活字中毒者のつぶやき





2014年3月8日(土)
五ヶ月ぶりの現状報告
五ヶ月ぶりの報告をします。


東洋大学文学部が、2013年度にたった6単位しか取れなかったため、今、せっせと次年度分のレポートをは取っただけです。2012年度は真面目に30単位だったので、少しサボり過ぎました。もうテキスト科目6単位分六通は書き上げました。今月中にもう6単位分は書いてしまい、スクーリングと合わせて、22単位ほどは取るつもりです。
 
2015年度には卒業予定なので、そろそろ卒論をどうするか、考えなければいけません。
2・3ヶ月は東洋大学に集中して、夏頃から小説創作を再開します。

今、応募しているのは長塚節文学賞だけです。
仕事が忙しく、創作があまり進みませんが、腕は上がっているのでなんとかしなければと焦っています。
今年度も応募する予定の最低条件は、室生犀星文学賞と北日本文学賞、それに神戸新聞の文芸欄に小説10枚でしょうか。

あと長めのでは三田文学新人賞と、太宰治賞へ応募したいんですが、
苦しいですね。
どちらかに出来るように頑張ります。






2013年10月1日(火)
六ヶ月ぶりの現状報告
半年ぶりの報告をします。


東洋大学文学部は、今年度はまだ4単位は取っただけです。昨年度は真面目にやって30単位だったので、果たしていくら取れるか見当もつきません。
でも、小説創作を優先するつもりです。

仕事が忙しく、創作があまり進みませんが、
それなりに腕は上がっています。
今応募中なのは、室生犀星文学賞と北日本文学賞、それに神戸新聞の文芸欄に小説10枚を応募しています。
神戸新聞は10月締め切りで11月分ですぐ結果が分かります。

今年は、あと三田文学新人賞と、太宰治賞へ応募したいんですが、
どうなることやら。
どちらかに出来るように頑張ります。






2013年4月2日(火)
四ヶ月ぶりの現状報告
いつもの報告をします。
例のごとく四ヶ月ぶりです。

東洋大学文学部は、昨年度無事、30単位は取りました。今年度はもう少し不真面目になって、20単位ほどで抑えるつもりです。

ただ今、転勤で忙しく、創作があまりできません。
昨年の報告からだと、アンデルセン童話賞と長岡節文学賞へ応募したぐらいです。
心機一転、頑張ります。


2012年12月16日(日)
また四ヶ月ぶりの現状報告
いつもの報告をします。
またも四ヶ月ぶりです。

東洋大学文学部は、およそ今年度中に30単位以上は取れる勢いです。不真面目になれず真面目に勉強しております。

8月に消印有効ぎりぎりで書き上げた北日本文学賞(30枚)が1次選考を突破しました。
残念ながら2次選考は落選でしたが、大きな手応えを感じて喜んでおります。

三田文学新人賞(100枚)は応募しましたが、今、純文学系の原稿を17枚ほど書いて停滞中です。
仕事が一段落する年末年始に50枚か、100枚に仕上げようと考えております。
あと、アンデルセンのメルヘン文庫にも過去作品の改作で1月初めに。応募するつもりです。

頑張ります。






2012年8月21日(火)
四ヶ月ぶりの現状報告
いつもの報告をします。
四ヶ月ぶりです。

4月からの東洋大学文学部は、楽しく勉強しております。
が、その分なかなか、創作活動が滞っておりました。
予想通りいい加減学生になれず真面目にレポート書きしていたわけです。
ただ、東洋大学の勉強は創作へのプラスになるものが多く、決して無駄になっていません。
特に科目・文芸創作での川端康成の『掌の小説』は再読とはいえ、非常に刺激的でした。
ステージを一段階、上げられたと言って過言ではありません。

取りあえず、今月に入って、フェリシモ文学賞(5枚)、ニッサン絵本と童話のグランプリ(10枚)は書き上げました。
今、今月末締め切りの北日本文学賞(30枚)に取りかかっています。
次は三田文学新人賞(100枚)か、太宰治賞(250枚)です。10月まで残り二ヶ月はちょうどレポート提出不可期間なおで、創作に専念します。応募できるかどうかは分かりませんが、頑張りたいと思います。





2012年4月2日(月)
毎度、三ヶ月ぶりの現状報告
報告します。

京都造形芸術大学文芸コースを無事、卒業して、この4月からは東洋大学文学部、日本文学文化学科へ入学しました。
珍しくいい加減学生に徹して、文学賞への応募生活をメインにするつもりですが、
つい真面目にレポート書きを始めています。

果たして、当初の予定通り、三田文学新人賞(100枚)やエンタティメント系文学賞いくつか、太宰治賞(250枚)、フェリシモ文学賞5枚あたりに応募できるか、疑問ですが、頑張りたいと思っています。



2011年12月29日(木)
三ヶ月ぶりの現状報告
報告します。

現在のところ、応募中のもので結果がまだ分からないものは、前回報告した小川未明文学賞110枚、森林のまち童話大賞15枚、フェリシモ文学賞5枚に加えて、10月に応募した室生犀星文学賞50枚です。

大阪ショートショート大賞は、全然ひっかりませんでした。
まあ、送ったのがしっとりした人間描写なので、アイデア重視の賞では無理ですよね。

大学の卒業制作用の創作小説は、120枚ほどで草稿が完成して、2月の口頭試問待ちです。無事、卒業するつもりです。

来年は東洋大学、通信へ在学しつつ、そちらは珍しくいい加減学生に徹して、文学賞への応募生活をメインにするつもりです。
三田文学新人賞(100枚)とエンタティメント系文学賞いくつか、太宰治賞(250枚)、フェリシモ文学賞5枚あたりはぜひ応募したいと思っています。

今年、合計すると、530枚以上は応募しているので、来年もそれぐらいなら応募できるかなと皮算用しています。

どうなることか、先が読めませんが。





2011年9月25日(日)
またも四ヶ月ぶりの現状報告
報告します。

現在のところ、応募したオール讀物新人賞100枚と、講談社児童文学新人賞250枚は見事に落選、前回報告と同じく箸にも棒にもかかりませんでした。(笑)
講談社児童文学新人賞は出来がもう一つの習作ですから、別になんとも想いませんが、オール讀物はせめて1次だけでも通りたかったです。まだまだ道は遠いということですね。

応募中のもので結果がまだ分からないものは、小川未明文学賞110枚、森林のまち童話大賞15枚、大阪ショートショート大賞5枚、とフェリシモ文学賞5枚といったところです。

大学の卒業制作用の創作小説は、120枚ほどで草稿が完成しました。まあ、こちらは無事、卒業できるはずです。

あと、年度内に純文学系の文学賞の三田文学新人賞(100枚)とエンタティメント系文学賞、小説推理新人賞(80枚)にも応募できたらいいなあと思っています。
できれば、純文学系の太宰治賞200~300枚の長編にもチャレンジしたいと思っています。
どうなることやら。





2011年5月18日(水)
四ヶ月ぶりの現状報告
報告します。

昨年、応募した福島正実記念SF童話賞は箸にも棒にもかかりませんでした。(笑)
また、今年の1月に完成した100枚作品は予定通り小川未明文学賞に応募しましたが、今年度から、締め切りが変わって、結果発表は3月上旬です。
この3月に完成した250枚のSF作品は、これも予定通り講談社児童文学新人賞に応募しましたが、出来映えは今ひとつですから、これは参加しただけです。

2・3日前に高校生が主人公の青春小説100枚を書き上げました。初めての大人向け小説です。これは文藝春秋社のオール読物新人賞へ応募する予定です。これの発表は10月です。

あと、年内に純文学系の文学賞(原稿用紙100枚ほど)とエンタティメント系文学賞、小説推理新人賞(80枚)にも応募できたらいいなあと思っています。
それと200~300枚のエンタティメント系文学賞の長編にもチャレンジしようかと思っていますが、これは3月頃完成の予定です。

もちろん、卒業制作用の創作小説(完成は80枚ほど)も、ありますが、これはなんとか適当に完成させるつもりです。






2011年1月11日(火)
新年の現状報告
またも5ヶ月ぶりに報告します。
前回、書きましたように京都造形芸術大学文芸コースへ昨年より、三年次編入の再入学をしております。

昨年、応募した福島正実記念SF童話賞の発表は4月です。
また、今年、最初に応募しますのは、 小川未明文学賞です。
この1月に完成ほやほやです。原稿用紙で105枚になりました。昨年の福島正美記念SF童話賞が50枚でしたから、長足の進歩です。
大学入学間前は完成作品としては25枚ぐらいでしたが、描写ができるようになると、長いものを書くのが非常に楽になりました。

今年は、4月8日締め切りの講談社児童文学新人賞(原稿用紙30-300枚)に応募すべく、今、去年書きかけの作品(48枚)を改作して200ぐらいのものにしようと奮闘しています。
他にも、坊っちゃん文学賞や、純文学系の文学賞(いずれも
原稿用紙100枚ほど)にも応募できたらいいなあと思っています。

今年は、卒業制作用の創作小説(こちらも20枚ほど書きかけ)も、これらとは別に完成させなくてはいけません。
いろいろとチャレンジな年になりそうです。
吉報をお待ちください?




2010年8月16日(月)
久々の現状報告
5ヶ月ぶりに報告します。
京都造形芸術大学文芸コースへ三年次編入の再入学して、4ヶ月が経ちました。
この間に、20通のレポートを書き、8科目の単位修得試験を受けました。
テキスト科目レポートは、「S」評価三つ、「A」評価評価九つ、「B」評価四つ、採点中が四つです。不合格はありません。
文芸コースの専門テキスト科目は、残り三つレポートを書くと、全制覇してしまいます。どれも練りに練った課題で、やればやるほど勉強になります。
この4ヶ月で別人と言っていいほど、進歩しました。
もし、この成果を、独力でやれと言われたら、何年も掛かります。
やはり、持つべきものは「先達者」ですね。

方向性さえ、示してもらえば、後は独力でどうにでも工夫、研究をしますから、
ほんと様々なヒントを頂きました。
ありがたいことです。

この8月もスクーリング三昧です。といっても、7月まででスクーリングは二つしか行ってませんでしたから、
やっと開始といったものです。

7-8日の「文学論4(辻原登)」、10日の学長講話、13-15日の「文学論6(現代小説論)」、21-22日の「論文研究1」、27-29日の「デジタル・レイアウト基礎」
と12日間も京都にいます。

ところで、図書館に本を返却に行ったら、ふと目に付いたチラシ。
〈第○○回○○○市民文芸〉。
へぇ、こんなのあったっけ。
昔、美術の市展に彫塑作品を出して、佳作をもらったことがありますが、文学出品にはまるで興味がなかったので、ちっとも知りませんでした。
一応、短編・エッセイ部門って、あるんですよね。

こいつに、この間、大学の科目試験用に書いたエッセイのような、短編作品を出してもみようかな。
2400字ほどだから、ちょうど3000字以内という規格に合致するし。

そういえば、最近、全然、文学賞へ応募しようという気が失せていました。
課題をやるので、必死でしたから。
調べると、新美南吉童話賞が締め切り9月15日、必着。
こいつは、原稿用紙7枚だから、4・5日あれば、書けちゃいます。
持ちネタもあるし。

福島正実記念SF童話賞が9月末。
こいつは原稿用紙40-50枚だから、そう簡単には出来ないけど、
まだ1ヶ月半あるから、腕試しに書いてみよう。
なあに、大学の課題だと自己暗示を書けたら、出来なくもない気がしてきます。
まだ完成作品としては、今まで25枚ぐらいしか書いたことが無かったんですが、そろそろやってみても良い頃合いです。

他にも、東京創元社が主催するSF短編賞(原稿用紙10-25枚)が1月、
ミステリーズ短編賞(原稿用紙30-100枚)が3月締め切りです。

テキスト課題からも解放されるので、来年の卒業制作用の創作小説とは別に、いろいろチャレンジしてみようかと思っています。





2010年3月29日(月)
まとめ
昨日は仕事が思ったより早く終わったので、地元の学習センターに4時半ごろに出向きました。
放送大学大学院の学位記を頂いてまいりました。

大きさはB4ほどもあって、なんとも立派なものです。
「修士課程において所定の単位を修得し学位論文の審査及び最終試験に合格したので修士(学術)の学位を授与する」と書かれてあります。

なるほど、審査や合格などといった文字があるとはこのことだったんですね。
予定では、次回、大学院に行くのは、京都造形芸術大学、東洋大学と二つ卒業した後の佛教大学ですから、8年後です。
つまり、その新しい学位記とは10年経たないとお目にかかりません。
10年なんて最近の自分の変化ぶりからすると、気の遠くなるなる未来ですが。

考えれば、10年置きに修士の学位を取るというのも乙なものです。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

京都造形芸術大学文芸コースの勉強始めました。
まずは修得単位の計画を立てる「文芸基礎」の計画表を仕上げました。
それで今は「創作演習1」と「同2」のために梅田 卓夫著『文章表現400字からのレッスン』 (ちくま学芸文庫)を読み終わりつつあります。

これがまた面白い。
梅田さん自体は『高校生のための文章読本』でお馴染だったんですが、
この本で全然ちゃんと理解してなかったことがよく分かりました。

この前、芥川賞作家の村田喜代子さんの『名文を書かない文章講座』を絶賛していたのですが、
そこで体得した感覚でこの『400字からのレッスン』を読むと、
また面白いぐらい納得できます。
両書ともに共通する思想を感じます。
『名文を書かない文章講座』が総論だとすると、この『400字からのレッスン』は各論ではないかと両者がリンクして感じられます。

しばらくの間は、レポート三昧です。
頑張ります!



2009年12月26日(土)
今年1年の報告(その1講演会等)
今年、行った講演会を列挙してみます。

1/17 △絵本作家の長谷川 義史さんの絵本漫談。

1/24 △芥川賞作家の三田誠広さんの著作権について。

1/31 ?神戸学院女子大学の教授、内田樹さんの教育論。

3/8 ○絵本作家の田中清代さんの絵本の創作方法について。

3/28 △児童文学者の斉藤洋さん (いかに物語は楽して書けるか)

4/5 ◎作家の重松清さん(「努力すれば報われる訳ではない。でもね…」この「でもね…」から「物語」が生まれる。)

6/20 △児童文学者の二宮由紀子さんワークショップ(絵本の種の見つけ方)於:帝塚山大学

6/20 ○作家 花村萬月(実践的な小説の書き方ー執筆および選考の現場から)

6月28日 ?京都女子大学の絵本学会で柳田邦男さんの講演会

7月4日 ○花園大学の公開講演会「作家逢坂剛の誕生まで―第三志望の人生」

7月31日(金)○あさのあつこ講演会・読売読書サロン

8月1日(土)◎花園大学公開講座「夏目房之介の講座」

ここまでで12回。

9月13日(日) ◎奈良県立図書情報館へ「平城遷都1300年 奈良・読書の旅(ミステリー作家の有栖川有栖さん講演会)」

9月20日(日)△「活字文化公開講座 in水都大阪2009(角田光代さん講演会)」

10月17日(土)×兵庫県立美術館での藤本由起夫先生の案内付きギャラリーツアー

10月24日(土)○京都造形芸術大学子ども芸術学部関係のピッコリーで童話作家の「あまんきみこさん講演会」(偶然、児童文学を書く羽目になったとのこと)

10月31日(土)◎「神戸100年映画祭」で映画監督の大森一樹さんの講演会(大森監督の神戸と映画、村上春樹作品との関わりや映画作品の奇しき運命等々のお話)

11月14日(土)◎関西大学で活字文化推進会議主催の「読書のひみつ、読書のよろこび」講演者は、芥川賞作家で女優(先日、太宰の映画「パンドラの匣」の主演)の、川上未映子さん

11月15日(日)○神戸海星女子大学で「角野栄子さん講演会」(『魔女の宅急便』の秘話や童話との関わり)

12月12日(土) ◎大阪読売文化センターでの有栖川有栖講演会(「有栖川有栖とひも解く推理小説の世界」文章は書けば書くほど上手くなる)

12月23日(水)◎大阪国際児童文学館での三木卓講演会「児童文学とともに 」

今日の三木卓さん講演会でちょうど21個目でした。
去年は公式には7個でしたから、3倍近く増えてますが、日程的にはこれが限界でしょうか。
(なぜ「公式」なのかというと、これら以外に去年も今年も京都国際マンガミュージアムでの講演会やシンポジウムも幾つか参加してるからです。)
中には有栖川さんのもののように2、625円払ったものもありますが、大半は無料か、掛かっても500円ぐらいです。(電車代は相応に掛かりますが、それは必要経費ですよね。)
時間は短くても、どの作家の人も最低一言ぐらいは心に残る何かはありました。

よく21個も行ったものです。
今日の三木卓さんもそうですが、作家になるサクセスストーリーには心魅かれます。児童文学の歴史も凄く分かりやすかった。

来年は、文芸コースのスクーリングがあるので、そうそうは行けなくなるでしょうね。
(早速、1月24日に工藤直子さん講演会を入れていますが)
目標7個と低めに設定しておきます。

今年は、この他にやったものは、
梅花女子大学の公開講座が、4月から9月まで。
板橋区立美術館の講座8月。
今やってる神戸新聞文化センターの「玄月のやさしい文章教室」11月から10年度1月。
東洋大学通信教育部のテキスト科目2科目。
大阪芸大通信教育部夏期スクーリング「小説論」8月。
そして、当然のことながら、放送大学大学院のゼミ及び修士論文書き。





2009年11月1日(日)
ひさびさの近況報告
4ヶ月ぶりの更新です。
その間も、ちゃんと活動しています。
先月は科目履修生になった東洋大学のレポート7通を書いて出しております。修士論文も完成し、ただ今最終校正中です。今月のゼミには仕事の関係で参加できませんが。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

昨日は、午後14時まで、仕事でしたが、予想より早く終わったので、
速攻で、図書館へ本を返しにいき、兵庫県立原田の森ギャラリーへ「MARBLE’09展」(KUADの通信の卒業生の方々の展覧会)を観ました。(内容は、プロ作品と同じ厳しい眼で観ると、正直、苦しかった。でも、頑張りは凄いと思います。)
その後、神戸市長田区で行われている「神戸100年映画祭」へ向かいます。
映画監督の大森一樹さんの講演会がお目当てです。
大森監督の神戸と映画、村上春樹作品との関わりや映画作品の奇しき運命等々のお話はとても面白く、
その後で引き続き行われたトークショウ(神戸フィルムオフィス代表田中まこさん、撮影監督の、阪本善尚さんと柳島克巳さんの鼎談)がとても面白く、珠玉の1時間でした。
阪本さんは大林宣彦監督の尾道三部作との仕事が有名で、柳島さんは北野タケシ監督の一連の作品での仕事で有名です。

映像を、「技術者」としてどう捉えるかというのは、滅多に聞けない貴重な話です。
通例、映画監督ひとりにスポットが当たって、そちら側からしか作品が語られないので、
「光」について繊細な感覚の持ち方、切り取り方は、僕のイメージ表現の持ち方にとても勉強になりました。
今後の大きな指針とします。
ありがとうございます!
観客が、おそらく地元のお年寄りの方が大部分で、あとコアな映画マニアらしき風体の怪しき男性がチラホラ。(僕も、その怪しい?一人かな)
映画制作関係者もいたでしょうね。

どちらにせよ、座席に空席があってもったいないものでした。
この「神戸100年映画祭」第14回を迎えるのに知られてないんですよ。
僕ですら、初めてかな?(6年前だかにワークショップで短編映画を撮影したプログラムがその関連だとは思いますが)
もっと皆に知ってもらいたいですね。

追記
この講演会で、今年の講演会、第16個目です。「当たり」に分類します。
次に報告を書く24日に行った「あまんきみこ講演会」が15個目でこれも「当たり」でしたから。
このまま連戦連勝を狙いたいものです。
残り、四つあります。
11/14川上未映子、15角野栄子、12/12有栖川有栖、23三木卓。
未当選のものもありますが。






2009年7月5日(日)
近況報告
あまりに更新しないのも何なので、近況を報告。
相変わらず、手広くやっています。

6月20日、朝から夕方まで大阪の南から京都まで二つ講演会に行きました。
後で、示すようにこれで今年は7・8回目の講演会を二つクリアです。
昨年末の目標では2ヶ月に1回でしたから、この調子だと1年で24回は行きそうですね。

