ザッハートルテ
ザッハトルテに似たレシピは1700年代の初めに出版された料理書の中に既にある。例えば1718年のクックブック・オブ・コンラッド。ハガー (Cookbook of Conrad Hagger) や1749年のガートラー・ヒックマンのトライドアンド トゥルー ヴィアニーズ クックブック(ヴィーネリッシィズ ベヴァルティス コッホブック (Tried and True Viennese Cookbook:Wieneriesches bewahrtes Kochbuch) である。
1832年にクレメンス・フォン・メッテルニヒ(Klemens Wenzel Lothar Nepomuk von Metternich-Winneburg zu Beilstein、1773/5/115-1859/6/11、コブレンツ出身のオーストリアの政治家、外相としてウィーン会議を主宰し、後にオーストリア宰相に就任。ナポレオン戦争後のウィーン体制を支えた。)が司厨長に、『重要なゲストに特別のデザートを作るように。』命じた。『今夜、そのことで恥をかかせることはありません。』と言っていた司厨長が体調を崩し、代わりにその任務に当たったのが見習い二年目の、16才のフランツ・ザッハ(Franz Sacher (16 December 1816- 11 March 1907、写真) である。彼が作ったトルテはメッテルニヒのゲストに大いに受けた。しかし、トルテがその後すぐにウィーンで広がった訳ではない。ザッハトルテはフランツの次男、エドゥアルト (1843–1892) がウィーンの王室ご用達のケーキ店 “デメル” でベイカリィとチョコレート職人として修行を積んだ後、父親が残したレシピを改良して現在の形にした。トルテは最初デメルで出されたが、後にエドゥアルトが1876年に開業したホテルザッハのレストランとカフェで提供された。
1900年の最初の十年間、”オリジナル ザッハトルテ” の称号を巡ってザッハホテルとデメルの間で訴訟騒ぎが起きた。エドゥアルトがザッハトルテを完成させたのはデメルで働いている時期であったこと、又、1892年にエドゥアルトが亡くなり、エドゥアルト夫人のアンナ(Anna Sacher、1859/ 1/2-1930/2/25) がホテルの支配人になると、辣腕を発揮し、ホテルを貴族や外交官が宿泊するような世界の最高の格式あるホテルの一つにした。アンナは1912年にレシピをウィーン料理研究家であるオルガとアドルフ・ヘス(Olga and Adolph Hess)に与えた。彼らは、ヴィアニーズ クックブックにザッハトルテのレシピを掲載する。アンナが1930年に亡くなり1934年にホテルが破産すると、三代目のエドゥアルト・ザッハはデメルに就職し“エドゥアルト ザッハ トルテ” の販売権をデメルに譲渡する。
1938年、新しいホテルザッハの持ち主が ”オリジナル ザッハトルテ” の名前を付けたザッハトルテを手押し車にのせて売り始めた。1954年、ホテルのオーナーは商標の権利と ”オリジナル ザッハトルテ” の名前はホテル側にあるとデメルを訴えたのである。
法廷での戦いが7年間続いた。争点は名前の変更とケーキの製法(ケーキの真ん中に挟むジャム、バターの代わりにマーガリンを使うこと)である。デメル、ホテルザッハの双方に出入りしていた作家フリードリッヒ・トアベルグ(Friedrich Torberg、1908/9/16-1979/11/10) が、アンナ・ザッハがホテルを取り仕切っていた当時の証言をした。トルテの表面にはマーマレードが塗られていなかったこと、真ん中にジャムは塗られてはいなかったことを明らかにした。1963年、両者は法廷闘争を避けて和解した。ホテルザッハは ”オリジナル ザッハトルテ” (Original Sacher-Torte)を名乗り、デメルは三角形のメダリオンの中に ”エドゥアルト ザッハ トルテ“(Eduard Sacher Torte)の名を刻むことになった。
オルガとアドルフ・ヘスに渡ったレシピと同じレシピがファニー・ファーマー (Fannie Farmer,1857 /3/ 23-1915 /1 /15 , アメリカの料理研究家。ボストンクッキングスクール クックブックを著した ) の著述の中にある、又、ルース・エメロス夫人(ニューヨークタイムスのホームエコノミスト)はこのレシピに手を加えて公表した。
ジェイン ニカーソン( Jane Nickerson ) が1956/9 にニューヨークタイムスに掲載したリアルザッハトルテのレシピは次の通り;
"Real Sacher Cake”
バター 5 oz.
砂糖 5 oz.
卵黄 6
チョコレート 5 oz.
小麦粉 5 oz.
