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 子鹿が目を覚まし、か細く鋭い悲鳴をあげてもがいた次の瞬間、 返しのついた矢尻は無事、ラケルの手の中に収まっていました。
「よしよし、よくがんばったね。もう、大丈夫だよ」
 ラケルは、矢を放り捨てて、汚れていない手の甲で子鹿の頭をなでてやりました。 そして手を洗い、傷口を消毒しながら、
「…人間は、どうしてこんなことをするんだろう?」
 ラケルは悲しげに、そして腹立たしげに尋ねました。

 ドーソンは、子鹿を押さえたまま、悲しげに低くうなりました。
「むう…。色々だ…。人間にも色々いて、色々な理由で動物をとるが…」
 ドーソンは、捨てられた矢に目をやりました。

「生きるために…肉と毛皮のために、狩をするものもいる…。だが、これは、 彼等の仕業ではないな。
人間の狩人も、森の牙持つ狩人達と同じく、不必要に他の生き物を苦しめたりしない。 この季節に、こんな子鹿を狙ったりもしないはずだ。
畑を荒らされるからと、森の獣をとるものもいるが…。彼等でもないな。
彼等は普通、畑に罠を仕掛ける。弓矢は使わない…いや、使えないはずだ。
…これは、金目当ての密猟者か、楽しみに森に入って、道楽で狩をする、貴族の連中か…
この矢羽からみるに、おそらく貴族のしわざであろうな」

 ドーソンは、やるせなく頭を振りました。
「…だが、一方で、貴族連中は自然の森を守ったり、密猟を取り締まったりもする…。 自分が狩をしたいがため、ではあるが、それでも森が助かることに変わりはない…」

「だからって! こんな、ひどい…!」
 ラケルが声を荒げました。
「ああ。許せることじゃない。やめさせたがっている人間も、少なくはないのだが…」
 ドーソンは答えて、目を伏せました。
「だが、今の俺にはこの位のことしかできん…」
 そして、片手を伸ばし、子鹿の傷口に触れないぎりぎりのところに、 そっと手のひらをかざしました。

我が呼び声に応えたまえ
あらゆる命にやどる、優しき神秘の乙女よ
ここに伏せる、この小さき命に宿る、命の泉の番人よ
汝の力、汝の祈りもて、このこぼたれし、小さき泉の器を補いたまえ


 「乙女の祈り」の呪文と共に、柔らかな緑色のかすかな光が、 ドーソンの手のひらから鹿の傷口へと流れました。
 傷口は完全にふさがりはしませんでしたが、出血が止まりました。 子鹿は、明らかに楽になったようでした。力強く跳ね上がり、 ドーソンの手を払いのけて立ち上がりました。
「ラケル、後は頼む。人間の俺には、鹿に宿る『命の精霊』に呼びかける力は弱くてな。 この程度がやっとだ…」
 ドーソンは、額ににじむ汗をぬぐいながら言いました。
 ラケルは黙ってうなづくと、 子鹿に、自分に背中を向けて動かないようにと言い聞かせました。

 傷口の処置が終わると、子鹿は二人の周りを嬉しそうに一度ぐるりと跳ねて回ってから、 小屋を取り巻く茂みの中に姿を消しました。
 茂みががさがさと大きく揺れた後、突然、小鹿の母親らしい若い雌鹿がすっと 首を出しました。
 雌鹿は、感謝の気持ちを表すように、二人に向けて耳を伏せ、 首を振ったあと、また茂みの中に消えました。

「元気で…またね」
 ラケルは、鹿達の消えた繁みに声をかけました。 それから、ポツリと付け加えるように、
「ドーソン、ありがとう」

「なに、礼には及ばない…」
 さりげなくポーズを決めてそう言いかけて…ドーソンは突然、
「…うぐう…こりゃ、痛い…」
 情けないうなり声をあげました。
「ラケル…薬箱をしまう前に、こいつもなんとかしてくれんか」
 そう言って突き出したドーソンの利き手の甲には、大きなとげが刺さっていました。
「今、気が付いた。戸を叩いたときに、刺さってしまったようだ。
…なるべく、痛くないように頼む…」

 ラケルは、おかしそうに肩をひくひくふるわせながら、 薬箱から大きな毛抜きを取り出しました。


 ラケル8月の挨拶イベントより。

ついでに、シナリオ「心の病」内で、傷ついた動物達に治癒魔法を使わず、 人間用の薬も使わないで、専用の薬草を探す理由を、私なりに考えてみた結果も 入れてみました。
…とは言え、「普通、傷薬は人間用を使っても問題ないんだけどなぁ。 動物園の獣医だって、人間用の薬を動物に応用しているらしいし」 と思わずにいられませんが。 (こんな理屈っぽいことばかり書くから、長ったらしくなるのです…)

ドーソンの精霊使いの呪文を考えるのは、毎度密かに楽しみだったりします。 が、「乙女の祈り」は難産でした。意地でも「精霊使いの」呪文にしないといけないし。

に、しても、怪我をした子鹿…後で肉食獣の格好の獲物になってしまいそうで、後が心配です。



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