創業20周年記念誌「すまいる」

 2.住むを実践する

 「身体障害児者。 高齢者介護への取り組み


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障害者自立支援法が障害者の「自立」生活に及ぼす影響
       伊 藤 智佳子(社会福祉学科・助教授)

 はじめに

 本稿では、2006年4月1日施行(本格施行は2006年10月1日)の障害者自立支援法が、障害者の「自立」生活にどのような影響を及ぼすのかについて若干の考察を行う。
 周知のように、障害者自立支援法は、2005年10月の特別国会で成立し、2006年4月から段階的に施行されている。

 障害者自立支援法の最大の問題点は、@福祉サービス等を利用する際に、国が定める単価の1割の自己負担が求められるという点、A介護給付や訓練等給付の福祉サービス利用に際しては、認定調査によって障害程度区分が決まるという点、B2009年には、介護保険の中に障害者を組み込むといったように高齢者福祉と障害者福祉を統合させる点といえる。現象面として現れている問題点の根には、「福祉の保険化」がある。

 筆者は、少なくとも若年から障害をもっている人たちの生活を総合的に支援していくための障害者施策は、租税で展開されるべきだという立場をとっている。なお、加齢に伴う障害者を含む高齢者施策に関しては、租税か保険かをここで議論するつもりはないことをお断りしておく。若年から、24時間全介助を要する身体障害者が、どこに住み、誰と住み、どんな職に就き、あるいは職に就くのではなく何らかの形で社会活動に参画しといったような自分なりの人生を自己選択し、決定し、実行し、実行後は行動に責任を持つといった自分の人生を自分が創り、送る流れが自立であり、身体介助をも含めた支援が、自立支援としての介助であると考えるからである。
 障害者自立支援法では、身体介助を要する障害者が介護給付等としての居宅介護を利用した場合、定率負担金が利用料として発生する。これは、障害をもっていない人たちが、「当たり前」すぎるほど「当たり前」に行っている排泄、入浴、洗顔、歯磨き等に、障害をもっているというただそれだけの理由で、お金を支払わなければならないということである。排泄、入浴、食事等といったように、人が「生きていく」上で外すことができない行為に介助が必要な人たちは、そういった行為を自分でできないために、排泄、入浴、食事等といった「生きていれば避けて通れない」行為を自分のお金を支払い、他者に仕事として請け負わせるということである。「生きていく」上で外すことができない行為に自費で負担金を払わないといけないということは、社会保障制度が機能しなくなったということである。憲法第25条「生存権」の保障がされないということになる。また、授産施設などで就労している障害者にも利用料が課せられている。これは、障害をもっていない人たちが職場で「働かせてもらっている」ことに対して、職場に利用料を支払うことと同じである。

 本稿で、障害者自立支援法によって障害者の生活がどのように変わるのかについて考えてみたい。これは、自立の意味を再検討すること、また「社会福祉とは何か」を問うことになると考える。
 なお、1993年の障害者基本法成立により、「身体障害、知的障害、精神障害」が障害者と定義づけられるようになった。しかし、本稿で障害者、障害をもつ人たちという場合、主に身体障害で、思春期、青年期といったように自分の人生を創っていく時期にすでに障害をもっていた人たちを想定しており、加齢によって障害をもった人のことを想定していないことを付け加えておく。

T.なぜ障害者自立支援法が成立したのか
 ここでは、障害者自立支援法が成立した要因を、主に@支援費制度による財政破綻、A介護保険統合見合わせの2点から考えてみたい。

