夏至の夜。
僕とリュッタは、漆黒の森の泉湖の上にいた。水面に横たわる、枯れた巨木の幹に座っていたのだ。
僕は、枯れ木の枝にもたれたまま、じっと湖を見つめていた。リュッタは、うつらうつらと舟をこいでいる。
湖の水は恐ろしいほど澄んで、高く登った半月が水底にくっきりと僕の影を投げているのが、手に取るように見えた。
湖岸をびっしりと覆っている藪は、夜の生き物たちの気配に満ちて、その向こうには昼なお暗い森の梢が黒々と見えている。
夏至の夜は本当に短い。早くも、空の色が変わろうとしていた。夜明けは、すぐそこだ。
僕の中で、積み重なっていた不安が確信に変わった。
(ユニコーンは、来るまい…)
そうはっきり思ったとき、僕の内側は、うつろになった。
(今の僕には、その資格がない…)
最初にその不安を感じたのは、昨日、ここに着いたとき。
出会った一匹のかえるが、話し掛けた僕の顔を見たとたん、幽霊でも見たような様子で逃げてしまったときだった。
そして。
湖の水で、泥だらけの手を洗おうとして、両手が爪まで鉛色に変色していたことに初めて気付いたとき…
また、冷たい水の中を渡って、今いるこの木によじ登る…それだけのことに、半日かけての悪戦苦闘。
手足が本当に利かなくなっていることをはっきりと悟ったとき…
何より、その度に、リュッタが一瞬だけ、リュッタらしくもない沈痛な表情を浮かべて僕を見たことに気付いたとき…
…その不安は、どんどん大きくなっていった。
今になって、ようやく僕は、冷静に自分を見た。今更、遅いけど…。
悪鬼との戦いで、すっかり穢れきっていた体。
こんなにも心を痛めてくれているリュッタの気持ちを無視し続けた、身勝手な心。
(…こんな体と心で、ユニコーンに会えるはずなんて、なかったんだ…)
この、猛獣だらけの森を抜けて、がむしゃらに進んできたことに、意味はなかった。
目をつむると、この数日分の疲れと痛みがどっと襲ってきた。全身から力が抜けていく。
次にモンスターが出たとき…斧を持ち上げることが出来るだろうか。
もう、じっと座っていることさえ、辛くなっていた。
(…ここが、僕の旅の終着点になるのかもしれないな…)
うつろな心に、そんな思いがこだまする。
傍らで、小さくいびきをかき始めたリュッタを見やる。胸に痛みが走った。
「ごめんよ、リュッタ…僕の、ために…」
そっとつぶやいたとたん、リュッタはぱっと目を開けた。
「え? 何か言った、コリューン?」
「ああ。…僕のために、ずいぶん心配かけて、ごめん。辛い思いさせて、すまないね…って、ね…」
僕はささやき声を、そっと絞り出した。
「何言ってんだよ、コリューン。謝ることじゃないだろ? そんなことで起こさないでよ。
おいら、いよいよユニコーンが出たんだと思ったのに…がっかりじゃないか!」
いつも通りの元気で調子いいリュッタ。思わず、いつもの調子いい返事が口をついて出てきた。
「おっと、そりゃ悪かったね。…だけどさ、君の方が先に、ユニコーンを見つけるはずじゃ、なかったのかい?」
「だって、ユニコーン、遅いんだもん」
リュッタはそう言って口をとがらせ…それから、うーんと伸びをした。
「マッタク…何やってんだろ。退屈しちゃったよ。ね、コリューン、早く来るように、おいら歌で呼んでみようか?」
ユニコーンが呼べるとは思わなかったが…リュッタの歌声は聞きたかった。
「いい考えだね、頼むよ」
リュッタは張り切って歌い出した。リュッタ作詞作曲の不思議な曲が、星の消え始めた空の下、湖面を流れていく。
その声に耳を澄ましながら、僕はこっそり自分を叱りつけた。
リュッタは強い。いつ何があっても、立ち直れるだろう。どこで1人になっても、上手く乗り切るだろう。
(…でも、だからといって、これ以上リュッタに辛い思いをさせていいって言うのか、コリューン?
そんなことが、許されると思うのか?)
震える腕に力を込め、もたれていた枝から身を起こして、ふらつかないように背筋を伸ばした。
そして、明るくなってきた東の空を、真っ直ぐ見つめた。朝日は、いつだって人を元気にしてくれる。
(いいか、コリューン、倒れるんじゃないぞ。お前がリュッタをここまで連れてきたんだぞ。
しゃっきりしろ。リュッタと一緒にこの森を出るまでは、決して倒れるんじゃない)
コリューンの後日談、その2です。
連れがリュッタだと、コリューンもあんまり落ち込んでもいられないようで。
じつは、こんなちょっとブラックな落ちも考えついたのですが…
あんまりなんで、止めました。
と、言う訳で、コリューンの後日談、さらに次回へ続きます。
|