Yさんの生きた時代
Yさんのご冥福をお祈りして
Yさんがこの3月2日に亡くなられた。
旧K鉄を定年後、65歳までH協会南支所、上支所と10年勤め、その後さらにB競輪場で5年働き、この2002年2月に70歳を前に病気で仕事を辞めた。仕事を辞めて約1ヶ月、ガンで亡くなられた。
聞くところでは昨年6月体調不良訴え病院に検査へ行ったところ、その場で胃ガンと判明した。即手術となったが、いわゆる手遅れで治療の甲斐なく約八ヶ月後にお亡くなりになりになった。
彼は昭和7年(1932年)生まれ、いわゆる昭和一桁生まれである。世界大恐慌と世界大戦の時代を、子供から青年への成長期に経験したいわゆる戦中派である。さらに戦後発展の担い手となり、バブルに踊った世代でもある。
Yさんもそんな時代をしぶとく生き抜いた一人である。K鉄では管理職を全うしている。しかし一方で影の差し始めたK鉄一家の天下りに見切りをつけて、日々の生活と高齢者社会を生き抜くために、H協会の現場で汗を流す仕事を選択した。
死ぬまで仕事一筋?
だからといって、仕事一筋で生きてきたわけではない。青春時代にはスキーや車にいち早く慣れ親しみ、その後カラオケはもちろん碁も親しみ、さらに社交ダンスを楽しんできた。さらに人並み以上の目利きで、株や不動産投資をこなしそれなりの成果を上げより豊かな生活をエンジョイしてきた。
葬式の日「死ぬまで仕事をし続けて、何の人生か」との声に、あるもと同僚をして「何の何のその実、これほど好き勝手に生きた人はいない」と言わしめたのである。
そんな訳で、私の知っている協会時代の生き方も、それはそれはのんびりとした仕事ぶりでした。今ではもう考えられないような仕事ぶりで、休憩で入っている喫茶店の方が仕事の時間より長いぐらい?でした。小説やら月刊誌「新潮」やらを普段から用意していて、時間を作っては隅から隅まで読破しておられました。
また仕事中に証券会社を喫茶店代わりに使うという裏技?まで駆使されていた。
近年協会も仕事がきつくなると見るや、さっさと見切りをつけて第三の職場B競輪へと転身されました。
しかし一方大変義理堅い面もありました。死ぬ直前まで自分の後釜探しをやり、きっちり決めて安心されたのか、仕事を辞め一ヶ月もない間にお亡くなりになりました。
親戚やご家族の面倒も一身に世話をされていたようです。
Yさんの生きた時代
さて何故私がこのYさんを書こうと考えたかと言えば、戦中派の典型のように感じたからである。それに戦後日本の発展と人生が妙に重なって見えるからである。
この世代の一番の特徴は時代の大転換、それは価値観の大転換をも意味するが、そのまっただ中で生き抜き時代の変化を肌で感じ、自分自身の価値観も幾度か転換させてきた事であるように思う。
少年時代の疑うことのなかった「不敗の神国日本と神風特攻隊志願」という価値観歴史観が、敗戦と占領のなかで一億総国民が一夜にしてこの価値観歴史観を転換させるのを、Yさんたちは思春期に経験している。良くも悪くも転換期のなかでの生き方を見、対処方法を身につけてきたのではないだろうか?そうであればこそ、混乱と復興、高揚と挫折、エネルギー政策の転換と技術立国の推進、所得倍増と高度成長、経済大国日本の樹立への30年間を、Yさんたちは激動に飲み込まれつつジグザグながら確実に豊かな生活を築いてきた世代なのである。
築かれた経済大国日本とそのバブル絶頂の80年代に人生でも一番にいい時期を迎え、いわばバブルがはじけるとともに人生の黄昏の時期を迎えた世代である。
青年までは戦争、敗戦、復興の最中、必ずしも先が明るかったわけではないと思う。だが時代はやがてこの世代を世界経済の一局をしっかり支える中心に押し上げてきた。この結果この世代にとって、明日の生活が今日よりより良くなるこは疑う余地のないものとなった。また老後の生活についてもそこそこの豊かさが保証された世代である。一億総中流社会の中心世代となった。
もちろんひとり一人における人生には様々なドラマがあり、貧困のどん底や絶望のどん底に落ちた人も多数いたことも事実である。が、マクロで見れば経済大国日本への歩みを肌で感じ享受し、日々より豊かな生活を夢見実践してきた世代であることには疑う余地がない。
われら黄昏られない団塊世代
ところでバブルの崩壊は、戦後50年「もはや戦後は終わった」との宣言が、皮肉にも日本社会そのものに向けられていることをあからさまにした。経済大国日本も人生と同じく黄昏を迎える羽目になったわけである。
黄昏るにはまだちょっと早い我々団塊の世代にとって、これからの20年は決して安泰ではない。結局死ぬまで競争はつきまとい、ちょっと油断するとふるい落とされ、昨日保障されていた生活も明日には無くなってしまう。
だから私にとってYさんの生き方はある意味で大変うらやましく見えた。最後まで明日のある黄昏であったように思える。Yさんのご冥福をお祈りします。
記 2002年3月25日