ネパール、メラピークの旅-その2
2003年10月5〜26日      同行者:TH,NM
記録
10月5日:

9:30関空到着13:45出発ー15:00上海(現地時間:日本時間は16:00)17:0019:15カトマンズ(現地時間:日本時間は22:30)H隊長と合流―「サンセットビューホテル」へ−歓談の後、23:00就寝

 ようやくネパールトレッキング、登山に出発です。此処でトレッキング日の代表的な行動をお示しします。
  
 まず起床時間(大体6時頃)になると、キッチンボーイが各自のテントを訪ねて来ます。
 モーニングコーヒー(蓋付きのマグカップに入れてある)サービスで、起床時間を知らせにくるのです。その頃には大体起きていますので、これを機会に寝袋から出ます。次に金たらいにタトパニ(ネパール語:「熱い水」即ち「お湯」)を持ってきます。
 これで顔を洗い、(私はしなかったが)体を拭きます。食事前に荷物を整理しダッフルバッグに詰めます。食後にバッグをテントから出すと、「テントを畳んで下さい」のメッセージとなります。

 

昼食時にはシートを広げて、朝、晩と同様な食事が出てきます。大体、3品で作るのに小1時間はかかります。日本の登山のように行動食で簡単に済ませてしまう、と言う訳には行かないようです。食事が出来るまで、のんびりと待ちます。高度順応の面からも(?)、全ての行動はゆっくりが良いのかもしれません。日本人なら些かイライラしますが、此処はネパール!ビスターリ、ビスターリ(ネパール語:ゆっくり、ゆっくり)が大事ですネ。

 乗り継ぎが順調に行き、集合時間の1時間も前に到着してしまった。Mさんが定刻に到着する前に、「機体の都合がつかないので出発は1時間遅れる」とのアナウンスあり。
 出発後直ぐに機内食(昼食)が出る。ネパール料理かと思いのほか、関空で作った料理なので特に問題ないメニューだ。スチュワーデスは民族衣装でサービスしてくれる。浅黒い肌で、目が大きい。どの人もふっくらしていると言えば聞こえはよいが、実のところなかなかボリュウムがあり逞しい。日本の同業者とは明らかに異なる。(この思いは現地に到着してみると信念に変わった。ネパールでは、昔の日本もそうであったように、肥満は富の象徴であるのだ。山の中の人は痩せている。)
 
 トランジットで降りた上海の空港は、一昨年の北京空港に勝るとも劣らぬほどの立派な空港ビルを持っている。ここの待合室までの無意味な徒歩移動で1時間が過ぎた。
  再度飛行機に乗り込むと、叉直ぐに夕食の番だ。窓外の雲海の景色が次第に夕焼けとなり、そのうちに月が出てきた。残念ながらヒマラヤの高峰の姿は見えない。そうこうする内に飛行機が高度を下げ、窓の外に家々の明かりが見えると、カトマンズ空港に到着しました。
ロイヤルネパール航空の機窓より月を見る

飛行機から降りて最初にしなければならないこと!それは走ることです。 ビザを現地で取得する為、入国管理で並ばねばならないのです。気が付くと我々の後には、長い行列が出来ています。パスポート、30ドルと写真1枚を差し出すと、ビザは簡単に発行されます。しかしその後がなかなかです。非効率的な入国審査や預けた荷物が出てくるのを待ったり、結構時間が掛かります。結局久しぶりにH隊長と合流できたのは、1時間30分近く後でした。 


ホテルで夕食を摂りながら歓談

ホテルより眺めたカトマンズの町並み(北側)

まあ何はともあれタクシーに乗り込み、空港外で待っている(祭りの為、航空券をもたないネパール人の空港敷地内への立ち入りは禁止されていた)ラクパ.シェルパも乗せてホテルへと向かいました。
 久しぶりに隊長、ラクパ.シェルパと再会したのと(Mさんは昨年H隊長、Sさんとラクパさんの3人でアイランドピークに登頂していた。)なんとか辿り着いた喜びで、その夜は遅くまでビールで乾杯しました。

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