
自己観照の旅〜大分・筑後・島原
年末・年始恒例となりました
「どこかに行く旅」
2009−2010年にかけても
今年も親父の要望を受けて、中九州方面の旅行をしました。
途中、雪が降ったりして大変でしたが・・
写真中心ですが、どうぞ、おつきあいください
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今回のきまま旅は、中九州中心です
毎年恒例になっている「年末年始にどっかに行く旅行」シリーズ
今年も3泊4日の旅です
とはいうものの、今年も行く時には宿泊先だけ決定していて
その途中どこに行くか全く決めていないいい加減さ・・
今年はそのいい加減さが裏目に出て・・
ま、しばらくお付き合いください (^^ゞ
【12月31日】 1日目 大分空港→(・・・・・・)→別府温泉
朝早いフライトで大分空港に入り、
レンタカーで3泊4日の旅に出発します。

この日は、大分空港から別府までの比較的短い距離で
プランも組みやすいはず・・
だったんですが、国東半島が大雪で周辺を通る大分自動車道が通行止めとの情報。
早くも暗雲が立ち込めます・・
【国 東】
まずは国東半島横断を目指して走り出します。
道すがらまずは国東半島に敬意を表して、国東高校訪問 (笑)
この敷地は、国東、双国、国東農工が統合してできた
新・国東高校で元の国東農工の敷地に建っています。
吉田豊彦投手などの選手を輩出していますが甲子園には一歩及ばず・・
そこから、富来(とみく)に移動。
国東半島横断の起点です。
富来から約10キロの文殊仙寺までの道のりを「富来開運ロード」と称しています。
もともとは海運で栄えた町、
それを「海運=開運」にかけたところ
さらに「富来」という縁起のいい地名
なんだか、気恥ずかしいギャグを聞いているようですが (^^ゞ

(歩道に埋め込まれた宝船)
そこから車を走らせること、約10分
富来神社に到着 名前が「富来」だけに開運期待です
ここで大雪になってきました・・

さらに山奥へ車を走らせると
文殊仙寺に到着 路線バスは1日1本・・

急な参道を登っていきます

登りきると十六羅漢がお出迎え・・のはずでしたが
大雪のため視界が遮られます・・

大雪のため国東半島の横断の道路もかなり危険な状態
太陽が出るのをしばらく待つことにします。
【豊後高田】
待つこと約30分。ようやく道路の雪も解けだして再出発。
昭和レトロの町で売り出している、豊後高田を目指します。
町に着くと、なつかしい商店街の香りが漂います。

昼ごはんは、年越しもかねてのとり天そばをいただきます。
素朴な味でした。

しかし、昭和レトロの町に来たら、是非堪能していただきたいのが懐かしの給食
脱脂粉乳にコッペパン、揚げパンにクジラ肉・・
今回は味わえませんでしたが、次回は必ず・・

たばこの自動販売機も昭和のタバコが並びます
ハイライト・峰・チェリー・わかば・しんせい・ゴールデンバット・・・

豊後高田は宇佐参宮鉄道の発着でもにぎわったところ
昭和50年廃線となりましたが、今でもその趣をうかがい知ることができます

【宇 佐】
さらに西に車を進めます。
宇佐神宮のある町、宇佐。
宇佐神宮はかつて訪れたことがあるので、今回はスルーします。
(宇佐神宮の模様はこちらまで)
まず、宇佐といえば、野球の名門柳ヶ浦ww
柳ヶ浦高校からほど近くに東光寺があります。
ここはあまりガイドブックなどにも登場しませんが、
圧巻の五百羅漢が静かにかつ凛と並びます。

さらに宇佐は昭和の名横綱双葉山を生んだ地。
今でも、双葉山生誕の箇所に記念碑が建ちます。
大横綱の生家に立ち、今一度「立居振舞」の大切さを感じます。
今日の観光はここまで、一路別府まで車を走らせます。
別府は野球どころでも知られ、強豪校を多数輩出。
その一部をご紹介。
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別府羽室台 高台から見える別府の光景は絶景です
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夕刻、湯けむり展望台から立ち上る多数の湯けむりを見ることができます。
これをみると湯の町、別府に来たことを実感します。

今日の宿は別府タワーのほど近く ホテル三泉閣さんです

夕食は大分の食材を中心にしたものでした
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お鍋はてっちりでした |
クルマエビを中心とした刺身 |
メインは豊後牛の鉄板焼 |
さらに大みそかということで、年越し蕎麦も用意されていました。
鶏肉との相性が抜群でした。

【1月1日】 2日目 別府市内→(・・・・・・)→原鶴温泉
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます。
初日の出を拝むために、別府湾まで散歩・・
しかし厚い雲に遮られて残念ながら拝むことができませんでした。
雲の切れ間からかすかに来光カーテンが見えましたので、これに祈願・・