卵白 6
バターをクリーム状になるまで混ぜ、卵黄を加える。溶かしたチョコレート、砂糖、固く泡立てた卵白を混ぜる。小麦粉を混ぜてバターを塗った型に入れて中火で焼く。冷めたら、上にアプリコットジャムを少量塗ってチョコレートをかける。
マダム・メラニー・ライチェルトによる有名なウィーンレシピ200選(Two Hundred Famous Viennese Recipes, selected by Madame Melanie Reichelt [Wm. Filene's Sons Company:Boston] 1931 (p. 18)では;
"Sacher Cake (Sachertorte)”
“このレシピはアンナ・ザッハ夫人のご厚意により提供されたオリジナルのレシピである” の註が付いている。
バター 170gセミスィートチョコレート 180
g砂糖 170
g卵黄 8個小麦粉 120
g固く泡立てた卵白 10
個アプリコットジャム 2 tbs.
アイシング:
砂糖 1カップ水 1/3
カップ セミスィートチョコレート 7 oz.
バターを混ぜてクリーム状にする。チョコレートを溶かす。砂糖とチョコレートをバターに混ぜる。卵黄を入れて混ぜる。小麦粉を入れ、卵白を加える。8-9インチのケーキ型にバターを塗る。混ぜたものを型に入れて275°Fで約1時間焼く。つまようじ又はストローを刺してテストする。ボードに移して冷ます。上を切って、底を上に返す。熱したアプリコットジャムを薄く上に塗る。チョコレートアイシングを被せる。
チョコレートアイシングは次のように作る:
砂糖と水を細く糸を引くまで煮る。
チョコレートをダブルボイラーでとかす。
スプーンにアイシングが付くようになるまで混ぜる。
ケーキの上に広げる。
註:ケーキを2-3層にしてアプリコットジャム又はホイップクリームを挟む。
---Viennese Cooking, O. & A. Hess, adapted for American use [Crown Publishing : New York] 1952 ( p. 229 )]
このレシピはアンナ・ザッハ夫人のご厚意により提供されたオリジナルのレシピであると断っているが、アメリカ人の嗜好に合うように変えたようだ。
フランツが作ったザッハトルテのレシピは残っていないようだ。時代を経ると共にその内容は変化している。
現在日本で販売されているデメルのザッハトルテの材料は次の通りである。
砂糖、卵、カカオマス、バター、小麦粉、ココアバター、水飴、アプリコット、卵黄、ソルビトール、乳化剤、酸味料、増粘剤、香料。
ファニー・ファーマーのレシピ:
チョコレート ウィーン ケーキ
バター 3/4カップ
砂糖 7/8カップ
卵黄 5個
チョコレート 4片
小麦粉 1 1/2カップ
ベーキングパウダー 3ts
卵白 5個
アプリコット又はオレンジマーマレード
材料を順にまぜて小さな型で焼く。型から外して冷ます。ケーキの真ん中に小さな穴を開けてそこにマーマレードを詰める。ケーキの上にマシュマロのフロスティング又はチョコレートフロスティングをかける。
チョコレートフロスティング
砂糖 1 3/4カップ
湯 3/4カップ
チョコレート 4片
バニラ 1/2ts
スプーンの先端から落としたときに糸状になって落ちるまで砂糖と水をボイルする。溶かしたチョコレートの中にシロップを注ぎ入れる。均一な濃度になるまで混ぜる。香りを付ける。
2つのレシピは卵の量を除いて同じである。次に取り上げるレシピと比較してザッハトルテの本来の姿?を想像しようと思う。
モニカ・ケラーマン (Moniia Kellermann) が1994年に著したダス グローセ ザッハ バックブック (Das gorße Sacher Backbuch)から;
生地:
バター 130g
粉砂糖 110g
バニラビーンズ 1/2本
卵黄 6個
チョコレート 130g
卵白 6個
グラニュー糖 110g
小麦粉 130g
トッピング:
グラニュー糖 200g
図省略
水 125g
クーベルチュール 150g アンナ・ザッハのレストラン
作り方は上と同じなので省くが、砂糖、卵、小麦粉、チョコレートの量が年月の経過と共に変化していることが分かるだろう。それは卵白を泡立てる技術と共に、砂糖の消費を抑えようとする時代の欲求が原因であろう。卵の量は5個あたりが妥当な量だろうし、卵白を固く泡立てる為に必要な砂糖の量も110gは多い。ケーキの上にかけるフォンダンショコラの量とケーキの中に使う砂糖の量を秤にかけると、適切な砂糖の量が見えてくる。ただし、甘過ぎるのが特徴のザッハトルテであるから上のレシピが本来のザッハトルテなのだろう。
本書はホテルザッハの窓際に置いてあったのを、売り物なのか断りをして手に入れた。今はネットで購入することも可能である。
参考文献
Tried and True Viennese Cookbook 1749
Jane Nickerson, Newyork Times 1956
Madame Melanie Reichelt , Two Hundred Famous Viennese Recipes 1931
Viennese Cooking, O. & A. Hess, adapted for American use [Crown Publishing:New York] 1952 (p. 229)
Moniia Kellermann, Das gorße Sacher Backbuch 1994
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