さてこの日の結果は1勝1引き分けという感じでしょうか。
一つ目の講演会というかワークショップは、児童文学者の二宮由紀子さんの「絵本の種のみつけかた」。
個人的には、この表題が2年前に受けた板橋区立美術館で僕の人生最大の成果があった公開講座教室と同じでしたので、
「えっ!ほんと?」と半分、疑心暗鬼で参加しました。
内容は、受講生に「好きなもの」を単語でなくて、名前を挙げさせるなど、確かにワークショップ形式で、なかなか面白そうものでした。
講義内容も、「自分が一番、魅力を感じるものを書く事が大切です。」と当たり前の様で、意外にやってないことを強調されていて、興味深かったです。
結構、触発される講義で、多分、僕みたいに絵本を実際に作った経験のある人間や、童話と絵本の違いが分かっている人間には、いい刺激がありそうだったんですが、
他の受講生らしき帝塚山大学の学生さんたちはキョトンとしておいででした。
おそらく午後の本格的なワークショップで、講師の方の意思が伝わるんじゃないかと思います。
「好きなものから書く事」や「自分の好きなものを考える事」って、確かに創作や物語構造には、凄く大切だと僕もしみじみ思いますから。
意外に、好きでもない事から始めて長続きしない。こういう当たり前過ぎる事って、真面目に頑張ろうと思ってると忘れて、独り相撲で苦しんじゃうんですよね。

楽しい事から始めるって、大きなこと(卒論やら卒業制作など大作において)には、とてもとても大事です。(経験者は語る)
いくら楽しい事でも、12万字なかなか書けませんよ。
慶応の卒論で途中吐きそうになりました。
今の放送大学大学院の修士論文でも同じです。(トホホとなってますから)

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さて、もう一つ、午後から京都、花園大学へ向かいました。
花園大学客員教授でもある、作家・花村萬月氏の講演会「実践的な小説の書き方ー執筆および選考の現場から」。

これがまた無茶苦茶、面白かった。
へぇー、ほぉーと創作の秘訣。ほんと実践的な、作家ならでは「感覚」を伝授してもらいました。
備忘録として書き出します。

・小説を書く事は「一に才能。二に才能。三に才能」。3年、必死でやって駄目なら諦めましょう。
・作品を書く時に、流行を追う傾向と対策だけはしては駄目。なぜかというと、傾向と対策はいつも「後追い」だから。受賞に必要なのは、独自性のみ。新聞など情報をシャットダウンした方がいいね。村上春樹の二番煎じはいくら文章が上手く、破綻がなくても無理。
・小説はフィクションだから私小説でない限り、自分から出来るだけかけ離れた存在を主人公に据えるべき。自分の欲望。なりたい自分が大切。
・そもそも小説は自分の思想信条を述べる場ではないから、そんな駄作を新人賞に送らない事。
・劣等感とか生きて行く上でのマイナスは非常に大切。いっぱい失恋しよう。
・小説のテーマは、最終的に純文学なら「生と死」、エンターティメント系なら「性と暴力」。それがどこかにないとね。
・描写の大切さ。

どれもこれも、うーんと唸らされることばかり。
勉強になりました。

しかも、花村氏、講演そのものを2時間終えてから、更に1時間半も質疑応答するサービスぶり。そのエネルギーに敬服しました。

但し、質問する人が変な人が多かった。
質問の内容が意味不明で、自説を何分間も述べるお爺さんやら。(よくいるこの手のお爺さん)
他作家の作品の講評をとんちんかんに求める小母さん。
やたら横文字を並べて、話の骨子が見えない抽象的な質問をする学生。
そんな的外れの時事問題を尋ねるなよという女学生。

なんか質問者の8割り近くがトンチンカンでした。
(僕は作家の方が申し訳なくて、一切質問しませんでした。)
それをユーモアを交えて切り返したり、時に手厳しく問いつめたり、
また暖かく答えたり、すっかり花村さんの話術にファンになりました。
作家に多い変な非常識的夢想家でなく、「実践力」ある「行動者」を見る思いがしました。

僕が受けた文学系講演会で、特Aクラスのものでしたね。
来月も、花園大学でミステリー作家の逢坂剛さんのものがあります。
必ず行くぞ!と固く心に誓ったものでした。

というより、まだ今月は27日に梅花のいつもの新美南吉講座と、28日には絵本学会の講演会やら研究発表会があるんですよね。

追加
あと一つ、大失敗。
お金を払った毎日文化センターの詩の講座、忙しすぎて、今週の月曜日だったのを失念、行けそうだったのに、すっぽかしました!
まあ、こういうこともあるよね。(どの道、外れ気味だったから、いいさ。いいのさ。面白かったら、絶対わすれなかったんだ!
あのブドウは酸っぱい式で慰める他ありません。)


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1/17 絵本作家の長谷川 義史さんの絵本漫談。
1/24 芥川賞作家の三田誠広さんの著作権について。
1/31?神戸学院女子大学の教授、内田樹さんの教育論。
3/8 絵本作家の田中清代さんの絵本の創作方法について。
3/28 児童文学者の斉藤洋さん
4/5 作家の重松清さん(「努力すれば報われる訳ではない。でもね…」この「でもね…」から「物語」が生まれる。)
6/20 児童文学者の二宮由紀子さんワークショップ(絵本の種の見つけ方)於:帝塚山大学
6/20 作家 花村萬月(実践的な小説の書き方ー執筆および選考の現場から)
6/28 絵本学会での柳田邦男講演会
7/4 作家 逢坂剛「作家逢坂剛の誕生まで―第三志望の人生」




2009年3月21日(土)
報告
京都の某所での童話教室の全4回が、終わりました。
体力的、時間的に強行軍の4回でしたが、なるほどと頷ける見方や、考え方が先生を始め、受講生から教えてもらって、
なかなか勉強になりました。

もっと近ければ、ずっと続けられるのですが、
今は修士論文に取りかかる時期ですので、しばらく半年ぐらいは再開不可能です。
社会人として仕事優先ですし、その開始時間に間に合う時間的余裕が月2回といえど、ありません。

先週の土曜日には、梅花女子大学の公開講座「幼年文学の魅力」全3回も終了しました。(まだ今月、2回番外編が残ってますが)
その代わり梅花では、4月から月1回の児童文学講座・半年分を予約しました。
「新美南吉の世界」です。これも毎回参加できるか不明なんですが、
とにかく貪欲にチャンスを掴もうと思ってます。

あと、「鬼ヶ島通信」という児童文学の会員制同人雑誌も、購読することにしました。
これは佐藤さとるさんなど僕の敬愛するプロの児童文学者の方々の作品が掲載されているものです。
といっても、半年に2回発行なんで、のんびりしたものですし、素人が投稿っできる筋合いのものではありませんが、一応、投稿作品の批評もしてもらえるようなので、おいおい投稿開始しょうと思ってます。

ただ純粋に児童文学プロ作家の作品が載っている文芸誌って、意外に無いんですよ。
本来は、『日本児童文学』や『児童文芸』とかがそういう雑誌のはずなんですが、なんか違うんですよね。(後者はあまり読んだ事が無いので、偉そうな事は言えませんが。)
どちらも一般の書店ではかなり大きなところでもあまり置いてませんしね。

何れにせよ、こうして【アトラン大学 児童文学学部カリキュラム】とでも名付けるようなものを、自分で創って行くしかない。
通信制で児童文学を教えてくれるところがないですからね。
無ければ、時間と労力を掛けて擬似カリキュラムを創るしかないでしょう。

ナポレオンじゃないですが、僕の辞書にも、
「諦める」や「不可能」という文字はありませんから。

追記
このトップページのつびやき日記。
ブログに移行しょうと思ってたんですが、全くの放置もなんなので、こうして時々、近況を載せたいと思います。

更新が捗りませんが、それだけ活動が大変なのだとご理解下さい。
mixiの方では、せっせと更新しています。
修士論文も、苦しみながら、前進しています。
今で5万5千字ほどで、あと6万字ほど以上書けば終わりの予定です。




2009年1月2日(金)
フランス語、だらだら勉強宣言!

皆さん、明けましておめでとうございます。
旧年中は、僕のマニアな話にお付き合い頂き、ありがとうございました。
本年もよろしくお願い致します。

さて、初夢の妄想ならぬ、構想を一つ立てました。
名付けて、「フランス語、だらだら勉強作戦10年」。
(なんじゃそりゃ!と、突っ込んで下さい)

きっかけは、自分の研究領域であるストーリーマンガにおいて、フランスのマンガ「BD(ベーデー)」を何冊か、持っていることです。
この年末も、京都国際マンガミュージアムに行って、BD関係の展覧会を見てきました。また、何冊か注文、してしまいそうなんです。

で、それとは別に、2010年に再入学を検討中の京都造形大の文芸コースのパンフレットを見ていると、
前回の洋画コース在学時は、取る余裕が無かった語学に目が止まりました。
ハングルを勉強中の相方に対抗して韓国語かな…。
いや、全く勉強せずに行ったイタリア旅行のリベンジにイタリア語か…。
いやいや、SF小説ペリーローダンシリーズ関連で高校時代からの憧れ、ドイツ語か。

そのとき、天啓が聞こえました。
「フランス語、あるじゃん。どうせたるなら、ちょっとでもBDが読めるという明確な目標がある仏語だろう。
マンガ研究の専門家たらんとすれば、一度は仏語に挑戦すべきじゃない。
将来、ルーブル美術館に行ったとき、役立つじゃんか。仏語は、イタリア語とも親戚関係だから、挫折もまた何かを生むよ。
はたまた、英語と仏語は発音はともかく、ノルマンディー公以来、語彙の共通性も結構、あるみたいだから、英語力アップやモチベーションUPに繋がるかもよ。」

ということで、早速、Marieさんなど詳しい専門家の方にもお聞きして、役立つ参考書やCDを注文してしまいました。
10年間、不真面目にせっせと取り組めば、今の頼りない、かつ、モチベーションのない英語よりは、頑張れる気がします。
何せ、目の前に1冊3000円以上するBDがごろごろ転がってますからね。

僕が、通信の勉強を思い立ってちょうど10年ぐらい、実際に入学してからは8年目で、ここまでの大変身を遂げました。
思えば、絵を周1回のカルチャーセンターで下手の横好きで描き始めて、だらだら6年ほどやってました。7年ほどしたら偶然、天使がきっかけを与えて3年ほど必死で描いて描いて描きまくって、描けるようになったのでした。

だらだら10年やり続ける「凄さ」は体感しています。

僕の、メインは、あくまで創作、小説・童話など物語です。
語学は手段、ツールに過ぎない。
でも、それも少しだけ頑張ってやろうと思います。

いつまで、この気持ちが続くか分からないけれど、
ここで宣言して、後戻りできないようにします。



2008年10月12日(月)
今、やっていること
最近、このつぶやき日記を更新していませんでしたが、活動は手広くやっていますから安心してください。(笑)
mixiなどにはリアルタイムに書き込むんですが、ここはほんとの公道ですから、なかなか書けないことも多いです。
 それにBBSにも反応がなく、アクセス数だけ伸びていく現象になっていますので、ここでは誰を対象に文を書けばいいのか、戸惑ってもいます。

「森林のまち童話大賞」には無事、童話を送りました。「ニッサン童話と絵本コンクール」用の絵本原画もあと1枚修正用原画を完成させれば、OKですし、コピー製本もこの19日に行います。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  
今、大阪芸大の「シナリオ創作論」の第一課題をやっています。
テキストは市販本で有名な『新版 シナリオの基礎技術』(新井一著 ダヴィッド社)なんですが、これと学習指導書を合わせ読むと、とても面白いです。

『新版 シナリオの基礎技術』自体は、2年前だかに読んで面白いなあ、とは思ったんですが、人ごとのように感心するばかりで今イチよく実感できていませんでした。
でも、童話創作1年目の今、読むと、目から鱗が落ちる卓見ばかり。ストーリーの発想法から考えの整理法までまさに至れり尽くせりの名著でした。

課題自体は、シナリオ用の整理法なんですが、
僕は、12月締め切りの「Be絵本大賞」に出す童話(といっても少年小説というべきものを考えています)の設定で考案しています。粗筋自体やキャラクターはもうほとんど出来ているので、テーマの膨らませ方や、まとめ方などのいい実地訓練になります。

この合理的な方式で、ストーリー考えて行くと、いくらでも長編書けそうな感じがしてきました。
今回の、この大阪芸大の科目履修生で取った科目、どれも面白く外れがないです。放送大学院の修士論文との併習はキツいかなと心配しましたが、
この分だと、物語文化全般を理解する良い刺激になっています。

やってよかった。
きっと今が一番、必要な時期で、少し前だととてもしんどい苦しめられる課題だったでしょうね。
神様に感謝します!

なんか、昨年の慶応での卒業論文完成以降、プライヴェートな趣味の分野では、することなすこと、大当たりばかりで怖いぐらいです。

(昨年4月マンガ学会発表、9月板橋区立美術館講座《絵本の種の発見》、11月童話通信講座、
今年1月眉村卓小説教室、4月放送大学院入学&ワニくん絵本教室、10月大阪芸大科目履修生。)

昨日は、午後から「気軽にまんが教室」の第一回目でしたしね。

この快進撃は、どこまで行くのでしょう?
2年後、3年後の自分が何をしているか、一応、計画してますが、
それらがほんとに実現したら、夢のようなことができるのですが。





2008年8月17日(日)
旅の報告


14日の夜に、4泊5日、バス中泊2日という強行軍の旅から帰ってきました。
1日目の、広島国際アニメーション展は、受賞作品の上映途中で夜行バスの出発時間が来て、ほとんど観れない残念な結果でした。
コンペ作品をほとんど観ていないので、感想を書く資格はないんですが、
山村浩二さんの「カフカ 田舎医者」と加藤久仁生くんの「つみきのいえ」のワンツー・フィニッシュで事実上の優勝・準優勝は、式だけでも感動的でよかったです。
作品自体は、後で観ることが出来るので(カフカはDVD化されてますよね)、むしろ、こういう授賞式を今回はじめて観たことが喜ぶべきなのでしょうね。TVニュースで取り上げてくれないですから。

また、各賞の受賞理由に、ヒューマニスティックな視点があって、というのが、多かったことが印象的でした。
面白いかどうか、の質で、やはり国を超えて感動させるものの力を改めて感じました。
有名だとか、キャラがとか、派手な点ばかりが目に付きがちな商業ジャパニメーションとは違う、長い目で視る価値観。
僕にとっては、アニメーションに限らず、「世界」や「人類」を考えさせてくれる機会が、この「広島国際アニメーション展」だと再認識させられました。
小説や、童話、絵本、どの媒体であるにしろ、表現するだけでなく、誰かの力になりたい、また、誰かを真に「楽しませる」開かれた視点での制作とな。
これがある限り、たとえ半日でも暇があれば、広島へ出かけようと心に誓った瞬間でした。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

あと、昨日、帰りの飛行機ぎりぎりで東京都現代美術館の「スタジオジブリ・レイアウト展」へ行ってきました。
感想は、と言うと、思い切りハズレでした。(おいおい)

一般のひとにとっては、こうした絵コンテ風のものて、珍しいので、面白いのでしょうが、僕などマニアには当たり前じゃんてことばかり。
去年の男鹿さんの背景美術に較べたら、
テーマに統一性がなく、ただ有名作品の絵を並べただけにしか思えませんでした。
もっと個人個人の生の声を出したらいいのに。
下積みアニメーターは、こんなに薄給で重労働だとか、作画監督に成り上がるのはこんなに大変だとか。(まずいのかな…)

*補足
このレイアウト展は、日時の事前予約制なので、当日いきなりは無理です。気をつけないと駄目です。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  


続いて、絵本編に行きます。
さて、メインだった板橋区立美術館の「夏の教室」。
相変わらず、全体を統括する絵本コーディネーターの広松由希子さんのお話は、絵本研究で修論執筆中の僕にはとっても刺激的で面白い。
広松さんの言葉は、後で咀嚼したら、凄い味わい深い言葉ばかりで、
これだけでも来た甲斐がありました。

ただ僕自身が、古美術や日本美術にはある程度造詣が深いので、「たばこと塩の博物館主席学芸員」の岩崎均史さんの語る浮世絵その他の江戸期出版物本の「画本」のお話以外は、既知のことだという印象でした。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

美術館は、東京ちひろ美術館と、当然、板橋の国際ボローニャ展を観ました。
ちひろ美術館は、ここ数年、毎年、一回は行っています。今回も無理して行ったのは、ちひろさんと他の絵本画家の技法の違いを読み解く展示があったからなんです。
まあ、元々、技法を読み解きに行ってますから、格段凄かった訳ではないんですが、
たった1本の普通の黒鉛筆を、寝かしたり、太さを、味わいを変えつつ、描いているちひろさんの繊細な筆遣いを充分、感じ取って帰ってきました。
それと、今、水彩をどうしようか迷っているだけに、水彩の色遣いも改めて記憶に閉じ込めてきました。

ボローニャ展は、今、自分の絵本制作モードがかなり文学系に振られてしまっていることが再認識させられました。
これが絵本である必然性や、デザインする感覚を忘れてはならないと思いました。
なんでも描ける、何描いてもいい可能性の無限さをつい忘れて既知な形式にこじんまりとまとめようとしてしまうんですよね。

何より、ちひろさんが生きていたらもっともっと絵が描きたかっただろうに、と思います。
それと、高校時代の絵が描けなかった自分から見たら、何描こうと迷う今の自分なんて、なんと贅沢な悩みなんだろうか。
改めてそう思います。
経済的、時間的、能力的に絵が描けるのに、描かないなんて、許せない。
怠けてしまった自分を叱咤激励してみたくなります。
頑張ろう!




2008年8月9日(土)
童話作家のあまんきみこさん&放送大学院


なんとか、放送大学院へ提出する研究レポートを書き上げました。
ほぼ予定通りの、1万2千600字。
昨日の夜で8千字でしたから、我ながらよく頑張ったと思います。
でも、昼の時点で、1万2千字書き上げてたのに、それから資料の図像コピーやら参考文献の整理やらの校正に8時間近く掛かりました。
まあ、ゼミの先生がプラトン以来2千年の人文科学の歴史を背負って立つ方ですから、これくらい念を入れて、やっとボダーでしょう。

ほんとうは、完成ご褒美に映画「スカイ・クロラ」でも観に行こうかと思ってたんですが、もうへろへろです。
明日、仕事の帰りに、郵便局に配達証明か何かで送ります。

*  *  *  *  *  *  *

ちなみに、近況報告しておきますと、
1、先日、伊丹市立美術館に「こどものとも 絵本原画展へ行きました。
秋山あゆ子さんの、昆虫の捕物帳「くものすおやぶん とりものちょう」の絵本がとっても可愛くて、ファンになってしまいました。
アマゾンでさっそく、秋山さんのマンガの方も注文してしまいました。
得した感じでした。

2、大阪府立国際児童文学館で行われた、「ニッサン童話と絵本グランプリ」の創作セミナーに行ってきました。講師のあまんきみこさんがとっても不思議キャラなことを知りました。

曰く「自分の幼年時代に戻って創作しています。」

「子ども二人を育てて、子ども目線をもらって創作してきました。」

「いつも呆れる程、長く時間を掛けて作品を完成させます。何年もほそぼそと書いているので、まるで一つのラブレターを書いているようです。
だからもし、(隣にいる作家の尾島さんのように)テーマをもらって書いたら、(幽霊とかのテーマなら)、たくさんたくさん書いて、たくさんの幽霊に恋をして書くようなものになります。」

「私にとってのファンタジーは、びっくりするようなものではなくて、これはあるぞと思うものでした。」

「一生懸命書いたものが、どうしても作品にならない時も、絶対捨てないこと。それがたくさんの肥料になる気がします。後で読むと、見えてくることがあります。何年も何年も過ぎて完成しますから。」

「独創性を出すというよりも、書きたいことをひたすら書いていたら、向こうから話が来る気がします。」

あまんさんの代表作「車のいろは空のいろ」はとっても素敵で、大好きな童話なんですが、
あまんさんの言葉は、とても味わい深く、勇気づけられるものばかりでした。
一所懸命、メモしたものを、出し惜しみせず、ここに書いておきます。
後、二日で、広島国際アニメーション&板橋区立美術館への旅が始まります。
ちょっとでも、何か創作してみます。
 




2008年6月29日(日)
上橋菜穂子さん講演会
 昨日、上橋菜穂子さんの講演会「物語とともに/作家への道程」へ行って来ました。
 
上橋さんが体の弱かったこと。祖母が物語りが非常に上手かったこと。曾祖父の父は柔術の遣い手だったとか、父が画家でマンガ禁止令が少女時代出ていたとか、正に縦横無尽の話しぶりでした。
どれも時々、オチが付いていて、聴衆を笑わすこと笑わすこと、上橋さんは東京生まれのはずなのに、関西人的笑いのセンス、偏差値が非常に高く感じました。

萩尾望都の『トーマの心臓』に感動したこと、バロウズの『類人猿ターザン』が好きだったこと。そして、よく引き合いに出されるサトクリフの『ともしびをかかがえて』や『太陽の戦士』とともに、作家は魔法使いであり、自分の思う最高の魔法使いがトールキンであると力説されてました。

自分は作家かマンガ家になりたいと思っていて、今こうして夢かなって
作家になれましたが、若い中高生のときにイギリスの『グリーン・ノウ物語』を書いたボストン夫人(60歳になってから作家になったそうです)に会った時の思い出を語っておられました。彼女に、作家になりたいと言ったら、その夢を大人になっても同じ強さで持ち続けていたら、きっとなれますよと言われた。
上橋さんの目指す小説は、読む人が嘗ての中高生の頃の自分がそうだったように「えっ、今どこにいたの」と読み終わったときに思うぐらい没入できる物語を書きたいのだ、と。そういう魔法使いに自分はなりたい。
「できれば、自分はけっこう凄い魔法使いだったと言われるように頑張りたい。」と語っておられました。

また、上橋さんの小説創作法は、テーマを予め決めて書くものではなくて、書きたいシーンが浮かんで、なぜ彼女はそこにいるのか、その前にいる獣は何なのか、といった風に始まるとも仰っておられました。

直接的に、創作の秘訣をお聞かせ頂けた訳では、ありませんでしたが、(薬草事典を2冊持ってますとかは参考になりましたが)
上橋さんの物語に掛ける情熱と、ストーリーテーリィングの上手さは非常によく分かりました。




2008年6月14日(日)
近況報告
やっと発表になりました。
今年の夏の板橋区立美術館の夏の講座が!

