椿の舞
「あれ、イルカ先生。この扇どうしたんですか。」 夕食を共にしようとイルカのアパートにやってきたカカシは、ちゃぶ台の上に丁寧に置かれた扇を見つけた。 恭しく絹に包まれたそれは、カカシにも見覚えがある代物だ。 「もしかして、新年の儀でイルカ先生が舞うんですか。」 「ええ、そうですよ。」 二人分の夕食をお盆に載せて運んできたイルカは、にこやかに肯定した。 木ノ葉の里には、伝統があり格式高い行事がいくつかある。カカシが先に述べた新年の儀もその一つだ。 元旦に、火影が自国や諸国の諸大名を招いて新年祝賀会が行われるのだが、祝宴の前に舞が舞われる。 里の忍びで式に参列できるのは、特別上忍以上の階級の忍びのみという格式高い儀式なのだ。 「カカシさんは出席したことがあるんですか。」 「随分と前のことですが、一、二回ほどありますよ。」 実際は、三代目に賓客の取り次ぎ役を任されたアスマに無理やりに連れて行かれたのだが。 「それで、どうしてイルカ先生に舞い手の役が回ってきたんですか?」 実は毎年舞い手を務めておられる方が、ぎっくり腰で倒れたそうで。俺は一応アカデミーで舞踊も教えて いますから。」 「へぇ〜、そうなんですか…」 忍びの基本は潜入しての諜報活動だ。当然くのいちは芸者などに変化しなければならないこともある訳で。 「本当ならばくのいちクラスの、ゆかり先生の方がお上手なんですけど、儀式では男しか舞えないんで。… 時代遅れな掟ですけれどね。」 「ふーん?」 感心したカカシは、遠慮なく扇を手に取り、開いたり閉じたりしている。舞い手に代々伝えられてきたのだろう。 漆塗りに蒔絵が施された扇は見事な造りだ。これを手にして舞うイルカの姿は端正で、美しいに違いない。 「じゃあ、俺も新年の儀に出席しますよ。」 二人でゆっくり午前中過ごすことも出来ないんだったら、イルカ先生の晴れ姿を拝むしかないでショ?いたずらっぽく 笑うカカシにイルカは、コラ、と軽くカカシの耳たぶを引っ張った。 ――元旦の、新年の儀当日 「どう、イルカ先生、緊張してる?」 カカシは、あたかも儀式関係者のごとく堂々とした態度で、イルカの控え室を訪れた。 「おや、カカシ先生、珍しく早いですね。」 そこそこ広い控え室でイルカは扇を手にして立っていた。白い袴に白い上衣といった出で立ちに、黒い髪が凛々しく映える。 「あ〜、もしかしてお邪魔だった?」 どうやら本番に向けて、動きの最終チェックをしていたらしい。 「いいえ、構いませんよ。…ナルト、サスケ、サクラも。」 イルカの嘆息と共に、三人がカカシの背後からひょっこりと姿を現した。明けましておめでとうございます、の新年の 挨拶もそこそこに三人から切り出された言葉に、イルカは笑顔を引きつらせた。 「イルカせんせーっ!オレもイルカ先生の踊り見たいってばよ!」 「…踊りじゃなくて舞だろ、どアホ。」 サスケのもっともなツッコミも目をきらきらと輝かせるナルトの耳には入らない。一方のサクラも興味津々と言った様子で イルカにお願いをしている。興味のなさそうなサスケでさえ二人を止めない。 「ねっ?くのいちとして参考にしたいってことで、お願い!」 サクラの巧妙な理由にイルカがぐっと詰まる。様子を静観していたカカシが、やれやれとイルカに助太刀した。 「こーら、お前たち。イルカ先生を困らせるんじゃなーいよ。一応この里の威信に関わるような、中忍ですら参加できない重大行事なんだから。 ま、イルカ先生は中忍だけどネ。」 カカシの遠慮ない言葉に、一言多い、とイルカは顔を顰めた。 イルカとカカシの二人に窘められた三人は、諦めたのかすごすごと引き下がったようだ。