ある山行を巡る、T先生の思い出ーその2

   −山岳部時代の東山、沖ノ山山行

T先生の添削で書き直した原稿(結局はボツになった)は以下のとおりです。

 東山は中国地方第3の高峰であって、その標高は1388mではあるが、北股川を遡った場合高原の高さが営林署のある辺りで既に1000m前後あるために、その高度はあまり感じられない。

三滝ダムまでの北股川の渓谷は谷が深く美しく、「芦津渓谷」と呼ばれている。東山および沖の山への登山路はおおむね谷筋の軌道沿いに登ることになるが、その傾斜からいっても積雪期または4月頃の残雪期にスキーで登れば全く快適であろう。帰りの大滑降は想うだに楽しい。この山行は古いR.C.C Vの“因幡東南の山々”に惹かれておもいたったのであったが、土地不案内に加えて我々のノービング気分のために、わずかに沖の山盆地の域内をワンデっただけに終わり、あの紀行文に飾られた「江並峠」のスケッチを実地にみる機会を得なかったことは残念である。

山行記録(44.5.3〜5.7)

メンバー:L K.H、D.A

44.5.3 

8:20大阪発→12:45智頭13:25→13:50堂本14:10→14:50倉谷→15:30発電所上のかなめ谷橋で泊

 昼の列車で連休の初日でもあったので、かなり混んでいて津山まで立ち通しでかなり消耗してしまった.智頭から八河行きの日の丸バスに乗る。郷原までは快適な舗装道路を、郷原から岡山への道と分かれ、左に折れ 美しい渓流沿いにバスは走る.終点の1つ手前の堂本でバスを降り、北股川沿いの林道を歩く。部落ではまだ苗代の苗が風にそよいでいる.芦津、倉谷をすぎ発電所の鉄管が見えてくる所までの山々は杉の植林が美しい。かなめ谷橋の下を今夜の泊まり場にzeltをかむってねる。星が美しい。

5.4(○)

 6:00起床 8:00出発 8:55三滝10:00 10:20ダム着 10:50営林署 13:001134のpeak 14:30大東川 上営林署 同所で泊

  昨夜 たどってきた林道は かなめ谷橋の上で右から入る かなり大きな支流にそって本流をはなれ、三滝ダムに至っている。林道を登ってゆくと トンネルの手前で、渓谷沿いに 山腹をぬっている小径に入って三滝に向う。道の下は深い渓谷で新緑が美くしい。両岸はすごい岸壁で立派な鉄橋がかかっている。木々のアーチをこぼれ日の中を通って、三滝のすこし上手で谷に下りて三滝を見にゆく。北股川に美しいアクセントを与えているこの三滝の付近では特に、深く石の美しい渓谷の濃いエメラルドの水と木々の新緑と 白い石肌とが まことに美しい調和をなしている。ついその美しさにみとれてなが居をしてしまった。再び小径を上り、まもなくダムに着いた。ダムの水はダムからの眺めもなかなかよろしい。広葉樹の新緑の中に ぽっんぽっんと濃い緑の杉のトンガリ帽子があるのは非常に楽しいものである。営林署の建物はダムのちょっと上の右手の台地にあった。営林署の人の話では、昔は林用軌道が運材の主役であったそうで、その軌道は今でもかなり奥まで撤収されていないで残っているし、下は倉谷まで伸びていたらしい.僕達が上ってきた小径も実は レールを取りのぞいた軌道の跡だった。小川沿いにも 上、下の軌道の駅舎並びに事務所が無人のまま残されている。この辺りの山々は沖の山国有林と芦津の部落所有林があり、国有林では現在沖の山で植林中とのこと。これより上の林道は、作業詰所の上で 沖の山へ行く道と、峠を越して大東川の下の営林署事務所へ行く道とが分かれている。左にとって峠越えをすることにする。しかし東山の展望とその他の山々の概念をつかみとるため、途中の分岐を右にとり、地図上の1134のpeakに登った。植林の際につけられた小径を登りつめると、眼前に東山がそのかなりのボリュームをもって拡がり、南の方には川の堤の様に山がつながっている。じっくりと眺望を楽しんだ後、peakの真東の無名沢を下り、大東川の軌道に出た。軌道沿いに20分程くだって、現在空家になっている上の営林署をこれからのねぐらとする。

5.5       ○→◎→●

  8:00起床9:50出発10:30ワサビ谷のコル13:45東山山頂三角点14:15出発16:00東谷両股出合17:00B.C.