この日の宿泊は、筑後川温泉の一角である原鶴温泉。
ここに行くには大分自動車道を通る必要があるのですが、
まだ通行止めの状態が続きプランが大きく変更されることが予想されます。
交通情報とにらめっこしながらの移動となります。
【別府〜地獄めぐり】
まずはせっかく別府に来たのですから、
お約束の地獄めぐりです。
自身16年ぶりの訪問ですが、よく整備されていました。
まずはコバルトブルーが鮮やかな「海地獄」
お正月ということもあり、鬼が繰り出していました

次は最近復活を遂げた、「鬼石坊主地獄」
ここは動きがあったほうがおもしろいので、動画でどうぞ・・
次は「山地獄」ごうごうと白煙が噴きあがる様子が地獄の表現にぴったりです
山地獄にはアイドル的存在のカバ「昭平くん」がいます。
池のカベにあごをのっけて、ひたすらエサを待つ仕草・・
まさに「なんじゃそれ」の世界です (笑)
「かまど地獄」は1〜6丁目までありまして
様々な変化を見せています。
「鬼山地獄」の名物はワニ
温泉とワニといえば、熱川バナナワニ園が有名ですが、
こちらの方が歴史が古く大正12年から温泉熱で飼育を始めたそうです。
園内の展示場では、大正14年生まれで平成8年に死んだクロコダイルの「イチロウ」の剥製があります。
以前見たのはこのワニだったんですね・・

落ち着いた雰囲気の「白池地獄」
でも95度ありますので要注意・・

この6つの地獄は比較的近くて徒歩圏内
あと2つの「血の池地獄」と「龍巻地獄」は約4キロ離れていますので車で移動します。
まずは「血の池地獄」
ここに来ると必ず買ってしまうのが「血の池軟膏」
いかにも効きそうです・・

そして間欠泉で有名な龍巻地獄
ちょうど行ったときに吹きあがっていてラッキーでした
こちらも動画でどうぞ・・
ということで地獄めぐり8つの完成です。
この段階で午前11時
車に乗り込み交通情報を確認すると、ようやく大分自動車道の通行止めが解除との情報
これでスケジュールに幅ができました!
【津久見】
ということで、原鶴方向に向かわず、南下してまずは津久見を目指します。
津久見といえば、名門津久見高校!
みかん色のストッキングも平成に入ってからは甲子園出場なし
古豪といわれるには少し早いです。頑張ってもらいたいところです

津久見はあまり知られていませんが、豊後の大名 大友宗麟の終焉の地
ひっそりとしたたたずまいの中に大友宗麟の墓があります。


【臼 杵】
そして今日のメイン 石仏で有名な臼杵に移動します

平安〜鎌倉時代にかけて作られた、磨崖仏です。
そのたたずまいに思わず息をのみます。
平成7年には国宝に指定されています。
ホキ石仏第二群(「ホキ」とはガケの意味です)

ホキ石仏第一群

山王山石仏

そして一番有名な古園石仏
圧倒的な存在感を示すのは大日如来像
平安後期の作といわれており、その毀損が激しかったのですが
平成5年に仏頭が復位され、往時を姿を再びみせています。
いつまでも眺めていたい
そして静かな時を感じていたい・・
自然にそのような気分にいざなってくれる、不思議な力を感じます
しばらく時の経つのを忘れていたら、もうお昼時。
簡単に食事を済ませます。
大分ということで、アジのお寿司ととり天
ここから一路、原鶴温泉に向かいます。
大分自動車道横の山肌には雪が残ります・・

【日 田】
その途中に天領として栄えた町、日田がありますのでちょっと立ち寄り。

日田といえば、儒学者 広瀬淡窓の咸宜園で有名な町。
駅の待合室にも淡窓の言葉がかかっています。
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淡窓の思想である「敬天」
人間は正しいこと、善いことをすれば
天から報われると説きます。 |
天領の街並みを残す「豆田町」のたたずまい
さらに三隈川の流れが旅情をかきたてます

日田も高校野球が盛んなところ
静かな町から3校の甲子園出場校を輩出しています
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日田
震災の年の夏の大会 選手宣誓 |
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日田林工
校門が工事中でした |
藤 蔭 |
そして、今夜の宿、筑後川温泉郷の一つ、原鶴温泉に到着です
泰泉閣さんに宿泊しました

夕食はお正月メニュー (笑)
朴葉焼きにすき焼き、お雑煮というラインナップです

【1月2日】 3日目 原鶴温泉→(・・・・・・)→島原温泉
筑後川沿いに建つ原鶴温泉
朝の散歩がてら、河畔でリフレッシュです
今日は原鶴から島原までの移動
原鶴近くに静かな町が点在していて、そこをめぐることにします。
【筑後吉井と田主丸】
まずは車で約5分ほどで筑後吉井に着きます。
ここは白壁が美しい、伝統的建造物保存地区。
城下町久留米と天領日田との間に位置し、宿場町として栄えたところです。
白を基調とした整然とした街並み
宿場町として栄えた昔日の面影をみることができます。
筑後地方には多くの河童伝説が残されています。
河童というと、妖怪の部類とされていますが、
とくにこの地域の河童は実にユニーク。
又陽気で明るく、田植えの手伝いに来たとも伝えられています。
人と河童とのロマンに満ちた伝説や、
平家伝説と河童伝説が混交した話などが伝えられています。
吉井にもひっそりと河童の像が建てられています

