横須賀城

 所 在 地   静岡県掛川市西大渕  別 名   −
 遺 構   石垣、堀、曲輪  形 式   平山城
 築 城 者   大須賀康高  築 城 年   天正6年(1578)
 歴 史  天正2年(1574)、高天神城が武田勝頼の手に落ちたのに対して、高天神城を奪還する拠点の一つとして、徳川家康は天正6年(1578)、大須賀康高に命じて、高天神城の西約6kmの地に横須賀城を築かせた。
天正9年(1581)に高天神城を奪還した後も、大須賀氏が城主を勤めるが、徳川氏の関東移封に従い、天正18年(1590)に渡瀬繁詮、文禄4年(1595)に有馬豊氏が入封する。
関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601)、大須賀(松平)忠政が復帰する。元和元年(1615)、子の忠次が榊原家の養子に入り、大須賀家は断絶する。
以後、元和5年(1619)、松平(能見)重勝が下総関宿より入封する。元和8年(1623)、井上正就が入封する。正保2年(1645)、本多利長が三河岡崎より入封する。
天和2年(19882)、西尾忠成が信濃小諸より入封し、西尾氏が幕末まで在封する。
歴 代 城 主 大須賀氏2代(3万石)、渡瀬氏1代(3万石)、有馬氏1代(3万石)、松平氏(大須賀)2代(5.5万石)、松平氏(能見)2代(2.6万石)、井上氏2代(5.2→4.5万石)、本多氏(5万石)、西尾氏8代(2.5→3.5万石)


              本丸の石垣
玉石積みの石垣に特徴がある。大井川で採取された石で石垣が復元されている。


横須賀城は、遠州灘の海岸線に沿って、東西650m、南北350mの範囲に築かれていた。海岸段丘の頂点に本丸が置かれ、四層五階の天守が建てられていた。城のすぐ前に横須賀湊があったが、宝永4年(1707)の地震で海岸線が後退し、今は2.5kmほどの内陸に位置する。
現在、本丸と西の丸の部分が残っており、横須賀城跡公園として整備されている。


本丸 本丸と、奥は天守台


西の丸 本丸直下


本丸の南東の下にあった三日月池           現地案内板の古図
本丸の西に西の丸、北東に北の丸が付随する。本丸の西側の一段下に二の丸を、東側の一段下に三の丸を配置している・。


<アクセス>
国道150号線の、弁財天川橋信号を北へ折れ、1km先の突き当たりの三叉路を左折する。二筋目の狭い道を右折し、直ぐに左折すると、右手に城の石垣が見える。城跡は公園となっており、その前に駐車場がある。(2009.06.06)

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