ネパール、メラピークの旅-その4.1
2003年10月5〜26日      同行者:TH,NM
記録 ルクラでは大変な出来事が待ち構えており、隊長はそちらに掛かりきりにならざるをえなくなりました。我々は1日待機した後、2人だけで出発する羽目に陥りました。さあどうなることやら、行く末が案じられますが、此処は前に進む以外なし!
2003/10/8(水) DAY 04
5:30起床8:00隊長、出発(ヘリ)10:00偵察トレッキング、出発12:00ホテル帰着、昼食15:30 昼寝18:00夕食20:00就寝

 昨夜のうちに今日の予定は決まっていた。隊長は衛星電話で(日本を中継して)チョラツェBCのMさんと連絡を取り合い、「隊長はヘリで現地に向かい、我々はもう1日ルクラで待機するが、明後日になればラクパ・シェルパと先行する。あらかた片付けば、(我々の)後を追う」との指令だった。
 朝方から飛行機やヘリの音が谷間に響く。KTMよりの定期便の合間を縫うように、チャーターしたヘリが着陸する。主要装備を持った隊長が乗り込む。我々は崖の上から見送るしかない。
やがてローターがけたたましく回転を上げたかと思うとスーッと離陸し、慌しく機首を北に向け飛び去っていった。
 かくなる上はSさんの無事を祈るのみだが、隊長の話では登攀中の岩場の自然崩壊で転落した由。多発性骨折も合併しているようなので、かなり危険な状態だ。救助はスピードが大事だろう。

 ぶらぶらしていても仕方がないので、Mさんと気晴らしにトレッキングルートの偵察と称して出かける。12時までに帰るとラクパ・シェルパに告げて軽装で出発した。
 天候は生憎の曇空だ。
ホテル街(といっても数軒しかないのだが)を抜けてすぐに軍隊の陣地がある。土嚢が詰まれ銃眼も設えてあるが、若い兵士には余り緊張感はない。「ナマステ」と挨拶すると、笑顔で「どうぞ」と先を示される。しかし身近に小銃を見ると流石に緊張する。
 
 道は昔の日本の田舎の畦道といった風情である。広告の類が一切ないのが、此処がネパールであると物語っている。道端に所々粗末な小屋がある。 我々が近づくと、直ぐに子供が寄ってくる。皆それなりにこぎれいな服を着ている。身振り手振りで何か要求しているようだが、分からない。どうもキャンデーか?生憎と我々は持ち合わせもないし、無批判的に与えるのも良くない。仕方ないので(?)写真だけしっかり撮らせてもらう。本当に子供らしい(!?)子供達だ。

ホテルのベッド(寝袋使用して眠る)

ルクラ郊外の集落の少年

三姉妹?
2003/10/9(木) DAY 05 朝から雨
5:00起床7:00朝食9:20出発12:20チュタンガ(3270m)、昼食〜17:00仮眠18:30夕食20:20就寝

いよいよ今日は出発だ。
ラクパ・シェルパと義弟のアンプリ、それに我々2人の4人は、後ろ髪を引かれながら傘を差してのトレッキング開始だ。
ポーターたちは既に出発している。生憎の雨が降っている。
まさしく涙雨がふさわしい?
これでは5000mのSさんの身が案じられる。
行く先の峠には雪も付いているではないか。

2時間ほどは昨日の偵察の道だが、そこから谷を3箇所ほど越え、今夜の宿のチュタンガに到着した。少し平地になっているが、周りの木々は伐採され、3軒ほどの粗末なバッティ(小屋)が建てられている。畑や家畜の牧場も小さいながら作られている。実感した。此処はリゾート地ではなく、生活の場なんだ!ラクパさん達は早速テントを建てだす。

雨で地面が濡れているのでテント設営も大変だ。それでも食堂とトイレを含めて6つのテントは忽ちの内に出来上がった。近くを探検するとマツムシソウに似た花が群生していた。心の休まる一瞬だった。

今日は我々以外に他のテント宿泊者は居ないようだが、バッティの泊り客が居るようだ。
直ぐ上のバッティで2人の金髪女性が居るので、早速出かけて話をする。こんな時は積極的に行動するに限る。
2人ともアメリカ人で、コロラド州のデンバーから来た由。我々と同じメラピークを目指し、その後はアマラプツァ(メラ・ラーの北方、エベレストの南)より更に本命の山を目指すという。

ガイドとポーター2人のみで、自分らの荷物は自分らで担ぐという。なんとも逞しいお嬢さん方であったが、彼ら欧米の登山者やトレッカーはあれが普通のパターンらしい。何れにせよ欧米人と日本人の考え方、体力、高度順応度の差を垣間見た気がした。

彼女らとはBCの途中まで前後して道中を共にしたが、流石に旅慣れてるらしく、色々とアドバイスしてくれた。
私も彼女らの頑張りに大いに触発され、Sさんの件で沈みがちになる気持ちを奮い立たせてくれた。