夏のアトリエ(7/15-19)
夏のセミナー(7/31・8/1)
夏の教室  (8/12-14)

詳しくは以下のURLを読んでもらったら、いいのですが、
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/lecture/lc2008-05.html#04

昨年、僕は「夏の教室」に参加して、絵本作り・童話作りのきっかけを見事、つかむことができたので、
今年もすべての不義理と人非人のそしりを受けようとも、有休を取って参加しようと思います。

僕の行きたいのは、今年も「夏の教室」3日間。
但し、去年と違い、今年は創作系ではなく、講義系らしく「日本美術と現代の絵本」という題が付いています。
でも、これ今やっている修論のテーマにどんぴしゃりなんです。
ですので、仕事をやりくりして行きたいと思います。
横浜の妹のところにでも、2泊させてもらおうかと思っています。
(妹家族との交流も兼ねて)
まあ、応募多数の場合は、抽選になるので、去年参加してると、不利かもしれませんが、当落は神様のお決めになる運命ですから。

実習系で絵本を作る「夏のセミナー」や「夏のアトリエ」は、イラストレーターの方とありますが、
造形大関係の方なら、大丈夫だと思いますよ。
僕は、両方とも、仕事がとても忙しい時期なので、こちら(本当はこの頃も仕事ありですが)の8月教室の方を選びます。

多分、参加して、目から鱗が落ちる企画になること、僕が保証します。値段も安いですし、関東近辺の方、ぜひ応募下さい。
(競争相手を増やして、当選確率下げてどうすんだという計算より、みんなに知らせたい願望の方が強いッス!)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

近況報告すると、最近は恩田陸の小説にはまっています。

SFやファンタジーっぽい不思議な事件に特徴のある作家なんですが、ホラーっぽいのはもちろん、ミステリーや、『六番目の小夜子』という学園もの、『夜のピクニック』のような限りなく純文学的な青春小説まで、実に幅広い作風を誇ります。
そして、何よりもどれもエンタテェーメント作品として第1級の作品ばかりで外れがない。それが凄いことです。

また、そうしたモチーフ展開(恩田さんは、小説毎に凝ったゲーム的謎解き要素を設定して、それで読者の興味を鷲づかみにします。)の仕方は、少しでも小説の創作道に入った者にはとても勉強になります。

今現在、自分にとって目標とする作家の一人に恩田陸さんがいることは間違いありません。
(面白いことに、このたった10ヶ月間で、参考になる作家がどんどん変わっていきます。
岡田淳、竹下文子、小森香折、瀬尾まいこ、上田早夕里、そして恩田陸です。
こんな書き方や、状況設定があったのか、と新しい作家の凄さに目覚める度に、そこに共感する自分の中に眠る資質を感じます。
これだけでも、読者冥利に尽きます。)

今は、放送大学院のレポートや研究、および「ワニくん絵本教室」関係の絵本制作で、ほとんど自由時間は消費してしまいますので、
時間がほんとありません。
ですが、森林童話用の童話というより、ジュブナイル小説をほんと少しずつ書いてます。

「夢を諦めないこと。継続すること。成果が無いと思ってもベストを尽くすこと。」

最近、仕事がほんと大変だったので、こうした努力した分だけ、少しでも前進するプライベートな時間のありがたさをひしひしと感じます。
昨日よりも今日。今日よりも明日。いいことがあると信じたいです。
この間、秋葉原で起きた若者による殺傷事件などは、ほんと悲しく思います。25歳なんて、僕のようなオジさんから見たら、人生いくらでも再生できるし、無限の可能性がありますよ。
生きている限り、チャンスはいくらでもある。
その意味で他人の命や可能性を奪っちゃいけません。絶対に。



2008年5月19日(月)
計画
少ない自由時間だからこそ、しっかりした「TO DO 計画」を立ててみます。
ここに宣言して、奮起してみます。
これから5ヶ月ほどのもの。

1、放送大学院のレポート課題三つ。(6/6必着)
2、放送大学院のゼミ課題(6月分、7月分、9月分)
3、放送大学院の7月下旬試験、4科目。
4、放送大学院の修士レポート提出(1万字、8/8必着)
5、梅花女子大学図書館、大阪国際児童文学館および国立国会図書館関西分館への研究訪問(ひとまず5/24辺りか?)
6、未来の子ども絵本大賞への応募。(8/20必着)
7、森林のまち童話大賞への応募。(9/30必着)

1-5までは、完全に放送大学院の修士課程関係なので避けられません。 (通信レポート課題三つは昨日、すべて発送完了してます!)
6は、構想はまとまっているので、描く暇があるかどうか。前に描いた「世界のはての王女」があまりに大人向きですので、こちらを先に完成させようかと思っています。
7は、あらかた筋も考えたので、15枚程に収まるか心配ですが、出来そうです。

なんとか、全部、叶えたいところです。
夏には、広島国際アニメーションフェスティバルも今年はあるし、1日だけの日帰りでもなんとか行きことにすると、この夏休みが勝負です。
論文3万字ぐらいは書くことにすると、絵本を作っている暇がありません。考えどころです。

そもそも、年始の抱負では、
「童話の中編部門への応募と作品完成。福島正実記念SF童話賞(50枚)か、小川未明童話賞(120枚)への応募」とか
「ニッサン童話と絵本のグランプリ(絵本部門)への応募。」とかが、あったんです。
でも、今の忙しさ&精神状態では、期日もあって無理っぽいですね。(「ニッサン」は不確定ですが)
まあ、年始の梅花女子大学の公開講座の受講や、毎日文化センターの眉村卓小説講座の受講、通信講座童話塾の受講満了ができただけでも、良しとしましょう。




2008年5月6日(火)
久しぶりの完全休日でした
けれど、僕は、京都の国際マンガミュージアムへ出かけました。
「京都マンガフェスタ2008」というイベントの一環として、フランスの漫画バンド・デシネをめぐるシンポジウムが行われていたからです。

「国際シンポジウム マンガVSバンドデシネ?!」という題目で行われました。
日本は、実はマンガ大国だという自負のもと、意外にマンガ作品については中華思想的鎖国状態にあることを、一般の日本人は知りません。
アメコミは、さすがにスーパーマンやスパイダーマンといったヒーロー物で知っていても、世界的に大きな影響力を持ち、日本とは異なる発達を遂げたフランスの漫画、BD(バンドデシネ)については、ほとんど何も知られておりません。

「タンタン」辺りが有名でも、これは戦前からある日本も含めた現代マンガのルーツに近いもので、絵本扱いされております。

BDの特徴は、オールカラーで、大判サイズ(日本の画集ぐらいB4サイズかな)であり、コマ割りが明らかに日本とは違います。
「Akira」の大友克洋が、BD作家メビウスの影響下にあることは、マンガ研究家の間では自明のことなんですがね。

最近、話題になって、かつ、入手可能な翻訳されたBDを以下に記しますね。
『マンガ 平壌』
http://www.amazon.co.jp/マンガ-平壌―あるアニメーターの北朝鮮出張記-ギィ-ドゥリール/dp/4750322679/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1209998293&sr=1-1

『ブラックサッド -黒猫の男』
http://www.amazon.co.jp/ブラックサッド-黒猫の男-フアン・ディアス・カナレス/dp/415208653X/ref=wl_it_dp?ie=UTF8&coliid=I2859IF0LMMKEA&colid=CC635GF5IBI2

『ペルセポリスI 』
http://www.amazon.co.jp/ペルセポリスI-イランの少女マルジ-マルジャン・サトラピ/dp/490178465X/ref=wl_it_dp?ie=UTF8&coliid=I347B981MJ8O6L&colid=CC635GF5IBI2

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

先日29日も終日、仕事でした。
でも、出勤前、4時半頃起きて、その日出す通信「童話塾」の最後の1話を、ぺこぺこPCに入力していました。帰宅後、続きを完成させて、さきほど郵便局に出してきました。
これで、昨年から6ヶ月の契約で受けたこの通信の童話講座も終了です。
毎月、たかだか原稿用紙10枚ほどなのに何か童話を書くというのは、大変な作業でした。

特に、転勤してからの4月は、怒濤の忙しさに、自身が沈没しかけていただけに、よくやったと思います。
自分で自分を褒めてやりたいです。

しかも、今回、提出した童話(「世界のはての王女」という大人向け童話)は、今、他で受けている絵本作家のみやざきひろかず先生の「ワニくんの絵本教室」で絵本化しようと考えているストーリーです。
大人向けなので、少し言葉の数も多いものになりそうですが、今の自分の状態からして、この方が素直に描けるなと感じています。




2008年3月26日(水)
卒業式とはいいながら…

この24日(月)が慶応義塾大学の卒業式でした。
僕は、九月卒業なのですが、式だけ3月な訳です。
印象としては、式自体は、古式?に則ったもので、あくまでも若い通学生主体というより、大学の通過儀礼的なものでした。

塾旗が座席の中央を応援団員により運ばれて行くことや、
たまたま中央に座ると、後ろ側で応援団員の学生の美声がよく聞こえたこと、
式途中で退席したり、いつまでも私語を止めない学生が一部いたり、と天下の慶応大学の学生でも、この程度なのか、と思いました。
でも、そうした私語する男子学生に顔見知りでない和装袴姿の女子学生が、やんわりと注意したりするところもあって、さすがだねとも感じました。

僕などオジさんですから、冷静に儀式を観察することで違和感を誤摩化す以外、術がありませんでした。
ちなみに通学卒業生6千人余、対して通信卒業生は300人ほどです。恐らくは、通信生で式にでない方も多くおられるので、出席者はもっと少ないでしょうね。

通信生は、その後の学位授与式から、やっと卒業生気分が味わえます。
そこでは、通信教育部長の西脇先生から、祝辞がありました。

「知識と、情報の違い」
「情報」は、bitなり計れるが、「知識」は計れない。この二つは同じではない。人間は「知識」を探求したがる生き物で、皆さんは卒論の形で「知識」を探求する面白さの、その入り口に立てた訳です、という趣旨の話をされました。

そして、祝賀会では、思わぬ邂逅もあったり、ゼミのO先生にお会いすることが出来て、有意義なものでした。
本当は、この祝賀会、もっと早く始まって早く終わるのかと思っていました。
何より当初、参加するつもりが無かったため、キップの予約もあり、途中退席いたしました。
残念。もっと早くから参加のつもりで、計画しておくべきでしたね。

ここ2・3日は、4月からの転勤に備えて、てんやわんやの忙しさです。
そんな中、今日のJR岡山駅で起きた少年による突き落とし殺人は、ひどい。
ひどすぎる。
しかも、犯人は大阪の少年だなんて、身近な事件ですよね。
いつ自分が殺されても不思議じゃないってことです。

経済的な事情で進学できなかったことや、いじめがあったとかいう背景が取り沙汰されてますが、
本人自身の責任が大きいということは当然と認めた上で、
僕は思います。
きっと自分だけ取り残された気がしたんでしょうね。
自分の人生を取り返しがつかない「失敗」に終わったような疎外感や無力感があったのか、と。

お金を貯めて、国立大学へ行きたい希望があったようですが、
そこに社会全体に「勝ち組」「負け組」でスパッと区分け出来る、それ以外の「生き方を認めない」という風潮がどこか関係してないでしょうか。

本来、大学に行くことは「勝ち・負け」の問題ではなく、「知識」を得る為のもの。
それが偏差値や有名度、国立か私立かでしか判断されない現実がある。
それは、建前と本音の関係でありながら、こうして慶應通信での「学び」を経験すると、「建前」の中に「真実」もあることが分かります。

僕たち通信制大学で経験した「卒業」と、高校卒業が大学のための通過点でしかない「卒業」。
そんなことを思ってしまいました。




2008年3月4日(火)
笹生陽子さんの講演会に行きました

作家の笹生陽子さんの講演会「YA作品を書くということ」に行きました。
これは府立大阪国際児童文学館の主催のもので、「10代の子どもの読書を考える」という企画の一環です。
(それこそ、こういったものも橋下大阪府知事からすれば、収益の出な赤字団体の一つにされて廃止されかねない企画ですね。無料でしたから。)

内容は、文字通り自分の小説作りについての話だったんで、今の僕には旱天の慈雨にも似て、しっかりいろいろ勉強させてもらいました。

例えば、「自分のお気に入りの人物はかなり変わった個性の者なので、世間受けしそうな一般的な正確の人物を主人公にして語り部的に物語を進行させています。」とか、
「意識的にマンガっぽいキャラクターを動かしつつ、でも下品や安っぽくならない壁を乗り越えて書いています。(笹生さんは10代で少女マンガ家デビューをしたり、アシスタントあたりもした経験があるんだそうです)

「マンガのネームを描く時のように、人物がこう走って来たから次はこうだと構図も頭の中で動かしながら、書いています。」
「”私”という言葉なりをどこに配列するか、常に読者に自然に入ってくるようこだわって書いてます。」
「自分がヤングアダルト作品が好きなのは、未熟なものを愛おしい、可愛いと感じるからで、音楽でも文学でも荒削りなものが好きです。そういうものが自分に取って同化しやすいんです。文学ならその作者のデビューから3作目までの量産型の文章になる前が好きですね。」

どれも、発言を僕がアレンジしてまとめてますが、児童文学の新しい「作り手」としてかなり勉強になりました。
書きたいモノを書く、という強い意志と、反面その為にいかに周りの条件に柔軟に合わせるかという矛盾点をさらっとこなしている気がしました。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

帰りに、無理して、万博にあるその大阪国際児童文学館に行きました。自分も応募したニッサン童話と絵本グランプリの今期の入選作品が一部展示されているからです。
僕の童話は見事に落選してましたが、大賞作品を見ると、まとまっているけれど「無難な」生活童話の作品でした。
別に僕の作品がどうのという訳ではなく、こちらが書きたいと思っているファンタジーな作品とは、はっきり傾向が違うなとつくづく感じました。

絵本の方は、幻想的でとてもロマン溢れるもので、素晴らしいと思うんですが、全然、傾向が違うんですよね。この絵本部門は、大賞を逃した優秀賞作品もどれも素晴らしく第一級の作品でした。
また、どれもA3サイズの大きな紙に描かれてあって、実際の絵本よりも原画が大きいことに気づきました。今回、初めて、入選作の実物を観れたので、非常に勉強になりました。




2008年2月24日(日)
映画『奈緒子』観てきました。

上野樹里さん主演の駅伝映画『奈緒子』観てきました。

やたら、走っている映画、駅伝だから当たり前ですが。
良かった。
三浦春馬くん、カッコイイなぁ。陸上は分からないのですが、きれいなフォームで走っていた。
上野さんは、確か学生時代、陸上部だったとか、これもきれいなフォームで走っていた。

原作がかなりの大河マンガみたいなので、脚本はおそらくだいぶ端折って無理していると思われた。
冒頭シーンのバッタなど、導入部としては「?」でした。
物語展開の研究家?の僕としては、首をひねるものだけれど、
おそらく原作からのイメージを大切にしたんでしょうね。
僕なら、壱岐市や長崎の自然をもっと美しく撮るなぁ。
ただの駅伝の話にするには、もったいないキレイな自然なのに。

でも、鑑賞中、泣いてました。(オイオイ)
足が遅かった僕は、タモト清嵐くん扮する補欠の「吉崎」に感情移入してしまいました。
立て!立つんだ!ジョー!走るんだ!(コラコラ)
やはり、こうゆう青春B級映画には弱い。

駅伝競技後のラストのシーンもあっさりでしたが、なんだかもっと撮りようがあったはず。
僕なら、スローモーションや、カットバックを使って短くても、もっと印象づけた終わりかたにするな。
(ネタバレなので、詳細は書かないけど)
あれは、まだまだ三浦くん扮する「雄介」の走りはまだまだ続くと言いたかったんだろうけど、
続編ある訳じゃないし、不要だよ。

それと、早く走っているシーンを表現する上での、スローモーションって実に効果的だと言うことを改めて確認しました。
考えてみれば、「速さ」を「スローゆっくり」で表現って矛盾するんだけど、
体感「時間」って主観的なもので、こうした表現がリアルなんだよね。

(それと、「雄介」の駅伝仲間で出演していた柄本時生って、セカチューのボウズこと柄本佑くんの弟で、俳優の柄本明の息子だね。
セカチューファンとしては、なんか嬉しい。)




2008年2月16日(日)
半歩の半歩


今日は、朝から休日出勤で一日つぶれちゃいました。
いろいろやりたかったことが出来ないで、明日はまた仕事…(辛)。

でも、昨日はいつもの眉村卓の創作・小説教室でした。
前回、皆さんに渡していた僕の作品、「戦うことしか」という童話風なショートショートの講評をしてもらいました。
桃太郎に退治される鬼ヶ島の鬼たち側の気持ちを書いた15枚ほどの作品です。
前回の作品よりは、鬼たち主人公の気持ちが分かったとか、暖かみが感じられたとかいったプラス評価もあって、先生にもなかなかの完成度と少しお褒め頂きました。
無論、構成的にまだまだ未熟なところや、読者に伝え切れてないことがまだまだあるという欠点は山ほどあるんですが。

まぁ、構想時間はともかく、実質執筆時間は数時間だったので、構成を深く考察できなかったんですが、
時間があっても、先生からの指摘はクリアできてなかったでしょう。
「上手い描写の部分もある。」
これだけでとりあえず、半歩前進です。
まだ三作目ですから(言い訳。言い訳。)

ところで、この教室もあと3回、4月からしばらくお休みします。
別に嫌になったわけではなく、画像にある絵本作家のみやざきひろかずさんの「ワニくんの絵本教室」に3ヶ月通うことにしたからです。
曜日的に眉村教室とはバッティングしてないので、両方通いたいんですが、
まだ4月からの休日の空き具合がさっぱり読めないんです。

取りあえず、小説や童話は空き時間に一人で書けるので、
しばらく独立採算性でやっておきます。
絵本は、まだまともに完成させたことがないので、
憧れのみやざきさんのアドバイスで頑張ろうと思います。
心配は、こちらも仕事で全6回、通えない可能性が高いこと。
でも、それを承知で強行します。
行けるときに行かないと、人生、万全の体制でチャンスに向き合えるときの方が少ない。
それは身にしみて分かってますから。
頑張ります!




