1989年10月初め
お腹に新しい命が宿ったことが判明しました。
お医者さんが ん・・!? という表情をするから
心配になって。。
ん・・・? 何・・ 二人いますね・・?と言われる・・!?
超音波で 双子と判明・・!

12月・・
切迫流産で 入院・・安静の日々・・
心配したけど 大丈夫、大丈夫・・と心の中で思う
そして 危機は脱した。。退院・・!
その後も順調に成長していって 
いつ頃だったろうか・・
8ヵ月過ぎてからかな・・超音波検査で
どうやら一人は確実に男の子で 
もう一人は多分女の子でしょう・・と言われる。

予定日は6月14日だった
体重は 二人で12`増・・これって優秀・・?

6月7日の夜中 体の向きを変えた時 
右側にいた子が 破水したのがわかった(実はこれが文乃)
そのまま病院へ行く・・
いざ出産・・となり 半端ない痛さ・・
こんなんで二人産むのか・・と考えていた・・

朝6:57分 第一子誕生・・! 元気な産声! それが弘一! 2512g
あの痛さが嘘のようになくなった・・
でも これで終わりじゃないんだ・・
もう一回 同じ痛さがくるのかな・・

でも 二人目は 先に破水した方で 心音聞くと どうも弱いらしく
危険な状態・・

再び・・何度か陣痛がきた後
赤ちゃんしんどい状態だから こんど来たら それが最後と思っていきんでね
お腹にのるからね・・!と言われる!
そして 最後の波が来て・・お腹に乗られ・・
7:14分 第二子押し出される・・!  半端なく痛かった。。!

姿は見えなかったけど
泣かないし ぐた・・としてる感じは伝ってきて・・
いろいろ処置はしてくれたけど やっぱり泣かなくて・・
そのまま 小児科へ連れて行かれました。
大丈夫かな・・ 心配・・
駄目だったら どうしよう・・と 思いました。

その後 あまり元気とはいえないけど・・
やっと産声をあげたらしい・・ それが文乃・・! 2614g 良かった・・

その時 初めて脳のCTを撮られていました
それが 今となっては 少し皮肉だな。。と感じます
(文乃は生まれた時と 最後の時と 同じようにCTを撮られていたのです・・)

もちろん 異常なし・・!

文乃はずっと 保育器の中にいて 2〜3日後 やっと会いに行きました
その中で 一番大きくて元気そうな赤ちゃんでした
文乃は仮死状態で生まれたものの 体重的には未熟児では
ありませんでした・・

その時 未熟児で生まれた赤ちゃんが多くて 
他の赤ちゃんは 本当に小さくて・・ こんなに小さいのに  
頑張って生きようとしてるんだ・・と思いました
看護師さんが
少しでも 長くお腹の中にいることが やはり一番なんです・・と言っていました

その時 看護士さんが書いてくれていた記録が 残っています。。
私は 弘一だけで 精一杯で なかなか文乃の所まで 行けませでした・・
退院も 文乃は 2日遅れたね・・

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当時の記録。。

わかる?矢印の所が頭です。横に寝ていて その下が体・・
まだ初期の頃です・・どちらが誰かはわかりませんが
これが最初の写真といえば 最初になりますね。。

あしあと

曲・こころ/遠来未来

命が宿った日から。。