1.支援費制度による財政破綻
 2002年に、身体障害者、知的障害者を対象とする支援費制度が実施された。これは、「行政処分」として障害者サービスを決定してきた「措置制度」から、「契約」へと障害者本人の自己選択と自己決定を尊重した制度といわれてきた。
 支援費制度の導入直前の2003年1月、厚生労働省が支援費に移行後のホームヘルパーの利用時間の制限を打ち出した。これに対し、ホームヘルパーの利用時間制限をされたら地域で自分なりの人生を送ることができない全身性障害者たちが抗議行動に出、その結果、ホームヘルパーの利用時間制限を厚生労働省に撤回させた。これにより、支援費制度が障害者1人1人に必要なサービスを個別に算定し、その必要に応じて支援費の支給を行うことが守られることになった。このことは、24時間全介助を要する障害者が地域で「自立生活」を送りたいと望んだとき、それが実現・継続できるための介助体制を制度として整えることを最優先課題としてきた障害者運動の成果であった。
 しかし、支援費は初年度130億円ほどの財源が不足し、これが支援費制度の財源問題となり、制度開始1年で「支援費制度持続不可能」とし、介護保険との統合を提案し、統合が見送られる。
 2004年10月のグランドデザイン発表、2005年2月の障害者自立支援法の上程と突き進んだ。
 支援費制度が初年度130億円ほどの財源不足に陥ったことは、利用者側からすれば厚生労働省の試算が適切ではなかったという点に終始している。
 ホームヘルパーの利用時間に制限を付けなかった支援費制度では、利用者1人1人が必要なだけのサービス利用時間を確保することができた。また、支援費制度に知的障害者が組み込まれたことによって、それまではなかなか外出できにくかった知的障害をもつ人たちが、望めば、外出するためのガイドヘルパーを必要なだけ利用することができるようになった。つまり、支援費制度以前は、知的障害者が外出する際のガイドヘルパー制度は認められておらず、それゆえ、知的障害者は、仕事を持つ家族が休日に少ない時間をやりくりし、しかも親が付き添うという形での親の視点からの外出であったのに対し、支援費制度導入によるガイドヘルプサービスを知的障害者が利用可能になったことで、親や家族ではなく、ガイドヘルパーとの外出が必要なときに必要なだけできるということになった、つまり、親の視点からの外出ではなく、利用者本人としての知的障害者の社会参加につながる外出である。
 厚生労働省は、支援費の財源を組む際に、多くの知的障害者がガイドヘルプを多時間使うことを想定しておらず、そのため、試算を少なく見積もってしまった故、初年度にして支援費制度は財源不足に陥ったということが、支援費破綻の一要因と推察される。

 2.介護保険統合見合わせ、グランドデザイン、そして障害者自立支援法へ
 障害者自立支援法は、介護保険に障害者を統合するための、いわば「介護保険準備法」である。障害者自立支援法の特徴のひとつとして、サービス利用の際の1割定率負担、認定調査によって障害程度区分が決まることなどを挙げることができる。これは、介護保険への障害者統合を見据えた内容といえる。
 厚生労働省が、介護保険に障害者を組み込みたいのは、保険財源の強化のためであり、決して、障害をもつ本人の「自立」実現・継続への支援・援助、障害者の家族の望む障害者施策を展開したいからではない。
 周知のように、介護保険料は現在40歳以上から徴収している。それを保険料徴収年齢を20歳に拡大し、保険財源を強化したいというのが、障害者自立支援法成立の大きな要因のひとつである。
 現行の介護保険下では、サービス供給量において地域間格差がある。サービス供給量の多い自治体では、65歳以上の保険料が高額となっており、これ以上介護保険料を上げることができないのが現状といえる。そこで、保険料を支払う人の枠を広げることが課題とされた。厚生労働省は、2005年の介護保険改定の際に、「若い人も障害者になる可能性があるから、若い人たちも介護保険料を払うことが必要となる」という理由を打ち出し、だから介護保険料を20歳以上の人すべてが払うことの必要性を提起した。
 介護保険の中に若年からの障害者を組み込むことは、2000年の介護保険スタート時から議論の俎上には上っていた。しかし、1996年身体障害者福祉審議会は、@障害者施策が公の責任として公費で実施すべきという関係者の認識が強い、A市町村で一元的に障害者施策が行われていない、B障害者の介護サービスの内容は高齢者に比べ多様で、これに対応できるサービス類型の確立には十分な検討が必要、C介護保険の適用より障害者施策の実現のための基盤整備の必要性を提起した。そして、介護保険スタート時には、障害者を介護保険に組み込むことはされなかった。
 2003年には、支援費制度が開始されたが、初年度に財政不足、破綻に陥り、介護保険との統合を提案し、統合が見送られると2004年10月のグランドデザイン発表、2005年2月の障害者自立支援法の上程と突き進み、2006年4月1日障害者自立支援法成立(本格施行は、2006年10月)した。
 2006年4月においては、支援費制度上のサービス内容に変更はないものの、定率1割負担だけは、すでに障害者自立支援法成立直後から開始されている。そのため、支援費制度の時に使うことができていたヘルパー利用時間等は支援費制度の時のままではあるが、支援費制度の時には利用負担金が0円であった人も、所得に応じて利用負担金を支払うことになった。また、2006年9月現在にあってさえ、国は支給する支援・援助内容やヘルパー利用時間数などを決めてはいないままに、認定調査による障害程度区分の判定のみは行われている。本来、必要な支援・援助内容があって、それらをどのくらいの時間数使えば生活が成り立つのかという議論が成り立つはずである。支援給付の内容が決まっていないうちに障害程度区分のみが判定されるという仕組みは、国が、どの障害程度区分のひとが何人いるかによって、1人1人に分配される支援給付費や支援時間を決めていこうとしていることが推察される。定率負担も、支援・援助内容が決まっていないうちの認定調査による障害認定区分の判定も、2009年介護保険に障害者が組み込まれていくことの第一歩に他ならない。