2008年2月3日(日)
半歩前進(眉村卓の小説教室)

昨日は、毎日文化センターで眉村卓さんの創作教室の日でした。

前回、皆に配布した「秋のキップはきつね色」という自分の童話を講評してもらう日でした。
皆さん、あまり児童文学をふだん読まれないそうです。
ですので、僕からしたらトンチンカンな意見や、10枚かそこらの短編でそこまで素人には無理やろという意見もありましたが、
とても参考になりました。
褒められても、どうしようもないので、こういう人たちを納得させるように目立つ欠点をまず無くさないといけないですよね。

そして、特に印象的だったのが、
各受講生からの疑問に対して、眉村先生が一つ一つ丁寧にこうしたら良いんじゃないかと解決策やアイデアを即座に示してくださること。
そのどれもが成る程と頷かされるものばかりでした。
第一線のプロ中のプロのSF作家は、こんな風にアイデアを考え、まとめていくのかと感心しました。

思えば、自分がバドミントンの指導力を長足の進歩したのは、インカレ優勝経験のある(その時、もしバドミントンがオリンピック種目だったら代表選手になられたであろう)鵤木先生に教えていただいたからでした。
鵤木先生の指導法は、なかなか言葉にしにくい「上級者の持つ成功感覚」を合理的練習の中で伝えるというもの。
しかも、いつも率先して模範演技があり、どこに失敗ポイントがあるか例示してくれました。
第一級のプロの、経験を踏まえた理屈・理論と、それでは説明しきれない部分を模範演技で「倣う」「真似る」で体得したものでした。
その後、バドミントンについては、全日本ジュニアの監督のコーチ用合宿にも参加しましたが、鵤木先生の指導法を越えるインパクトはありませんでした。

僕の、エッセイストならぬ「学びすと」人生は15年前のそうした経緯で、事実上始まった訳です。
今、こうして眉村教室に通っていても、多分こうした「学びすと」経験があるのと、無いので全然、吸収率が違うと思います。
(実は、その15年より前に、朝日カルチャーセンターで「詩」や「小説」の創作教室」にも通ったことがあります。
全然、ものになりませんでした。また何やら変な?付いて行けない雰囲気もあって、すっぱり諦めたことがあります。
あれって、何だったのでしょう。

特に小説講座は、やたら文学青年的議論が多くて、何やら自己満足的でやたら難解で、指導に合理性も何もありませんでした。
別に知名度があるから良いとは思いませんが、全く知らない作家でその著作も全然、面白くない純文学性のあるらしい「芸術的」作品でした。)

追伸
その酷評された自作童話、一応、コンクールにも応募しました。
あれだけ、駄目だしされて、納得出来る部分もあったから、参加することに意義があったと思いたいです。
半歩前進ですね。




2008年1月14日(月)
近況報告
毎日文化センターの眉村卓創作教室が、1月5日の土曜日から受講開始でした。
やや昔の方なので、SF作家の眉村さんをご存じない方もかってのNHK少年ドラマシリーズの『ねらわれた学園』や『なぞの転校生』など、
何度か映像化された作品の原作者なら、ああと思う人も多いと思います。

受講内容は、最初に眉村先生からの小説に関するレクチャーが30分ほどあって、
その後、受講生作品と、眉村先生の短編の合評会形式でした。
レクチャーの方はなるほど、さすがプロの作家の視点は違うと頷かされるものばかりで、勉強になりました。

月2回で、取り敢えず3ヶ月だけですが、その後、延長するかどうかは4月からの自分の仕事の割り振り次第ですね。
頑張ります。

次回は、自作の童話を持って行って、さらにその来月に皆さんから、その講評で厳しい意見に打たれてみます。
何事も勉強ですね。
*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  



この成人の日の三日間の連休、これといって創作活動が進まず、終わってしまいました。
(といっても、日曜日は丸一日、仕事場に出てましたが。)
唯一の収穫と言えば、万城目さんの小説『鹿男あをによし』『鴨川ホルモー』『ホルモー六景』を読破したことかな。
面白い、どの作品も。
今日まで、生きていて良かったと少し思うぐらい面白かった。

このうち、『鹿男あをによし』は、この17日木曜日から玉木宏くん主役でTVでドラマが始まりますが、
この原作の持つユーモアと爽やかな青春像を、上手く描き出せたら、名作になること間違いなしです。

皆さんもマキメワールドへ、ぜひお越し下さい。

小説って、いいね。
人間って、馬鹿でいいね。
時々、思うことだけど、改めて再認識しました。

創作活動、苦しくて逃げ出しそうになるけど、少し元気をもらいました。




2008年1月2日(水)
今年の抱負

皆さん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年は、卒論完成、マンガ学会発表、絵本のタネの発見、童話賞への応募と目まぐるしい一年でした。
収穫も盛りだくさんでしたが、今年も放送大学院の入学から、童話賞の中編部門の応募といろいろ考えています。

取り敢えず、具体的な目標および行動計画を挙げてみます。
1、「日本児童文芸家協会創作コンクール」の幼年童話部門(20枚以下)への応募。作品はもう出来ています。
2、童話の中編部門への応募と作品完成。
福島正実記念SF童話賞(50枚)か、小川未明童話賞(120枚)への応募を考えています。
3、ニッサン童話と絵本のグランプリ(絵本部門)への応募。
4、放送大学院の科目履修生としての単位修得。1月テストです。
5、放送大学院の4月全科生としての絵本研究の開始。
6、梅花女子大学の公開講座での児童文学講座の受講および手作り絵本制作(2・3月)
7、毎日文化センターの眉村卓小説講座の受講。(1-3月)
8、毎日文化センターの通信講座童話塾の継続受講。(1-4月)

書いてると、ほんと盛りだくさんです。
2、3は作品がまだ全然出来ていないので、絵空事に終わる可能性もありますが、
他のものは持ち前の実行力と凝り性でなんとかクリアできちゃう予定です。

他にもできたら、また夏に板橋区立美術館の講座を受けたいんですが、
こればっかりは日程しだいですし、放送大学院がどうなるか分からないので、
どうなるか全く分かりません。

ともあれ、皆さん、今年もお付き合い下さい。




2007年11月28日(水)
カンヌ映画祭の受賞監督と、いわさきちひろ展

先日11日の日曜日、滋賀県への出張からの帰り、伊勢丹の美術館「えき」KYOTOへ、「いわさきちひろ展」を観に行きました。
ちょうど今日が最終日。
ちひろさんの絵は、最近、東京へ行く度に東京のちひろ美術館で2回に1回は見てます。
でも、今回の伊勢丹は本家ちひろ美術館を凌駕する規模なので、やっぱり見ておこうかなぁと思って、無理して立寄ました。

慶應を卒業して、ひさびさに「大学生」ではなくなりました。
なんと9年ぶりに一般社会人になった訳です。
でも、科目履修生とはいえ放送大学「大学院生」なんだけど…と思って、
駄目もとで、料金にないですけど「大学院生」は割引になりますかと聞くと、なんと大学生扱いOKとのこと。
ラッキー!!

最近、頭の中が「童話尽くし」なので、絵本の原画を見ると、クラクラしました。
改めて見ると、ちひろさんの絵は、「白」を引き立てるために敢えて、途中で筆を置いて止めている。洋画的な視点からは「未完成」に見えるんですよね。
それゆえに、後を想像させるイメージ喚起力。
絵筆をこちらも取りたくなります。

これは、何も僕の偏見じゃなくて、彼女が絵筆を取る以前から書道は名人級の腕前であって、それが彼女の水彩画における「垂らしこみ」技法に繋がっていることは、多く指摘されていることです。

鉛筆の柔らかな質感と、みずみずしい水彩のハーモニーを見るとき、
自分の絵本の原点を見る思いがします。
いつか正面切って、勝負しなけりゃならないでしょうね。
(意外と近々かもしれないけど…)

水彩、ひさびさに描こうかなぁ。
実は水彩鉛筆から、高級水彩絵の具(ウィンザー&ニュートン)、ミューズ等水彩画専用用紙、油彩鉛筆等々、いつでも描けるように持ってるんですよね。
気楽に落書きしょうか。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
話は変わって、実は謀日、同志社女子大学へカンヌ映画祭グランプリ『もがりの森』の映画監督、河瀬直美さんの講演会を聴きに京田辺まで行ってきました。
当然、同志社の田辺キャンパスは東西線なので、行き帰りともに北新地駅利用です。

講演会は河瀬監督自らが、自作すべてをそれぞれ2分ほどの抜粋で放映しつつの解説でした。
それは自らの表現者としての思いを語られるものでしたので、世界が評価する表現者の「表現との戦い」ぷりはとても参考になりました。

というか、その端から見て順風万帆ぶりの裏に、実は凄まじい紆余曲折があることが分かって、この講演自体が一種のドキュメンタリーと化していて感動的でした。
さすが映像ドキュメンタリー畑の作風・表現形態の方だけあります。
何より今まで聴いた映画監督関係の講演会としては、刺激度ダントツ1位でした。
そのさわりだけメモしたものを紹介しますね。
河瀬監督の台詞そのままではなくて、一部、趣意が通るように変えていますが。

「自分の作品テーマは、命の循環やつながりです。
私たち人間は「淀んで」しまいがちだが、たった一つでも「光」があれば、輝きを連鎖することができる生き物でもあるんです。
社会やマスコミは「淀み」ばかりを見せたがりますが、そうじゃない。
映画は未来へと夢を送る作品であるべきです。
映画作りは人生に似ていて、目に見えない信号をキャッチして、それによって強く豊かに生きることができる、作品も作れるのです。」



2007年11月3日(日)
動物づくしな一日

今日、伊丹市立美術館にの「三沢厚彦展 アニマルズ+」に行ってきました。
三沢さんは、そのちょっとファニーフェイスの可愛い表情の動物の木彫で有名なアーティストです。
でも、有名と言っても、僕みたいな立体作品や現代美術に関心のある人だけに有名で、一般の人はもちろん、正統派彫刻の愛好家には「誰?」って感じなんでしょうが。
僕も写真で知っていても、一度にこれだけたくさんの作品を見るのは初めてで、とても楽しめました。今日は無料開放の日だったので、親子連れその他大勢鑑賞者がいましたが、どの方もとても楽しそうでした。

作りたいものを作る。
高尚さや、ひち難しいものだけが芸術だという固定観念から離れるとこんなにも人の心を穏やかな開放感に浸れるんだ
、ということを再認識しました。

*   *   *   *   *   *   *   *   *

もう一つ紹介したいのは、アニメーション作品『象の背中 旅立つ日』
たった8分間のショートアニメーション作品。

作詞が、秋元康さん(そういえば、僕の卒業した京都造形大の副学長じゃないですか!)だし、楽曲のJULEPSもこれからメジャーになるだろうから、僕が紹介する必要ないんだけど、朝のTVでも紹介されたしね。
でも、アニメーションを描いた城井文さんのタッチがほのぼのといいので、紹介しちゃいます。
泣きます。たぶん。
(個人的には、平井堅さん&伊藤有壱さんの「キミはともだち」の方が号泣しましたが。)
こうしたアートアニメーション系の作品にメジャーな光が浴びせられるのはとてもいいことですよね。
今なら、ネットで観られますよ。(無論、僕はDVD購入しましたが)
http://p903ix.jp/main.html




2007年10月20日(土)
最初の一歩。小さな出発。

こそこそ作っていた短編童話、ほぼ完成しました。
(残念ながら、絵本にする余裕がありません!)

そこで、取り敢えず、公約?していた「ニッサン童話と絵本グランプリ」の童話部門に応募するために、今は最終推敲を重ねています。
(原稿用紙10枚だから、そんな大それたものじゃないけど…)

これで8月に受けた板橋区立美術館の「絵本のタネ」講座からのミッションが、一つの区切りで第一段階を無事、修了できたかなと思っています。
本当は、いつでも絵本にできるよう、頭の中では絵コンテはもちろん、構図までイメージ化出来てるんですが、
まずは安直な?「ことば」の絵本化技術を体得しておきたいと思います。
今のままじゃ、「絵」も「ことば」もどちらも未熟なままですから。

でも、面白いことに創作作業自体は、慶應での卒論の、《構想・断片文章・イメージ再構成・推敲》という作業と全く同じでした。
書けない瞬間も同じで、良いモノを書こうと焦ったら、まるっきり筆が止まるのも同じでした。
更には、自分が書きたい構想と、全く違う別ストーリーが2本・3本とアイデア化されちゃう点も同じで、
結局、未完成作品が7・8本、そばに転がっています。
(卒論なら、書きたいテーマとは別に書けそうな別テーマ論文に当たります。それがマンガ論ならぬ、絵本の表現論で大学院で書こうとするテーマだったりするのと構図は全く一緒ですね。)

「ニッサン童話と絵本グランプリ」の選考結果/発表は3月だそうで、宝くじに当たればいいなあぐらいのつもりで、楽しみです。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

あと、ついでに報告。
11月から6ヶ月間、毎日文化センターの通信講座の「童話塾」を受講します。
講師は、詩人で童話作家の尾崎美紀さん。
これはこれで楽しみです。

ほんと、やるときはやるなぁ。凝り性だなぁと自画自賛。




追加告示
卒業を記念して、慶應よもやま話のページ完成させました。
(TOPページ右上のところから直に飛べます。)

また、ひさびさにアニメーション(こちらはこのTOPページの一番上にリンクがあります。)を完成させました

一度、遊びに来てやってください。





2007年10月17日(水)
岡田淳さん講演会と、小森香折(児童文学の世界)



10月13日の土曜日、大阪クレヨンハウスでの児童文学作家の岡田淳さん講演会へ行ってきました。
岡田さんは神戸出身ということもあり、その日常世界と隣り合わせの非常に特徴的なファンタジーといい、僕の目標とする作家です。(『二分間の冒険』やら『選ばなかった冒険』『放課後の時間割』等傑作ぞろいですよね。)

特に画像にもアップした『プロフェッサーPの研究室』という「月刊こうべっ子」に掲載されたマンガシリーズは知られざる名作だと思います。
(今回の講演会後のサイン会では1時間並んで、この本にサイン頂きました。サイン本って初めての経験です。)

講演会では、岡田さんのこの春に退職した小学校の美術準備室の珍しい作品や思い出をじっくり聞かせていただいて、いろいろな意味で参考かつ勉強になりました。
中でも、岡田さんが生徒たちに単なる美術作品や工作ではなく、発想や思考力を要求する「物語性」に富んだ課題を与え続けたことに感心させられました。
そして、準備室自体を「ドリトル先生」の部屋のように不思議な感じのする場所にしたくて、
オブジェを吊したり、スピーカーや棚のそこここに「動きを感じさせ、物語を想像させる」小さな人形を置いたりしたという話には、
正直、感銘を受けました。

日常の生活自体の中にこんな工夫をすることが出来るからこそ、あんな素晴らしいファンタジーが出来るのでしょうね。
そして、それに加えて岡田さんの言う「絵を描いたりモノを作ったりすること」の効用や素晴らしさが、大きく作用しているのでしょうね。
僕など、ついつい左脳だけの文字だけで考え悩んで「行動できない」瞬間が多いので、もっと日常生活で右脳モードを発現しないいけないと危機感を覚えました。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

話は変わって、今、夢中で読んでいる作家は、小森香折(橋本香折)さんです。
この方も児童文学系作家なんですが、おそらく岡田さんに較べたら知名度はかなり低いと思います。
(岡田さんですら、児童文学を読まない人は知らないでしょうね。)
でも『ニコルの塔』や短編集『そばにいてあげる』を読むと、宮部みゆきに匹敵するストーリーテーラーだと思います。
上手い!面白い!です。
上手くても上橋菜穂子さんあたりの重厚さとは違う感性の鋭さ、軽やかさがあります。

追加
卒業を記念して、慶應よもやま話のページ完成させました。
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また、ひさびさにアニメーション(こちらはこのTOPページの一番上にリンクがあります。)を完成させました

一度、遊びに来てやってください。




2007年10月5日(金)
来ました!卒業通知書

慶應から今日、届きました。
卒業通知書。
速達で送られてくるのですね。

無事、「卒業論文ーA判定」「総合面接試問ーA判定」でした。
これで晴れて「塾員」を名乗れる訳です。

中には、鬼のように厳しい試問を課して、わざわざC評価を付けたりする大人げない教授もいるそうなんですが、
うちのゼミの先生は、優しい試問、評価で有り難かったです。


無事ここまで来られたのは、ひとえに地元の慶友会で親しくして頂いて刺激を頂けたことと、
ニフ慶やmixiで励まし合い、声を掛けて頂けたお陰です。
ここに厚く御礼申し上げます。

僕の「勉強道」と「通信生活」は、今度は放送大学大学院に居を移しつつ、まだまだ続きます。
今後とも応援を頂けたら、幸いです。

追加
卒業を記念して、慶應よもやま話のページ完成させました。
(TOPページ右上のところから直に飛べます。)

また、ひさびさにアニメーション(こちらはこのTOPページの一番上にリンクがあります。)を完成させました

一度、遊びに来てやってください。




2007年9月22日(土)
卒業試験と、三鷹の森ジブリ美術館

慶應通信の卒業試験で、東京へ行って来ました。

まず最初に、自分の卒論の概略を卒論の中身を知らない副査の方にも分かるように5分ほどで説明して下さい、とゼミの先生から指示されて始まりました。
でも、僕のはとても5分では言えないので、端折っても13分ほど掛かってしまいました。(無論、論文の図像をふんだんに使いました。)
その後、それが「日本的特徴」と判断できる論拠は何ですか、と鋭い突っ込みが成されて、一所懸命にそれに応対しました。
すると、ちょうど30分が経過してゼミの先生から、結構ですの一言で終わりました。

「なかなかの大作で、短期間によく仕上げられました。
マンガに対する丁寧な愛情が感じられる卒論になっています。」というお褒めの?言葉を頂きました。

まずはこれで間違いなく合格のようです。

試問が終わった後で、通信教育部の事務局に無事終わったことと、指導ノートを返却されたこと、卒論は先生が後輩の為に保管されるということの報告をしました。
(なんか事務局の人の口ぶりからは、指導ノートを返却されなかったら、不合格っぽい感じでした。
うちのゼミの先生は、副査の方からの質問に全く一言も答えられなかったら、不合格でしょうけれど、でないと大丈夫ですから緊張しないようにと事前に言われていました。

心配性の僕は、社会学系統の復習もやっておこうかと思ってたんですが…。
ちなみに副査の方にも、マンガ表現と社会学がどう結びつくのか、私には分からないんですが、と素朴でかつ適切なご意見を冒頭に頂きました。
きっと他のゼミの先生は違う形式で、専門の類に関する質問をされるのも普通なんだろうなと推測しました。

確かにその通りで、社会学嫌いじゃないので、これからもちゃんと勉強します、慶應通信や慶應の名前を辱めないだけの知識はキープしておかなくてはいけない!と思いを新たにしました。)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


卒業試験の空き時間を利用して、三鷹の森ジブリ美術館へ行きました。
ここは完全予約制ですから、平日やかなり前から予約しないと行けません。

内容は、とっても刺激的で、アミューズメント施設のようでした。
特にトトロの立体ゾートロープ「トトロぴよんぴよん」や、フィルムぐるぐる「マンダラン?」の超短編アニメーションが自分的には一番面白かったです。
この後者のアニメーションは、【絵本モード】に入っている自分からすると、
ストーリー性って、そんなひち難しいものではなく、まず楽しくなければならないよ、アニメの基本は動きとメタモルフォーゼだよねと改めて教えてくれました。

心して胸に刻んでおきたいと思います。

無論、宮崎さんの水彩スケッチやら、絵コンテやらも生で観られる訳で、僕のような百戦錬磨のアニメ修行者?じゃなくても充分楽しめるところです。
劇場では、公開されない10分ほどのジブリの短編アニメーションも数ヶ月おきに作品を換えつつ上映されています。
これで1000円はお得です。

僕が行ったときは、三分の一ぐらい外国人の方のようでした。

追加
おまけです。
ちょうど三鷹市の駅前の三鷹市美術ギャラリーでは、「怪獣と美術(成田亨の造形芸術とその後の怪獣美術)」という展覧会もやってました。
成田さんの生デッサン作品がとても面白く、また、次のような言葉があって感心させられました。

「(最近の怪獣デザインが駄目な原因は、と問われた答えとして)デザイナーがデザインするからだ。」
「画家や彫刻家は美術学校で学びますが、その勉強は自己発見の為の自己との闘いです。形と云うものの厳しさを知れば知るほど、人間の根元から考え直したりして兎に角、本質に迫ろうします。

