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2度目の妊娠 2003年、1月13日。なんともいえず気分が悪かった。 ニオイに敏感になってしまい、ご飯もまともに食べられない。 「つわりっぽい…」 でもいつも避妊はきっちりしてたんだけどなぁ。 生理予定日は若干過ぎているし、半信半疑で試してみるとうっすらと陽性反応。 「2人目、できた…?」 予定ではまだしばらく2人目は作らないつもりだったけど、 自分たちの赤ちゃんを拒む理由はないので、とりあえず病院へ行くことにした。 初診 翌日。 みじゅ姫の時にかかった産婦人科は遠いので、今回は近所の産婦人科へ。 適当な産婦人科がわからないので、とりあえず近所の婦人科で診てもらい、 出産はどこか産院を紹介でもして貰おうと思い、行ってみることに。 内科婦人科を掲げる女医さんの病院は人気らしく、結構人が多い。 子供用のプレイルームがあったので、みじゅ姫とそこで待つことにすると、 4歳くらいのお姉ちゃんと、2歳くらいの弟くんを連れたお母さんがいた。 私は世間話をしながら、「うちもこんな風になるのかな」と考えていた。 ここでも検査には陽性反応が出た。最終月経からすると、5Wくらいになる。 「まだエコーでも映らないかもしれません。 来週あたり、診てみましょう」 とのことだったので、エコーは次回することに。 病院から帰る途中、旦那の携帯に「陽性だった、妊娠してるって」と報告すると 改めて喜んでくれた。話している最中の私は涙ぐんでいた。 双方の両親にも報告。予定外なので驚かれつつ、それでも反対はされなかった。 出血 1月18日、土曜日。 私たち一家は旦那の実家に行っていた。 が、トイレで赤みがかったおりものに気付く。 「え…出血?」 気のせいだったらいい。気のせいだったら… でもそのすぐ後、暗褐色の少量の出血があった。 妊娠初期に出血することは珍しくないとも聞いていたし、みじゅ姫の時は切迫流産にもなった。 症状としてはちょっと似てる…。 安静にしているのがいいんじゃないだろうか。 急いで自宅に帰る途中も、私の頭の中は冷静に考えながら、混乱していった。 症状を聞けば、切迫流産だといわれるだろう。 でも安静にしても薬を使っても出血が止まらなかったら。 流れる運命なのだったら、私にはどうしようもない。 どうにかして確認したいけれど、今の週数では見えないかもしれない。 胎嚢が見えたとしても、心拍確認に至らないかもしれない。 もしも流れてしまうのだったら、それを見ているしかできない。 何とかしたいのに。私の子供なのに。私は親なのに。何もできない。 帰宅してすぐ横になり、なるべく落ち着けるよう努力するも、出血の量は増し、 色も明るいものになっていった。 色が明るい…これは古い血じゃない。今、出血してるんだ。 不安だけが大きくなる中、みじゅ姫を産んだ産院に相談してみた。 こういう時はどうしたらいいんですか、とわかっていても聞かずにはいられなかった。 電話に出てくれたのは聞き覚えのある声。以前お世話になった助産婦さんかな。 冷静に考えれば、そんな電話なんてするものではないかもしれないけど、 邪険にすることもなく、きちんと話を聞いてくれた。 「安静にして、それでも出血や痛みが治まらなかったら、近くの病院へ行くようにしてね。」 親切にしていただけて少し安心したけれど、不安は消えなかった。 初期流産 夜になっても、どんどんと増してくる痛み。 痛くなるのと同時に、子宮が小さく固くなるのがわかる。 出血もひどくなってきている… まるで、陣痛のような痛みだった。 眠ることもできずに耐えながら、それでも時々はウトウトとして、 目を覚ますたびに出血が続いていることを嘆いた。 それが明け方までずっと続いた。 そしてふと、痛みが軽くなったことに気付いた。出血はまだひどい。 嫌な予感がしなかったと言えば嘘になる。 けど私は、流産の進行が止まったんだと思いたかった。 朝になり、少し遠いが日曜日も診察している産婦人科へ行くことにした。 電話をすると、受付の方は診察時間より少し早いけど診て下さると言ってくれた。 私たちがついてすぐ、先生は駆けつけて下さり、早速診察となった。 採尿を済ませ、内診台に上がる。 「出血がひどいな…」先生はそう言いながら、触診をして、内診をした。 カーテン越しでどんな様子かはわからない。 診察が終わり、旦那も一緒に話を聞きに来た。 「子宮は妊娠をしていない時の大きさで、エコーで見ても何も映っていない。 尿から妊娠検査をしてもごく薄い反応しか出ていないんや。」 流産です、そう告げられた。 6週に入ってすぐのことだった。 わかっていたのに、受け入れがたかった。 先生はその後も細かく説明してくださった。 今は精度のいい妊娠検査薬が出回っているせいで、こうしたごく初期の流産にも 気付いてしまうこと。けっして珍しいものではないのだということ。 けっして、母体の責任ではないのだということ。 仕方がなかったのだということ… 「処置はしなくていいんですか?」 私の質問に、先生は「自然に流れるのならそのほうがいい。明日から普通に動くように」 と指示をくれた。 流産後 帰り道、赤ちゃんがいなくなった寂しさから涙が出た。 悲しいんじゃない。お空に帰っただけだから。またすぐ帰ってきてくれるから。 そう思っていたから、悲しいのではなく寂しかった。 元々霊感の強かった私は、みじゅ姫を妊娠した時、自分の中に宿った命を確かに感じた。 それを今回は感じなかった。 だから妊娠が信じがたかった。 先生は半年くらいあけてから次を考えるように、と言っていたけれど、 子宮が回復してなかったら妊娠しないんじゃないかな。 そう思って気付いた。 すぐに妊娠したら、不安が大きすぎるせい…? 私は思い切って旦那に相談してみた。 「次、すぐ欲しいんだけど。」 説得は難航したものの、数日間お願いし続けて、ようやくわかってくれた。 |
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