ネパール、メラピークの旅-その4 | |
同行者:TH,NM | |
記録 | |
10月6日: 6:00起床8:30朝食10:00出発ー11:00スウン・ヤン・ブナン(Monkey mountain)13:00昼食、旧王宮巡り15:00 Iceland Trek(現地エージェント)18:00ホテル19:00夕食20:00就寝 |
もう暫くカトマンズにいます。午後は旧王宮を見て回りました。世界歴史遺産に指定された大規模な木造建築が軒を並べています。その中には、一見ホワイトハウス様の大理石建築もありました。歴代の王様の中にも珍しがりやが居たのでしょう。 |
ターメル地域が外国人向けの土産物屋やレストラン、ゲストハウス(ホテルより安い、いわゆる民宿である)の密集する、猥雑なエネルギーが密集している場所だ、と書きましたが、その前に寄った旧王宮地域もなかなかのものでした。 |
歴史的町並みー彫刻が素晴らしい |
10月7日 |
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今日は早起きだ。それもそのはず、ルクラへは朝方しか飛行機が飛ばない、というのだから。何故ならば行ってみると実感するが、ルクラ空港は狭い切り立った渓谷の上の僅かばかりの平坦地に作られた猫の額のような滑走路(それも傾斜している!)である。昼過ぎになると霧が出てきて有視界飛行の小型機では離着陸が不可能になるかららしい。実際のところ、我々は帰路で酷い目に遭うこととなった。 ラクパ・シェルパがタクシーでホテルに迎えに来てくれて、一同(4名)それに便乗して空港に向かう。辺りはまだ暗い。車は見覚えのある空港建物に近づくが、いきなり反対方向に向かう。 標識には「domestic(国内線)」との表示がある。H隊長の言うには、此処が以前の「国際線」のターミナルビルだった由。今の国際線のターミナルビルも決して立派とは言えないが、この国内線の建物は何だ!驚きあきれて物が言えない。おまけに飛行機も小型のみすぼらしいものだ。決して簡単といえない搭乗手続きを済ませ (セキュリティ・チェックが厳しい)、バスで駐機場まで移動して機内に乗り込む。 |
カトマンズ空港の国内線 搭乗前 |
遥か高峰を望む 眼下の集落 |
隊長が機の左側の席に座るよう指示する。この理由は直ぐに判る。20人ばかりの乗客が乗りこむと、次は荷物の積み込みだ。あらゆるスペースに詰め込む。次いでスチュワーデスがお盆に綿花と飴を持って座席を回る。他の乗客と同様に数個ずつ摘み上げる。綿花は耳に詰めて防音目的に使うのだと初めて知った。飴は耳管を開いて、耳詰まりを直す為と知って、納得がいった。カトマンズの市街が眼下に広がる。上から見るとあの埃っぽさや排気ガスの印象は消え去り、カラフルで綺麗な建物が続く。 やがて次第に山岳地帯の上を飛んで行くが、恐ろしいほどの高みに集落がぽっんぽっんと見られる。隊長に聞くと、全て人力で水を汲み上げるそうな。その役割は子供だという。降雨量の少ないあんな場所に作物が青々と茂っているのも道理で、これで納得がいった。 |
間もなく左手に雪を頂いた高峰が見えてきた。これで隊長の指示が理解出来た。峰々は延々と続き、やがて黒々としたエベレストの南壁が少し見えたと思う頃、機首を右に振ると共に高度をぐんぐん下げ、航空母艦の甲板のようなルクラ空港に着陸した。 空港周囲には軍隊(陸軍)も駐留し、空港駐機所の壁の上に近づくと、直ぐに笛で警告が出ます。もっとも外国人には大目に見ているきらいがあります。 宿に寛ぐと、昼食です。朝早かったので食欲も進みます。この辺りまでは完全に西洋風の(パンとスープやオムレツなど)の食事です。やはりビールで乾杯です。 |
ヒマラヤの山々 ルクラ空港 ルクラの町並 |
建物の柱、屋根は木造で、スレート様の石で壁が作られています。内装は木で、ニスが塗られ美しい木目模様が見事です。基本的にはホテル、ロッジなどを経営するネパール人は裕福で、此処の奥さんも豊満な肉体です。 昼食を十分に頂き、満足しました。隊長の衛星電話で、日本の妻に連絡しました。クリヤーな音声で、違和感は余りありません。無事到着した、と告げました。 この後、太陽電池パネルを拡げ、衛星電話をコンピューターに接続してE-mailの受信に掛かります。生憎の薄曇でバッテリーの容量が不足気味なのでしょうか?とても時間が掛かります。もっとも、衛星電話自体が256Kくらいの転送スピードなので、電話線でADSL接続を利用し慣れていると遅く感じるのは仕方がありませんが… 漸く接続し、メールが次々と出てきました。余りの数の多さに途中で止めようかと思った時、お互いの視線が釘付けになりました。隊長の奥さんからの緊急の連絡でした。 なんと我々より先に出発し、エベレスト街道途中のチョラツェ峰(6440m)登頂を目指していたパーティの、Sさんに事故があったとの知らせでした。Sさんは隊長の無二の親友で、家族同然の付き合いだった人でした。 |
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