 デザイナーも美術学校で学びますが、根本から違うのです。

 デザイナーは産業の為に存在するのですから、自己探求よりも他者の目が気になり、他者に好かれるものを求めます。本質的にものを考えないから焦点がボケて、形の厳しさを知らないから。
何でもふやしてウルトラマンに角を生やしたりするのです。」

すべてのデザイナーが自己との闘いを避けてるか、形との厳しさを知らないかは異論のあるところですが、
少なくとも怪獣をデザインされるデザイナーに、そこまでの覚悟がない人が多かったのは、なんとなく納得できます。
確固たる自己のデザインポリシーがない場合が多いです。




2007年9月2日(日)
9月の決心(卒業と、絵本制作)
今、考えていることを書きます。

慶應の通信課程が、この9月の卒業試験(口頭試問)が終われば、卒業がほぼ確定します。
それで卒業記念ということでネットのBBSに書き殴っていた慶應関係の文章を整理して、このサイトにまとめることにしました。
右上の「よもやま話」のコーナーがそうです。
お暇な折りにご覧ください。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

板橋区立美術館の嵐のような絵本講座を終えて、絵本制作に取り組んでいますが、依然、悪戦苦闘しています。
イイモノを作ろうという意識で、妥協できない性分が敗因です。どこかで踏ん切りつけないといけないんですが、孤独な作業なので難しいです。

それで、考えていくと、やはり「絵」もそうなんですが、「物語」の方の出来具合に深化して考えてしまいます。
(これは僕が活字中毒人間なので、やりやすい方、安易な方に逃げている一面があるとは分かっているんですが、
絵本制作の難しさのポイントの一つであることもまた事実だと思います。

実は、応募を考えている【ニッサン童話と絵本のグランプリ】は文字のみの童話部門もあるんですよね。
そちらへ逃げちゃいそうになります。
(元々、僕には悩み出すと、本を買うか、文字を書き殴る癖があります。困ったものです。)

現時点で分かった絵本制作の神髄は、
「読者を共感させる為のストーリー作りであり、ヴィジュアル表現であるべきだということ。
人は筋に感動するのではなく、主人公と体験を共有し共鳴することで感動するのだということ。」


だから、子どもが同じ本を暗記するまで読んで知っているのに、大人に読んでと持ってくるのでしょうね。
大人の声でそこに何かを「体験」し、作品世界に「共鳴」したいからなんでしょうね。

誰かの力になる作品を作りたい。

心からそう思います。
自分自身が無数の文学やマンガ、アニメーションなど「物語」に救われ、勇気づけられ生きてこれましたから。
誰かを殺したり、傷つけたりする事件が多い中、そう思います。




2007年8月20日(月)
東京での感想・絵本三昧(その1)

18日の土曜日に飛行機で地元に帰ってきて2日、経ちました。

板橋区立美術館の講座〈夏の教室/絵本のタネ〉4日間は、とても有意義なものでした。
今まで描きあぐねていた「壁」を、やっと乗り越えられた気がしています。
そこでは、絵本作家の、なかがわちひろさん、ブルーナの翻訳家野坂さん、100%ORANGEさんという多彩なゲストも凄かったんですが、
全体を企画統括していただいた絵本コーディネーターの広松由希子さんの話が何より、素敵でした。
「その要点は、以下の通りです。(ほんとは僕一人の心の中にしまっておきたいぐらいですが、どんどん公開しちゃいます。)

1、「絵本のタネ」名詞でなく動詞で考えましょう。
(つまり、主人公たちが何か行動している方が、画面が動いて話に膨らみが生まれやすいというんです。
これは、日々、自分が物語を考えている時に、行き詰まってる時は、確かに無意識に「名詞で考えていました。」
アニメーション制作やマンガ研究で動的ダイナミズムを感じていただけに、なるほどと思うひと言でした。
 実際、ドラマを見ても、何もしない者より積極的に行動する主人公の一挙手一投足が、共感や感動を呼びますよね。
その意味で至言です、これは。)

2、上の「動詞」と合わせ技で、「絵本のタネ」は自分が不思議に思う事、こうだったらいいなぁと思う事を考えることから始めましょう。
(これも言われてみれば、当たり前。
主人公が行動するのは、何らかの動機が必要です。
ついつい無理に「物語」を作るのではなくて、人物を上手く設定してやれば、そう行動せざるを得なくなります。
自分流解釈では、作り手本人が強いモチベーション、心惹かれる疑問でなければ、創作の苦しみに耐えられませんよ。

これに関連して、絵本作家の中川さんかな、頭に書きたいシーンが1枚、2枚と連続しなくても浮かんだら、話が描けるとおっしゃられておられました。
これも僕の中では、すとーんと腑に落ちました。)

3、後のワークショップ形式の絵コンテ描きや、ダミー絵本制作は作業として過去に何度かしたことがあったので取り立てて言うべき点はないです。
(ただグループでのダミー絵本の即興制作が面白かったです。
僕の所属グループはなかなか意見がまとまらず、それがかえって一人で作れる気楽さを思い知らされました。
出来ないと泣き言を言いそうな時に思い出して、頑張る手助けになってます。)」

*今、絵コンテ段階は終わり、ほぼ構図は決まったので、キャラクター設定と色指定をほぼ済ませて、
次に実物大ダミー絵本の制作と、画材と作品世界の描写表現に頭を悩ませてます。
いわば、美術、絵の領域なので、純粋に作業です。
下手でもいいから、完成させたいです。
それなりにオリジナルな表現形態にしょうと計画しています。
その為に幾つか下書きを描かないといけません。

独りでは挫けそうなので、皆さん、応援よろしくお願いします。
(こうして公言すれば、引くに引けなくなりますから…。)

追伸
ちなみに、広松由希子さんには「夢のつづき わたしの絵本」(NHK BS2 毎月第四火曜  深夜24:00~24:29)という番組でお会い出来ますよ。(この番組は3月で終了しているようです。)




2007年8月13日(月)
いよいよ今夜、東京へ(絵本三昧)

いよいよ、今夜の夜行バスで東京に行きます。
板橋区立美術館の絵本の講座4日間と、美術館巡りです。

美術館は、当然、板橋の「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」はもちろん、東京都現代美術館の「ジブリの絵職人  男鹿和雄展」や弥生美術館の「武部本一郎展」、そして1泊追加してまでも出かける埼玉のうらわ美術館の「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」という、挿絵、絵本、アニメの豪華てんこ盛り計画を立てています。

特にこの「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」はチェコの過去の有名原画も展示してくれるという夢の企画で、しかも日本での巡回はこれがラストというものです。
それに気づいて、一泊延長、帰りの夜行バスをキャンセルするつもりです。(延長出来るかどうか、不明なのですが、どこかサウナに泊まってでも見にいくつもりです。
なぜか関西では開かれず、関東圏と、広島、北九州のみの巡回で、チャペックのアニメーション作品も見れるというレアもの企画ですから。)

宿は、必殺、南千住のドヤ街ですが、夜はひたすら絵本研究に専念する(一部、飲み会ですが)というストイックな、正に趣味人の極み旅行です。
無線LANが各部屋OKということなので、ザウルスを持っていくつもりです。
無事、通信できればいいんですが。(こちら関西でマクドナルドで試験接続したところ、成功しております)






2007年7月8日(日)
よもやま話(映画『虹の女神』と上橋菜穂子など)


ちょっととりとめも無い話をいくつか。

(その1)
 先週は京都へ行ってきました。ギャルリー宮脇の「ディーン・ボーエン水彩画展」。
ディーンの絵自体に不満はなく、面白かったけれど、その「童画」という表現ジャンルが気になりました。
最近、頭の隅では、ずっと絵本のことを考えている所為なんでしょうが、子どもが描いたような童心溢れるようなものを「童画」というんでしょうが、
僕には「絵本の原画」とはまるで違うなと感じられました。

「絵本の原画」ならば、たとえ1枚であろうとも、その作品世界にはキャラがあり、物語性があることが感じられるのですが(無論、絵本にはストーリーのない絵本もありますがね)、
このディーンの「童画」にはまるでそれが感じられなかった。
その1枚で表そうとしているものには、キャラ性がまるで感じられなかった。
自分が目指している世界とはまるで違う…と改めて感じました。

(その2)
同じことが、金曜に行った兵庫県立美術館の「絶筆展」にも感じました。お気に入りの松本竣介のものもあってとても良かったんですが、
ここはもう自分の世界ではないと感じられました。
(だからといって、絵本作りが進んでいる訳ではありませんが、
それは絵コンテ段階で本当に自分の描きたいものは何かで悩んで「静止」しています。これも必要な時間だと理解しています。
絵本関係はいろいろやってるんですが、その報告はまた別の機会に必殺「匍匐(ほふく)前進」です。)

(その3)
今、上橋菜穂子と「精霊の守人」シリーズ(原作)にはまっています。「天と地の守人」の第2・3部以外はすべて読みました。
トールキンや「ゲド戦記」以来の久しぶりの本格ハイ・ファンタジーなので、面白いです。
そして、自分が描きたい世界は上記の純粋絵画よりは、明らかにこちら側にあります。
「物語」とは…ほんと、悩んでいます。

(その4)
映画『虹の女神』(出演: 市原隼人, 上野樹里、蒼井優、 監督: 熊澤尚人)をDVDで観ました。
面白かった。映像をちょっぴり作った人間、夢を追っている人間である自分には、せつなくなる映画でした。
上野さんにますますファンになってしまう演技でした。役毎に、映画毎に印象が変わるので、ほんとびっくりします。綺麗で可愛い瞬間と、ごく普通のややブサイクにさえ見える一瞬もあって、感心します。
8ミリの映像のアナログ感がとても良くて、かつ岩井俊二譲りの画面と自然の美しさに魅了されます。自分的には熊澤監督もこれから要チェックです。




2007年6月17日(日)
勇気の出る〈ことば〉、小さな変化に向けて
日本を代表する脚本家の、橋本忍(映画『羅生門』『七人の侍』『砂の器』など)は、弟子にこう言ったそうです。

「君はそこのシーンをうまく書こうと思うから、行き詰まってしまうんだ。うまく書こうと思うな。
(略)子供の作文のような形でもいいから、とにかくそのシーンを書いてごらん。
それで形ができたら、それを直して、更に直して行けばいい。」

また、こうも言っています。

「それは要するに、書きながら、自分の書いているものを、ああでもないこうでもないと強く批判し過ぎたからである。創造力を上回る批判力の作用が作品の進行に物凄いブレーキをかけていたからである。」

以上は、『世にも奇妙な物語』の脚本家、中園健司さんの『脚本家』からの引用です。

文章の鑑賞力にはだいぶと、絵画の分析力にも少し自信がある自分、
そして、おおむね反省力にも大いに自信がある自分は、その批判力を、すぐ自分の作品(行動には向けてないですが…)に向けて書(描)けなくなりますから、
この橋本さんの〈ことば〉、身に染みます。

1日30分、夢に向けて例の具体的「TO DO」をしないといけません。
これを書き終えたら、さっそくTO DOします。せめて10分間だけでも。




2007年6月3日(日)
今日のお勉強科目は『時間の使い方』。小さな変化を起こそうよ。
今、たまたま図書館で手に取った『夢と時間を大切にしたい人の手帳活用法』という藤沢優月さんの本を読んでます。

これが面白いです!

藤沢さんの語り口は、少しスピリチャルが入っていますので、気になる人は嫌かも知れませんが、
以前、とても苦しい時期に人生からほんと「落伍」しかけて、飯田教授の『生きがいシリーズ』に助けられた自分には、すごく波長が合います。

この本の面白さは、一口では言いにくいんですが、
題名を誤解すると、単なるビジネス関連の啓発書に見えるんですが、さにあらず。スピリチャルという言葉を使ったように、人生をより夢に沿って生きやすくする為の本です。
ただし、太ったお髭の方の言われるような概略的なアドバイスではなくて、自分自身の力で実行出来ることをやりとげてしまう実践力の展開の仕方を説いています。

・「灯台の時間
  忙しいくつまらない毎日の時間の中で、自分を振り返る時間。
  本当にしたいことをしてるのか、自分と対話する時間。
・「ワクワクリスト
  自分サイズの夢を、マンネリやできないと落ち込む前に確認す
 るためのもの。
・「黄金の時間
  情熱や感動で心が燃えているすぐ後に設定してあげるアイデア
 の生まれる時間。とても大切。
・「グレー時間」
  なんとなくダラダラ過ごしている時間。他に派生伝染しがち。
  でも、それは行動を起こす為の時間貯金。
・「TO DOリスト
  それは毎日の日付の下に書き込む為のもの。それは仕事関係の
[具体的なTO DO]と、夢関係の[漠然としたTO DO]に
 分けられる。
  [漠然TO DO]も[具体的TO DO]に換えてしまい、 日々どんどん実行してしまう。
・「BE-DO-HAVE」の関係
 「BE」こうありたい、「DO」したい、「HAVE」もちたい

・「すべての素晴らしいことは、諦めないことから生まれる」
・「いつかと先延ばしせず、行動する
・「時間は光に近づけば近づくほどゆっくりになる」

以上を実践すれば、「今日」のコピーである毎日から抜け出して自分の「今」、自分の「一期一会の時間」を取り戻すことになるそうです。

どうでしょう。
なんとなくこの筆者の言いたいこと、僕には分かるんです。
自分のしたいことを、どちらかといえば、「実践」して、その中で何かをつかみ取る人生をここ8年ほど送って、今の自分がいますから。
 そして、この本を読む前から、確実に「TO DO」している自分がいます。

夢の実現という意味では、また、少し賢くなりました。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 その本の中で、人は自分の夢というポジティブな変化でもストレスや怖さを感じるとありました。
変化が怖いのだと。

 確かに、未知の経験に属するものだと自分の憧れの対象であるのに怖くて、「時間がないから」とか「才能がないから」とか出来ない言い訳を探して、枠にはめようとします。

僕はここで正直に言います。「絵本作家になりたいんだ」と。

そして怖いです。
何度も挑戦して失敗してますから。
今、自分で考える限りの、そこへの到達手段が揃ってます。
これでできなきゃ、馬鹿です。

後は、モチベーションと実行のみ。
その為に、この藤沢さんの言う「小さな変化」を毎日、引き起こすことに挑戦してみなければなりません。
自分サイズ夢に向かっての「TO DO」を毎日、積み重ねるよう努力してみなければなりません。

小さな変化は、やがて積み重なって大きな変化をもたらします。

頑張ります。
そうなれるように、とにかくできることからコツコツと。




2007年5月13日(日)
卒論提出OKの判をいただきました
(これは別のSNSでの昨日の日記からの転載です)



さっき東京から戻ってきました。
慶應のゼミ指導の先生から卒論提出OKの判をいただきました。
力作ですとお褒め頂いて、自分で更に訂正をして書き直した箇所があっても、それは先生に見せなくて構わないから、
完成した原稿は、6月に直接、教務係へ出すように言われました。

9月の卒論諮問も形式的なもので、自分は100%ではないですが、まず落ちないと思ってますとも言われました。
事実上、これで慶應を卒業ができそうです。
やれやれです。
これで心おきなく6月のマンガ学会の発表や、次の放送大学大学院へ向けての勉強をスタートできます。

これもひとえに苦しい卒論書きの時、皆さんに愚痴を聞いてもらったお陰です。
有り難うございました。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  

それと、ちひろ美術館と、東京都現代美術館の「マルレーネ・デュマス展」、国立近代美術館の「靉光展」へ行ってきました。
前二つはとても良かったです。

ちひろ美術館では高校時代からのファンであるちひろさんに心の中で、絵本を今年中に完成させます宣言と、あなたに一歩でも近づきたいですとお願いしてきました。

「マルレーネ・デュマス展」(画像上がそうです。)は久々に油彩画が描きたくなる面白さでした。
これだけまとめて見ることができると、(今まで1・2点ずつぐらいしか見て事なかったんです。)圧巻でした。
単なる具象ではない精神性があって、ちょっとフランシス・ベーコン的なデフォルメが生き生きとした魅力にあふれてました。
それに較べると時代的に60年以上前になる「靉光展」の作品では逆にリアリズムがどこか邪魔している感じで、当時のシュールレアリズムと、今の具象絵画の違いを考えさせられました。
(この「靉光展」(画像下二つです。)のあった国立近代美術館は常設展の方が素晴らしく正に美術の教科書に載っている明治以後の著名作品ばかり展示されてました。)
その常設展には、ちょうどフランシス・ベーコンの具象画もあったのですが、それを見ると、現代の具象画は具象を描きつつもどこかシュールで非現実的で高い精神性を感じさせるんです。
靉光には、シュールレアリズムを目指しながらもどこかふっきれてない部分があって、続けて観ると中途半端に感じさせるんですよね。
それは時代的制約だから仕方ない部分ですけど…。
ただ靉光が38歳で戦病死した事実には、惰性な人生を繰り返している自分が申し訳なく恥ずかしく思いました。

生きてある限り、挑戦し続けなければ…。




2007年5月5日(日)
一生の宝となりました

少し、落ち着いて、今回の自分の慶應での卒論について考えてみました。

今回の卒論制作で、自分の生き方の目標そのものが結果的に大きく変容してしまいそうに感じています。

始まりは、ゼミの教授の先生の何気ない指導のひと言、
「書きたいことをすべて箇条書きにしてきてください。」
「書いた文章はすべて無駄無く使いましょう。」だった訳ですが。

これらが無ければ、どうなっていたでしょう。
たぶん、規定通りの卒論、2万字ほどを適当に書いて卒業したものと思います。
ところが、マンガについて書くはずが、その歴史を探っていくと、絵本や紙芝居、そしてアニメーション、児童文学と物語文化そのものの歴史と正面切って向き合う形になってしまいました。

元々、文章書くこと、レポート書くこと、読書することは大好きでしたが、
その力を練り上げたら、こんなことが出来るなんて思いもよりませんでした。
そして、こうして卒論として眼前に「作品」化しなければ、自分の力を絶対、信じることはなかったと思います。
絵やアニメーションなどのヴィジュアル作品を仕上げることと、なんら変わりなく、文章でも自分の「作品世界」が作れることを今回、信じさせてもらいました。

つまり、「物語って何だろう」とかいう作品テーマを考えること、それ自体が一つの大きな「ものがたり」を生み出してしまった、
と僕自身は僭越にも感じています。

実は、僕もそれまでも若気の至りの時代からごく最近まで、御多分に漏れず小説制作や詩になどに何度も挑戦しては、玉砕してきました。
今回、分野は違いますが、10万字、400字詰め原稿用紙で250枚、詰め込み具合を小説風に換算したら、400枚近くになりますか。
その個々の各章立ての小さなエピソードを盛り上げつつ、論理の筋道全体でも見失わない作業を完遂できたことは、
僕にとっては、小説創作、正に「物語」創造と何ら変わりありませんでした。

これからきっと、文字による「物語」も書けるのではないかと信じています。
(必殺の裏技、絵コンテで描いてしまう、というのも併用できますから。)

慶應の卒論が、一生の宝となりました。

それを証明するよう、これからの数年、頑張りたいと思います。
造形大への再入学もあるので、ストレートに「文字」で戦うかどうかは定かではありませんが、
決して、この想いを無駄にはしないつもりです。
前にアートアニメーション宣言して、絵本、作りますと宣言しましたが、
それに付け加えて、「文字の物語、書きます」宣言もしておきます。
(実は、こうした宣言自体が、律儀な性格で書いたことはやろうと思ってしまう僕には、非常に効果があります。
ヘタレになって、諦めそうになった時、宣言したしな、が最後のエネルギーを生み出します。
クレイアニメーション作品を初めて作った時もWEBの友人たちと約束したのが長丁場を支えてくれましたから。)

どうか、皆さん、見守っていてください。




2007年4月28日(土)
やった!マンガ学会で研究発表します!
今日、マンガ学会での研究発表の審査に合格しましたとのメールが来ました!
(興奮気味ですが、単なる幸運だったのか、申込者が少なかったのか、こいつもオマケでだしてやれだったのか…不明です。)

あまり嬉しいという言葉、ふだん使いませんが、
心から嬉しく思います。
神様と、家事も手伝わずわがままな毎日をゆるしてくれた相方に感謝したいです。
自分のやってきたこの2年あまりの卒論関連の作業が、こうして機会をもらったことで無駄ではなかったことの証明になりますから。

