しか離れていない眼前の虎御前山に砦を築城した。7月27日から築城を開始し、8月中には完成したという。木下秀吉が定番に任命された。 天正元年(1573)8月、小谷城が落城し、虎御前山砦は廃城となる。 |
歴代城主 | 木下秀吉 |
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伝 堀秀政陣地跡 | 伝 織田信長陣地跡 | |
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伝 木下秀吉陣地跡 | 伝 柴田勝家陣地跡 |
小谷城の山裾と、虎御前山の山裾の間には300m程の幅の平地があるだけで、虎御前山は小谷城のほんの目と鼻の先にある。のど元ともいえるこのような所に、付け城を築かれたこと自体、浅井氏の弱体ぶりが表れており、1年後に浅井氏は滅んだ。 本格的な築城が行なわれたようであるが、遺構はあまり明確に残っていない。 |
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現地案内板 尾根伝いに、南(下)から北(上)へと、多賀貞能、蜂屋頼隆、丹羽長秀、滝川一益、堀秀政治、織田信長、木下秀吉、柴田勝家の順に、各陣地が配置されている。 各陣地は、古墳の墳丘を利用して築城されており、櫓台のように盛り上がっている。 織田信長j陣地跡が山の最高所であり、最も広い。 |
北陸自動車道長浜ICから北北東約5kmの、矢合神社をめざす。矢合神社の横の車道を進むと、車道の終点がキャンプ場の駐車場。この駐車場から、城域に入ることができる。往復1時間弱で各陣地跡をめぐることができる。ハイキングコースとして整備されており、歩きやすい。 |