無人ホテルからワサビ谷を軌道沿いに登る.両側の山々は低く、熊笹の原の中に枯れ木の白骨が立っている。谷は気持ちの良い湿地の中を 所々に非常に小さな滝を作りながらトロトロと流れている.岩魚の姿も見える。ただし数年前の毒流し以来この地区一帯禁猟区であるとのこと。

谷がせばまり、軌道が切れると、後は水の涸れた倒木のつまった谷を登ることになる。

視界が開けたと思ったら峠にでた。この峠が吉川越えの道だと聞いてきたが、長らく人が通っていない。東山には南稜が藪でひどいし、道もないので、無駄な消耗をさけるため、この峠から北東の沢をつめることにした。ここも倒木でふさがっている。20分ほど登って北側の稜線に取り付き、きりかぶの尾根を登る。あとは小さな上り降りをくり返した後、藪の中に忘れられたような三角点を見出した。

天候の悪化を告げる暗雲が出てきたので、食事もそこそこに下ることにする。風もかなり強く 木の上に登ると飛ばされそうである。帰りは西稜から東谷の右股を下った。相変わらずの藪。右股は川身に沿って下ったが、上流が湿地によって目を楽しませてくれたのに反し、下流に行くにしたがって川身まで熊笹が出て歩きづらい。

出合には倒壊した炭焼き小屋があって、軌道がここまで伸びていた。とはいうものの軌道はレールがひん曲がり、橋は流され、道床も流失し、熊笹に埋まっている所が多い。途中から雨が降りはじめ、「HOTEL」に着いた時にはずぶ濡れになってしまった。

5.6

雨のため沈殿

5.7  ○

5:30起床7:35出発11:55沖の山13:45コル 索道→林道17:00芦津 着

  目がさめてみると「HOTEL」の周囲はまるで凍てつく冬の早朝のようであった。屋根の上、雑草、軌道の上に霜がびっしりおりているんだ。足元からその冷たいしびれるような感じがじーんと伝わってくる。4日に通ってきた軌道を大東川沿いに遡る。左右に軌道が分かれるが、本線沿いに行けばよい。3番目の分岐で右に入り、橋を渡る。ここから左岸沿いに少し登ったと思うまもなく、右へぐっとカーブし、広い谷の中を軌道は走る。途中の分岐もすべて右にとる。周りの山肌は熊笹におおわれていて、その中に丈のまだ低い杉の木が生えている。どうもこの熊笹という奴は 遠きかなたより眺めていると 豊かでおおらかな緑の芝生を連想してしまうものだが、近くへくるとその可愛げのなさに呆れるほかはない。

軌道が終わるころから、黄色い花が群れ咲く快い湿地となる。沖の山の東のコルに出たのは11:00かっきり。ここからは索道の赤い滑車が下の方で宙うにブラブラとゆれているのが小さく見える.そして時折チェンソーの音も。 ここから稜線上を一気に沖の山の東の肩に上り、ここから眺める東山の巨大さに見とれる。

