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アクーズハウス

biography

アメリカでは、初の人工衛星打ち上げに成功しNASAを設立させ、世界が宇宙時代に向けて動き始めた・・・
そんな頃、大阪の東三国に「オギャァー」と1つの生命の誕生を告げる雄たけびがこだました。
東 康平である。


彼は、大阪を代表する河川の1つ「神崎川」で産湯?を使い、生後10ヶ月で「いちじく」で有名な兵庫県川西市に移住。
とにかく良く笑う子供だったらしい。


そのなごりが現在年輪とともに笑いじわとして深く深く残っている。
小学校、中学校と市立に通い、部活は野球やバレーボールをやり地域では、川西リーダー隊(リーダー育成の団体)に入隊して協調性を養う。
そうした元来明るく好奇心旺盛な性格が爆発したのが、高校から大学に掛けてである。



高校は、清酒発祥の地でおなじみ伊丹にある県立伊丹北高校に入学。
高校時代は何でも率先してやるタイプだったようで、学級委員長、体育祭や文化祭の実行委員長を勤め企画・運営・進行に携わる。
そして高校2年の秋、クラスで文化祭の出し物として映画(8ミリ)を撮る。
当時の映画やドラマの名場面集をオムニバスで見せるものだったが、彼は「太陽に吠えろ」のジーパン刑事に選ばれ「何じゃ、こりゃ」と言うあの有名な殉職シーンを好演。
上映したとき、女子生徒から「誰!かっこいい」・・・・・。
これが今日の彼を生むきっかけである。



その後、京都産業大学法学部に進み、バイトで知り合った仲間たちと「GAMBA FAMILY」と言うツーリングチームを作り交友関係を広めていく。
大学を卒業してこの世界へ、と思いきや彼は製薬会社に入社。
プロパー(MR)として香川県高松市に赴任し病院や開業医を回る日々を送る。
そんな時、大学時代からの親友で俳優の矢島俊作から「お前はこっち側の人間や」と言われ、高校時代の
「誰!かっこいい」がよみがえる。
折りしも転勤で大阪に戻り、渡辺剛夫氏(元ラジオ大阪)に師事。
仕事が終わったあと、アナウンススクールでレッスン。
1度も休むことなく1年間そんな生活が続く。
卒業後、きっぱり会社もやめMCをやりながらディレクターやキャスティングなど裏方の仕事もこなしていた。


しかし、もっと視野を広めたい、共通語を覚えたい、そんな気持ちから東京へ。
東京では、ある有名な声優のマネージャーをやっていた人に勧められ俳優の道へと進路を変更。
役者の稽古を重ねる。
そして、まずモデルとして小田急デパートのポスターでデビューする。
その後役者としても映像デビュー。テレビ・ビデオ等に出演。



平成7年1月17日大地震が関西を襲う。阪神淡路大震災である。
これからと言う時に周りの説得もあり兵庫に戻ることになる。
地元に帰って震災をきっかけとしたコミュニティFM局の設立スタッフに参加。
京都府宇治市と兵庫県伊丹市に開局させ、プロデュース・ディレクション・プランニング・パーソナリティなど何役もこなし奔走する。
現在はアクターズハウスに所属し俳優として活躍中である。



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