期日は6月16日土曜日です。
ワクワク、ドキドキ、ふだん人前でしゃべるの仕事なので、発表なんて全然へっちゃらですけど、
学会ですし、海千山千の聴衆ですから…考えると、少し緊張してきます。アドレナリンがたっぷり出てきました。(汗、汗)

頑張ります!
この学会の報告も機関誌「マンガ研究」に載るそうなので、そちらへの投稿にも関連しますしね。

今やってる卒論の校正、ほんとに大事になってきました。
えんえん2ヶ月やってますが、さらに精度を高めないと…。




2007年4月21日(土)
マンガ学会大会への研究発表の申し込み
やりました!
とうとう、今朝、マンガ学会のこの六月に開かれる第七回大会の研究発表にエントリーしました。

もちろん、卒論での内容を発表したく考えています。
審査があるそうですので、素人研究者の研究など門前払いの可能性もなきにしもあらずなんですが、
なんとか通るかなと信じています。

むしろ、当日、発表する時に聴衆がいるのかどうか、そして矛盾点を指摘されてぼろぼろになる方が心配です。
でも、そうなればなったで、完成度が高まるので、手厳しい批判は願ったりかなったりです。
一番怖いのは、自分が考えたことが全く何の価値もないことなんですが、こればっかりはその客観的評価は他人に聞いてもらわないと分かりませんから。

後、この卒論10万字を短く抄録化して、マンガ学会の機関誌『マンガ研究』への投稿も考えています。
慶應での4年間というより、自分の人生での一つの転機が今、訪れていることは確かです。

なお、マンガ学会の大会は6月17日(土)18日(日)に京都の京都国際マンガミュージアムで行われます。
学会員でない一般の方も聴衆できたように思うんですが、記憶が曖昧です。




2007年3月4日(日)
今日は、行けなかった…
 

今日は、本当は万博の大阪府立国際児童文学館に絵本作家さんの講演会に行くはずが、
一日、地元の慶應の勉強会(慶友会)の情報文書を朝からずっと編集してせっせと創るはめになりました…(涙)。

まあ、風邪をひきかけなのと、横浜から可愛い姪っ子(1歳ちょっと)が途中尋ねてきた(無論、独りでは無理なので、母親付きですが)のもあったので、文句は言えないのですが、残念行きたかった。
思えば、まだ一度しか絵本作家の講演を聴いていない。(それは永田萌さんだったのですが、あれは絵本の作り方なんてものではなくて、読書のすすめでしたから…本当はカウント出来ない気がします。)
仕方ないので、姪っ子をちょいちょいとデッサンして気を紛らわしました。

昨日は、いつもの絵本講座と、梅花女子大での児童文学講座2回目を受けましたから、ぜいたく言うなと怒られそうでしょうか。知識欲、修得欲に駆られる時は貪欲にすべてを吸収したい方ですので。

梅花は、宮沢賢治作品と、あまんきみこ、松谷みよ子の作品を横断的に論じるというもので、
とても勉強になりました。
思わず、へーと心の中でトリビアボタンを何回も押し続けていました。
思えば、国文学科出身で宮沢賢治の作品はかなり勉強したつもりだったんですが、こんな視点もあるんだなぁと目から鱗が落ちる2時間でした。
本格的に児童文学、これから勉強するつもりでいます。
(というか、もう既に20冊近く最近、児童文学の研究書買っちゃいました。)

こんな日もあるさ…。
そうだ、次は持ち帰り仕事しないと。





2007年2月23日(金)
明日は、児童文学講座と絵本制作講座へ…
 

 明日の土曜日は、ずっと楽しみにしていた梅花女子大学の公開講座「日本のファンタジー再訪」に午前中出かけます。
1回目のその日は、「小川未明と現代作家のつながり」だそうです。児童文学の授業を受けるなんて通学制の頃の20代以来のことでワクワクしています。
 実は、僕はもともと国文学科卒なのですが、卒論は戦後詩人の黒田三郎で書きました。(今思うと、それはレポート程度のお恥ずかしいお粗末ものですが)ですので、専門は現代日本文学および現代詩になります。が、隠れた専攻があって、それは宮沢賢治などの児童文学だったのです。(昔は童話創作にもチャレンジしてました。丸っきり駄目でしたが。)
 しかも、その午後は、大阪谷町の絵本制作講座3回目にも出かけねばなりません。

 ちょうど、今書いている卒論も佳境に入り、コラボレート企画だらけになっています。
 一方でアメコミから仏マンガのバンド・デシネと日本マンガの比較をやったかと思うと、
また一方で、紙芝居や江戸期の赤本絵本と現代日本マンガの比較をやっています。(この間も、マンガミュージアムで紙芝居を観てきました。)

 つまりは、児童文学という座学的探求と、絵本制作という制作系実習の並立状態は、卒論という「ごった煮」で更に「変な方向に」コラボレートされています。

それで、ふと思ったのですが…。
僕はそもそも、この並立周期をずっと重ねて居ります。

文学部(22才卒業・通学制)→芸術学部(京都造形大・洋画コース)→文学部(慶應)…予定→芸術学部(京都造形大・アニメーションコース)…更に予定→放送大学大学院

正に、源平交代説ならぬ、座学/制作交代周期です。
「変人」と思わざるを得ないです、自分でも、はい。




2007年2月4日(日)
何気に調べてみました…
 
 ネットでこんなページ見つけたので、何気に気になって調べました。
http://promotion.yahoo.co.jp/tsukyo2007/pr/index.php

京都造形芸術大学 6,225名<2006年4月末現在>

大阪芸術大学   1,844名<2006年10月末現在>

武蔵野美術大学  3,279名<2006年10月末現在>

きっと芸術系の通信で勉強しようと思った人は、この3大学を比較すると思うんですが、意外に人数差あるんですよね。
京都造形大学が3年ほど先に先行して開学しましたからアドバンテージがあるのでしょうが、東京圏にあって知名度抜群のムサビがちょっと少ない気がしました。
こういう比較を、その卒業率や在学生の満足度も含めてWEBに載せてくれたら、面白いですのに。
まあ、スポンサーの関係で無理なんでしょうが。

通信オタクの僕としては面白くなって、ついでに座学系も調べました。

佛教大学 大学:16,673名 大学院:389名<2006年10月末現在>

日本大学 大学:7,663名 大学院:博士前期課程(修士課程) 214名  博士後期課程 48名 <2006年10月現在>

法政大学 10,312名<2006年10月末現在>

玉川大学 9,684名<2006年10月現在>

明星大学 学部生:8,175名 大学院生:77名<2006年5月1日現在>

佛教大学が、評判通り人数が多いですね。キャンパスが関西圏な分、人数の多い関東圏に較べたら健闘しているのでしょうか。 それともライバルが少ない分、順当なのでしょうか。地方スクーリングや日程など細かく配慮しているとも聞きますが。

ちなみに、今、在学している慶應大学は…この特集ページにはありません。(笑)
確かニューズレターでは6000人だか在学数が掲載されていた気がしますが…不確かです。
大体、こういった通信制大学の特集にWEB、紙媒体の雑誌も含めて、慶應は載ってないことが多いです。きっと宣伝費、掛けてないんでしょうね。

その理由はおそらく、殿様商売でも人が集まってくるのと、
経費を抑えて出来る限り、学費そのままで儲けようとする作戦があると見ています。
地方スク−リングをしないのも塾生の利便性より学風を優先する確信犯ですから。 

けど、地方の慶友会に教授を無料で定期的に派遣してくれるのは凄いといつも感心しています。
科目試験代も年間4000円なんて派遣職員の時給いくらやねんと思いますし、年間学費5万円かそこらなんてやっぱり安いですね。
その根本には、福沢諭吉先生の「学問のすすめ」の精神があるんだろうな、と感じてます。

以上、卒論書きに疲れて、つい他のことをして逃避したくなる独り言でした。(やっと6万字になりました。あと2万字…で終わるのかなぁ、本当に。ほとんど死にかけてます。)

【追記】
ちなみに通信制大学の卒業率は10〜15%と言われております。
卒業した京都造形大でもそんな感じでしょうか。これが4年以内とか規定年数以内でで卒業する率となると、もっと下がると思いますが。(僕は京都造形大の2年次編入で3年間掛かりました。余暇すべてレポート書きと作品制作に費やしましたが。)

慶応は、卒業率3〜5%と言われてます。通信制大学、最難関だと。
僕の放送大学大学院の科目履修生もやった経験も合わせて考えると、
その看板に偽りが無い厳しさだと感じます。
それはレポート、科目試験、スクーリング日程(地方なし)と全ての条件に当てはまると思います。
(でも、授業料が初年度8万円ちょっと、その後、数年で5万円ですから、これだけは通信制最安値で、ここだけ唯一財布に「易しい」です。でもこれ一番大事ですよね。)

学士入学で卒論完成すれば、今年の9月で4年半在籍したことになります。(途中、映画とアニメーション制作に気持ちも時間も浮気しましたから。それがなければ、もっと短かったとも思いますが、そしたら卒論へのモチベーションが低くてこんな大作書こうと思わなかったでしょうから、痛し痒しです。) 




2007年1月20日(日)
邂逅と思うのは言い過ぎでしょうが
 
 観てきました、映画「こまねこ」。
 試験勉強やら論文書きやらいろいろあるので、行こうかどうしようか迷ったのですが26日までらしいので。
 良かったです。
 こんなアニメーションを作りたいと心の底から思いました。
 また、ある意味、そう思えるチャンスを神様が自分に与えてくれている幸せをしみじみ有り難いと感じました。

 無論、技術的な点や演出等も非常に勉強になったのですが。
 自分の心から伝えたいことを、伝える素晴らしさが一番心に残りました。表現とは正に、無限のバリエーションがあるのですね。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

それと映画館を出て、帰りしなに実際の映画の撮影場面に出くわしました。
市内で撮影しているのはクァク・ジョヨン監督の『僕の彼女はサイボーグ』だと思うのですが、邪魔になっては申し訳ないのでそのままバイクで走り去りました。
本当は止まって観てみたかったのですが…。
上記の『こまねこ』でアニメーションと自分の運命について考えていた時だけに、その偶然に少しビックリしました。
僕が、こんな風に映像へ志すきっかけを与えてくれたあの人がすぐそばにいたなんて。
この先、何があろうと僕は、こうした表現活動(アニメーションか絵本か何か分かりませんが)を続けて行こう。
そう思わせる「邂逅」でした。
 





2007年1月8日(月)
誰かの力になりたい時
 

 誰かの力になりたい、と思っても、人間の〈ことば〉ってものは不自由なもので、まるで力がない。
その人を勇気づけることも慰めることもできない、そんなちっぽけなものです。 

 僕は〈ことば〉を扱う仕事で無類の活字中毒者。
本が大好きです。

でも、だからこそ〈ことば〉の限界も自分自身の〈ことば〉を操れない力の無さも痛切に感じることがあります。
だからこそ、絵を描くこと、絵とことばで伝える絵本や、更にそこへ音と動きが加わったアニメーションに惹かれるのかも知れません。

 写真の画像は、今ちょうどマイカル系や単館の映画館で封切られている人形アニメーション『こまねこ』からのものです。
ちょうど以下のURLでその一部がネット配信されてますから、ご覧下さい。
http://ent2.excite.co.jp/cinema/feature/komaneko/
内容も主人公のこまねこちゃん(女の子だそうです)が、文字通りアニメーションを撮影制作していくというものです。(上映中の映画はこれ以外もありますが)
僕たちアニメーションを志すものにとってはその苦労が身に染みて分かるだけにとても面白いのですが、
そうじゃない人にとっても何かを表現したい、何かに一生懸命頑張りたいという人を勇気づけることができるテーマだと思います。

こうしたアニメーションでなければ出来ないこと。
伝えられないことをいつかやりたいものです。
特に年若い人は純粋で思い詰めてしまうと思うのですが、
決して世間は自分が思っている世界だけではないし、その中だけで判断して人間の持つ無限の可能性を閉ざしてしまわないようにと思います。
決して自分自身を諦めてしまわぬように…。

最後に助ける力は自分自身の中にしかありません。
けれど、こうした作品がそのきっかけになりますように。
どうか誰かの助けになりますように。
そう心から思います。

*画像は「こまねこ」のページからの転載です。その著作権は(株)ドワーフさんにあります。不適切な場合は削除します。ご連絡下さい。
「こまねこ」は一部「はじめのいっぽ」がDVD化されてます。発売はジェネオンエンタテインメントです。ご興味のある方はご購入ください。
 



2007年1月1日(月)
2006年の総括および2007年の抱負
 
以下の日記はmixiからの転載です。

mixiの日記は、加入して1年半近く未記入で去年の6月くらいから書き始めました。ですので、mixiでは元旦に書く初めての日記になります。

まずは、【2006年に心に残った出来事およびその総括】から。
1、卒論の書き始め・マンガ研究、事始め
戦後マンガ論というあやふやなテーマが苦しみつつも5万字ほど書けたのは、ほんと奇跡に近い、予想外でした。ひとえにゼミのO先生の的確なアドバイスと、ブレーンストーミングを文章化する手順にほとほと感心させられました。(あらゆる創作につながる手順だと天啓を感じました。)

2、広島国際アニメーション展の体験
世界を身近に感じられて、なんだか映像文化の奥深さと世界の同質性と違いやスケールも体感出来て、ほんと得難い体験でした。

3、マンガ研究から絵本学へ
マンガ研究を続けていると、研究する面白さに目覚めてしまって(もともとレポート書くの大好きでしたが)、院に行きたいと初めて心から思いました。
そして、その思いはいつしかと絵本研究になってしまってます。更に3年前に断ち切ったはずの絵本制作をもう一度、真剣やろうと思い始めました。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

当然、【2007年の抱負】も、上の1〜3を完成・発展させる方向に進んでいます。
やや2のアニメーション関係まで手が回らないと予想出来ますが、

1、少なくともこの六月の卒論提出は必須ですし、当然この9月には慶應を卒業するつもりです。

2、その10月からは以前やった放送大学大学院の科目履修生を半年。

3、10月に締め切りのニッサンの絵本展に出品するものを7月以降全力で制作したいです。

2をやる時間的金銭的余裕があるかわかりませんが、
(2008年4月からは京都造形大アニメーションコース再入学が待ってますし)
卒論と絵本は高望みせず全力を出し切るのみですから、今までの積み重ねでなんとかなると思います。

(それに絵本研究って、アニメーションやマンガ研究と重なる部分が多くて、またその反面、自分のこれまでのイラストやら洋画などの美術経験とも意外に異なる異質な部分もあって面白いです。
絵本学もマンガ学、アニメーション学ともにまだ確立されてないので、僕のような素人の想像の羽根を伸ばせる余地がずいぶんあります。体が3つあればいいのにと時々思います。
あと、児童文学の立場というか、広い意味での「物語文化」の知識も随分増えました。)

とにかく、頑張ります!
 




2006年12月17日(日)
昨日は絵本講座アミーニの1回目授業でした
 

 昨日、行って参りました、絵本講座「アミーニ」へ。
 場所は、大阪谷町六丁目。
 おっちょこちょいの僕は、前回、見学させてもらって、場所も分かってるしとのんびり構えていたら、地下鉄の出口を間違えてしまって迷子になりました。
結局、辺りをぐるぐる走り回って、遅刻してしまいました。(>_<)

先生にマンツーマンで指導していただきましたが、とても実践的で納得のできるものでした。
数々のカルチャーセンターや文化教室を渡り歩き、そして通信大学オタクでもある百戦錬磨の僕をして、
ほぉーと思わせる実技指導でした。
昔3年ほど前、習いに行った某カルチャーセンターの絵本講座とは雲泥の差でした。(その講座の先生、画家さんで絵は教えれても、「物語指導」はできなかったですから…。無論、「物語指導」って難しいですよ。いろいろ実践したり、研究しているからしみじみ分かります。その画家先生が悪いんじゃなくて、僕に受け入れる力がなかったんです。)

「とにかく手を動かして、絵の制作を始めちゃうこと!」
これがその指導での至言でした。
僕など、いつも、いい話を作るぞ!と気負い込んで、結局、考え込んでしまって何も出来ない。「やっぱり才能ないなぁ」としょげる毎日でしたから。
この言葉の持つ重みがずっしり分かりました。

考えれば、僕の絵の描き始めも、「別にいい絵を描くぞ。」で始まった訳ではなくて、
対象を無心に描きたい、綺麗なぁ、凄いなぁから始まってますから。
アニメーションの制作も、その講座の決められた時間の中で、切羽詰まって作り始めた結果から生まれてますから。

このアミーニに興味のある方は以下のURLへどうぞ!
http://www.amini.jp/

次回は、2月なので、持ち帰った宿題「アイデアメモを考える」は、この年末年始充分考えれそうです。



2006年11月11日(土)
今日は大阪へ絵本講座の見学に行ってきました
 

今日は大阪へ絵本講座の見学に行ってきました。カルチャーセンターなどではなく、個人の絵本作家の方お二人でやられておられる所です。全8回コースで3ヶ月ぐらい掛けます。
 何でも基本から習うのが好きです。そして、何でも経験で先達から直接教えてもらうのって、ことばに出来ないことも伝わってきますから、前向きに考えています。目標は大きく来年の10月の日産の絵本展に応募しようと思っているので、それの予行練習です。来年の4月から仕事の質が変わりそうで自由に使える時間が減りそうなので、スケジュールさえ合えば、是非やってみたいのですが…。

 卒論でマンガにおける「ことば」と「絵」「コマ」の関係を考えていて、似て非なるもので〈絵本〉の研究も(一部仕事がらみで)同時並行して今は調べています。
 僕の中では完全に〈アート・アニメーション〉と〈絵本〉はリンクしています。先ずはまだ労力が少ない絵本で自分の作品イメージを具象化しようと画策しています。
 過去に数年前、某カルチャーセンターで絵本講座習った時は全然上手くできませんでした。というか、そこの先生、画家ではありましたが、絵本作家ではなかったようで、教えるの…でした。おそらくストーリーを考えることを受講生に上手く伝えられかったのですね。今の僕には「物語」の難しさが見えますから、痛いほど分ります。その時の失敗を思うと、今の自分は別人だと思います。卒論での理論的背景、アニメーションでの絵コンテや物語作りの実践経験、やってみる価値はあると思います。
 講座自体は、来期は1月からだそうで、まだ考える時間はあります。

追記
帰りに梅田の古本屋〈もっきりや〉と〈まんだらけ〉に行って、絶版マンガ資料を幾つか買いました。相変わらず自由時間はすべて卒論書いているか、そのことばかり考えています。無論、電車の中やバスの中ででもです。もうほとんど病気ですね。図像はそこで買った手塚さんの昭和30年代の少女マンガ復刻本です。



2006年11月5日(日)
手塚治虫文化賞10周年記念講演会「マンガとは何か」



手塚治虫文化賞10周年記念講演会に今日、行ってきました。場所は宝塚市手塚治虫記念館、講演者は夏目房之助さん、演題は「マンガとは何か」
先着、50名ということで、出来る限り早く行かなければ、と焦りつつ、会場に到着したのが11時半前、もう入場整理券、配布終了か、万事休すと思いきや、15番でした。
「えっ!13時からの開演なのに…」と、拍子抜けしました。
それだけマンガに興味のある方ってすくないんですかね。

もっとも、僕もこの講演会の存在を察知したのは、1週間前、しかも東京、杉並アニメーションミュージアムのチラシでしたから、全然、知られてなかったのですよね。
この23日には、京都で国際マンガミュージアムの開館記念フォーラムもあるのですが、そちらもあまり知られてないのかなぁ。

おそらく100年後の人たちは、手塚さんが基礎づけたこの日本のマンガ文化を、僕らが江戸期の浮世絵を見るように、誇らしげに語るだろう予感が、僕にはあります。
せっかくそんな時代に生まれているのに、もったいないです。
特に生前の手塚マンガに触れた経験のあることは、とても貴重な経験だと思います。
また、少女マンガの萩尾望都さん等二十四年組をリアルに愛読できたなんて、素晴らしい経験なのでしょうね。(僕は、今は研究のため、少女マンガ読んでますが、基本的には、萩尾さんぐらいしか読めませんでした。)

肝心の夏目さんの講演ですが、とても良かったです。
1時間とは思えないぐらいの密度で、僕が今まで聞いた講演中でベスト1でした。
しかも偶然、僕が執筆している卒論の箇所ともろリンクしている、マンガの「コマ」の話や少女マンガとは、という話でびっくり。こういう偶然って、凄いですね。
聴衆は30名足らずだったんですが、まるで僕の為に設定された講演会のようでした。神様は、僕の卒論によっぽど期待しているんだなぁと運命を感じましたよ。(?)(こらこら)

