「やってみなよ。見ててあげるから」
マミは潤んだ瞳でじっとあたしを見つめてちいさく頷くと、真剣な顔でたまねぎを炒め始めた。
たかだかインスタントのスープにちょっと手を加えるだけなのに、
恐ろしく慎重な手つきでたまねぎを炒め、水とコンソメを落とす。
あたしが開けておいたスープの缶をそっと受け取って鍋に入れ、
くしゃくしゃと潰して温める。TVの3分クッキングなんかとは全然比にならない真摯さで、
ミルクやコンデンスミルクやカレー粉を加える。
あたしのからだの汚染度はもうMAXだけれど、マミ、あんたはあたしの心の汚染なら、
もう充分に消毒してくれたよ。
そう言ってあげたくなるのを、あたしは敢えて黙る。そういう大切な事は、
無闇に口にするものではないのだ。あたしはただ微笑して、そんなマミの姿を見守る。
信じれないくらい料理のへたくそなマミが作って、おそるおそる皿に注いだスープは、
信じられないくらい美味しく感じられた。そういえば、あたしはここ数日、まともに食事を
摂っていない。
あたしを指名してくるバカな客のコロシの合間に食べたジャンクフードばかりだった。
誰かのために作る料理は、もともとその愛情だけで、美味しいのだ。たかが缶詰のスープ
でも、そこにちょっと手を加えて、相手の事を思いやりながらつくる料理は、
その愛情がどんなシェフにも負けない味を作り出す。
あたしは2杯もスープを飲んだ。じんわりとした温かさと優しさが、身体を巡ってゆく。
テスト中みたいに緊張した顔であたしの様子を伺っているマミがおかしくて、
あたしは煙草に火をつけた。
もう、心の消毒はとっくに済んでいるというのに。
じゅうぶんだよ。マミ。ありがとう。
口には出さないけれど、あたしは心の中でそう声をかける。きっと伝わるだろう。
今でなくても、いつかきっと。
「ユーリ。あたし、バリ島行くの。撮影で。一緒に行こうよ」
バリ島。美しい海とバリニーズの衣装。ふたりのロングヘアを飾るいくつもの三つ編み。
マミは本気であたしの全ての毒を消そうとしてくれているのだ。
でも、もう遅い。
あたしはそれに気づかれないように、そっと首を横に振った。
「駄目だよ。そこに行くのはカノンなんだから。謎の美少女カノンの横に、
ジャンキーでウリやってる女子高生なんかいちゃ、駄目じゃん」
代わりに、あたしはずっと心の中で思っていたふたりの秘密を暴露する事にした。
時間がなくて確認は取れなかったけれど、ふたりとも同じ思いでいた事。
「・・・マミ、あたしわかってたんだよ。あんた、パーティーで騒いでても、
本当は楽しくなんかなかったんでしょ。こんな所からはいつかバイバイしてやるって
思ってたでしょ。
・・・あたしもそうだったから、わかるよ」
マミはきゅっと唇を噛んだ。秘密がバレるのは気まずい。それでも、ふたりの秘密なら、
それは・・・きっと友情と呼ばれているものの証。
「つまんない世界だよね。でも、そこから出る方法はひとつじゃないよ。
あたしも、そろそろここを引き払おうと思ってるんだ。・・・マミ、モデルになったって話してくれた
時の事、覚えてる?渋谷のバーで。あたしね、あの時思ったんだよ。あたしも動こうって。
別にマミにくっついてモデルやろうとは思わなかったけど、何かしようって。
・・・で、恋人と何処か、遠くに行こうと思った。ここにいたら、同じ事の繰り返しだから。
・・・あの時、多分あたし、置いてかれたような気がしてたんだと思う。
先越されたっていうか・・・ガキっぽくてヤだけど、多分そんな感じ」
ふたりの秘密。
ふたりだけの。
マミはじっとあたしを見ている。
ありがとう、マミ。あたしはきっと、あんたが大好きだった。
心の中でそう言って、あたしはマミが帰っていくのを見送った。
長袖のガウンに隠された、腕の紫の染みは、どうやら見つからなかったようだ。
マミ、これさえなければ、あたし達は一緒にバリに行けたかもね。
浜辺でガキみたいにはしゃいでまわって、太陽の下でくたくたになるまで泳いで。
もう遅いけれど、それでもあたしは満足していた。
今頃きっと、マミはバリだな、と思いながら、あたしは半身を起こしたまま点滴を受けている。
滅菌室に入ってきたシンジは、白いお仕着せの白衣みたいなものを着ている。
この部屋に入ってくるのには、変なライトの下で徹底的に滅菌されてからでなければ
ならないのだ。
シンジには、そんなものは必要ないのに。
< -25-
>
.