道迷いの検討 |
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具体例で示す「道迷い」自験例 | その1 | |
ハイキングや登山、更には渓流釣り、山菜、キノコ採りなど、野山に分け入る経験は楽しいものです。 「えーっ!何ですって?虫がいるから嫌い!ですって!」 |
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ところでこの楽しかるべき自然が、一転脅威になる場合があります。それが「道迷い」遭難です。「道迷い」遭難を防ぐには、読図の基本が大事です。今月から2回に渡って、自験例から検証してみます。 なぜ道に迷うのか?それには多くの要因があるといわれます。また、「間違えたと思ったら、必ず元に戻る!」これが鉄則ですが、なかなか、人間!原則通りには動かぬ場合も多いようです。更に大人数では個々人の資質による影響も馬鹿に出来ません。所謂、付和雷同、集団心理、パニック状態、という問題です。 村越 真さんはその著書[A]の中で道迷い遭難の原因を分析し、このように分類しています。 1. ルートをたどりそこねる 2. 分岐を見逃す、間違える 3. 地図が違っている 4. 地図の読み違い 5. 道標の不備、読み違い 更には、根底の問題として、 がある、としています。 即ち、計画に無理[B]があって、結果的に道迷い、時間切れビバークなどに陥る羽目になるのです。それでは自験例を検証してみましょう。 |
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図 1 南アルプス中部(kashmirより) | ||
事例1)1980年7月 南アルプス、荒川岳 |
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南アルプスは別名 赤石山脈と言われ、西の伊那谷(天竜川)と東の富士川に囲まれ、大井川が南からその中央部に食いこんでいます。最高峰はかの有名な北岳(3192m)で、富士山に次ぐ本邦第2位の高山です。 荒川岳は、その南の赤石岳、聖岳と続く3000m級の高峰であり、南アルプスの3000m峰[C]の中でも一段と大きな山容を誇っています。いまから25年ほど前の夏山に、友人と2人で荒川三山を縦走し、赤石岳から聖岳まで踏破する計画を立てました。この時は、大井川の上流、椹島[D](さわらじま)から、入山しました。 初日は千枚尾根の途中の蕨段(わらびのだん)で幕営しました。翌日は晴れ渡り、千枚岳、悪沢岳[E]、を踏破します。中岳にかかる頃には天候も次第に悪化し、曇りから小雨気味になってきました。荒川小屋で幕営するべく先を急ぎます。 中岳と前岳のコル(図中の1)を過ぎ、前岳のピークから南西に登山道を下りますが、次第に踏み跡程度になり、しかも傾斜も急になってきます。 「これは、どうもおかしいデ!」 |
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図 2 2.5万地形図 南アルプス荒川岳 | ||
地図をチェックしますと、荒川小屋に行くには中岳と前岳のコルから山肌を少しトラバース気味に下るのでした。現在地点はどうも図中の2のようでした。前岳のピークから稜線上を下っていた旧道は、「荒川大崩壊地」により廃道となっていたのでした。 誤りが確認出來れば、あとは気が楽です。焦る必要はありません[F]。雨模様の中、雨具を着け、ゆっくりとコルまで戻り、薄暗くなった雨の中、荒川小屋に着きました。 遅くなったので、テント場もあまりありません。今夜は小屋に泊めて貰うことにしました。疲れと濡れるのを嫌ったのでしたが、これが思いも掛けない物語[G]の始めでした。 この遭難紛いの道迷いの原因は、上記2. の「分岐を見逃す、間違える」ですが、より根本的には、「地図の読み違い」なのです。つまり、私の意識では、「荒川小屋への下りは、前岳から尾根伝い」とインプットされていたのでした。ですから、コルに荒川小屋という標識があった[H]のですが、十分に確認せずに先を急いで道間違えに至ったのでした。 教訓 「皆さん!山でも(医療でも)思い込みは危険ですよ!」 |
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図 3 荒川岳のカシミール画像 | ||
事例2)1993年10月 鈴鹿山系、藤原岳 |
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図4 八日市と藤原岳(mapionより) | 図 5 藤原岳、茨川と治田峠(赤線が間違えた、迷い尾根)(mapionより) | |
前任の病院で「山の会」を作り、病院スタッフと出掛けた時の話です。
藤原岳は鈴鹿の北にあり、初春の福寿草の大群落で有名です。またこの山は、鈴鹿北部から霊仙、伊吹山に連なる石灰岩の地層であり、その東側は鉱山で、立ち入り禁止になっています。 地図上からも分かりますように、この稜線は東側の等高線が密に引かれており、急な崖になっています。一般的に鈴鹿の山々は、西(滋賀県、琵琶湖)側が緩傾斜、東(三重県)が急傾斜で、所謂、「非対称山稜[I]」の典型です。 茨川から東に伊勢谷を詰め、治田峠[J]に出ます。治田峠から見る開けた平野と、その先に光る海(伊勢湾)に感激します。 行きは快調です。あの頃[L]はまだ、谷筋の旧街道や峠道は整備されていました。 「此処に、迷い尾根の表示があります!」 「帰りに気を付けないといけませんね!」 まるで、他人事でした。 しかし、鈴鹿の山を舐めてはいけない!帰りにとんだしっぺ返しを受けたのでした。 |
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図 6 鈴鹿、藤原岳迷尾根 | ||
藤原岳の周囲は広い台地状の地形となっており、その中の小さな隆起が山頂です。周囲の登山道は背丈より高い笹の林に覆われています。出会わないと、登山者の姿も見えません。 山頂に登頂後、近くの避難小屋で昼食です。初参加のOTのNさんが「チーズ・フォンデュー」を作って下さいました。余りの美味しさに、ワインも2本空きました。なんやかんやで、下山時間が些か時間超過でした。少し霧模様の中、酩酊気味(?)のメンバーは、帰路を急ぎます。りーダーは勿論、私でした。屈曲点を間違え、西側の稜線に入り込みました。間違えたと思って引き返しても、もう一つ、屈曲点が明らかになりません。何故、道を間違えたのか?全く分かりません。 仕方なく、森林境界の目印を頼りに、尾根を下ります。方角はまんざら間違えていないようだし、広い傾斜の緩い尾根なので、滋賀県側に下りているのは間違いないようです。しかし、下降点の状況でビバークも止む無い事情です。夜の闇は迫って来ましたが、川面に下りると、見覚えのある神社跡が確認できました。一安心です。迷い尾根から西に茨川に下る尾根を降りたようでした。 |
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図 7 藤原岳、迷い尾根 の鳥瞰図(赤:間違って下った尾根、白:正しいルート) | ||
この教訓は重大です。結果オーライでしたから良かったものの、一歩間違えれば「遭難騒ぎ」でした。それでは、何が問題だったのでしょうか? |
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脚注 | その2へ | |
[@] ある書物に書かれていた話に、「非日常が充実してこそ、日常が充実する」と、ありました。けだし、名言です。彼の絶叫(!)元首相風に言えば、「気分転換なくして、新展開なし」でしょうか?