追記
画像は手塚治虫記念館で買ったアニメーション関係の本です。
発行は2006年8月で、どうやら一般書店では売ってなさそうなプレミア本です。




2006年10月28日(土)
東京へ、卒論指導と、ちひろ美術館に行って来ました
 さっき新幹線で東京から帰ってきました。
卒論指導だったんですが、四分の一提出していた卒論の方向性でいいでしょう、と認められましたので、無事、卒業予定申告のカードに印鑑を頂けました。
後は来年の9月卒業に向けて、次の指導日までに残りをひたすら書くだけです。
お世辞でも、卒論だけに終わらせるのはもったいなくて、広く世に出したいものですね、と仰って頂けました。
迷っていた、終章のまとめ方も今日の先生の説明で自分なりに流れと終着点が見えて、とても有意義でした。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *


その東京行きの午前中は例のごとく美術館巡りをしました。
東映のアニメーションスタジオと、杉並アニメーションミュージアム、いわさきちひろ美術館の三つを回る強行軍でした。
残念ながら最初の二つアニメ関係は大ハズレでしたが、10年振りぐらいの久しぶりに訪れるちひろ美術館はずいぶん様変わりしてました。
こじんまりした個人の家のようだった昔の二倍ぐらいの広さに拡張されていて、立派な美術館になってました。
今、イラスト教室で水彩の勉強しているので、そうした眼でちひろさんの作品を見ると、
おおっ!「たらし込み」の技法やんか、とかいうように
彼女の筆遣いが手に取るように分かるようになって、
昔より自分の鑑賞眼がまた進歩しているのがよく分かりました。
水彩の絵、描きたくなってきました。(ああ卒論、完成ささんとあかんのに…)
有意義な一日でした。
(往きの夜行バスは四人掛けシートに挑戦でしたが、最悪でした。
窮屈でエコノミークラス症候群になってしまったかと思うぐらい、血行が悪くなってしまいました。
今回、唯一の失敗かな…)




2006年10月15日(日)
「日本発! アニメの魅力」国際交流基金の雑誌『遠近』の紹介
 少しお堅いところの意外な広報雑誌を紹介します。  
 アニメーション作家の山村さんのブログにあった会談が載っている『遠近』という雑誌なんですが、実は国際交流基金というお堅い団体の広報雑誌みたいです。ところが、その第13号(2006年10月・11月号)がジャパニーズアニメーションが世界にどう受け入れられているかの特集をやってます。
 日本のアニメーションは世界一ィィィィなんて自惚れていいのかと、アートアニメーションの世界的な盛り上がりを広島国際アニメーション展に行って肌で感じた僕は少し心配しているんですが、確かに毎日これだけTVで商業アニメーションをやっている国はそうないと思います。何よりアニメーションの原作となりうるマンガ雑誌が(ジャンプの発行部数が落ち目とはいえ)ありますからね。
 早速、僕もこの本、手に入れたいと思います。
 「なんや、まだ実物、見てないのか!」とお叱りを受けそうですが、この記事をブログで宣伝したらプレゼントしてくれるかも知れないのですよ。(こらこら)
 以下のURLがその元記事ページです。とても面白そうでなかなかお目にかかれない情報ばかりです。
 ちなみにこの『遠近』はAmazonで注文できますよ。僕もプレゼントに外れたら買います。
 ではみなさん、よろしく!

国際交流基金『遠近13号』 紹介ページへのリンク




2006年10月1日(日)
ジャコメッティ展へ行ってきました。

 昨日、兵庫県立美術館のジャコメッティ展へ行って来ました。
5年間、彫塑で石膏像を作っていた身としては、ジャコメッティの写真はもちろん、作品も2・3体は見たことはあるものの、これだけまとまって、しかもデッサンも含めて見れるのは初めてでした。

その印象は、まず彫像が正面から見ると極細なのに、真横から見るとものすごい実在感があって、正に現代に生きる我々の実存的存在感を示しているようでした。
特に石膏像を見ると、
彼の粘土の付け方がよく分って、とても面白かったです。彫刻家らしく骨格や筋肉に忠実に、またバランスを計った痕も見受けられて、
ふーんと感心してしまいました。
(特に目尻をざくっと横線で入れながら、瞳の縦線の当たりの付け方が印象的でした。)

デッサンや油彩も、陰影で対象を見る絵画的なものでなく、あくまでもしっかりと面で捉えた触覚的な感じのするものでした。
顔の辺りを泥のようなグレーや黒で塗っちゃうのが、実存主義的な感じの暗さでもあり、光の美しさを拒絶しているストイックさがあってぐっと引きつけられます。
僕もデッサンの際に、線で形を探る方なので、なおのこと、こんな描き方してみようかと思わせるものです。

久しぶりに全身全霊で鑑賞に浸っちゃって、右脳モード全開で時間感覚が喪失。お陰でその夕刻にある読売文化センターのイラスト教室に行く時間を危うく忘れそうになりました。

追記
こらこら、しりとりアニメーションはどうなった、とお叱りの言葉が投げかけられそうですが、ジャコメッティ展の開催期日が今日まででして、持ち帰りの仕事を今から1日掛かりでしなければなりません。画像データまだ1枚しか加工してないんです。
「お許しくだせぇ、お代官さま!」ということでもう4・5日お暇を下さい。<(_ _)>



2006年9月25日(月)
「しりとりアニメーション」の続報。



昨日で4日間の「しりとりアニメーション」終了しました。
 作品は、講師の先生が2週間後を目処にDVD化してくれるそうで、4日間で作ったとは思えない面白い非常に元気な作品に仕上がりました。ただ11人での合作ということで、WEBページ上では僕の一存では公開できないのが残念です。
 でも、一応、自分の作ったパートだけデータをもらってきました。今回の制作では合体作品ということで作り込めなかった分、後で編集再加工してみせようと考えています。
 これだけではどこが「しりとり」なの?、とか、速過ぎて何か分らないと感じられると思います。時間にして17秒ほどしかありませんから。でも、おそらく再編集したら30秒近くにはなってより分りやすくしたいと思っています。来週の日曜までにはなんとか公開したいです。

 図像は、その一部です。背景の画像がとても綺麗と思います。
 でも、これは僕の力ではなく、教えてくれた谷口先生のお力です。幾つも撮影場面(遠景、中景、近景さらに多くの場面)を重ねるマルチ撮影の効果とライティング技術の賜物です。

 楽しみにお待ち下さい。ただ物語的にはただキャラがそこにいるだけで、大したものではありませんが…。
 また、これはとても面白いサウンドもそのうち付けようかと思っています。これは協力者・及び機材が必要なので1ヶ月半ほど先になりますが…。

 前回もここに書きましたが、僕のオリジナル恐竜キャラクターが活躍します。
 彼らが、宣言していた僕のアート世界の「住人たち」です。普段付けているメモ帖や、構想スケッチから飛び出して、元気に動き回ってくれただけでも満足しています。彼らの住む世界の世界観まで実は詳細に(マニアックに?)設定しています。
 少しずつ自分の中でこうして実体化させていこうというのが作戦です。

 (いつか、絵本かアニメーションでちゃんと納得してもらえる作品にしますね。)






2006年9月17日(日)
「しりとりアニメーション」に参加してます。

 神戸のKAVCで、昨日・今日と「しりとりアニメーション」のワークショップに行ってきました。
 講師は、スタジオ感度六の谷口義尚さん他。

 教えてもらった技法や機材自体は、マルチ場面撮影とか、クレイタウンなど自分にとっては既存の知識だったけれど、音作りの方法とかは非常に勉強になりました。
 それはどんなものかというと、スタジオの側にある素材(家具、置物の類から、紙、文房具、釘、灰皿etc)をなんでもOKで、鳴らしちゃうぞというもの。
 今までサウンド作りというと、DTMなど機械とデジタルの頼ったものばかりに走りがちだったので、目から鱗が落ちました。

 これだと苦手な音作りも楽しく出来そうです。
若い人たちと今、作っている影絵アニメーションの方にも早速、利用させてもらって彼女たちにも作ってもらうことにします。

 「しりとりアニメーション」は11人が各自で気になることをクレイや切り絵などでアニメーション化するものです。そして前後の人のパートといかに上手く場面を繋げるか腕の見せ所となります。11人の共同制作になるので、作品全部はWEB公開できませんが、自分のパート(僅か15秒ほどですが)だけでも、公開できるかと思います。
 キャラ素材はこの二日間で制作できましたが、撮影・音作りは23・24日です。

 今回は、恐竜キャラクターが活躍します。
 この間から時々、宣言していた僕のアート世界の「住人たち」です。普段付けているメモ帖や、構想スケッチから飛び出して、元気に動き回てくれる予定でいます。
 楽しんでもらえる作品になればいいのですが…。

 (いつか、本当に絵本かアニメーションでちゃんとした作品にしたいものです。)



2006年9月2日(土)
「ボローニャ国際絵本原画展」へ行ってきました。

西宮市大谷記念美術館の「ボローニャ国際絵本原画展」へ行ってきました。
 この展覧会、もう二十年以上毎年この夏の時期に開かれていて、僕も一桁の回数の頃からほぼ毎年、見に行ってます。その最初の頃、自分は絵が全く描けなかったので、ただ観てるだけで幸せでしたが。


 *  *  *  *  *  *  *  *  *
 
 今年、行ってみると、びっくり。
「絵がばんばん動き出すんです。」

 別に飛び出す絵本なんじゃなくて、陳列してある原画の1枚1枚の間の「コマ」が自分の頭の中で「イメージ化」されて脳内補完されるんです。
つまり、そこに存在しないはずの「絵=コマ」が頭の右上あたりにばんばん自動再生されるんです。
(こう書くと、ほとんど危ない薬やってる人みたいですが)
無論、こんな経験初めてで、くらくらしました。

 どうやら広島国際アニメーション展で1日10時間近くアニメーション見続けたものだから、
刺激を受けると、自動再生プログラムがセットされちゃったみたいです。
それに加えて、今ちょうど、卒論が漫画史の研究で明治・大正の頃の岡本一平や北沢楽天の1コマ諷刺漫画をここ2・3日ひたすら見ていたので、
急に現代のこじゃれたイラスト見たことで、一気に絵が「語り出してしまった」みたいです。
何せ、明治の頃の漫画資料、たまたま白黒ばかりでしたし、戦前マンガもオノマトペや漫符が皆無に近いですから、凄くストイックで地味ですから。

 この感覚、しばらく収まらなくて、
帰りに寄った本屋の周りの風景が、逆になんだか普通以上にリアル感が感じられました。
車やビルがそのままだと変によそよそしく感じられるんです。
気を緩めると、
今にも凄い原色のポップな色彩で、総デフォルメ化する、
伸び縮みして今にも踊りだすんじゃないか
、と感じました。
おいおい…ですよね。

(ほんと危ない人みたいですね。
これで、デッサン化、彫刻的立体視、コマ撮り動画化といった超
感覚モードに次いで第4の感覚が手に入りました。
なんと名付けよう。
POPアニメーション物語化?とでも…。)

【結論】
卒論書きつつ、少しずつ、絵コンテ描くことにします。
せっかくの感覚ですから忘れちゃう前に。
卒論完成してからみたいな、のんきなこと言ってられなくなってきました。


追記
この絵本原画展、全国各地を巡回します。7月の板橋区立美術館は終わっちゃいましたが、10月四日市立博物館、11月石川七尾美術館、12月鹿児島・長島美術館です。
今年は例年になく日本人入選者が多かったですよ。
僕もいつか出そう。



2006年8月26日(土)
広島国際アニメーション展へ行きました

 昨日25日と、その前日24日、広島国際アニメーション展へ1泊2日で行ってきました。2泊3日の出張の後であまり寝られなかったので疲労の貯金を抱えたままでの強行軍でした


その感想は、というと素晴らしかった、の一言に尽きます。

 【広島国際アニメーション展については、上の画像のページで詳細は書いていますが、国際アニメーションフィルム(ASIFA)公認の世界5大アニメーションフェスティバルの一つで、今年で22年目の凄い大会です。 大会自体は2年に一度の開催なんですが、僕が行った24日は開会式もあって、そこでのセレモニーが凄かったです。ピアノ、オペラ歌手、そして大会委員長など…。正式な国際映画祭を日本で、しかも東京以外で味わえるというのは、とても大切で貴重なことだと思いました。(食事に本場、広島焼きのジューシーな味も楽しめますしね。(^_-) ) 】

どうしてもこの手の映画祭って、グランプリ作品はDVD化されたりして、後で見れるんですが、入賞作品以外の、入選レベルってどのくらいなのかって行ってみないと、分からないですよね。全てが大作(15分が短編アニメーションの世界では大作です。)じゃなくて、中には2分前後のものもあって、制作者の立場からすると、安心できました。
 無論、1764応募作品の中から53作品しか入選しないわけで、名の通った山村浩二さん辺りも落ちることもあるので(今回は日本人として唯一の入選作です)、その審査の公平さとレベルの凄まじさは想像を絶します。そうしたコンペティション作品とは別に、様々な作品が特集で上映されています、メジャーな『ウォレスとグルミット』というアカデミー受賞作品から学生作品まで。
 何より、メジャーな商業アニメーションでは実現不可能なほっとする個人の思いやメッセージが作品化されていて、見るたびに人間っていいなあ、世界の他の地域の人々も同じ人間なんだなあとしみじみ思います。

 そして、普段、なんだかだ言いつつもテレビや映画の大手メジャーアニメーションに洗脳され狭められている自分の感覚が、解放されていくのが分かります
 どんな表現も許されるんだ。もっともっと可能性はあるんだ。
 感覚がより「リバティ」に、そして人間って何だろう、生きるって何だろうという意味で「ヒューマニティ」になってゆきました。

 出かける前は、家の相方には「じゃあ世界へ。行ってくるよ。」と冗談めかして告げて行ってきたんですが。
 この小さな一歩。
 とても大きかったです。
 この感動を僕は一生、忘れないと思います。どんなメジャーな素晴らしい映像作品を見ても得られない感覚でした。





2006年7月29日(土)
昨日のこと、アンデパンダン展への出品

昨日は、若い人たちと影絵アニメーションを撮影してました。
今回、僕はアドバイザーにまわって、出来る限り初心者の彼女たちに撮影から絵コンテ作りから、監督、操作・演技も自分たちでしてもらうことに…。
でも、結局、だいぶ梃入れしなければなりませんでしたが。

撮影会場を閉め切って暗幕のカーテンも使ったので、暑かったです。

この型のアニメーション、1年前だかにオリジナルキャラだけ作っても撮影と影絵の演技で最低二人いないと大変なので、今日まで放置していました。(その分と今日の撮影キャラは全く別ですが)

こうして大勢でやると、素早い作業になるし、盛り上がることに改めて気づきました。
出来れば、監督シナリオ作り体験、彼女たち一人一人にやってもらいたいところです。
(そして、ついでに指導料として前記の放置していた僕のキャラ及びシナリオの作品も手伝ってもらって完成させたいところです。)



追記

8月は出張も多くてまずは2日3日が泊まりであります。
(お陰で、卒論書きは微速前進です。  苦しい、なかなか書けない。  (-_-;)  )



(画像は別ページで拡大されます)


それと、京都造形大学の有志で行われる今年の「夏のアンデパンダン展」(上記がDMです。)に
(8/9(水)~8/20(日)まで 
京都造形芸術大学内のギャラリーRAKUにて。
入場無料。白川通り沿いに面してます。)、
去年作ったクレイアニメ「終わりなき戦い」を出品することにしました。
この作品はWEB公開してますから、こうしている皆さんは行く必要ありませんが。
 
 これは通信教育部生関係の無審査展覧会です。
 いままでこうした外部展覧会に地元の市展以外には一度も出したこと無かったのですが、作品を積極的に出して表現活動しようと思ってます。その意味で、まずは美術的な原点である京都造形大から出品しようと思ったのです。
 16日には自分でも見に行こうと思っています。
 
 *こうして知らず知らず新展開・新境地へ進んでいくんだなぁと予感しています。


2006年7月22日(土)
またまた、宣言! 描きます、絵本を
昨日は、万博にある大阪府立国際児童文学館へ行ってきました。
卒論の下調べです。
昭和20年代・30年代の少女雑誌を調べてきたんですが、現在刊行中の児童書籍も開架してあって、とてもゆったりした気分で楽しめました。

そして、ここ毎年行われる「ニッサン 童話と絵本グランプリ」の主催団体なんですよね。
これは絵本では、新人作家の登竜門的コンテストです。
その存在は10年以上前から知ってたんですが、改めて受賞作品の絵本、見てると、むらむらと描きたくなっちゃいます。

もともと、絵を描き始めた動機の一つに、絵本が好きだから…というのがありましたし(絵本収集歴、うん十年です。絵本の描き方講座にも半年通ったこともありました…悲惨な結果でしたが)、
若かりし頃、学生時代は、ご多分にもれず、童話、書いてましたから(ものにはなりませんでしたが)。

そもそも、ページ20ページほどなんて、アニメーションを手描きした人間からすると、「一瞬」で「楽勝」に感じちゃいます。
今まで絵本、描こうと思って、身構えていたけれど、そう考えれば出来そうに思ってきました。
ちょうど、今、卒論ではマンガの「コマ割り」や「ストーリー展開」の研究しているので、

<絵・ストーリー展開(オチ)・ことば>

なんか、すべての条件、揃っちゃって、描けない言い訳、立たなくなっちゃいました。(そういえば、今イラスト教室、行ってるじゃん。というか、今日だ。)

そこで、アートアニメーション、作る予行練習に絵本を描いて応募することをここに宣言します。
宣言ばっかりじゃん、と言うなかれ!
できると思ったことは成功・失敗は別にして、必ずしてきた人間ですから。
この10月は、卒論執筆で間に合わなくても、来年には必ず出品します!  わっ、断言したよ…日にちまで…(^_^;))

こうして宣言して、自分を追い込んでいこう。
口にすると、律儀な性格だから、やらんとあかんなぁとか思うものですから…。
何より絵コンテだけなら、一日で描けるという自信や経験がありますから、大丈夫でしょう。
あくまで「応募」ですから「入選」じゃないっすからね。(^-^)
それはまた別。とにかくベストを尽くしましょう。



2006年6月11日(日)
卒論指導とイラスト教室

先週受けた卒論指導、とても良かったです。
正しい章立ての仕方といった技術・形式的な部分のレクチャーもゼミ形式ですが、細かくしてもらい、
事前に出されていた課題のレジュメを、実際に写して考えて書き出していくといったもので、とても実践的でした。

しかも、どの章から書いてもいいよ、書きやすい所から書いて、それを無駄にしない構成にすればいい、かつ、メールで書けた章ずつ送って、その結果「C判定」で卒論が合格できるレベルになったら、教えます、という力強いお言葉。そして、「A判定」もらいたければ、それから半年、1年と納得いくまで書いて下さいとのこと。

感激しました。(T_T)

なんか書けそうな気がしてきました。
生徒をやる気にさせるのを教育者だというのであれば、素晴らしい手本を見せて頂きました。
的確な助言と、自主性を尊重した指導…脱帽です。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

昨日の土曜日、読売文化センターのイラスト教室へ行ってきました。
前回はただの見学ですから、今日が1回目です。

画材も、高級透明水彩絵の具ウィンザー&ニュートンを奮発して買っての、やる気満々でした。
先生の教え方も上手く、ガッシュとポスターカラー、小学生の不透明水彩の関係も初めて理解できました。

イラストの模写や、「ぼかし」練習の時に、これが「いわさきちひろ」のテクニックで、と、的確に教えてくれるので、
とてもモチベーションが上がります。
来週までに自学自習しとこうかな、と思うほどです。
(卒論があるので、そうもしておられませんが)

