1.  微笑みの国へ

 

 その「計画」は完璧だった。
西暦2002年を迎えるまでは・・・
「計画」とはタイのプラナンでクライミングをするという、普通のクライマーによくある海外ツアーだ。
ただ、ちょっと特別だったのは、このツアーが私にとって初めての海外旅行で、
新婚旅行を兼ねていたということだ。
普通、新婚旅行といえば結婚式の直後、そのまま旅行に行くというのがよくあるパターンだと思うが
(少なくとも私の会社ではそうだ)、私はタイに行くため、4月の入籍から延ばしに延ばし、
11月下旬に休暇を取っていた。
ところが、夏に傷めた指の関節痛の回復が思わしくなく、
その状態でタイに行っても思うようなクライミングができないと判断し、2002年の1月18日出発に変更した。
もちろん、会社にはアメリカの同時多発テロを延期の理由にしたが・・・

 「地球の歩き方−タイ」を何度も読み、かの地でのクライミングの情報を出版物、WEBでかき集め、
航空券を手配し、滞在地となるライレイの宿をWEBで予約。
指もだいぶ回復し、年末の備中でのクライミングでも調子が戻ってきた。
さぁ、あとは出発するだけ!というところまできて、落とし穴が待っていた。
2002年の1月6日頃、たちの悪い風邪をひいてしまったのだ。
ツアー直前でクライミングの調子をあげていきたいところなのに・・・
出発の5日前には38.6度まで熱が上がり、フラフラの日々が過ぎていった。
マジでツアーを取りやめる寸前まで、状態は悪かった。
 しかし、体調は万全というには程遠いが、熱も何とか下がり、出発の日がやってきた。

1月17日

 仕事を早めに終え帰宅。風呂と夕食をすませ、ザックを担いで大阪駅へ。
JRの関空快速で関西空港に到着したのは22時過ぎ。フライトまでまだ3時間はある。
B1のローソンでお茶とパンを買い、ビールを飲みながらチェックインまで時間をつぶす。

 23時20分ころチェックインが始まった。出発前のTG627便
荷物を預け、出国審査がすみ、搭乗口に移動したのは0時15分。
 0時30分に免税店が営業を始めた。ちょっと覗いてみると、
大勢の人がタバコや酒を買いあさっ ていた。
 0時50分頃搭乗開始。TG627便はエアバスのA300だ。
1時20分、飛行機は予定より少し早く出発した。

 機内はシートの間隔がまずます広く、快適。
ただ機内サービスがしつこいほどいいので、
睡眠時間が短くなるのがよろしくない。
 時計を現地時間に合わせ、2時間遅らせる。
少し寝たが3時半ころ起こされ、いきなり朝食のサービス。
その後、入国カードが配られた。
寝かすつもりはないらしい。

1月18日

 午前5時、飛行機は予定より30分早く、まだ夜が明けていない、バンコクのドン・ムアン空港に着陸した。
入国の手続きをすませ、やっとタイの地を踏む。4万円を両替し、12,582バーツ(B)を手にする。
空港内のコンビニはファミリーマートだった。そこでジュースと缶コーヒーを買う。
コーヒーはブラックをいつも飲むのだが、砂糖入りしかおいてなかった。
そして飲んでみると、その甘いこと!
のちに、タイは飲み物については「甘党」の国ということを知った。

 そして、国内線に無料のシャトルバスで移動。クラビー行きのフライトを待つ。
8時30分、TG249便でバンコクを出発。
9時45分ころ、飛行機はきわどい旋回を繰り返してクラビー空港に滑り込んだ。
となりのタイ人のネーチャンは顔が引きつっていた。
それも無理もないだろう。翼のフラップにコケが生えているような機体なのだから。

 飛行機から降りると真夏の太陽が照り付けていた。クラビー空港
荷物を受け取り、空港のロビーに出る。 もう周りに日本人はいない。
ここから2人だけかと思うと少し不安になる。

  カウンターではタクシーの斡旋をしていた。
市内に出るバスがあれば行きたかったのだが、
めんどくさくなって乗ることにした。
壁にはちゃんと料金表があり、明示している。
クラビー・タウンまで300B、アオナンまで500Bだという。
迷わず「KRABI!」と言い、駐車場へ。

 タク シーは料金メーターのないトヨタのコロナだ。
黒い革風のシートがちょっとした高級感を出していた。
車内はエアコンがよく効いてなかなか快適だ。
 空港を出ると郊外の走りやすそうな道に出た。
ノーヘルのバイク、しかも2人乗りが多い。
砂っぽい道がいかにも東南アジアという感じで、「タイ に来たんだなー」としみじみする。
 しかし、そんな感慨に浸っていたのも、束の間だった。
車の中は、まさに熱帯を実感させてくれる、スゴイ状況になっていたのだ。
そこには未だ見たこともないほど、大量の蚊が飛び交っていた。



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