ネパール、メラピークの旅-その5
2003年10月5〜26日      同行者:TH,NM
記録 ルクラでの一大事のみならず、此処コーテでも一波乱が予想されそうです。不逞の輩が待ち構えており、トレッカー達には緊迫した状況のようです。果たしてこのまま無事にBC迄到達できるのでしょうか?
2003/10/12(日) DAY 08
5:00起床6:30朝食8:20出発11:00 3880m(A氏らと会う)昼食14:00タンナ着〜17:00仮眠18:30夕食(ポーター5人帰る)20:30就寝

いつものように暗いうちから目が醒める。
というのも、未明から用足しに頻回に通う必要があったのだ。
しかし段々体が慣れて来たのか?物(ブツ)もかなり形になって来ている。
それにしても鼻詰まりの苦しいこと。
アレルギー性鼻炎の悪化に乾燥した空気が作用して、鼻粘膜の浮腫、炎症が取れない。点鼻剤は鼻詰まりには有効だが、如何しても乾燥する。
悪循環の繰り返しだ。(これについては、漸く帰りに有効な対処方法を編み出した)

ラクパさんらを始めとするスタッフもてきぱきと働いているが、どうも様子がおかしい。何者かが接触してきた。彼の顔に緊張の色が見て取れる。朝食時に彼が言う。「マオイスト達が、朝出発前にあの小屋に寄るように言っている。一人1000Rs(1000ルピー、日本円で約1600円)寄付するよう指示された」どうも下手に反抗するのは得策で無いようです。無意味に刺激すると、暴力に訴える可能性もある由。腹が立ちますが、此処は我慢のしどころ。ラクパさんが呼ばれた時にも、服の下に拳銃らしき膨らみを見せていたようです。

朝食も済ませ、いよいよ出発です。しかし、否応無く彼らのバッティに立ち寄らざるを得ません。彼らは登山者を一通り、中に招き入れます。そこでは、昔何処かで見たような光景が展開します。そうです!「(中国共産党の)長征の記録フィルム」そのものです。(個人の)バッティの土間を我が物のように支配し、テーブルの前に倣岸な姿勢で座っています。指導者らしき男が演説を始めます。勿論、言葉はわかりませんが、我々の運動を理解して我々の運動資金を寄付して欲しいとのアジテーションでしょう。言葉遣いはあくまでもソフトです!?
結局1000Rs巻き上げられましたが、協力に感謝とばかり、笑顔で握手を求められたのには参りました。こちらも作り笑顔を返します。

「クソ!覚えておけよ!」はらわたは煮えくり返りますが、如何にも仕方がありません。聞くと、2000Rsという他の隊もあり(欧米人は金持ちと見られている?)、ポーターからも100Rsほど巻き上げたようです。一応毛沢東主義を騙っていますが、彼らの本質は山賊以外の何者でもありません。
嫌な思いは忘れるに限ります。此処は外国です。金で片がつくなら仕方のないことです。命が無事なならば、それはそれで旅が続けられます。

川に沿ってゴロゴロの川原に付けられた道を遡ります。両側の崩れた崖は50mくらいあるでしょう。やがて崖を登って草原の道になります。晴天の中、両側の山々は雪を頂いて聳えています。トリカルカからもそうでしたが、昨夜の宿泊地からでも大勢の登山者が行き交いあいます。

今夜の幕営地のタンナに向かう途中、昼食前の休憩地で偶然にも、(我々の前にメラピークに挑戦していると聞いていた)大阪の某山岳会のAさんらに出会いました。

話を聞くと、奥さんの運動時の息切れが強く、脈拍も100を切らない由。明らかな高度障害です。彼女の場合、BCでの高度順応は不可能と、彼が判断した様です。止む無く下降して来たと言いますが、その顔には悲壮感も無く、さばさばしたものでした。(もう1名のメンバーは、登頂を目指してBCに留まっている由。)
彼らの賢明な判断は大いに参考にすべきものでしょう。高山病の対処の鉄則は、その高度に留まるか、あるいは直ちに高度を下げるかです。

タンナに着いたのは14:00。ここからは眼前に高峰が見渡せます。メラピーク北峰の西端のピーク(6249m)やキャシャ-ル(6770m)それにあのSさん達が昨年登ったクスムカングル(6367m)などの峻峰が迫力で迫ります。タンナからの標高差は2500mほどですが、途中から急傾斜になっているのでそれだけの標高差が感じられないのですが、翌日クスムカングルBC迄登ってその意味が良くわかりました。

今日で一部のポーター達は帰路に着きます。タンナからBC迄1日の行程なので、当初のポーター全員は必要ないのです。

女の子2人とやや力不足の3人が解雇されました。別れを惜しんで餞別をあげようと思いますが、マオイストに巻き上げられたのでルピーがありません。仕方なく1人20Rsという寂しい餞別となりました。幸いにも体は段々慣れて来たのか、パルスオキシメーではSpO2も88、PRも78と落ち着いています。地形も開けており、周りの山々も素晴らしい眺望です。初めてほっとした気分になりました。

今夜の夕食はバッティで摂ります。といっても、作るのはやはりコックとキッチンボーイですが、食事テントを建てないでバッティのテーブルを利用させてもらうのです。バッティが多い時は、この方が手間が要りません。出発や到着も手間が省けると言うものです。まあ色々なことがあった1日でしたが、明日は此処に留まって、クスムカングルBC迄のハイキングです。ゆったり出来るので楽しみです。

タンナにて


マオイスト御用達(?)のコーテのバッティ

谷筋の道をさらに奥に進む

Aさんらと邂逅

山が大きく迫る

タンナ手前で昼食

タンナのバッティ-鮮やかな色だ

キャシャール?

