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ものみな「あい」にはじまる


 それは、ずっと昔…まだ僕が、コロナの名すら知らなかった頃のことだ。


 薄暗い洞窟の、狭い隅に追い詰められ、すすけた岩の壁を背にして、僕は必死に剣を振るい続けていた。
 周りは、あの意地汚い小鬼族…ゴブリンどもに囲まれてしまっていた。しかし、今のところは、まだ、 僕も余裕をもって戦えていた。今のところは…だが。
 ゴブリンどもは血走った目で、めちゃくちゃに打ちかかってくる。 ヤケクソの勢いはあったが、落ち着いて防戦すればさほど恐ろしくはなかった。 それに、今いるこの隅は、守るには有利な場所だった。 狭くて、小柄なゴブリンでも一度に二人までしかかかってこられないのだ。
 すでに、奴等の一人が自分の流した血の池に倒れ、一人が急所に、二人が手や足に負傷して戦線から脱落していた。
 だが、それでもゴブリンどもは引こうとはしない。
 奴等の後ろには生臭い息を吐く大きな影…人食い鬼・オーガーがいて、巨大な棍棒を振り回しながら、 ゴブリンどもを脅し、けしかけていたからだ。
 ゴブリンどもの頭越しに、オーガーがよだれを流し、黄色い歯をむき出してニヤリと笑うのが見えて、 僕は胸が悪くなった。
 オーガーは、僕が手ごわい相手と見て取って、痛手を負うか疲れきるのを待っているのに違いなかった。
 無傷のゴブリンはまだ5人。かわるがわる攻めてくる。どいつもオーガーに追い立てられて死に物狂いだった。 一人では、どうにも分が悪い。


 ことの起こりは、まったくの偶然だった。
 その頃、僕はあてもなくユニコーンを探し、旅を続けていた。その日は、その地方では最大の街、 バレンシアに向かうところだった。
 そろそろ正午という頃に、人通りのまれな峠の道にさしかかった。
 急な坂を登る途中に上の平らな岩を見つけて、昼飯にしようと立ち止まったとき、 不意に前方から、鋭い悲鳴が聞こえてきた。

 重い荷物を放り出し、剣を抜いて坂を駆け登ると、道の上に人が二人うずくまっていた。
 髪の長い少女と、その弟らしい男の子だった。どちらもやせて、みすぼらしい格好をしている。

「どうした、大丈夫か?!」
 声をかけると、二人は顔を上げて叫んだ。
「姉ちゃんが!」
「ガンガが!」
 やせた顔の中で、大きく見開かれた目がおびえていた。
 少女の腕から血が流れているのを見て、僕は手早く止血を施した。
 けれど、少女はその間もずっと取り乱した様子で、
「ガンガが! ゴブリンに!」
 叫び、僕を見上げて必死に訴えた。
「お願いです! 私たちの山羊がゴブリンにさらわれてしまったんです!
私のことはいいから、どうか山羊を取り返して下さい!! 早く! まだ遠くまでは行ってないはずよ!
お願いです!! どうか、どうか!!」

「ゴブリン…? この、真昼間に?」

 信じがたい話だった…あの用心深いゴブリンが、いくら人通りが少ないといっても、 わざわざ街道まで出てきて、人を襲ったりするだろうか? それも、こんな昼間から…
 だが、あたりに無数に残された小さな足跡は、確かにゴブリンサイズのものだった。それに、すぐ傍の藪にも、 ゴブリンぐらいの二本足の生き物が大勢で踏み荒らして通った跡がはっきりと残っていた。

「そのゴブリンは、何人?」
「4匹です」

 その位なら、一人で何とかできるだろう。
 長らく旅を続けていた僕は、この姉弟のような貧しい人々にとって、一頭の山羊がどれだけ大切な財産で あり、生活に欠かせない存在であるかを知っていた。

「よし、わかった。我がレディのたてがみに誓って、君たちの山羊は、僕がきっと取り戻そう」
 いささか芝居がかった調子だったが、僕は二人を安心させようと大真面目で力強くそう宣言すると、 ゴブリンどもの踏み跡を追った。






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