U.障害者自立支援法の特徴
 障害者自立支援法が、これまでの支援費制度と大きく異なる点は、利用者定率負担といえる。
 ここでは、居宅の介護給付費に焦点を当て、利用者自己負担の概要を記す。

1.介護給付に伴う利用負担金の月額上限
 障害者自立支援法の本格施行は2006年10月1日からであるが、2006年4月1日から定率負担による利用負担金徴収が導入されている。
 介護給付に伴う自己負担金上限(月額)は、所得に応じて決められている(表1)。
 表1に示したように、市町村民税課税世帯の場合、介護給付に伴う月額上限利用負担金は、3万7200円、市町村民税非課税で年収80万円を超える世帯の場合、2万4600円、市町村民税非課税で年収80万円以下の世帯の場合、1万5000円、生活保護受給世帯の場合、0円である。 


表1 介護給付に伴う自己負担金月額上限
課税の階層        介護給付に伴う自己負担金月額上限
市町村民税課税世帯             3万7200円
市町村民税非課税で年収80万円を超える世帯 2万4600円
市町村民税非課税で年収80万円以下の世帯  1万5000円
生活保護受給世帯                   0円


2.障害をもつ人の収入例
 障害をもつ人の中で、就業に基づく経済的自立ができている人はごく一部である。多くの場合、障害基礎年金、障害厚生年金などの年金を主な生活費として生活している。
 障害基礎年金受給者は、身体障害者の場合、身体障害者手帳等級注1)1級、2級所持者であり、3級以下は支給されない。
 障害基礎年金1級は、月額約8万2000円、障害基礎年金2級は、月額約6万6000円である。障害基礎年金の他に、名古屋市の場合は、特別障害者手当が月額3万1520円〜3万8610円支給される。
 障害基礎年金1級と特別障害者手当を併せて、約12万円弱で、名古屋市の場合、障害基礎年金1級の重度障害者で働く場所が無く、何らかの形の所得が望めない場合は、一ヵ月約12万円弱で生活しなければならない。ただ、原則は、障害基礎年金1級の場合、一ヶ月8万2000円、障害基礎年金2級の場合、一ヶ月6万6000円で生活しなければならない。

3.利用者負担金の減免の方法
 1で介護給付に伴う利用負担金の月額上限を、2で障害をもつ人の収入例として、障害基礎年金で生活する場合の月額の所得を記した。
 たとえば、特別障害者手当と障害基礎年金1級で生活している人の場合、介助を受ける一ヶ月の総時間数×1時間あたりの単価の総料金の1割の額が、利用者負担上限月額を超えてしまう場合、利用者負担上限額が適用され、一ヵ月2万4600円の利用負担金を払わなければ、ヘルパーを使うことはできない。非課税で年収80万円以下の世帯であっても、介助を受ける一ヶ月の総時間数×1時間あたりの単価の総料金の1割の額が、利用者負担上限月額を超えてしまう場合、利用者負担上限額が適用され、1万5000円の利用負担金上限月額を払わなければ、ヘルパーを使うことはできない。利用負担金を払わなくてもヘルパー利用可能なのは、生活保護世帯のみである。
 なお、利用者負担額の負担減免の方法には、現状では、以下の2つの方法がある。@現在利用しているサービスを、社会福祉減免を申請している「社会福祉法人」のみで利用すると、負担金が半額になる。ただし、預貯金などの資産が350万円以下の人しか社会福祉法人減免による利用者負担金半額免除は適用されないという制限がある。A社会福祉法人減免を利用しなくても、上限負担額を払ってしまうと、生活ができなくなる、つまり生活保護の対象となる(年金でギリギリ生活できていても、毎月2万4600円出ていけば、生活できるだけの最低所得にも満たなくなるので)ということであれば、生活が保てるまで、その上限を下げる(1万5000円〜0円)ことができる。ただし、@の社会福祉法人減免と同様に、預貯金があれば対象外で、預貯金がなくなるまでは、自己負担金を払い、なくなれば下げることができる。


V.障害者自立支援法が障害者の「自立」に与える影響
 ここでは、障害者自立支援法が障害者の「自立」に与える影響を利用負担金という側面から考えてみたい。これを考える前に、1970年代から今日までに、障害をもつ本人たちが展開し、獲得してきた障害者の「自立」の理念を若干整理しておく。