昼食後 三角点を踏みに肩からついている稜線道をたどって、10分後に頂上を踏む。かなり広い頂上である。 ここからの眺めも抜群である。西の彼方には遥かに大山が その谷肌にほんのちょっぴり残雪を残しているし、手前には宏茫たる沖の山盆地が横たわって まことに雄大である。北から氷ノ山の台地のどっしりした姿、近くの若杉、江浪、大通と続く峠をつなぐ沖の山の延長の稜線が 柔らかい熊笹にまとわれてある。その奥には 三室山(ショー台)らしい台形頂上の山がある。いずれの山も峠も すべて美しい空の下で輝き、いかにも準平原の山という感じである。帰りは肩から谷を索道沿いに下り、終点からは林道を一気にかけ下った。                  」

T先生からの返書

書き出し文(bergen 作成)

 「東山と沖ノ山」の稿文有難う。失礼だが、まだこういう紀行文をてがけるのに不慣れらしく、表現の稚拙、行文の冗長がみられるので相当添削させて貰ったが、考えてみると矢張りこれでも長文すぎて、他のクラブの機関誌に載せることは遠慮したい。ずんと要約してみることも考えたが、それでは君の折角書いた持ち味を消してしまうことになろう。且又この地域をねらっている私の他の友人達には前便を紹介してあることでもあり、その意味では既に目的を達しているのだから、この稿文は他日部のレポートに載せることにして、それまでひと先ずお手元にお返しすることにしよう。君がこれを書いてくれた砕心瘻骨(ママ)の努力には充分の感謝と敬意をあらわす私の非礼をとがめては下さるな。そして僭越ではあるが、私の添削を読みくらべてもらうことによって、今後の君の紀行文に対するあり方(読み方も含めて)に資する点があれば望外の幸せである。

 昨八日の日曜は鶴ケ岡の脇部落の北の山へ登ってきた。熊壁の谷から登って、庄田の谷を下りてきたのだが、うまい具合に路をみつけて、三角点付近で少し薮をかきわけただけで快い山行だった。路を見つけたり、薮を漕いだりするカンもだいぶよりをもどして嬉しい。  では又

                                           
    bergen 様

 一度また何処かへ誘いたいのだが、学校のことで何かガタゝやっているらしいので、誘いかねている。Hによろしく

この文章を今 読み返すと、まことにもって恥ずかしい限りです。句読点や、漢字の誤り、表現の冗長さなど、年を重ねるに連れそれなりに進歩はしておりますが、いくつかは今でも相変わらず引きずっております。常々山岳会にはご無沙汰しておりますが、あの頃のT先生の情熱の一かけらでも今も持ち続けたいと思い、暇を見つけて山、スキーに励んでおります。

幸いにも住居のすぐ裏から六甲山に登れますし、趣味を共有できる山仲間にも巡り会うことが出来ております。昨年からは山スキーも始めましたが、昔に比べて道具の進歩には目を見張るばかりです。

お互いに何時までも情熱を絶やさぬように生きてゆきたいと思います。それからまた何時の機会にか、ご一緒に山行出来ることを切望致します。

追記:

東山にはその後、97年5月23日から25日までの予定で、現在の山仲間と追憶山行を組んだ。車で芦津から林道を大東川の東山の麓まで行く予定であったが、三滝ダム手前のトンネル崩壊のため、途中で通行止めとなっていた。このため急遽、芦津峡の流れに沿う遊歩道を、昔を懐かしみつつ登ることになった。

 昔と異なり谷沿いは植林と熊笹の密集帯だったので、明瞭な尾根を藪漕ぎ覚悟でブッシュ帯に飛び込んだ。視界の利かない樹林帯の中、皆のブーイングも寄せ付けず、地図と地形を照らし合わせること幾度か重ねて、、ひたすら求めた頂上に到達したのは昼過ぎであった。頂上からの眺めは、木々の成長により見通しの悪くなってしまったといっても、昔のままの雄大さであった。

この際の藪漕ぎで皆が得たのは、頂上の登頂、途中の藪の中の根曲がり竹のたけのこ そして大東川沿いの蕨の豊漁であった。しかし幾人かのものがその後遺症として、その後長期治療を要した難治性の皮膚炎に襲われたことである。

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