特にナルトの落胆振りは 大きかった。肩を落として部屋を出て行く三人に視線を向けず、イルカはさりげなく言葉を発する。 「火影邸の西殿の屋根の上からなら、見えるかもな。」 とたんに三人の肩が揺れた。先程までとは打って変わって、元気よく駆け出していく三人にイルカの叫び声が響く。 「ナルト、サスケ、夜にうちに来い!おせち料理食うだろ?」 「ありがと、先生!…本番失敗すんなってばよ!」 恩師にニシシと笑いかけたナルトは、勢いよく外へ走り出していった。その後ろを小走りのサクラと、ゆっくり歩くサスケが ついていく。後姿を見送ったイルカの顔には自然と笑顔が浮かんだ。 「…西殿の屋根の上から見られるって言うのは、イルカ先生の経験ですか。」 呆れ半分、感心半分のカカシの表情に、イルカは決まり悪そうに笑った。 「そうですよ。…それにしても相変わらず、あの三人は変わりませんね。」 今年もあいつらをよろしくお願いします、と穏やかに述べるイルカに、もちろんですよ、と笑って、カカシは改めて イルカを眺めた。純白の清廉な衣装に映える漆黒の髪は、いつもとは違って耳の後ろほどの高さで低めに結われている。 そして椿を一輪、元結に挿していた。色は『炎』を思わせる深紅。 目尻には朱がさしてあり、切れ長の目を印象的に見せている。顔を走る傷もその凛とした雰囲気を盛り上げていた。 (うわー、押し倒してぇ…) カカシからすると、その端正な姿すら劣情をそそるのだ。清廉だからこそ淫靡に見える。 カカシの舐めるような視線に、不埒な欲望を嗅ぎ取ったのか、イルカが嫌そうな顔をした。 「…そういう視線で見ないでください。」 「だって、イルカ先生ったら昨夜は触らせてくれなかったじゃん。神聖な儀式がだからとか何とか言って。」 「あ、当たり前です。ちゃんと禊だってしたんですから。」 顔を赤らめたイルカが、あなたのそんなところが嫌なんです、とぶつぶつ文句を言うのを聞きつけたカカシが意地悪そうに囁く。 「おや、オレのことが嫌いなんですか?」 「嫌いだなんて言ってません。嫌だと言っただけです。」 傷ついたようなわざとらしい口調のカカシに、イルカは仏頂面で返す。その様子にカカシは軽く笑った。 控え室の外から、イルカの出番が近いことを知らせる声が響いた。名残惜しそうに控え室を出て行こうとするカカシにイルカが声をかける。 「カカシさん。俺が緊張しないように、子供たちを連れてきてくれたんでしょう?」 「ええ。まあイルカ先生、全然緊張してなかったけどね。」 「…あなたのそういうところは好きですよ。」 驚きに目を見張ったカカシは、思わず振り返ってイルカを見つめた。出来るだけさりげない口調で言おうとしたのだろうが、顔が赤い。 カカシは小さく笑うと、イルカを引き寄せて軽く口付けた。自分の顔も嬉しさで赤くなっていることだろう。 「…舞、頑張ってくださいね。楽しみにしていますよ。」 帰ってから姫始めしましょうね、と意味を悟られれば、イルカに殴られるような一言を残して、カカシは部屋を出る。儀式の会場に向かいながら、 廊下から見える庭の椿に目をやった。イルカの髪に挿してあった椿と同じ椿だ。僅かに溶けずに残っている雪と、深紅の対比が美しい。 ――赤は血の色としか思っていなかったけど。…本当はそうじゃないことをイルカに出会って知った。 (これって幸せってことだよね。) 冬の寒さは厳しいにも関わらず、心の中は暖かい。ささやかな想いをかみしめながら、カカシは良い一年になるように、と ぼんやりと祈った。それは今まで抱いたことのない祈り。けれど、とても幸せな祈りのような気がした。 |