1.障害をもつ本人たちが望む「自立」の理念
 わが国の身体障害者の自立生活実現・継続に向けての運動は、1970年代の「青い芝の会」注2)の障害者の権利獲得運動を継承しながら、1980年代には、1960年代にアメリカのカリフォルニア州バークレーで展開され、1970年代、80年代、90年代に発展した障害者自立生活運動(IndependentLiving Movement、以下IL 運動と略)に示唆を受けながら、展開され、発展してきた。
 IL 運動の障害者の「自立」理念の主な特徴は、@ ADL(Activity of Daily Life、日常生活動作)を重視するのではなくQOL(Quality of Life、生活の質、人生の質)を重視する点、A自己選択・自己決定を重視する点の2点である。
 アメリカでも、日本でも、1960年代以前は、障害をもつ人たちは、病院や施設、または、親兄弟姉妹の下で家族の介助を受けながら、自己選択・自己決定することなく肩身の狭い思いをしながら一生涯を終える人たちであるとみなされていたし、障害をもつ本人たちも、そういった生き方を自分自身に納得させるしかなかった。そのような状況下にあって、1960年代初めに故エド・ロバーツ(Roberts, E、ポリオによる小児麻痺のため四肢麻痺、24時間全介助、呼吸器、環境制御装置使用)が、病院や施設のベッドの上に一生縛られ、自己選択・自己決定できない生き方ではなく、リスクがあっても、地域で介助者を捜し、介助ありの自分なりの生活を創ることを選び、その生き方を実践した。彼の生き方の実践は、それまでは多くの障害をもつ本人たち自身が半ば諦めていた自己選択・自己決定による介助ありの自立生活実現・継続に向かわせることになった。
 IL 運動における障害者の「自立」理念は、1981年の国際障害者年を機に、わが国に導入され、現在までの間に普及した。それに伴い、どんなに重い障害をもっていても介助を入れながら、自分で選び、自分で決めた生活を創り、人生を送る障害者が地域に増えてきた。IL運動に基づく障害者の自立理念の特徴である上記@、Aは、たとえば2時間かければ1人で衣服の着脱ができる重度障害者が、介助者に5分で衣服の着脱介助をしてもらい、残りの1時間55分は、コンピュータプログラマーとしての仕事や物を書く仕事、絵画や映画鑑賞といった趣味の時間の充実に充てるということである。つまり、障害者の「自立」には、前提として「介助」があるということであり、障害者の「自立」を議論する際には、あえて介助があって「自立」が成立するということを言語化するまでもないほど、介助あってこその「自立」というとらえ方は、IL運動の自立理念から見ると「当たり前すぎる」ほど「当たり前」のことであり、自立の前提となる介助であるからこそ、障害をもつ本人が必要な量の介助量と、そこに発生する介助料を租税で支払うのは当のことという考え方につながる。