河童というと忘れてはならないのが、田主丸。
吉井から約10分ほど走らせると田主丸に着きます。
JR田主丸駅の駅舎は、そのまま河童がモチーフになっています。

駅のまわりも河童だらけ・・
楽太郎河童
「楽しく生きる」ということを表現していて
田主丸の特産である、ブドウとカキを持っています。

橋のライトも柿とブドウと河童です
【秋 月】
もう一つの静かな町・・筑後の小京都 秋月です
こちらも伝統的建造物群保存地区に指定されています。
桜と紅葉が美しいそうですが、季節は冬。
訪れる観光客もまばらでしたが、それもまた趣があります。
秋月の醍醐味は、500メートルまっすぐ伸びる、杉ノ馬場の桜並木。
花も葉もついていませんがそれでも枝のトンネルを形成しています。
さぞかし、花見シーズンは美しいんでしょうね・・

この桜並木は日露戦争の戦勝記念で植えられたものだそうです。
石畳と水路 水車の音が似合います。

それでは、音をどうぞ・・
杉ノ馬場の横は秋月城跡

瓦坂と堀跡もノスタルジーを感じます。
やはり石積の美しさでしょうか・・

城跡には秋月中学校
とても雰囲気のいい校舎です

秋月のもう一つの顔・・種痘発祥の地
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秋月藩医だった緒方春朔(おがたしゅんさく)。
緒方春朔は天然痘の予防のため、
予防接種である人痘種痘法をわが国で初めて成功させ、
これを全国に広めました。
時に、寛政2年(1790)のこと。
これは、エドワード・ジェンナーの牛痘種痘法成功より、
6年も早い時期でした。
この春朔こそが、わが国における種痘の始祖であり、
予防接種の先覚者であります。
あまり知られていない功績ではありますが、
日本人として、知っておきたい史実です。
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秋月の象徴的な建造物の一つ 眼鏡橋
ここでも石造の美しさを感じることができます。

ここから一路、島原に向かうわけですが、
思わぬ渋滞に巻き込まれてしまいました。
なので、途中通過で出会った高校だけご紹介です。
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国見 サッカーではおなじみですね |
今宵の宿は島原温泉の小涌園さん

素朴な郷土料理でもてなしていただきました
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具雑煮(ぐぞうに)
島原地方のめでたい席に
出てくるそうです
(正月だけとは限らない) |
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六兵衛(ろくべえ)
サツマイモを原料とする麺
鰹節ベースのあっさりした味 |
【1月3日】 4日目 島原温泉→(・・・・・・)→佐賀空港
いよいよ旅も最終日。
ホテルから島原の海を眺めることができました

前日、思わぬ渋滞で島原半島の観光ができなかったので
まずは雲仙を目指して走ります。
その途中、雲仙の普賢岳の姿が・・
平成3年の大噴火から早くも19年の歳月が経ちます

島原から約30分強で雲仙に到着

雲仙の見どころは何と言っても地獄めぐり
寒さも手伝い、白煙がゴウゴウと立ち上っていました
右下の「真知子岩」は映画「君の名は」のロケが雲仙で行われた際、
ヒロインの真知子(岸恵子さん)が手をついた岩ということで名付けられたもの
横の記念碑は雲仙が国立公園指定50年を記念して作成されたもの
碑には菊田一夫のことば
「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う悲しさよ」と刻まれています。
雲仙からまたもや島原に引き返し、城下町を体感します。
島原のシンボルとして君臨する島原城
昭和39年に天守閣が復活しました
高台に建つ島原城からは島原の港が望めます。

石垣には2009年にテレビイベント「ザ!鉄腕!DASH!」の名残が残ってました (^^ゞ

場内の展望台から望む雲仙の山々

さらに城下町の細い路地を抜けると・・

流れる水路には鯉が泳ぎます
ここから佐賀空港までは、まず熊本までフェリーに乗り・・

熊本で昼食を済ませて・・
(他人丼に見えますが、これ、さくら丼です。すなわち馬肉丼)

佐賀に向かいました。

佐賀空港でちょっと早めの夕食。
ミルクチャンポンです。

帰省ラッシュの渋滞に巻き込まれつつ無事に搭乗
今回もお付き合いいただきありがとうございました!
に、してもやはり事前のプランが曖昧だったのは反省でした。
今回行けずに終わってしまった箇所もありますので
是非、もう一度・・
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