たまにこうして右脳使わんと、あかんよなーと思いました。



2006年6月1日(木)
いよいよ、スタート卒論指導&戦後マンガ論
 いよいよ明後日、土曜日に東京の三田キャンパスで初回卒論指導を受けてきます。
 卒論、本体は未だ構想段階で僅かなメモや書きなぐりしか書いてませんが、2週間前よりはだいぶ構想がまとまって、様々な論点が見えてきました。
 少女マンガと少年マンガの違い、片や(コマ+言葉)であり、片や(コマ+動き)である等々、それまで見えなかったものが見えてくる「新感覚」が自分中に生まれるいつもの手応えを感じています。
 「大正時代の漫画と手塚マンガの、共通点と違い」
 「全ての近代マンガの始まりは手塚マンガだという手塚神話の検証」
 「大友克洋のマンガ文法の分析」
 「水野英子による少女マンガの出発点、と萩尾望都によるその拡大」
 ほんと色々で、ほんまに書けるかなと疑いたくなる問題点・疑問点がある。その中でも極めつけは、「日本語及び日本文化としてのマンガ表現」なんて日本文化論まで広げた大風呂敷のテーマ。単なるマンガの表現をちまちま紹介するレベルのものにだけはしたくないものです。




2006年5月6日(土)
イラストを習いに行きます & スピリチュアルな天啓…かな?
 唐突なんですが、読売文化センター辺りにイラストの描き方を習いに行こうかと思っています

 実は今日、本屋で「イラストレーション」という月刊誌を買ってパラパラ見ていたら、自分が描きたいのはイラストだよなぁとしみじみ思いました。
なんか無理してちゃんとした「絵」を描こうという義務感みたいなのが心の中にあった気がして、それがふっと腑に落ちたというか肩の荷が下りたというか消えて「イラスト描きたい」で楽になりました。
( デッサンやクロッキーは今も好きなんですよ。
 でも、いわゆるタブローと言われる油絵や水彩を描かなきゃ、描きたいと思わなきゃとそれらを描きたいと思わない自分に罪悪感持ってました。

 目の前に人物やモチーフがあれば油絵でも水彩でも楽しく描けるんですが、作品として描こうという気にはどうにもなれないんですよね。
 だから、WEBページでよく見に行く日本画のanneさんの創作エネルギーとか凄いと思っています。)

 今日も実は神戸のファッション美術館で民族衣装のマネキン像をクロッキーしてきたんだけど(ついでにその辺にいた野良猫やらも)、その余韻というか何かアニメーションを創りたいという欲求とは違うエネルギーが心の中にまだ渦巻いているようです。
 別にわざわざ習わなくてもどうせ自己流なら今まででも描いてきたんですが、その道の人に教えてもらうと、何気ない一言にこちらの考えや感性がばっと広がることがあるんですよね
そういう瞬間って好きなんです。
それがこの前ここに書いた超感覚なんですよ。

 過去に油絵・デッサンの類はもちろんのこと、
パステル、クロッキー、彫塑、木彫、銅版画、日本画、デザイン、映画作り、アニメーション、と美術的なものは多く習いました。

(他にも、絵本や、手品、ペン字、料理、サックスそしてバドミントン、空手・古武術etc…アホですね。(-_-;) )、

 でも、なぜそれを習おうと思ったのか、きっかけが思い出せないものも多々あります。
 手品なんて、なぜ習ったのか、全く思い出せないですから。(^_^;)

 今回、このイラストを習うことを思いついたのは、天啓の一種のように思います。きっと今この時期じゃないといけなかったんだと思います。
 また、自分がこれから創るアニメーションにも大きく関係するきっかけを得られるような予感もあります
 
 そういえば最近、こういう「デジャブ感」続いています。

  *   *   *   *   *   *   *   *   *
 
 あるスピリチュアルな本に、人が天啓に従っている時は、次々に前進を促すきっかけが転がり込んでくると書かれていました。それを「デジャブ」と言うんだと。
 ①仕事先で絵本関係の物件に出会いました。
 ②慶應の「心理学2」のレポート書いてみようとしたら、絵と言語という課題にぶち当たりました。
 ③僕の慶應の卒論は、戦後マンガ論です。
 ④たまたまKAVCの映像WSが休講になって時間的余裕があります。
 ⑤今日、たまたま「イラストレーション」の雑誌に目がとまりました。初めてです。平積みでぽつんと置いてありましたから目に付きました。 
 (実はこの雑誌、別冊は過去に買ったことがあるんですが、定期刊行 されていること、恥ずかしながら今まで知りませんでした。)

 これらはすべて偶然、もしくは僕の興味がたまたま向いていたから起きた流れの中でごく普通の出来事です。でも、これを必然に、運命に変えれそうな予感がしてなりません
 それでここに記録しておきたいと思います。

 そもそも僕にとっては2004年のあの映像作品との出会いが一つの奇蹟ですから。こうした運命の出会いや奇蹟を信じざるをえません。

 皆さん、こんなきっかけないですか。





2006年4月16日(日)
奇才、小田ひで次のマンガ『クーの世界』と、超感覚
 別の方のブログに書かせてもらったことなんですが、自分の中に様々な感覚があります。たぶん、本格的に美術をやらなかったら生まれなかった感覚が。
 それはどんなものかといえば、例えば、必死でデッサンやクロッキーしている時の、あの全身の感覚が「目」と「手」に凝縮されてしまい、しかも時間がゆっくりと流れだす。すべての日常世界が消え失せて、あるのはただ対象と自分の感覚・心だけという感覚です。
 そして他にもいくつも似たような特殊モードがあって、デザインの受け留め方、洋画油絵の色彩感、パステルの陰影、銅版画のマチエール、彫塑の立体視覚、映像制作のカット割りと画角感、アニメーションのムーブメント…全てが僕の中にあってそれぞれスイッチを入れられるのを待っています。
 これがいわゆる右脳感覚なのかも知れません。
 面白いのは、僕みたいに大人になってから絵が描けはじめた人間にはこうした新感覚が自分の中に生まれたという自覚があるんですが、どうやら子どもの頃から美術が得意で美術の先生や作家になられている方にはこうした自覚って無さそうです。
 僕みたいなアマチュア美術愛好家だからこそ分かる感覚なんですね。

  *   *   *   *   *   *   *   *   *
 
 小田ひで次のマンガ『クーの世界』を始め一連の諸作品が面白い。とだけ書いて日が立っちゃったので、これはまた後日、書きますね。




2006年3月26日(日)
知られざる名番組『デジタルスタジオ』と、名著、そしてデジタルな時代
 一つ目に紹介するのは、NHK BS2放送で毎週土曜日から放送されている『デジタル・スタジアム』。
 素人の視聴者が番組に応募した映像作品を紹介して、中谷日出を始めとするコメンテーターがそれを合評するというカルトな番組です。
 その面白さは見てもらうしかないのですが、この番組を見ていると、今という時代が映像制作においては個人制作の時代になったことが実感できるものです。
 また、その面白さが分かる本が『新しい美術はじめましょ』(中谷日出著ソフトバンクパブリッシング刊)です。誰もが愉しみながらデジタル映像に親しんでいく時代なんだと分かります。

(上の文は1週間前の17日の文章です。
ただ今、発表会用アニメーションをWEBに上げることができてほっと一息ついています。)

  *   *   *   *   *   *   *   *   *

 デジタル時代、情報化社会を迎えて、PCやらITやらで現代社会が人類の歴史で大きな境目に当たる時代なんだと、頭では分かっていても、単により便利になっただけさと言えなくもないものでした。
 僕などどっぷり情報化社会やPC、ITに漬かっているので、デジタル時代といってもなんてことはない趣味が深まっただけさと思っていたんですが、こうして映像制作が一人で出来てしまうことは、やり始めるまでは全く分かりませんでした。
 そして、そうした個人クリエイターを支援したり活用しようという試みが盛んに行われているというのも、なかなか気づきませんでした。ついこの間も、金曜日に有給取って、大阪産業創造館へ行って来ました。
「BroadStar Award 2006」というデジタルコンテンツの優勝作品を決めるコンクールと『ニヤッキ!』の伊藤さんの講演会があったからです。こうした試みは大阪市も新しい基幹産業にしようと積極的に後援しているみたいです。
 考えてみれば、デジタルコンテンツと一言で言うと、訳がわからないく聞こえるんですが、携帯の待ち受け画面やグリディングカードから、CM、ミュージッククリップなど、アニメーションや映像作品って、巷に氾濫しているんですよね。あれだけあると、確かに作り手が慢性的に足りないんですよね。 
 別に僕がそんな凄いクリエイターになる訳じゃないんですが、僕がこうした活動をするまでの社会と、今、気づいた社会とのギャップの大きさがあまりにも違うので何ヶ月か置きにビックリしています。


2005年12月30日(金)
何かしたいんだど、できないと思っている人へ
 表題の通り、何かしたいんだけど、何もできないと思っている人のことを書きます。
 というか、それって少し前の自分のことで、時々、今もそう思って何も出来なくなってしまっている自分のことです。
 そんなあなたに今日はとっておきの本を紹介します。

 それは木村裕一さんの『きむら式 童話のつくり方』(講談社現代新書)です。
 木村裕一?知らないなと思った方、「あらしのよるに」シリーズの原作者ですよ、と言うと分かりが早いかな。
 ちょうど今、映画化されてるから、かなりトレンディーな話題です。
    *   *   *   *   *   *   *   *
 この本の面白さは、僕にとって次の3点でした。
①「童話を書いてみるだけで、あなたは6.25%の人ですよ。」
 えっ!6.25%と聞いてもピンと来ないと思いますが、何かしたいなと思っている人が世の中に半分50%いて…更に、具体的に夢のある人がその半分の25%…、そして、そこから実際に行動する人がその半分の12.5%…と続いていった数字です。
 最後は行動に移す人の中でちょっとやって諦めなかった人が6.25%となる訳です。

 諦めの悪く、けれど、怠け者の僕は12.5%と6.25%の間をウロウロしています。(^^;)(こんな文を書いてる間に作品作るべきなんですが…)
 

②「目的地にたどり着くために、まず階段の1段目を上ろう。」
 今、制作が止まっている僕は、コンピューターとタブレットの所為にしてますが、要はアニメーションの枚数の多さに途方に暮れております。やり始めれば、ひたすら出来るのですが、なかなか出来なくて…。
 1段目のことだけを考えてやります!(早くこの文、書き終えよう。)


③「自分を評価し支えてくれる【場】が必要なんです。」
 確かにそう思います。怠け者で意志薄弱な僕が、いろいろ出来るようになったのも、周りにそんな【仲間】や【場】があったからです。今、こうして書いているこのWEBページ自体がそうした【場】の一つですが。
 このWEBページや僕の映像作品(著作権の関係で載せてないものや未完成品も多々あります)も、実はある映像作品と、その仲間たちとの出会いの産物ですから、この言葉、非常に心に染みいってきます。

 独りで出来ないことも、みんな応援があれば出来るものですよね。
(かといって自分はつき合いの悪い人間で、孤独の中で自分と戦わなければ何もできないとも思っていますが。)

 さて、これをこの1年の締めくくりとして、また孤独な制作に取り組みます。皆さん、よいお年をお過ごし下さい!


      


2005年9月19日(月)
絵が好きだけど、下手だと思っている人へ
 表題のように絵が好きなんだけど、下手だからと思っている人って多いと思います。僕もあるきっかけで「描ける」ことが分かる前は、そういう一人の美術愛好家でしたから。
 
 絵を描く、というか、いわゆる一般の人の言う「上手い絵」が描けるというのはデッサン力になると思うんです。
それって明暗による立体感と、綺麗な線がが引けるかどうかが大きいと思うんですが、
それらは対象がどれだけ見えているかということで、ある程度までは純粋に訓練で補える程度の技術だと思います。
いわば、自転車に乗れる、車の運転免許を取得したとそう変わらないと思います。
でないと、僕のような後天的に大学も卒業して社会人になってから絵を始めて、数年間は全くどが付く下手さで、急に絵が描けるようになる人間がいる説明がつきません。

 
絵を描けない一番の障害は、自分は絵が下手だとか、上手く描きたいっ!という意識なんです
美術や絵に苦手意識がある人は、特に美術好きで、普段から絵をよく見る高度な鑑賞力ある人ほど、この呪縛で描くのが怖くなっちゃいますね。
プロも、実は成功作の裏に数枚、数十枚の失敗作品があるんですが、それは見せないですからね。

で、お薦めは「クロッキー」です。
クロッキーは、いわば、早描きデッサンです。10分、5分、2分、1分と制限時間内にモデルさんをひたすら書くもので、プロの画家は目と手の準備運動にこれを行います。

実は、我々素人にとってもクロッキーはとても大切なんですが、一般にデッサン教室や絵画教室でもあまり力点を置かずクロッキーはおまけ扱いです。
僕が多少なりとも絵が上手くなったり、対象を正確に見れるのはクロッキーをしたからだと思います。

クロッキーでは素人がモデルを見ずに画面ばかり見てしまうことを矯正できます。(5分の時間内で、初心者はその半分、手元の画面を見てますが、熟練者は極論、数秒間も手元は見ません。)そこには純粋に対象を見つめ、それを線で描く「喜び」があるだけです。
その線を追う楽しさ、描くほどに対象が見える「発見」がある為に10枚の内、8枚失敗作を描いてしまう恥ずかしさに耐えています。

以下にクロッキーする時の注意を書きます。

もし
正しい線を描こうとしたら

 1、その線の角度が急激に変わるところ(例えば、腕と肘とか、上体から脚とか)や、強弱が入るところで、素早く画面を見てバランスをチェックする。
 2、あらかじめ、完成図を思い浮かべて、腕はここ、胴体はここ、腰は、というように、簡単な印を画面上に付けておく。
 

けど、
クロッキーが美しい線を身につける為のものだとしたら、(こちらが本当ですよね)
 
 3、出来る限り、長い1本の線で描いてみる。
  失敗した線も消さずに置いておけば、それが補助線になって正しい線を導き出します。また、それが微妙な味になって画面上のリズムを構成します。
 
 4、画面を見ずに描いて、他の部分とのバランスが狂って間違っているように見える線も、気にせずその横に重ね描きする。その書き直しがまた、同じに角度で描けていたら、それは正しく目と手が連動している証明だそうです。

1から3は、僕が自分で調べたか体得したもので、4は洋画コースのどなたか先生から聞いた気がします。
クロッキーって、カルチャーセンターやデッサン教室に行っても描き方をちゃんと教えてくれません。
画面の余白とのバランスと、その人体のバランスが正確かを先生は指摘するだけです。「この絵がいい」とか、「この腕のラインがいい」とか印象コメントはありますがね…。
どうやら、プロの画家には習うより馴れろという意識と、クロッキーはあくまで練習という意識があるのですね。(僕ら素人にとっては大事な作品です。)

クロッキーをすると、数ヶ月で描く線が劇的に上手くなるというのが若い中学・高校生の場合あります。
きっと自分も、初心者のころと較べると急激にそうなったのでしょうが、他人と違い自覚症状は難しくできないですね。

上手く描こうという邪念を捨てて、純粋に線だけを描くクロッキー。
一番大好きです。
描く度に人体って美しいと思います。


 
2005年8月31日(水)
この夏に刺激を受けた本について
 この夏、例のごとくたくさんの本を読みました。おそらく、1ヶ月で60冊以上は読んだと思います。
 ほとんどはレポート関連の参考図書なので自慢できることではないんですが、プラトンの哲学書あり、樋口一葉の擬古文ありですから、まあとてもバラエティに富んだものです。
 (管理人は活字中毒で学生時代の読書レコードは1ヶ月100冊以上というのがありますから、50・60冊でも大した数ではないんです。普段でも1日2・3冊読む時があります。多分、文庫本1冊の小説で少々中身のある分厚いものでも3時間かからないでしょう。おそらく常人の3倍ぐらいの読書速度です。そうだ。今日から「赤い読書彗星」と名乗りましょうか?(^_^;))

 さて本題、この夏、感銘を受けた本ですが、まずは野矢茂樹著『論理トレーニング』(産業図書)。見るからに堅苦しそうな本だしレポート関連の指定参考図書として読んだので、最初は嫌々だったのですが、読み始めると、面白い。今までいかに自分が言葉の論理・筋道が理解できていなかったのかが分かって、絶句しました。この本を読んだ後と、前とでは文章読解力はまるで別人になります。この本との出会いだけで慶應に入った価値がありました。自分の中の「知」の発見というのでしょうか。(これだから通信教育はやめれません。)世界観が変わりました。

 次もやや固い本。『図解 量子論がみるみるわかる本』(PHP研究所)これはスクーリングの参考図書として勝手に自分で探し出して読んだ本。副題に、文科系の人でもすぐ理解できる!とあって正にその通り。今まで自分の現代物理学の知識は相対性理論止まりだったので、へーと感心することばかり、ちょうどテキスト科目「現代倫理学の諸問題」の中での現代の自然科学的見方がネクロフィリア(死を愛する)的もので、われわれはバイオフィリア(生を愛する)科学を打ち立てねばという論理み目から鱗を落としていたので、その共時性にびっくりしました。これもまた「知」の発見です。

 最後は少し柔らかなジャンルのもの。『CG&映像しくみ事典』(ワークスコーポレーション)これは、2年前と少し古いけど、刻一刻と変化する映像&コンピューター関係の世界を初心者が概略理解するのにベストな書物です。どれにも綺麗なカラー図解が付いて、その上、各章末にその分野の名著が写真付きで紹介されています。シナリオ関係で僕が名著と思う『シナリオの基礎技術』や『映像の原則』もちゃんと」紹介されていて、その選定眼の確かさが分かります。
 他にも樋口一様関連の本とか、斎藤孝の本とかいっぱい紹介したいのだけれど、これぐらいでやめときます。また、素敵なアニメーションもいっぱい見ましたが、それもまた別のページで紹介します。



2005年6月19日(日)
知る人ぞ知る名著『別冊宝島144 シナリオ入門』について
 

今回は、正にタイトル通り、知る人ぞ知る名著『別冊宝島144 シナリオ入門』について書きたいと思います。

この手の創作本というのは、結構好きで、文学や小説関係ではたくさんの名著・名作を知っていたのですが、この本は最近知りました。
噂では聞いていたのですが、まあ、宝島だしな、そんなに人気ならいずれ文庫化されるだろうと本屋で手に取りながら買わずじまいの内に絶版・稀少本化してしまいました。
この間、参加した「震災10年 神戸からの発信 映画ワークショップ」で講師の安田真奈監督からの推薦があって読みました。
(絶版のため、ヤフオクに数回チャレンジで990円という破格値でので落札。下手すると数千円でした。)

その内容は、シナリオ創作だけに留まらず創作関係全般に波及するようなアドバイスに満ちていて非常に面白いものでした。
特に我々がいざ何か作品を書こうとして途中で挫折しがちな点を先回りしてフォローしてくれている点も非常にありがたいところです。
何より最初に書きたい「ドラマツルギー」及び結末を明確化して書くべきというところは、下手な純文学青年もどきが陥りがちな独りよがりの小説にはならないための箴言でした。
考えてみれば、自分がふだんレポート課題をこなしている時も、大学側から与えられた命題に対する少しでも明瞭な答えが用意出来なければろくな論文にならないわけで、それを文学創作の際だけ別法則だと思いこんでいた自分が馬鹿なだけでした。
読む人、見る人を楽しませて尚かつ深い文学作品はあまたある訳で、それを何よりの証左とすべきでした。
この本もまだすべて読んだわけではないので、実作にうつる中でより深く読み味わいたいものです。






2005年4月24日(日)
『映像の原則』
 それは富野由悠季 著 『映像の原則』(キネマ旬報社)です。

 筆者はあの、(といってもお若い方々には通じないのでしょうか)ガンダムの生みの親、富野さんです。
 僕は、ファースト・ガンダム世代ですので、ある意味、神様みたいな人です。
 
 が、そうした思い入れとは別に、映像と物語の具体的な接点を説いた稀に見る実践の書でした。

 この書を読んだ後、TVドラマセカチューDVDなどを見ると、その映像の一つ一つのシーンがある「言葉」として理解で制作者の意図がいろいろと想定できるという代物で実に奥深い本です。
 たかがアニメの監督が、と思いの方もおられるかもしれませんが、アニメという空想の産物にリアルな命を吹き込むことこそ本当は難しいこのなのだとよく分かります。
 また、当然、クレイアニメを作る際にも大いに役立ち、触発もされました。管理人は何か新しい趣味を始める時はその関連本を何十冊も集めて読みふけるという習性があります。

(お陰で、現在の本棚には仕事関係の文学書以外に、美術の技法書やらデザイン関係の本が100冊以上はあります。ちょっとした市内図書館の分館には負けない冊数です。すべて京都造形大入学前や在学時に買い集めたものです。これでも20冊近く古本やアマゾンで売ったのですがね。)
 で、今、少しずつ片言隻語、噛みしめながら読んでおるところです。





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