 2.障害者自立支援法における「世帯単位の利用者負担」という考え方
 Uの「1.介護給付に伴う利用負担金の月額上限」で記したように、利用負担金は、世帯単位で支払うことになっている。世帯単位での利用料定率負担ということは、障害者を1人の「自立」した人間と捉えていないということが背景にあることの表れといえる。
 障害者自立支援法による利用料定率負担は、障害者の「1人暮らし」という「自立」の形態を壊すことになりやすい。それは、同時に、24時間身体的に全介助を必要とする障害者が病院や障害者関連施設、親兄弟姉妹の元ではなく、自分が住みたい場所で介助を入れた「1人暮らし」という「自立」を自己選択・自己決定し、実現・継続させることを障害者自立支援法施行以前よりも難しくさせるということである。
 たとえば、障害基礎年金1級と特別障害者手当の月額約12万円弱で賃貸民間アパートを借りて、1人暮らしをしている障害者の場合の一ヶ月の生活に最低限必要な額を考えてみたい。賃貸民間アパートについては、1Kのアパートであっても、月額4万〜5万円を支払わなくては住む部屋を借りることはできない。月額12万円弱から4万円を引くと残額約8万円。水光熱費に関しては、家にいる時間が長ければ長いほどかかるのは当然のことであるが、障害者で働くことができず、毎日外出できない環境や状況下に置かれている障害者の場合、どれほど水光熱費を切りつめたとしても、月額約3千円。8万円から3千円を引くと残額約7万7000円。7万7000円から介護給付に伴う利用負担金上限月額2万円を引くと、残額5万2400円。一ヶ月5万2400円で、食費、新聞代等、通院にかかる交通費などをやりくりしなければならないということである。
 2006年4月1日より、すでに利用負担金の徴収は開始されており、これまでの支援費制度では利用負担金を課せられていなかった人たちでさえ、利用負担金を払っているというのが現状である。利用負担金を全額支払うと生活できなくなってしまう場合には、Uの3で記したように、社会福祉法人減免が適用されるが、利用負担金の半額を免除されるということであり、利用負担金が0円になるわけではない。
 障害者が「大人」といわれる年齢になっても、親兄弟姉妹の元、あるいは障害者関連施設の職員に気を遣いながら一生を送らざるを得ないことの「おかしさ」に本人たちが気づき、どんなに重い障害をもっていても、本人が望む形での生活を送ることができるように、1970年代、80年代、90年代から今日に至るまで、障害者運動が展開され、発展してきた。そして、介助を使いながら、自己選択・自己決定をしていくという生き方を創り、親兄弟姉妹の元から離れて暮らす障害者が増えてきた。まさに、障害者が親兄弟姉妹の元から離れ、介助を自分で組み立てながら介助者に指示を伝えながらの「自立」生活の実現、継続は、「家族介助(介護)」から「介助(介護)の社会化」の1つのあり方を社会に提起するものであった。それと同時に、介助がなければ生活が成り立たない障害者本人が親兄弟姉妹の元から離れ「1人暮らし」という「自立」生活を送ることは、就業に基づく経済的自立や身辺自立だけが人間の自立ではなく、「介助」という他者からの「助け」を「公的介助料」という金銭を媒体としながら得ることを通して、自己選択・自己決定し、自分の人生のリーダーシップをとることそのものが障害者の自立生活であるといったように、身辺自立や経済的自立だけではなく、新たな人間の自立を提起することでもあった。しかし、障害者自立支援法による利用負担金導入によって、利用負担金を払えば、1人暮らしができなくなる人が多発する。そして、結局、親兄弟姉妹の元に戻らざるを得ないことになる。
 利用負担金について考えてみると、排泄、食事、着替え、入浴、寝返りなど本人の動きすべてに介助が必要になればなるほど、介助の量が増え、利用負担金の額も上がることになる。利用負担金の額を抑えようとすれば、介助の量を削れる部分を削らざるを得ないということになる。そうなると、制度上の介助制度を敢えて使わないことになる。結果、家族介助を増やすことになる。
 家族介助が精神的、肉体的にかなりの負担ということになると、利用負担金月額上限を支払うことを覚悟の上で介助量を増やすことになる。利用負担金月額上限を支払うことによって、1人暮らしができなくなり、家族の元に戻った障害者が、家族の精神的、肉体的苦痛から家族介助での生活さえも成り立たず、他人介助を入れることになると、本人の所得ではなく同居の家族、つまり世帯主の所得によって利用負担金の上限月額を支払うことになる。問題なのは、利用負担金の上限月額が世帯単位ということである。これは、障害者が「自立」した、あるいは「自立」可能な1人の「成人」した人間とみなされていないということである。世帯単位での利用負担金徴収ということは、障害者が何歳になっても、「家族の中で生活する」ことを前提として制度を組み立てているということである。
 Vの1で記したように、障害者の「自立」生活という概念は、1960年代アメリカのカリフォルニア州バークレー市で起こった障害者運動から提起された概念である。親兄弟姉妹、あるいは施設や病院の中で誰か、何かに管理される生活は「おかしい」と気づいた障害者が、障害をもっていて、他者による介助という「助け」を必要としても、障害をもっていない「大人」といわれている人たちと同じように「当たり前」の生活を送ることは、人として当然の権利として与えられているはずだという考えの元に、親兄弟姉妹、あるいは施設や病院から出て介助者を個人の努力で捜し、生活をしたことに端を発している。
 日本でも、1970年代に、親元や病院、施設での管理・保護下の生活におかしいと気づき、誰かの助けを得ながらではあるけれど、1人の「成人した人間」として自分で選んだ地域で、自分の選び、決めた暮らし方の実現をめざし、親元や施設を出て、障害者自身が街頭でチラシをまいたり、あるいは他の方法で無償の介助者を募ったりしながら、生活を送る障害者たちが多発した。
 1970年代から今日に至るまでに、介助有りの障害者の自立生活を実践する障害者たちが増え、支援費制度導入により、介助の制度化が障害者運動の1つの成果として具現化された。障害者自立支援法下での利用負担金導入は、1970年代以前の障害者施策未整備の時代の生活に、障害者の生活が引き戻されるということである。利用負担金を支払うと1人暮らしという自立生活ができなくなる→親兄弟姉妹の元に戻った生活→親兄弟姉妹も「老い」によって親兄弟姉妹が介助できないという現実→親兄弟姉妹と同居の下での他人介助者を入れての生活→親兄弟姉妹が利用負担金を支払うという図式が成立する。親兄弟姉妹に一生「面倒を見てもらわなくてはならない」という負い目から逃れるためには、親兄弟姉妹から離れて暮らすしか道はない。必要なだけの介助量を使えば、利用負担金を自分の障害基礎年金で支払えば、親兄弟姉妹の元を離れて生活するだけの生活費はなくなる。ということであれば、障害者自立支援法下の介助者派遣制度を使わずに、1970年代の全身性障害者が行っていたように、無償介助人を探し、いつ土壇場になってのキャンセルをされるか分からず、たえず不安定な介助の下に生活を送らざるを得ないということになる。
 利用負担金が世帯単位で課せられるということは、結局障害者が「自立」した1人の人間と「世間一般」が捉えてこなかったことの1つの証左であり、世帯単位という規範によって障害者自立支援法が展開され続けるのであれば、これまで障害をもつ本人たちが展開・発展させ勝ち取ってきた障害者の「自立生活」概念とその具現化、そして自立実現・継続のための支援・援助のモデルなどのすべてが「障害者自立支援法」によって瞬時に消し去られてしまうということである。