2003/10/13(月) DAY 09 休養日-クスムカングルBCハイキング

6:25起床7:00朝食9:00出発11:00クスムカングルBC-11:20出発
12:30タンナ着、昼食〜17:00仮眠18:30夕食20:20就寝

クスムカングルBC前にて休憩-ラクパ

クスムカングルBCで-左アンプリ右ラクパ

タンナの子供達

クスムカングルBCより上方を見上げる

今日は休養日で1日ゆったりと休む予定だったが、MさんがどうしてもクスムカングルBCまで行きたいと言う。

クスムカングルBCはタンナの裏手になり、恰好の高度順応をかねた散歩だ。
「標高差は500m位しかない!」と思っていたが、これがなかなか急坂なのです。
ゴロゴロの斜面を登りますが、そこはあくまでも標高4500m以上なのです。
息が切れます。
それでも標高を稼ぐ度に、メラピークの北方の山々の視界が広がります。

下から見る以上に山容は大きい!大きすぎる!と感動します。あそこまで行けば(山頂まで)もう少しだろうと思っていると、そこよりの距離に驚かされます。
目の錯覚と言えばそれまでなのでしょうが、海外の山では本当に注意する必要があります。
ペースを見誤りますと、高山病、疲労によるビバークや転落の危険が増します。

BC自体ははかなりの広さのある平地で、大小取り混ぜた岩で埋まっています。真ん中には窪地があり、雪解け水が貯まっています。小さなカール地形そのものです。下から見上げるとBCから頂上まで比較的近いように見えましたが、此処に着いてみるとその凄さがひしひしと感じられます。
稜線までは狭くて急な、雪の詰まったクーロアール(、溝状の谷)で、その上部はヒマラヤヒダの急峻な雪壁です。

昨年Sさん、Mさんが登った報告も聞きましたが、実際に眺めてみると、彼らの苦労が実感されました。


我々の夕食後、フランスの団体の夕食でバッティは慌しくなります。
隅で寛いでいますと、各国より来た登山者達で部屋内はいろんな言葉が駆け巡ります。
オーストラリヤから出て世界各国を回っている単独行者とも話しました。彼はメラピークからの帰りの由。
一昨日登頂した由。
BCからは積雪が多く、アタック時には大腿までのラッセルもあったが、最後は雪が締まって快適だったと申しました。その他には誰も登頂出来なかっただろうと言います。

感心して聞いていると、ラクパさんが聞いた話では一昨日は誰も登頂出来なかった由。
何が真実か?不明なのは何処でも同じことのようです。結局信じられるのは、自分のみでしょうか?適当な時期を見てテントに戻りました。
2003/10/14(火) DAY 10-BC(カーレ)へ
6:00起床7:00朝食9:00出発12:10BC(カーレ:5000m)、昼食〜17:00仮眠18:00夕食20:00就寝
昨夜は結構遅くまでバッティで話していたので、今日は些かお疲れだ。
鼻は相変わらず調子が悪い。それでも、いよいよBCに向かうか!と思うと、感激だ。
景色も盛大の変化を見せて、歓迎してくれる。
左にキャシャ-ル(6770m)から凄まじい傾斜でなだれ落ちている氷河を見て、先ずはモレーンへの登りだ。

谷筋の斜面をトラバース気味に高度を上げてゆく。ここまで来るとBCが近いためか、上り下りの人たちも大勢になり、追い越されたり追い越したり、行き違いに忙しい。

各国の色々な登山者(殆どが白人である)やポータ達を見ていると、本当に飽きない。

モレーンの上は広大な平坦地となっており、此処がBCかと思ったが、ラクパさんは非情にももっと上の高みの建物群を示す。又ひと頑張りせねば着けない。

Mさんは調子が良いのか、自分のペースで行くと言って先に出かけた。
遅いペースだと如何しても調子を崩すのだろう。
私はチャトラ峠の反省から、あえてゆっくりと登ると決めた。
初心貫徹だ。

漸くBCの全容が見えてきたが、驚くことになんと多くの建物やテントがあることか!
夏の穂高の涸沢や立山雷鳥沢のテント村など、驚くに値しない。

もっと吃驚するのは、此処には涸沢や雷鳥沢にあるような、立派なトイレが無いことだ。
バッティの裏や方々の岩の裏にも乾いたが放置されている。
基本的にはトイレテントを設置し、土に穴を掘って済ますのだが、何処でもそうは行かないのがこの世の習いだ。

ともかくも何とかベースに到着した。ここは標高5000m!
空気が薄いのが実感できる。

行動はゆっくりが基本である。
口渇を感じる前に十分な飲水を!などと高山病予防の鉄則が頭を過ぎる。くれぐれもチャトラ峠の轍は踏むまいと心に言い聞かせる。(と言っても仕方ないのであるが)

それでも、明日は高度順応を兼ねてメラ・ラー(メラ峠)まで偵察行だが、明後日は本当の休養日だ。

クスムカングルBCよりタンナ、メラピークBC方面

カーレ(メラピークBC)

メラ・ウエストからの断崖と氷河湖
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