海越ゆる雅楽〜雅楽海外公演回想録エッセー〜

ヨーロッパの風 1990秋

3 イタリア2

 

↓10/18

水に浮かぶベニス

現地で買ったガス入りのエビアンの水のペットボトルを担いで上陸。陸側のベネト。水上タクシーを待つ。暑い日で、のどがよく乾く、行く先々で、飲料を買っていたが、団員の水分補給路は断たれていた。唯一僕のペットボトルのガス入りのエビアン水だけが残っていた。それを団員でわけて飲んだ。ベニスへわたる。

水しぶきをあげながら、進む。この石の建物たちは水に浮いているのか、水が入り込んだのか。楽器などの荷物をゴンドラから島に上陸させる。着いた場所からもう、迷路が始まっているベネチア。

今、手元に 一枚の印刷された写真がある。kioskのような新聞などを売っている屋台のようなものが街角に出ている。そこで、地図を買った。その時、不思議と目に留まったのが、この写真だった。これも一緒に 欲しいというと、お金はもう要らないという仕草が帰ってきた。セピア色のその写真が、どこのものであるかはわからなかった。その写真をどうしたのと訊ねてきたのは通訳の方であった。この時はじめて、その写真はベネチアがまだ陸側とつながっていなかったころの陸側の風景だということがわかった。
 

ベネチアの夜の夢

木のベットで 一度、就寝した。と、だれかがパティオを隔てた門をたたいている。起きて何人かと外へ出る。どうやら、楽人の一人が門限をすぎて、締め出しを食らったらしい。しかし、その声の主は見当たらない。日が落ち街角の闇が力を持って、こちらを伺っている。ショウウインドウのあかりがその闇にわずかに抵抗していた。建物をくぐりぬけて、右に折れて左に折れる・・・といったぐあいにしか自分の位置を認識できない。 ぐるぐると石畳の路地を歩きながら、その時一緒にいた4人の楽人仲間といろんなことを話したように思う。たんにくだらない話や内面に迫る話。どんな内容かは完全に忘れてしまった。たぶん若さに任せたとりとめもない夢の話だろうと思う。そのときに抱いていたそれぞれの夢がいくつかは、かなっているようにも漠然と思う。仮面舞踏会の仮面がショーウインドウ の明かりの中で浮かんでいる。闇から誰かに見られているようなオレンジの暖かい明かりがところどころにある。闇の中の明かり。そしてまた闇。 闇のたまった石畳の小路をすりぬけてひたすら歩く。明日の劇場テアトロゴルドーニ の白い入り口に大きく文字が見えた。そして、再び迷ってしまった。

夢の続き

夜明けが近い。ひたすら歩いた僕たちはいつしか、4人で夜明け前のオープンカフェにいた。 人はまったくいない。それまでの闇の中にいた記憶ももうすでに遠くなって、白い明かりに包まれている。音がない夜明け。この目の前にある水は海。そこから見える運河の川筋と教会の屋根を頼りに、そこがサンマルコ広場のすぐ近くであることがわかった。客も店員もいない。白々と開けていく空。水がすぐそばにある。いくらあるいても解明されることのない夢の中の町 ・・・。
木のベットで朝、 長い夢から覚める。夢から覚めてもここはイタリア、ベネチアである。

ゴルドーニ劇場

テアトロ・ゴルドーニ。不思議なことに、昨夜の夢で見たのと同じ白い入り口であった。中世の歌劇場。普段はオペラが催される。前に傾斜した舞台になっている。桟敷席の飾りなどとても豪華である。 中世風の劇場の多くは客席からよく見えるように舞台が傾斜している。南都楽所は春日大社のりんごの庭の白砂、おん祭りでは芝舞台と、いろんな舞台で舞うけれども、こんな舞台は1000年の歴史上はじめてだろうと思う。 必要以上に明るくしない照明は深い時間をたたえた闇をつくっている。南都の雅楽にとって闇はとても重要な要素。闇は常にいろんなものを吸い込んでしまう。その力は強大で中途半端に向かい合うと何もかも吸い込まれてしまう。おん祭りの遷幸の道楽で、闇の中から雅楽は始まる。このイタリアにも確かに闇は存在する。明らかに違う闇だが、長い時間を経てきた、たくさんの時間を潜り抜けてたくさんの時代を吸収してきた深い闇であることは確かなように感じた。

リハーサルが終わって時間があったので無謀にも町へ飛び出した。仮面舞踏会の仮面を売っているお店で緑の色調のマーブル色の紙を買った。印刷ではなく絵の具でかかれたものだった。 この紙は打ち物(雅楽の打楽器)の譜面のカバーに使っていたように思う。「テアトロ・ゴルドーニはどっちですか。」案の定、道に迷って、パン屋の主人に道を聞き劇場に飛び込んだ。

客席が暗くて様子はわからない。静まり返っているが桟敷席の上のほうまで満員であることはわかる。最後の曲、舞楽「貴徳」が終わる。
「オーッ」客席が総立ちになり拍手をいただいた。アンコールの拍手が鳴り止まないので、舞台に出て、長慶子(ちょうげいし)を演奏する。それでもなりやまない ので再び出ていって、「越殿楽」(えてんらく)を演奏した。

しかし、このときの演奏は完璧なものではなかった。時差のずれにまだ慣れてはいない。夜に始まる公演。大切なものであるので装束や楽器類のすべての積み込み運搬 は楽人自身が行っている。楽人の疲れは、かなりたまってきていた。まだ三つめの公演である。これから長い旅のはじめの国である。そんな疲れを吹き飛ばすような現地の反応。これに答えなければという思いが強まる。
割腹のいいゴルドーニ劇場の支配人が難しい顔をして楽器搬出の指示をしてくれている。搬出が終わって、カメラを向けると飛び切りの笑顔で答えてくれた。 次の公演地までバスで装束楽器類とともに移動。イタリアを陸路で後にした。

 

帰国直後、大学の研究紀要によせたエッセーの一部を改編して再録しました。次はバスでスイス、チロルを越えてドイツへ

 

↓10/19