3.貯金をするなという考え方
 Uの3.利用者負担金の減免の方法で記した様に、利用負担金の上限月額の減免が適用される。しかし、「社会福祉法人減免」による利用負担金半額減免は、預貯金などの資産が350万円以下の人しか利用できないという制限がある。
 また、社会福祉法人減免を利用しなくても、利用負担金上限月額を払うと生活ができなくなる、つまり生活保護の対象となる場合は、生活が保てるまで、その上限を下げることができる。しかし、この場合も「社会福祉法人減免」と同様に、預貯金があれば適用されず、預貯金がなくなるまでは自己負担を払い、預貯金がなくなれば利用負担金を下げることができるという制限がある。
 問題なのは、障害者は預貯金351万円以上の預貯金などの資産を持っていてはいけないという考えが、利用負担金減免適用の背景にあるということである。
 障害が重く、介助を必要とすればする障害者ほど、入院する機会が増えるのは当然のことといえる。障害をもち、免疫力や体力が障害をもっていない同年齢の人たちよりも弱い者にとっては、障害をもっていない人たちにとってはたいしたことがないと思われるほど軽い風邪でさえも、命取りになることがある。免疫力や体力の弱い障害者は、他者が少しでも風邪気味の時には、できる限りその人の近くに寄らないようにする。本来ならば、障害者やその他免疫力の弱い人や体力の弱い人と接する機会が多い人たちであれば、風邪気味であったり、風邪をひいて咳をしている状態であれば、「マスク」の着用をするのは基本的なマナーであると思われる。しかし、障害をもっていない人たちは、免疫力の弱く体力の弱い人たちの目線で風邪を捉えることがなかなかできず、風邪をひいても「マスク」を基本的マナーとして着用する人はほとんどいないというのが現状である。障害をもっておらず、少々の風邪ぐらいでは寝込むこともなく、肺炎を併発することもなく、ましてや風邪による呼吸困難から死につながる状態になることもない体力のある人たちに「マスクの着用」をお願いしても、それを実行に移してくれる人はほとんどいない。そうすると、免疫力や体力の弱い人たちは、自分で自分の身を守るしかない。免疫力の弱い者たちは、他者が風邪をひいているときには、相手にマスク着用を望めない以上、風邪をひいていない障害をもつ人たちがマスク着用をして、感染を防がざるを得ないというのが現状である。外見的に、障害が軽そうで、免疫力も体力もあるように思われている障害者であっても、決して免疫力や体力があるわけではない。自分の体力のなさを知っているからこそ、自己管理を行い、体力の現状維持をしている。障害をもっていない人たちにとっては何気ない病気やけがが、障害をもっている者にとっては、日々の生活を維持できなくなったり、仕事ができなくなってしまうような大きな原因になるからである。一端、風邪をひき、咳がでると、呼吸をするだけでも体力を使うし、熱が出れば、排泄、食事などにいたる身辺の行為に、より人の手が必要となったり、風邪をひく=入院という場合もある。
 また、マヒによる感覚障害のある人たちにとっては、何かの拍子に低温やけどをしたり、熱々のコーヒーなどが入ったカップを持ったためにやけどをしてしまう場合もあり、入院につながる場合がある。さらに、踝を始め、踵、仙骨、顎にさえも「じょくそう」ができ、入院加療が必要となる場合がある。つまり、障害をもっていない人と比べて障害をもっている人たちは、障害をもっているということが原因で、入院加療する可能性が高いというのが現状である。入院加療が長引けば長引くほど入院加療費は必要となる。入院加療中支払うお金がなければ、入院加療はできなくなる。そういったときのために、預貯金などの資産は必要となる。障害をもつ本人自身に、入院加療に際しての支払い能力がなければ、親兄弟姉妹が払わざるを得なくなるということになる。結局、障害者自立支援法下での利用負担金減免に際して、預貯金350万円以下の者、また預貯金がなくなるまでは、自己負担金の減免は適用されないという考えの背景には、障害者は「成人」後の「大人」といわれる年齢になっても、「親兄弟姉妹といった家族扶養」が当たり前という考え方がある。障害者自立支援法は、その名称とは反対に、「障害者の自立を支援する法律ではなく、家族扶養による障害者支援を強要」する法律である。


