哲っちゃんのハチロク日記

第一号
98/3/12発行

二代目86がやってきた!

2代目となるハチロクが2月1日に無事、私の手元にやってきました。
前は赤色の前期型GTでしたが今度は白/黒の後期型GT APEX(3ドア)です。 今まで2ドアの方が絶対渋いと思っていましたが、3ドアもじっくり眺めてみるとデザイン的にコンパクトにまとまっていてなかなかいいですね。

初代を買った時は就職後すぐでまだ若かったため、「ハチロク乗るなら一番軽く硬派なGTだぁ」と気合を入れて買いました。まあそれまでも大学時代(山口にいたころ)は56年式ファミリア(あの一番売れたやつの水色のXL、バケツ色とかわいがられ結構有名だった)や55年式KP61(赤色に白いボンネットこれも目に付いたみたい)に乗っていたので重ステやパワフルウィンドウには何の抵抗もなくむしろ当たり前だったのですが、さすがに27歳になって力も衰え(最近何の運動もしていない)彼女もできると少し軟派な考えをするようになり、「どうせ街乗りメインで使うんやし、APEXやし今度は快適なハチロクを作ろう」とハチロク乗りらしからぬいやらしいコンセプトの元、新しいハチロクを仕上げていくことにしました。

これを読むと「だったらハチロクじゃなくてもいいじゃん」と言われそうですが、車を乗り換える時は、ハチロクは実家にでも置いておいて次の車を買えばいいやと思っていたため、ハチロクが事故で突然なくなるなんてことは微塵も考えていなかったのです。「は、ハチロクがなくなるなんて!!」って感じです。

で、またハチロクです。ハチロク乗りの人なら分かってくれるよね!

初代は年末ぶつけるまでの1ヶ月の間にいろいろとあった(初代ハチロクの仕様のところに少しだけ書いてある)し、よく壊れたけど少しずつグレードアップしながら4年間気に入って乗っていました。
結局乗りこなせなかったけど・・・
はっきりいって私は今でもドリフトができません。いきなり021Rを前後に履いて練習したのがあかんかったかなぁ。鬼の勢いで突っ込んでいって流れたらどこでグリップが戻るか分からずとても恐かったです。音にするとオリャァ〜!ウオ〜!ウキィ〜!!って感じです(ってどんな?)。でも後ろにウンコタイヤを履いた時はどこまで滑るか分からずそれも恐かったです。オリャァ〜!ウオォ!オ?アァ〜!!って感じです(私はよく人に音が多いと言われます)。

というわけで、何度かぶつけた挙げ句、車を壊すのがいやで途中でくじけてしまいました。最初のファミリアは乗りこなしてる自信があったんやけど・・タックイン使いまくってたし。まあこれも最後、山口県の某峠で雨の日にひっくりかえりました。あぁぁ、またいつもの調子でだらだらと話がそれてしまったぁ。

というわけでここ2年ほど、大阪の街中しか走ってないのでは?と思うほどだったやつが久しぶりに峠に行って見事にぶつけてしまい50万円也というとんでもない見積りが帰ってきたため乗り換える事になったのです。(あぁ、乗り換えたところから一向に話が進まない)

あまりにも話が長くなったのでこの辺で止めとこうかと思いましたが近況だけ。

2代目はいつもいろいろとお世話になっているリボルバー(本当にいつもお世話になってます)でクラッチ/ブレーキマスター、ショック、ブッシュ等の消耗品を新品に換え部品を初代から移植してもらいました(車の廃車・購入はリボルバーで行った)。

そして今回の目玉「4.5AG」を作ってもらうことになったのです。

作成にちょっと時間がかかるのでそれまでの間は久しぶりにノーマルエンジンで走ることになりました。
「まあ1ヶ月位やしそこそこ思ったより走るしまあええか」って感じで何のメンテナンスもしないまま乗っていました。そして2月22日、実家で散髪&パチンコをした帰り、舞鶴自動車道を調子良く走っていました。私は調子にのって「前のエンジンと比べてどのくらいの吹けやろ」とノーマルで11万キロ走っているエンジンに鞭をうち、5速5000rpmからの加速を試みました。

その時です。まさかの出来事が・・・・

次回に続く

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