創業20周年記念誌「すまいる」戻る

 はじめに

 廃墟と化した関東大震災の爪後から、コンクリート建築のすぐれた魅力を広めた代表的な建築家、本野精吾氏は次の様な言葉を残しています。

   
鳥は巣を造る

   
彼等には科学哲学も宗教も無いらしい

   
けれども生に即した住居を持つ

   
吾等人類の巣が何であるかを求むる為に

   
吾等はまったき努力を払わんとする

 
1666年のロンドンの大火、1755年のリスボン大地震、1871年のシカゴの大火では、多くの被害を伴いました。日本では関東大震災があります。
 
 
これらの災害では、それまでの建築材の中心であった木に代わって石やコンクリート、鉄の導入による耐震、不燃化を推奨し、都市計画のあり方を含め改良されました。
 

 こうした大災害の歴史が科学技術の向上を促し、産業革命へと導き、都市計画や都市建築の今日を築いたのです。今では欧米諸国のコピー建築のみならず、高層建築が都市部の多くを占めています。

 
 
しかし、先の関東大震災を含め、それ以降に起きている災害は、これまで蓄積された建築や都市計画概念を根底から考え直さなければならない事に気付かされました。

 
地震・津波・ゲリラ豪雨・竜巻の自然災害に加え、原発事故を始め、土砂崩れや地盤の液状化や陥没等は想像を絶するもので、インフラストラクチャーにより生まれた正負両遺産の検証を含め、現代はあらゆる学術的観点から予測可能な時代です。今こそ技術革新を伴う新たな構築が必要とされています。

 
他方では、日本の心の文化と伝統の継承についても、求められる重要な要素として再考されなければならない時期に来ています。

 
終戦後、荒廃した日本を立ち直らせる取り組みは、一面、高度な経済発展を遂げ、豊かな日本国を築きましたが、その半面、大きなものを失った歴史でもあります。例えば、都市部における核家族化による大家族の崩壊は、建物を小型化させ、危機管理も出来ない街路環境を数多く造り上げただけでなく、伝統や文化の継承と社会習慣や行動規範といった道徳や倫理観の欠如にまで至っているように思えてなりません。

 
民族学者、柳田國男氏の言葉に次の様な表現があります。

   
広い世界の中でも

   
我々日本人の来世観だけは

   
少しばかりよその民族とは異なって居た

   
もとは盆彼岸の良い季節毎に

   
必ず帰ってきて飲食談話を共にし

   
帰る事を信じて

   
世を去る者が多かっただけで無く

   
常の日も故郷の山々の上から

   
次の世代の住民の幸福を

   
じっと見守って居る事が出来たやうに

   
すなわち霊は

   
いつまでもこの愛する郷土を

   
離れてしまうことが出来なかったのである

 
吾等人類の巣が何であるかを求め、まったき努力を払わんとする一面、日本民族は古来より自然と調和し、融合する様をこよなく愛しむ感性を持ち合せています。いかなる時代でも、憂いを共有し、生への喜びを糧に、未来を構築する術は、私達の心深くにDNAとして備わっている様に感じられます。

<2014年4月作成、2014年11月現在確認済>

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