四国八十八ケ所遍路旅

行程 日付 天候 札所 歩行距離 累計
35日目 4月15日 晴れ 88番 32.0Km 1155.1Km


「女体山 越えて大窪 結願す」


■行程
遍路休憩所5:55→6:30遍路交流センター6:35→8:05登山口・朝食8:20→8:55女体山9:10→9:42「88番:大窪寺」10:20→11:25五名トンネル先11:35→12:45休憩15:05→「8番」15:12→16:10「6番」・通夜堂 

◆遍路休憩所5:55
昨夜はかなり冷え込んだようで、ツェルトの内側が結露してシュラフを濡らしていた。朝方の気温も5度と低かったが、坂道なのでヤッケは着ず、歩道を緩やかに登って前山ダムのダム湖を左に回りこむように進むと、車道を挟んで遍路センターと道の駅があった。 

道の駅6:30・6:35
まだ人影はなく、トイレ休憩して車道を上っていくと、左手に女体山コースが分かれる。左に進んで渓流沿いのコンクリート道を歩き、大窪寺まで4.3kmの道標のある所で一息入れる(7:12・7:20)。山道からコンクリート道を登って行くと、斜面に広がる段々畑では早や田植えが終わっていた。急登して峠に上がり(7:53)少し下ると舗装道に出て、200mほど先の登り口で朝食休憩をとる。

 

登山口・朝食8:05・8:20
道標には女体山山頂まで1138mとあった。ここからは急登道が続くが、階段整備されているので歩きやすい。もう一度舗装道路を横断してから急登し、最後に岩尾根を登ると突き出した岩場に出て、北方の視界が一気に開けた。そこから標高774mの女体山山頂へは30秒で着き、山頂からの展望がよくなかったのでザックを置いて岩場に戻る。 

女体山・岩場8:55・9:10
北半分の視界が開けていて、瀬戸内海を初め、屋島、五剣山もよく見えていた。後は下るだけだと気を緩めたわけでもないが、急な階段下りはウォーキングシューズにはきつかった。顔をしかめながら慎重に30分ほど下ると、突然といった感じで大窪寺の境内に降り立った。 


「88番:大窪寺」9:42・10:20
左に進むと、参道脇で地元の方々によるお世帯が行われていて、草餅を一個いただいた。ベンチにザックを置いて本堂に向かう。大師堂は境内に降りた地点から右に行った所にあり、納経して無事結願する。もう少しこみ上げてくるものがあるのかと思いきや、意外に坦々とした気持ちだった。そこへ、遍路装束の女性ばかり30人程が来られ、整然と並んで納経される姿に思わず見入ってしまう。中に遍路姿の子供が2人いて、手を合わせる姿が何ともほほえましく、最後にご褒美をいただいた気分になった。
階段を降りて、土産物屋の前を通って駐車場から車道を下っていく。予定では、今日は白鳥温泉に泊まって、明日、大坂峠を越えて3番から1番札所に戻る計画だったが、この時間では白鳥温泉に1時前に着いてしまうので、予定を変更して白鳥温泉への分岐から10番に向かって南下し、6番札所の通夜堂をお借りしようと思う。
車道を歩いて五名トンネル手前まで進むと、錫杖を持った遍路の方から「遍路道はかなり荒れているのでトンネルを通った方が良い」といわれ、それに従う。 

五名トンネル先11:25・11:35
県道を南下する途中、ザックを背負った野宿遍路の方に出合ったので、先ほど聞いた遍路道の情報を伝える。その後は誰と会うこともなく、延々と歩道を歩く。 

休憩12:45・15:05
自動販売機の近くで休んでいると、軽四トラックで来られた男性から「どこまで」と聞かれ「6番まで」と言うと、「それなら、県道2号線の突き当たりを左に進んで、橋を渡って左折して広域農道を通った方が近道だ」と教えられる。ところが、その通りに進むと広域農道は40分もの長い登り坂が続き、「おじさん、これはないよ」と、ついグチが出て、「ダメだダメだ、人のせいにしてはダメだ・・・"」と、あわてて打ち消す始末であった。歩行者皆無の車道を歩いて、ようやく最高点と思われる峠で一息つき(14:18・14:30)、ゴルフ場を回りこんで緩やかに下っていくと、やがて8番札所「熊谷寺」の仁王門が見えてきた。 

「8番札所:熊谷寺」15:12
寺には寄らず、右手の仁王門をくぐって遍路道を戻り、7番札所「十楽寺」を横目に、6番札所「安楽寺」に向かう。  

「6番」・通夜堂16:10
納経してから宿坊に行って通夜堂をお願いすると、どうぞと言われ、記名の必要もなかった。ここの通夜堂は仁王門の二階にあり、泊まってみたかった所だ。仁王門の内側にある階段を上がるとコンクリート床の6畳ほどの広さがあり、天井には鐘と鐘撞き棒がぶら下っていた。元は鐘楼門だったようで、コンクリート床には鐘を撞くための小さな穴が残っていて、下を通る人が見えていた。
先行者が居られるようで、ザックが1つ置いてあった。ダンボールを敷いて寝床を作り、体を拭って着替えてから下に降り、近くにお店がないか訊ねると、近所にはないといわれたので、隣の土産物屋でクロワッサン3個を買って夕食とする。

同宿の方は神奈川県の方で、この先の野宿の場所などをあれこれ尋ねられたので、私の情報を提供させていただいた。いただいた名刺には、09年ヨットで日本周航、10年バイクによる東/北日本キャンプツーリング、11年自転車による四国88ケ所と日本縦断、12年(現在)四国88ケ所歩き遍路&日本縦断てくてく旅5千キロと刷られていた。こういう方がおられるから、また元気を貰えるのだ。


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