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妊娠発覚 妊娠が発覚したのは2001年の2月4日だった。 前日は短期バイトの打ち上げだった。 私はこれでも酒に弱くはないし、酒によっても足が立ちにくくなるだとか 陽気になるだとかだけで、眠くなったり戻したりすることはなかった。 が、、、この時に限って戻した。初体験だよ、おい。 「この私が何で、たかだかビール(中)2杯で〜〜っ」 そう思った。 けどよく考えると、遅れることのなかった生理が少し遅れていた。 それに、おりものの匂いが違った。 翌日、私は近所の内科医院へ行った。 「体調が優れないんです。生理はやや遅れています」 とりあえずお小水を取って、判定が出るまで待つ。 「あら、学生さんなの?」 「そうなんですよ〜。親?いえ、1人暮らしです。そこのマンションです」 「あぁ、そこ学生さん多いのよね」 和やかにおばちゃん看護婦さんと雑談をしているとおじいちゃん先生が声をかけてくれた。 「妊娠してるね」 ・・・・・・ え、妊娠!?Σ( ̄□ ̄; 「おめでとう〜」というおばちゃんに、とりあえずお礼を述べて、 産院は必要があれば紹介するからという先生にもお礼を述べて、その日は部屋に戻った。 旦那は最初、戸惑っていたけれど決心したら心変わりしないという ある意味とっても一本気な人(?)なので、すぐに入籍することになった。 妊婦生活〜前半 当時の私は学生だった。でも大学などではなく、通信制の高校。 「高校生!?」と思うかもしれないけど、通信制に来る人は10〜50代と幅広いのだ。 若い子はあんまり学校に来なくてもいい、学費が安い、私服OKという理由から、 年配の方は戦争のため、家庭のために勉強することができなかったという理由まで様々。 一番少ないのは30〜40代の方だった。 私ぐらいの年代は結構いるもので、私と同じく不登校の経験のある人や、 高校中退者も多かった。既婚者もまた、ちょくちょく見かけた。 単位制と変わらない体制なので、私は少なくとも理科系は全制覇してから 卒業するつもりで、単位を減らしていたところだった。 そこへきて、妊娠の話。 学校どーすんだよ、私っ!! 仕方ないので妊娠初期に出られるだけ出て〜、生まれた後はテストの時だけ義母に… そう思っていたところへつわり開始。 しかも血まで。切迫流産の診断。 仕方なく自宅でのんびりしつつ、新しい年度の始まるまでにおさまることを祈る私。 夜中の咳は3ヶ月くらい続いたけど、なんとか通学は頑張った。 べびちゃんはとても元気だった。 胎動は4ヶ月の時、挙式準備に私の実家へ帰っていた時だった。 うにょ。 そんな感じだった。 妊婦生活〜後半 妊娠6ヶ月に入りたてのおなかで、挙式をした。5月下旬の軽井沢はまだ少し寒かった。 なのに挙式の最中だけはやたら晴れていて暑いくらい。 実際、ドレスの中は汗だくだったし(笑) その後ホテルの階段で写真を撮っている最中に、ペチコートが外れて大変なことになったり。 挙式から帰ると、今度は引越の準備。 7月中旬には当時1人暮らしをしていたマンションを出ることにして新居探し。 引越はあまり有名ではない小さな業者さんにお願いしたのだけど、 見積もりに来たおじちゃんに「荷物とかそのまま運べるし、あんまり無理したらアカン」と クギをさされてしまう私(笑) 料金から決めた業者とはいえ、感じが良くて良かった。 某大手引越業者はしつこくてイヤだったけど(苦笑) 学校も新居に移ってからはバスで1時間ほどかけての通学に。 とあるバス停から20分歩けばもうちょっとは早くつくけど、おなかが重い! しかし乗換のバス停は時刻表どおりにはまず来ない。20分遅れもザラ。 でも学校をサボるわけにはいかず、大きなおなかで臨月近くまで通うことになった。 既婚者は珍しくない校内とはいえ、大きなおなかは目立つらしく、ちょっと有名人に。 先生方もどうにか単位を取れるように工夫してくれた。感謝感謝。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
妊娠中の経過
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