ラクパ.シェルパ(右)とMさん(左)
雨のためバッティで休憩

マツムシソウもどき?
2003/10/10(金) DAY 06
5:35起床6:30朝食7:30出発11:20チェトラ峠*(1:4415m)12:25チェトラ峠(2:4600m)13:10チェトラ\(4100m)昼食〜16:30仮眠17:30夕食19:00就寝*ザトワール峠とも読むらしい。\トリカルカとも言うらしい。

途中のバッティにて

峠から望む鋭峰

日は峠越え(4600m)の日だ。昨日の天気とは打って変わって良い天気だと言いたいが、曇空で薄霧も立ち込めている。稜線はうっすらと雪化粧だ。山肌は紅葉し、雰囲気は丁度北アルプス穂高岳涸沢の様だが、当然ながら標高も1000m以上高いし、スケールも数倍だ。

最初は石楠花を始めとする樹林帯ですが、直ぐに矮小な植生帯となります。霧が流れ、壮大な岩壁や滑床の滝が見えます。スケールの大きさに圧倒されます。登山路は急で、ぐんぐん高度を上げます。やがてカールの底のような地点に達した。カカテンと言う地名らしい。数軒のバッティがあり、見下ろすとチュタンガは随分と下に見える。上り下りの人も大勢である。

ここで少しチャイ(お茶)などを飲んで休む。ミルク入りの紅茶だ。チュタンガを出発する際に魔法瓶にお湯を詰めておけば良かったのですが(昨年の経験から、もっと頻繁にバッティがあるとMさんも思っていた!)、お互いに調子が良いので、つい高所での水分補給の鉄則を忘れてしまいました。

峠には更に急な登りが待っています。道は砂礫の九十九折れです。天気も回復して来、遠方の眺望も良くなりました。少し調子に乗りすぎたのでしょう。二人でバカ話などしながら(恐らくはかなりのハイペースで)登ると、タルチョの張り巡らされた峠に到着しました。標高は高度計で4415mと出ていますが、地図上は4500mです。

ネパールの地図に示された標高と実際の標高との間にはどうもかなりの乖離があるのがは常識(隊長 談)なのには吃驚しました。又地名、等高線や尾根、谷の表示も100%信じれない思いを強くしました。

ともかくも此処で大休止です。峠の直ぐ下にバッティがあります。此処からはもう一つの峠(大峠:4610m)に向けて4500m台のトラバースで、標高差は殆どなく楽な行程(の筈)です。

天候は晴れになり、春の山のような陽気です。
雲海の上に雪を被った山も遠くに見えます。雲上の散歩道のような行程に、足もはかどります。大峠を過ぎて急な坂を下ると、カールの底のような「トリカルカ」に到着しました。

ここは夏場は牧場(カルカは牧場の意味)のようです。
少なくなったと言っても、まだゾッキョが放牧されています。
子供のゾッキョもいました。到着後は見るもの全てが目新しく、写真を撮ったり、辺りのテントやバッティを見回ったりしましたが、夕食前から激しい頭痛に見舞われだしました。

どうも高山病のようです。ペースが些か速すぎたのと、水分の摂り方が少なすぎたようです。Mさんはけろりとしています。何だこの差は?!

幸いにも食欲は無くならなかったので、夕食後は少し体調を整える為、皆さんと談笑していましたが、耐え切れずダイアモックスを服用して床に就きました。明日はどうなる事やら?

米国人の2人連れ

テント場


トリカルカにて(筆者)

2003/10/11(土) DAY 07

5:45起床6:30朝食7:30出発10:00昼食11:15〜14:00コーテ(4200m)〜17:00仮眠18:3夕食20:00就寝

行く先の雪の峰

紅葉の稜線

谷筋の小屋前で休憩

コーテのバッティ

夜明けのトリカルカ

昨夜はテント周りでゾッキョの鳴き声や、テントに体を擦り付けるような物音も聞かれた。朝目覚めると、昨夜の頭痛は嘘のように無くなっている!「やったー」とばかり感激する。薬の助けを借りたとしても、この高度での順応が獲得できたのだ!

シュラフにもぐりながらテントの外を眺めます。今日は好天のようです。次第に空が明るくなり、周りがハッキリしてきます。心に余裕があると心なしか、雲海の写真を撮っている人影も芸術的に見えるものです。理知的といってもやはり、人間は感情の動物でしょうか?何はともあれハッピーだ。ラクパさんに聞かれても「That’s all right」と、余裕で返事が返せる。

今夜の宿までは下るのみです。テントを撤収しているのを横に見て、さあ出発です。途中大岩のあるバッティで昼食を済ませました。此処からも樹林帯の下りが続きます。うんざりする頃に、「コーテ」に到着ました。下りと言っても行程が長いので、到着時間は予定通りの14:00でした。

川沿いに多くのバッティが集まっています。遠くには雪を被った高峰も見えています。直ぐ横には大きな滝が掛かっています。平和そのもののようなこの場所で、なんとも怪しい噂を耳にしました。
ラクパさんの言うには、どうもマオイスト(毛沢東主義を標榜する反政府主義者)が入り込んでいるようです。やあ!これはどうなる事やら?困ったものです。

高山病を克服し、体調もまあまあなのですが、アレルギー性鼻炎が悪化しており、点鼻薬が手放せません。鼻をかむと血が出ます。息がママならぬのは、苦しいものです。

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