新疆、ウイグル自治区の旅-そのD
2001/7/24(火) DAY 12
8:00起床9:30出発18:30和田(Hotan)
21:00-22:00町巡り
和田/和田賓館
旅も10日目を過ぎてそろそろ疲れも出てきますが、いよいよタクラマカン砂漠の横断になります。
ここで今後この地域に来る人の為に、言っておかねばならないことがあります。

車の運転についてです。漢族である李さんの運転は極めてスムースで、安心して乗っておれますが、日本人の感覚からするとかなりのスピードを出します。しかも通行人は無論のこと、ロバ車、低速の(一般的には決して遅くないが、あくまでも自分の車と比較して!)先行車がいたら、一切スピードを緩めることなく(定速で)、対向車線に入ってひたすらクラクションを鳴らして追い越してゆきます。これは殊に、集落の通過時でも大いに発揮されます。というよりも、混雑した中のほうが顕著です。これには些か驚かされますが、余りにしょっちゅうなので直ぐに慣れてしまいます。もっとも、車に乗っている殆どが漢族で、ウイグル族は殆どがロバ車なので、民族差別的な意識がないとは言えないでしょう。物の本によると、アジアではどの国でも「phone please」といって、車を追い越す時にはクラクションを鳴らすのがマナーだとか。パキスタンでも例外ではありませんでした。ネパール、インド、バングラデシュなどでも、街中にクラクションが響きわたっている由。騒音や運転マナーに敏感な人や、心やさしい人は心する必要がありそうです。
今日はいよいよ、タクラマカン砂漠(ごく一部であるとしても)を車で(!)横断する日だ。
これについては相棒と意見の相違があったが、最終的には私が譲歩した。

殺風景な、変わらぬ風景の中をただひたすらに走り続けるのは、苦痛そのものであろう。しかし何はともあれ経験しないと分からない。シルクロードの南路(あくまでもその一部であるとしても)なら、タシクルガンからカシュガルまでの5時間の長路とは幾分変わった面もあるかもしれない。ホータンに着いて川を捜せば、玉(ぎょく)の原石も見つかるかもしれない。など、等と淡い希望も持ったのだが、その夢は朝から、いきなり破られた。

何もない一面の砂漠

朝食を済ませてガイドに会うと、張さんは急用が出来たので、カシュガルより東には行けなくなったと言う。急遽、ガイドの交代だ。

新ガイドはウイグル族のアイリ氏。浅黒い肌の、口髭をたくわえた細身の(中年?)男性だ。張さんと比べて日本語は、今ひとつ。英語は全く喋れないし、勿論理解も出来ない。何とかカナは書けるようで、私のスケッチブックにサインをする。

あまつさえ、運転手の李さんとも余り良い人間関係ではないらしい。明らかに漢族とウイグル族の関係だ。目には鮮やかではないが、蔑視と敵愾心(!)が感じられる。

例によって高速のツーリングの開始。車で砂漠の中の大移動。道はあくまでも真っ直ぐ。砂塵で視界が見えにくい。景色は全く変わらない。延々と舗装路が伸びる。両脇の砂漠は果てしない。時々集落があるが、その周囲のみポプラの並木道がある。集落の中は人、ロバ車とトラックなどでごった返している。例によって車はスピードも緩めずに、クラクションをけたたましく鳴らせて疾走する。我々の感覚からすると、真に冷や冷やもので精神衛生上極めてよくない。何処も彼処も砂嵐で、遠くまで見通せないのに。 砂塵の中を車は進む
些かうんざりする頃、ホータン(和田)に到着する。ホータンは中国語で「和田」と書く。日本語の感覚からすると、非常に違和感を感じる。
カシュガルから直線距離で500km。中途半端な距離ではない。砂漠を驀進しても、時間はそれなりにかかる。案の定、ホテル到着が予定より大幅に遅れてしまったので、折角の「ウイグル舞踊」も見れずであった。勿論、玉探しなんかは、夢のまた夢である。

ホータンの街中にて
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