おわりに

 本稿では、2006年4月1日に成立し、施行(本格施行は2006年10月1日より)された障害者自立支援法の概要と、特徴、および障害者自立支援法が障害者の「自立」に与える影響について若干の考察を行った。
 障害者自立支援法は、その名称とは反対に、障害者の自立を支援するための法律ではなく、「福祉の保険化」を実践するための法律である。
 支援費制度下で、授産施設、デイサービス、家事援助、身体介護、移動介助などを利用しており、利用負担金が0円であった人たちに、2006年4月から利用負担金2万4,600円、あるいは1万5,000円が課せられ、その中の大半は利用負担金を支払っている。
 そして、障害者自立支援法の影響がすでに障害者の生活に変化や不安をもたらせている。脳性マヒのAさん(36歳、女、両親と同居)は、支援費制度下では利用していたデイサービス利用をやめ、その上「生活費を切りつめ」ている注3)。多発性脳脊髄梗塞による四肢不全マヒのBさん(38歳、男、同居家族なし)は、週6回授産施設に通っている。利用負担金を支払うことになったために、今まで毎月1万円天引きで貯金していたのをやめている。そして今後は、「地域での自立生活は送れないのでは」、「親元に戻らなくてはならなくなる不安がある」注4)。さらに、脊髄損傷、頸部胸部腰部脊柱管狭窄症のCさん(41歳、女、精神障害等級手帳所持の夫と同居)は、デイサービス(入浴、給食のため利用)利用を自己負担が大きいためやめた。また、夫が利用していた精神障害の家事援助(10時間/月)利用もやめた。さらに、Cさん自身が利用していた家事援助(45時間/月)の削減も考えている。そして、「生活費がきつくなった、貯金を崩したり実家に支援を受ける状態、出費を控え」ているが、「いつまでも実家に援助してもらえない」し「貯金もない」。「自己負担金を減らすために、主人の負担が増え」ており、「いつまで生活できるのか」注5)と今後の生活の不安感を隠せないでいる。
 障害者自立支援法下では、利用負担金のみが障害者の自立生活に影響を与えるわけではない。認定調査によって介護度1〜6までの障害程度区分が決まるという仕組みも障害者の生活に影響を与えることになると、筆者は考えている。それは、実質的な側面と精神的な側面に与える影響である。認定調査による障害程度区分によって、今までの支援費制度下では利用できていたサービスが、障害者自立支援法下では利用できなくなる可能性があるからである。また、認定調査によって障害程度区分が決定されるという仕組みは、障害者と非障害者といったように、「障害をもつ者にとっては自分が障害をもっていることをより認識させるための道具であり、非障害者にとっては「障害をもっていない者たちが障害をもっている者たちをより区別する」ための道具になるのではないかと、筆者は危惧している。つまり、無形の「負のスティグマ」を障害者が押されるということである。さらに、認定調査による障害程度区分が決定されてから、介助の支給量などが決まるというのは、本人の「自立」支援にはならない。介助を含む支援・援助の支給量によって、障害者たちが自分の生活を組み立てていかなければならなくなるからである。
 障害者自立支援法は、2009年に障害者を介護保険に統合していくための準備法の位置づけの法律である。若年から障害をもっている者に対する支援の形と、加齢に伴う障害者への支援の形は異なって当然であるということを、多くの人たちが正確に把握することが課題となると筆者は考えている。若年から障害をもっている者たちが、現在のままの介護保険に統合されることになれば、若年から障害をもっている障害者は、産まれたときから死ぬまで「高齢者」として「生きる」ことになる。障害者の介護保険への統合が免れないものだとすれば、若年から障害をもっている者たちが「人生を創っていく」過程での支援の1つの形を提起していくことが課題となる。
 今、障害をもつ本人、障害者福祉に関わる人たちだけではなく、障害者自立支援法や介護保険と自分は関係がないと思っている人たちが、「人間」が「人間」として生きるとはどういうことなのか、ライフステージに即した支援・援助をどう創っていくのかを考え、検討し、提起し、実行することが課題なのではないかと思っている。そのためには、様々な角度から「人間」をとらえ、共通基盤となる人間に関する哲学を創っていくことが課題となるのではないかと筆者は考えている。
 なお、本稿は2006年9月初旬に提出した原稿であることを付け加えておく。

