「あなたにもチャンスがあるといわれて決意した。」
(50歳からが人生だ!7mountainsは待つ!)

札幌CK山岳会(T会長)に26日までに入った連絡によると、世界最高峰のヒマラヤ・エベレスト(8848メートル、中国名・チョモランマ)に挑んでいた同会のチョモランマ登山隊・第2次アタック隊の2人が現地時間の25日午前10時過ぎ、登頂に成功した。

18日には第1次アタック隊の同登山隊副隊長(35)が道内2隊目となる登頂を果たしている。
今回登頂したのはS隊長(51)とN隊員(54)

第2次アタック隊4人のうち女性2人は途中で断念したという。T会長は「道内の登山隊としては快挙で喜んでいる」と話した。同隊は6月4日ごろ、帰国する予定。
2003年528日「北海道の山岳ニュース」より

今までヒマラヤやヨーロッパアルプスなど世界の高峰への遠征隊を色々と見聞きし、報告なども見せてもらうこともあった。しかし現実に身近の友人が登頂したというのは、はじめての経験である。N君は大学の同級生であり、山登りを共通の趣味とする親友でもある。北海道からの遠征隊としては、2000年に成功した北海道山岳連盟に続く2度目の登頂とのことだ。新聞のインタビューに「あなたにもチャンスがあるといわれて決意した。隊員の体調管理に努めながら、登頂を目指したい」と意欲を語ったそうだ。
参加を決意した直後に電話で話した際、はなはだ意気軒昂であった。しかし訓練山行での(他の隊員との)パワーの差に圧倒されたのか?出発前の内輪の壮行会では些か後退した印象を受けたが、結果は報道の通り成功に終わった!まずは目出度し目出度しである。

N君とは大学の同級生で、学生時代はお互いに山岳部(私)とワンゲル部(N)に属して山に登っていた。親しくなったのは専門課程のポリクリ(臨床実習)で同じグループになってからだ。卒後10年以上、毎年のように近郊や遠くアルプス、北海道や海外の山まで出かけた。国内の山は私が登山計画を立てることが多く、(計画立案者の)私がリーダーだったが、一緒に行った2回の海外登山は彼が計画した。それには学生時代にドイツに留学していた経験が大いに役に立ったのだろう。私は余り海外の山に興味が無かったし、実際に長期休暇も取れなかったので、彼はそれ以降、長期に休みが取れるという利点を生かして海外登山のチャンスを生かしてきた。

その後お互い偶然に社会人の山岳会に入って頻回に登山の機会が増え、一緒に行く機会も増えたが、今から思えば彼にはもっと大きな目標が在ったのだろう。偶然にも今回為されたのが世界最高峰の登頂であったが、ヒマラヤのジャイアント(8000m峰)の登頂を夢見たに違いない。そのため登山学校での苦しい訓練やヒマラヤ遠征隊への参加など、こっこっと地道な努力を重ねた。

人生の岐路においては、彼に助けてもらう機会が再三ならずあった。山での経歴が物語るように、彼は持ち前の大胆さと沈着冷静さ、そして計画性で人生の道も切り開いていった。私は彼の少し後から右往左往して試行錯誤の人生を歩んできたような気がする。故あって彼は遠方に引っ越したが、終生の友として今後も親しく付き合って頂きたいものです。

ヒマラヤ登頂記録によると、エベレストの登頂者が延べ千人に達したらしい。初登頂は1953年の英国隊(ヒラリー卿ら)であるが、最近は各国登山団体が遠征隊を派遣する今までのパターンだけでなく、公募型登山隊(所謂「ガイド登山」)も組織されており、高所登山も大衆化してきた(?)と言われる所以である。

この背景には海外の高峰に組織無しででも登りたいと言う登山者の欲求の高まりと、エベレスト登山を外貨獲得の「目玉商品」にしているネパールや中国の戦略がある。

世界最高峰というブランドは、登山家にとって魅力に違いないが、余程の好条件(天候、体力、高度順応を含む体調)と隊員、ポーター、シェルパ等の協力が無ければ為しえない難事である。登頂成功者はほんの一部であり、大部分は天候不良で登頂途中で敗退したり、登頂後の時間切れビバーク(強制幕営)を余儀なくされ命を無くするケースも多々ある。

エベレスト山頂でのN君(中央)とS隊長(右)

スイスの医師であるデュナンは「死の地帯」(7500mを超える、空気が地上の三分の一の場所をこう呼ぶ)では肉体に大きな変調が現れてくるという。すなわち、はじめに首に痛みを感じ、心臓は順応しきれなくなり膨張しはじめる。

イタリア人の登山家R.メスナー(8000m峰14座の全てに無酸素登頂している超人的なな登山家:)はその著作「死の地帯」のなかで、自らの体験と、さまざまな同じような体験をした人達の記録をまとめ上げ、極限状態にある人間の意識について語っている。

すなわち、極限状態の人間の意識は鈍化することなく、返って透明になるという。

転落して死を意識した瞬間に、不安からの解放、走馬燈のように浮かぶ過去の人生、自分が肉体の外にあるという感覚などを体験するという。    

遭難者のほとんどに現れる精神状態の特徴として、

1. 痛みを感じない。
2. 小さな危険の際に感じる驚きや萎縮がない。
3. 不安や絶望がない。
4. 思考活動が活発で、頭の回転の早さは通常の何倍もある。
5. 素早く行動し、かつ正しく考えている。それに自分の過去が蘇るという体験が付け加わる。

 (『死の地帯』43頁 山と渓谷社)より

身近な例では1996年の難波康子さんの登頂後の遭難死が示すように、7000m以上の「死の地帯」(death zone)は常に死と隣り合わせの過酷な条件です。エベレストのサウスコルは高度8000m、気温−40℃、強風(時速200km/hr)の吹き荒れる環境は、現実に其処に行かない限り理解不能な世界でしょう。

色々なサポートがあるにせよ、最終キャンプからは「死の地帯」を自分の足で登り、無事に下りるしかない高所登山の過酷な条件。親友として、この快挙を成し遂げた君を大いに誇りに思うものです。地道に努力して栄冠を勝ち取った君に尊敬と羨望を抱くと共に、自分だけ遥か遠くに置き去りにされた寂寥感を伴う複雑な感情を交えて

P.S.

それにつけても海外の高峰を登ることは、一種の麻薬のような習慣性(勿論、苦労も多いのですが、登頂すればなおさらのこと、途中で敗退しても達成感が大である?)と耽溺性が強いようです。
それが証拠には、名だたる高所登山家はみな華麗な登山暦を誇っています。登山家は1回のみならず毎年、いや年に数回も遠征を試みます。私の別の友人などは、今年は大小取り混ぜ、既に3回もの遠征予定を組んでいます。

挑戦者たる者は皆、その運命(常に難関に挑戦し続ける)から逃れないのかもしれず、極限の登攀をやめようとはしないもののようです。

実際、世界第一線級の実力を持った男たちが消息を絶っていきました。

1953年のナンガ.パルバット(8126m)の英雄 ヘルマンブール(無酸素で登頂)はチョゴリで遭難、ニコライ・ジャジェールはローツェ・シャール、そしてイェジ・ククチカも然り、植村直巳は冬のマッキンリー、加藤保男も冬のエベレスト、長谷川恒男はウルタルU峰の雪崩で遭難など、列挙するのに暇がありません。

最後はメスナーのように、出来れば郷里で若者の登山教育に傾注するような安寧な生活を迎えることを祈るものです。                      (おわり)

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