岩国城

 所 在 地   山口県岩国市横山  別 名   横山城 
 遺 構   曲輪、石垣、堀  形 式   山城(標高215m)
 築 城 者   吉川広家  築 城 年   慶長13年(1608)
 歴  史  関ヶ原の戦いに際して、毛利氏一族の吉川広家は、徳川方に内通し、毛利家の存続に尽力した。そして毛利氏が防長2カ国に減封されるのと同様に、吉川広家は出雲12万石から、3万石に削減されて、慶長5年(1600)、岩国に入封した。
慶長6年(1601)に、横山の麓に居館(岩国陣屋)を構え、これを「土居」と称し、慶長8年(1603)から横山の山頂に築城を開始し、慶長13年(1608)に完成した。山頂の施設を「城」と称して、詰の城とした。
しかし元和元年(1615)、一国一城令により、天守など山上の城郭建造物は破却された。
さらに寛永15年(1638)、山上の石垣群も破壊された。
歴 代 城 主 吉川広家(3万石)


古図を参考に外観復元された天守。四層六階であり、三層目と四層目が張り出した南蛮造となっている。 元の天守台。下三分の一ほどが残っていただけであったが、現在は石を積みなおして復元されている。


本丸と北の丸の間の空堀。幅約20m、深さ約10mと巨大なものであり、日本最大の箱堀構造と自称するのも肯ける 本丸の北東隅の東矢倉跡の、崩れた石垣。山上の石垣の殆どは復元であると思われるが、ここに破城の様子を見ることができる。


大釣井と呼ばれる、巨大な井戸 本丸から見下ろした、錦帯橋と岩国市街


本丸の南側に二の丸、北側に大規模な空堀(堀切)を隔てて北の丸を置き、二の丸の東側に出丸を設けた縄張りになっている。本丸の北西隅に天守が上げられていた。二の丸に大手門跡があり、山麓の居館に通じていた。
現在、城址は観光用の公園と化している。天守も再興されているが、錦帯橋から見上げて姿が見えるようにとの配慮であろう、元の場所から南側へずらした位置に建てられている。


山上にはロープウェーで上がることができる。ロープウェーの山麓駅に駐車場がある。

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