「で、何の用なの?」
不機嫌さを隠そうともせず、上座に座る今上帝手塚国光に問い掛ける。不敬罪で訴え
られてもおかしくない態度だが、手塚は眉間のしわを増やすのみに留める。
「……いい加減に后を決めたらどうなんだ?」
「君に関係ないでしょ」
「あるから言ってるんだ」
「別にそんなに焦らなくてもいいじゃない」
「お前がことごとく大臣たちの姉や妹姫の入内を断るからだろーが!」
冷静沈着、清廉潔白、品行方正で公卿や殿上人はおろか民衆からも絶大な支持を得て
いる手塚が、目に余る不二の不真面目な態度に怒鳴りつける。
「え〜、だって気に入る姫がいないんだもん」
「お前には東宮としての自覚はないのか!」
「僕は好きで東宮になったわけじゃないよ。君たちが勝手に僕に位を押し付けたんじゃ
ない」
文句は自分に言ってよねと態度で語るこの人物。何を隠そう今東宮である。名を不二
周助といい、帝である手塚の異母弟だったりする。他にも異母兄弟、姉妹がいるが今は
別の話。
「だったら何故断らなかった?」
「面倒臭いからvv」
「……」
ニッコリ笑顔にハートマーク付きで返された言葉に手塚は言葉を失う。
誰かに仕事を全て任せて今すぐ寝所で休みたいと心が訴えるが、不二に説教出来るの
は帝である自分くらいだろうと確信していたので、自分自身を叱咤激励して途中だった
話を再開する。
「取りあえず一人でいいから決めろ。今更不平不満を言ってもお前が東宮であるという
事実は揺るぎない。曲がりなりにも東宮なのだから東宮の務めをきちんと果たせ。務め
を果たせばある程度の行為は大目に見てやる」
このままでは平行線だと悟った手塚は条件を出し、自ら折れた。
「う〜ん。ちょっと考えさせてくれる」
少し考える素振りを見せた不二に期待したが、あっさりと裏切られた。但し完全に断
られたわけではない。これ以上余計なことを言って更にややこしくするつもりもないの
で今日は打ち切ることにする。
「分かった。返事はなるべく早くしろ」
清涼殿から退出した不二は前庭に煌びやかに咲き誇る美しい花々に目をやりながらほ
んの数瞬深く思案すると急いで東宮御所へ向かった。
「どうかなさいましたか東宮様?」
清涼殿から東宮御所に帰って来るなり、荷物を漁り出した不二に対して、誰が見ても
美しいと思わず感嘆の息が出ると推察出来る年若い女房が尋ねた。年若いといっても決
して頼りないわけではなく、その態度、声音は凛としていて、年の頃に比べるとしっか
りしていることが窺える。
「ああ、ごめん。煩かった?」
「いえ、そのようなことは。ですが……」
言葉を濁した女房が何を言いたいのか鋭く察した不二は一旦作業の手を止め振り返っ
た。
「少納言。僕これからちょっと出掛けるから」
「お帰りは?」
「気分次第かな?」
「分かりました。では、帝や大臣たちに尋ねられましたら行方不明ということで宜しい
でしょうか?」
「うん、その辺の細かいことは少納言に任せるよ」
「では、どうかお気を付けて」
「ありがとう」
大事な主であり、東宮という国家にとっても至宝ともいえる者が己の責務を果たさず、
挙句の果てには行方不明、所謂家出もしくは逃亡を謀ろうとしている。それなのに少納
言と呼ばれた女房は全く動じることなく、平然と不二と会話し、あまつさえ被害を負う
とされる者に対しての対応まで即座に、そして的確に回答を弾き出す。さすが東宮付き
の女房といえよう。いや、この場合は、不二付きの女房という方が正しいのかもしれな
いが……
不二の言葉と共に丁寧にお辞儀をして少納言が退出すると、不二は再び作業を開始し
た。
それほど時間が過ぎない内に不二は目当ての物を無事見つけ、それを袖の中に入れる
と早々に東宮御所を後にした。
主がいなくなり、静寂が支配する世界となった部屋に一度退出したはずの少納言が戻
って来た。
「いってらっしゃいませ。女房一同、東宮様と東宮様のお選びになられた東宮妃のお帰
りをお待ち申し上げております」
不二が出て行ったであろう方角に向かって小さく呟くと、今度は省略化した一礼をす
ると静かに部屋から退出するのだった。
無事東宮御所を抜け出した不二は目的地を定めず馬を走らせていた。
六条辺りでは目聡く自分に気付く者がいるかもしれないと思い、京の端に位置する九
条に入る頃になり、もう大丈夫だろうと速度を落とした。
京を出たことで特に急ぐ必要もなく、馬の足は一歩一歩地面を踏みしめるようにゆっ
くりとしたスピード。東宮という立場の所為であまり外に出ることのない不二も周りの
景色をゆっくり堪能しながらこれからのことを考える。
(どこに行こうかなぁ。手塚に見つからなければどこでもいいんだけど……)
馬上で物思いにふけながらも、バランスを崩すことがないという所はさすが不二周助。
「ねぇ、お前はどこに行きたい?」
例え言葉が伝わっても返事は絶対にこないと思われるのに、気にすることなく馬に語
りかける。言葉を解したかどうかは不明だが、不二の言葉に馬は足を止めた。
「どうかした?」
馬から降り、対面する。
すると馬は真っ直ぐ不二の目を何かを語るように見つめた。
「うん、いいよ。お前の行きたい場所に行こうか」
再び背に跨ると、鬣をなぞるように優しい手付きで頭から首にかけて撫でる。気持ち
良さそうな様子を暫く見つめ、その後、手綱をギュッと握り、馬のみが知る目的地を目
指した。
不二が何故馬の言葉を理解出来たのかはいつか機会があればお話しましょう……
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