同様に私たちの山の先輩ですが、「オフで使う十分な体力がなければ、日常の仕事はこなせない」と言っています。彼は100回スクワットを連日こなし、山のみならず仕事も余裕を持って行えるようになった、と言っています。 [A]「道迷い遭難を防ぐ 最新読図術」、村越 真 著、山と渓谷社、2001年1月。 [C] 北から、仙丈岳(3033m)、北岳(3192m)、間ノ岳(3189m)、農鳥岳(3051m)、塩見岳(3047m)、悪沢岳(3146m)、荒川岳(中岳:3084m)、赤石岳(3120m)、聖岳(3013m)と9座ある。ちなみに日本の3000m峰は、富士山を除くと南と北アルプスに偏在する。中央アルプスには3000mを超える峰はない。 [D] 静岡市井川の奥にある、登山及び林業の中心基地。がある。畑薙ダムまで車かバスで向かい、其処からは林道を歩くか、東海フォレスト(株)のリムジンバスを利用して辿り着く。なお、リムジンバスの利用は、椹島ロッヂの宿泊者に限られる。 大井川一帯はその多くが東海パルプ(株)(現地の管理は、東海フォレスト(株))の社有地となっており、東海フォレストは南アルプス中部の13の小屋(避難小屋を含む)を管理している。 その昔、冬山登山でこの方面より北に入山する際には、10kmほど北方の二軒小屋から入山した。二軒小屋には、東の早川発電所から転付峠(でんつくとうげ)越えが必要だった。何れにせよ入山までまる2日必要だった。今から思うと昔日の感がある。 [E] 東岳とも言い、荒川三山の主峰である。標高は3143mで、中岳(3083.2m)と共に、南アルプス3000m峰の2つを占める。 |
[F] むしろ、焦っては再度失敗します。しかしこの時は、必至の思いでガレ場を登り、前岳まで登り返したのが、鮮やかに記憶に残っています。 [G] 小屋の隅で夕食を作っていると、声を掛ける人がいた。 「もう来られたのですか?」、「???」 実は大学の後輩が荒川小屋に突き上げる沢(奥西河内)で遭難(滝の突破時に滑落し、前腕骨骨折と腰部打撲)していたのでした。昨夜、救援を求めてリーダーが小屋に来た由。私のザックに書いてあった「医大山岳部」の記載を見て、救援隊と勘違いしたのでした。 現実には、その夜、再度、リーダーが小屋まで来て、我々と合流。摩訶不思議な邂逅に吃驚。翌日、リーダーと偵察に降りて遭難者の安全と救出路の確認。 翌々日に到着した救助隊と合同で、事故者を無事に搬出した。その後、我々は行程を短縮し、残りの縦走に向かった。 この話にはさらに偶然が重なる。この後輩はその後山岳部を辞めたが、偶然にも出張先の病院で1年間一緒に仕事をした。 [H] 間違いに気づいてコルまで戻った際に確認した。 [I] 山稜の左右で傾斜が著しく異なる稜線を言う。一般的に隆起、断層で出来上がった山脈に見られる。火山では富士山のように対称になる。北アルプスの後立山連峰の山々、殊に白馬岳が有名である。 [J]ここは近江(滋賀県)から伊勢に向かう古の街道であり、峠からは伊勢湾が望めます。 [K] すなわち、東から西に縦走路を進む時に屈曲点の標識に気づかないと、通り過ぎて自然と尾根筋を進んでしまう。 [L] その後再度藤原岳を訪れた(2000年9月22日)が、あの迷い尾根の分岐もしっかりと確認できた。この時には(水害のためか?)伊勢谷の登山道は寸断されていた。 [M] 自己弁護するわけではないが、文献にも「県境の主尾根をずっと歩くかと思いきや、しばらくすると尾根から外れて下りの登山道に入る。この登山道がなかなかの急勾配で...」とあり、この急傾斜を降りたくないとの心理も働くのだろう。 |