注)
1)身体障害に限定すれば、身体障害者手帳等級は1級から6級まである。身体障害等級は7級まであるが、7級の身体障害者手帳は存在しない。身体障害者手帳等級1、2級所持者は重度障害者といわれている。障害基礎年金は、身体障害者手帳等級1、2級所持者のみに支給され、身体障害者手帳等級3級以下の所持者には支給されない。障害厚生年金は身体障害者手帳等級1、2、3級所持者に支給され、4級以下には支給されない。身体障害者手帳等級3級、4級所持者であっても、障害の特性故に、就業に基づく経済的自立の難しい人たちは多い。若年から障害をもっていて、身体障害者手帳等級3級以下で、その障害の特性故に自活できるだけの働き方が難しい人たちに対する所得保障は課題であると、筆者は考えている。また、身体障害者手帳等級1、2級所持者で障害基礎年金のみで生計を立てている障害者も多く、障害基礎年金に関しては、現在の時代において「文化的な最低限度の生活」の保障が可能かどうか疑問の残るところである。

2)「青い芝の会」は、1970年代に脳性マヒ者などの全身性障害者が中心となり作られた団体であり、親元や施設から出て、介助者を捜し、地域で暮らす実践をしてきた。1970年代は、障害をもつ我が子と心中する母親の事件や、障害をもつ我が子殺しの事件が多発した時代であるが、「世間一般」の流れとしては、障害をもつ我が子を殺した母親や、障害をもつ我が子と心中した結果、子どもだけが亡くなり、母親だけが生き残った場合、母親が障害をもつ我が子を殺したり心中したりするのは理解できるというのが社会通念として通っていた時代であった。そして、母親減刑嘆願運動が起こった時代であった。それに対し、「青い芝の会」の障害者たちは、「障害をもっていない子を母親が殺した場合は、世間一般は、その母親を鬼扱いする。しかし、障害をもつ我が子を殺した場合、その母親の心情を理解できるとして減刑嘆願運動が起こるのはおかしい。障害者は殺されて当然の存在ということになるのではないか。そして、今生きている障害者の存在も否定することになるのだ」という「当然」の主張をかかげ、障害をもつ我が子殺害の母親の減刑嘆願運動を阻止したのである。ただ、「青い芝の会」の活動は、障害をもつ我が子殺害の母親を責める形の活動ではなく、障害をもつ我が子を殺害しなければならない社会の構造、社会通念、社会のしくみに対し、異議申し立てをする障害者運動であったことを付け加えておきたい。

3)AJU 自立の家『福祉情報誌』No.82 2006.6.20 p.

4)前掲1)p.

5)前掲1)p.


参考文献
・『障害者自立支援法 新法と主要関連法新旧対照表』中央法規出版 平成17年12月25日
・障害者生活支援システム研究会編『障害者自立支援法と応益負担これを福祉と呼べるのか』初版4刷 かもがわ出版 2006年1月25日
・障害者生活支援システム研究会編『障害者自立支援法活用の手引き制度の理解と改善のために』第2版第3刷 かもがわ出版 2006年5月25日
・岡崎伸郎・岩尾俊一郎編『「障害者自立支援法」時代を生き抜くために』初版第2刷 批評社 2006年5月25日
・岡部耕典『障害者自立支援法とケアの自律 パーソナルアシスタンスとダイレクトペイメント』明石書店 2006年6月5日
・AJU 自立の家『福祉情報誌』
   No.80 2006.2.10
・AJU 自立の家『福祉情報誌
   
No.82 2006.6.20
・「自立阻む『1割負担』」中日新聞 
   2006年7月27日(木曜日)朝刊 28面


<2014年4月作成、2014年11月現在確認済>

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