新疆、ウイグル自治区の旅-そのE
2001/7/24(火) DAY 12

8:00起床9:30出発18:30和田(Hotan)
21:00-22:00町巡り
和田/和田賓館

 ホータンが古来より有名なのは、ひとえにその昔から「玉(ぎょく)」の名産地だからに他ならない。「玉」とはその名の如く、「王」が身に付けたからその名があるという。町のあちこちに店があり、そこで小さなものをお土産に買うが、本当にそんなに沢山本物があるのか?不思議だ


夕食後の散歩で清朝時代の城壁跡などを見てまわる。清朝の時代は、歴代の中原(中国の臨海、平野部のこと)権力の中でも、(当時で言う)西域への勢力拡張に大いに勢力を投入した頃である。
そのため異民族支配のためにこんな立派な城壁を作らざるを得なかったのであろう。
歴史をつらつら考えると、なかなか感慨深いものがある。

夜も遅いが、人出は多い。
町には活気がある。
日本と比較すると(あたりまえだが)貧しいが、何かしらゆったりした気分にさせてくれるシルクロードの町々である。
ここには人間の生活の原点がある!
そんな思いを強くした。

ホータンの玉
2001/7/25(水) DAY 13

9:00 起床9:30 出発10:30 SILK工場12:00和田AP (アクス寄航)16:10 Urumqi (烏魯木斉)


この地の土産に岩塩を買いたいと思ったので、ガイドに「どこかに売ってないか?」と聞いてみる。
理解したのか?一向に埒があかない。
飛行機の出発時間も気になるのに、あちらこちらと捜して移動する。
結局案内されたのは、郊外のSILK工場であった。

どうも勘違いしたらしい。
住所といえば「落浦県吉亜郷」で、隣はこの地域の人民政府の建物だというが、こちらはそれが何処か全く分からない。

まあ仕方ないか?折角来たのだからと、係員に案内されて中を見て廻る。見学の許可を貰ったのか、ウイスコンシンから来た単独行の女性も、我々と一緒であった。

広々とした敷地に昔懐かしい連棟の工場の建物が並び、その中では生糸の巻き取り(女工哀史の世界ですネ。
しかし働いているのはウイグル人の逞しいオバちゃんでした)から織物製造まで、余り効率的とはいえないがゆったりとした感じで作業していた。

帰りには売店で絹のスカーフを土産に買ったが、さすが中国の国営企業。お愛想らしい表情は全くない。
此処でも管理職は漢人であった。


生糸製造工場

かなり時間を無駄にしたので、急いで空港に向かう。
ここからウルムチまで飛行機で移動だ。
Sさんは旅行前に自動車でのタクラマカン砂漠の完全移動を主張していたが、(昨日の経験から)「私の判断が間違っていない」と、今となっては気付いたに違いない。

空港といっても、広い野原に小さな建物があるだけだ。
標識がなければ、ここが空港とは信じられない。

搭乗手続きでもガイドは全く役に立たない。
どうも彼は飛行機の搭乗手続きは知らなかったのではなかろうか?
自分の判断で空港受付の奥へ奥へ行かないと、危うく乗り損なうところであった。空港職員の無愛想には慣れてしまった。

漸く離陸し、途中アクスに寄航したものの、単調な飛行である。
しかし高度が低いので、下界は良く見える。
眼下の景色は荒涼たる一面の砂漠、砂漠。
その中でも大地に砂嵐が付けた模様(風紋)や、断崖の地層模様が面白い。自然の造形の妙は、流石に見飽きない。
間に集落や道路、鉄道らしきものも見える。

飛行機が高度を下げると、荒野の彼方に高層の建物群が見えてきた。大きな平野(盆地)である。いよいよウルムチだ。新疆ウイグル地区の区都である。空気は悪そう。
 無事着陸し、タキシングの後に駐機場所に停止すると、乗客はわれ先にバスに乗り換え、空港ビルに向かう。(中国ではこの先陣争いが何にましても重要らしい。一般庶民にとっては、日本人のように遠慮していたら、何も手に入らない、乗れない、となるらしい。)

 空港の到着ロビーで我々を迎えてくれた、この地でのガイド(今回の旅では、ガイドはこれで3人目)の大柄な藩さんと握手。
アリさんとは違い、彼はてきぱきと段取りしてくれる。
まずは腹ごしらえと、空港の食堂で麺をすすり、ビールを飲む。 
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