ある山行を巡る、T先生の思い出ーその1
−山岳部時代の東山、沖ノ山山行Y.K先生(昭和28年卒業)著「京都府立医科大学山岳部による北アルプスにおける初登攀の記録」(青蓮会報第98号:平成8年10月31日)に、北アルプス初登攀期に素晴らしい記録を残されたT先生の足跡が克明に記載されています。
先生は上の先輩とは良く交流があったようですが、我々(昭和42年入学)にとって雲の上の存在でした。同級のH君の御父上(T.H先生、故人)がT先生と親しいので、彼よりT先生の情報を細々と聞くことが出来ました。
初めて山行をご一緒したのは、北山の桑谷山で、H君と一緒でした。桑谷の遡行後 ヤブコギをして登頂しましたが、山頂は南峰と北峰の双耳峰で、T先生のこだわりか?両峰とも登頂しました。そしてその夜は勧められるまま、宮島の診療所で泊まることになりました。
此の山行で先生のルートファインディングの確かさ、山に対する厳しさと情熱、そしていつまでも夢を追い求める姿勢にいたく感動したように思います。その後に先生とお便りをやり取りしたのは、次に述べるある中国山地の山域の山行を巡ってでした。此処に当時の記録を整理してみました。人物は全て匿名としました。
故人もおられるし、あくまでも昔の山岳部時代の山登りの思い出を味わって頂きたいとの思いからです。
ある日 山の記録類を整理していますと、偶然にあの特徴的なT先生のお便りが出てきました。勿論、先生宛に投函した、ぎこちない文章で綴られた記録文、紀行文も出てきました。今から見返すと恥ずかしいばかりの、でも真剣な頃の青春期の記録でした。少しその内容をご紹介し、当時の思い出に浸ってみたいと思います。もとよりY.K.先生の名文の足元にも及びませんが、山岳会報に今まで原稿を出そうと思ってここまで来てしまった反省も込めて、拙文を敢えて披露する次第です。事実関係などに誤りがありましたらご指摘いただければ幸いです。(なおこの文を書き起こし始めたのは3年前で、今回漸く完成したことを申し添えます。)
その頃(昭和44年4月)、私は3年で、S及びN先輩が6年、T先生より先輩のT氏宛に東山の山行企画が持ち込まれたのがその発端でした。
書き出し文(bergen 作成)
お便り有難う。僕は手術予定と友人来訪が予定されているので、二七−二八日も三−五もうごけない。君達共でいってきてくれないか。たしかに茲は快いヴンデルングが、ヴンデルングらしいヴンデルングが楽しめるところだと思うから、 3日プランなら、沖ノ山、ミソギ峠、江浪峠、と廻り流し、5,6日プランなら沖ノ山−ミソギ峠に登った后で、道仙寺山、ショー台をいわして最后に江浪峠を越えるのが面白いと思う。 (蛇足)大海から道仙寺山の尾根廻しの路はないかもしれない。営林署でよくたしかめること、山頂から西北(流れる谷を遡る(?))けても楽にゆける等、 成功を祈る。 |
bergenよりT先生への山行報告(原文のまま)
44年5月10日
T先生へ 日一日と暑くなっていく今日此頃ですが先生にはお変わり御座居ませんか? 先日はまことにご親切なお手紙どうもありがとうございました。先生が行かれなかったのまったく残念でしたが、3日から7日に渡り僕とAの2人で東山、沖の山方面に行ってきましたので、その報告などをお知らせします。 今回は列車を利用して@智頭より入り、吉川へぬける計画でしたが、いろいろの事情により、又々智頭へもどるといった山行となってしまいました。大ざっぱな行動としては、3日出発 倉谷奥の発電所でA幕営、4日B営林署で話を聞き、大東川(ダムの所で北股川が2つに流れが分かれますが、北側を大東川(おおどうせん)、南側を小川(しょうせん)というらしいです。)の上流の方の営林署(現在人が住んでいない)でC泊まる。以後この営林署をbaseとしてD5日 東山、6日 沈(雨のため)E7日沖ノ山を登って再び下の部落へ帰る といったものが大ざっぱな行動です。 (中略) 今回は 全く 若杉峠以東には足をのばしませんでしたが、この地域の稜線はいずれもひどいブッシュだと思われます。今後の楽しみに残しておきたいと思います。 山々の新緑はまだ遅く、とても緑一ぱいというものではありませんでしたが、桜の花がかなり大きな桜の木に残っているなど、植林した杉の濃緑とともに目を楽しませてくれました。 魚も上流でかなり見かけましたが、数年前 毒を流した者がいたので 現在は資源保護のため 全域禁漁区になっているとのことでした。 ダラダラとしまりのない報告でしたが、この辺で筆を置かせていただきたいと思います。どうも内容のないものとなってしまいましたが、別紙に林道ないしに林用軌道の状態を書いておきます。 それではさようなら 44.5.10
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報告に添付した手書きの概念図(図3)
T先生からの返書
書き出し文(bergen 作成)
お便り有難う。矢張り出かけてくれて、有難う。 期待した通りの美しい山だったらしく、私も嬉しい。 私は、三、四両日は私と同じ位年輩のT、F両君が、予ての約束どおり拙宅へやってきて、三日早速午后から由良川最源流の大学演習林の長治谷小舎へ泊まりにいって来た。五日は私のマーゲンを検べに、もう一ドT君の病院へ行って、夕刻帰宅したが、此の三日中、誰もどこへも行かんのかいな、チクショウ、〜と独りで腹をたてていたが、これで腹の虫がおさまった。 さて君達の動きのことだが、大変すまないがこれをもう一度紀行文風に書きなおしてくれませんか。場所が余り文献にない山だからこの際、私が関係している二、三の会報のどれかに紹介発表したいんだ。 書き方としてはこの便りの文章の様にあちらこちらパターン風な書き方でなく、普通の登山紀行に見るように順を趁うて(ママ)、行動し、且云の行動中にみききしたものを、挿入してゆく書き方が読む方も熱心に読むんだ。(?)また案内記的なものを書いていただく意味で、是非この点はもっと詳しく書いて欲しいと希うことを鉛筆で@−Gまで余白に書いておいたから、この点も特に注意して書いてもらいたい。勿論君の方で特に気のついたことがあれば、どしどし書いてもらいたい。 尚読んですぐ気がついたことだが、行動が大変緩慢なようだが、これはどうした訳かな。四日は小舎までだし、五、七日も一日一山ですましていることが、私にはものたらないんだ。ブッシュが非道かったといえばそれまでだが、どうやら両君ともノ−ビングの気分をだしすぎたらしい。若い時はもっと意欲的に行動すること。 T bergen君 へ A君にもよろしく T先生の質問(欄外に記載) @ 智頭に何時に着いたか? A 智頭から発電所まで、何処までバスにのったか? それとも発電所まで全部歩いたのか? B 営林署で聞いた話を詳しく C この無人のホテルはどんな所か、中はどうなっているか D 、E共に登行記録を詳しく F,G地図に記入 |
T先生の書簡(原文のまま)
原文
に続く
ヴンデルング(独):さまよい歩くこと。 「ワンダーフォーゲル(WV)」とは 「渡り鳥」を意味する。
umgehen(独):回遊して出発点に戻ること。
ショー台:兵庫県第2の高峰、三室山の別称。
マーゲン(独):胃
ノービング:のんびりし過ぎたの意味か?