Ametyanのデジカメ……2024年再開した古墳の旅……五色塚古墳を訪ねて
 
            五色塚古墳を訪ねて……神戸垂水 日帰りの旅
神戸垂水の日帰り旅 五色塚古墳の頂上に立つ2024/05/14
 

阪急格安切符で先ずは三ノ宮へ JR乗換 垂水目指す

 桂、十三と乗換 約1時間10分で三ノ宮に到着      

   目指す五色塚古墳は明石海峡を望む五色山高台にあり、明石海峡大橋の麓にあるJR山陽本線垂水駅から徒歩20分ぐらいの処にある。 この史跡五色塚古墳は1966年から10年の歳月をかけて発掘調査と復元工事がされ、復元された古墳の頂上に立つことが出来、古墳の築造当時の姿を見ることの出来る貴重なものである。  JRで京都から向かえば直通ではあるが、私にとっては京都駅での乗換となによりもJR線の電車代の高さが気になるところである。旅を安くするのも楽しみで、阪急を使えば 桂、十三での乗換があるもの時間はほぼ同じ1時間強で三ノ宮まで格安運賃で行くことが出来る。JRの半額以下の410円である。三ノ宮〜垂水320円を加え片道730円でいくことが出来る。 JRでは片道1690円かかるので、この阪急経由は半額以下になりJR片道分で往復できさらにおつりまででる勘定になる。何しろ旅の楽しみの一つはお安くお得にである。今流に云えば コスパがいいと云うことでしょうか!

JR垂水から五色塚古墳を目指す        

 JR垂水を下車して駅前にある案内地図を見て大体の方向を確認した。どの道を行けば良いか良く判らなかったので、 スマホのナビで行くことにした。ナビに従ってしばらく行くと、電柱に大きく五色塚古墳はこちらと→付きで案内板が出てきた。 次々と出てくる案内板に沿って迷うことなく10数分で五色塚古墳に到着した。さすがに垂水地区の唯一?の看板観光地である五色塚古墳は大切にされていると感じた。 野洲の銅鐸博物館とか守山の伊勢遺跡などと云っても看板も道案内もないのが現状です。車にはナビがあり、歩きにはGoogleがあるさ!しかし旅していていつも感じるのですが、 徒歩には徒歩の一番良い道が有るのに、なにもナビの一番効率的な通路なるものでなければならないのでしょうか?と思います。 五色塚古墳は五色山の台地にあるようで、神戸の高級住宅街五色山の山手!を登っていった先にある。ちょうど五色山の台地が、明石海峡に突出したようになっているその突端に 五色塚古墳と小壷古墳が築かれている。どちらも再現古墳である。

        古墳に立つと狭い明石海峡と淡路島を眼前にする


 
 さて今回この五色塚古墳を訪れたのは、いわゆる『神武東征』の速吸門がこの明石海峡であるのか?古老の助けを持って進軍するような場所かを、我が目で確かめる為であった。
安岐の多祁理宮で7年、吉備の高島宮で8年軍勢を整えた部隊が、大作戦を必要とする海峡かを確かめる為である。
結論から言えば、やはりこの海峡の流れを速吸というのは無理があるように感じる。むしろ明石海峡が銅鐸圏と銅戈圏の堺になっていて、この五色山には海峡を支配する豪族が軍事拠点として 居座っていたのでは?銅鐸圏に突入しようという神武の軍勢が古老の助けで通過するような処とは考えられない。速吸門は別の場所であるという古田説の真実性を確認した。
 何よりも明石海峡は平穏であること。鳴門の激しさには比べようがない穏やかな海峡である。難点は五色台にあった。ここを拠点にする銅戈圏最前線の軍事勢力との激突を 回避する道が無いことである。昼でも夜でもこの海峡を通過する軍事は見張りを避けては通過できないのである。これを私は自分の目で確かめたのである。  

やはり鳴門海峡こそ速吸門

 軍功をいにしえに残すほどの大作戦であったのはやはり別の場所。それは鳴門海峡と云うこと確定した。鳴門を通過するには渦巻く海流の変化を知り、その間隙を縫って通過する必要がある、。 これは鳴門海峡を知っている人なら常識である。日に2回瀬戸内海の海水が大阪湾との海高差で大海流になり渦を巻きながら行き来するのである。 ここを四国側から大阪湾に突入する作戦であった。大作戦であり、命がけの作戦であったろう事は間違いなさそうである。
6世紀ヤマト政権が確立しつつあるとき、この五色台に当時最大級の古墳が成立するのは当然と云えば当然のことである。五色塚古墳は全長194m、全国的に見ると40番目の大きさの 前方後円墳である。が、同時期(4世紀末)のものと比べると奈良県北部の大王墓(佐紀古墳群)と肩を並べる大きさで、最大級の古墳と云っても差し支えない。 何故か?明石海峡を押さえる軍事上の重要性をその成立の歴史に持っているからに他ならない。さらにヤマト政権が九州王朝と対抗する勢力になるっていく上で重要な戦略的軍事拠点である。 だから身内で最重要かつ最大勢力の一つをここに置いたのである。その結果として五色塚古墳が建造されたのである。    

 垂水で遅い昼食をとり帰路につく 

 五色塚古墳をあとにして、垂水の駅に戻り、遅い昼食を頂くことにした。この垂水は海のそばのそばにある街だけに、駅前の商店街には魚屋さんが何軒かあった。 魚を焼いたりさばいたりで、独特のにおいやざわめきやがありミニ明石商店街と云った観がした。食堂も結構魚料理の店が並んでいた。 その内の一軒でチヌの山賊焼定食を頂き一息着いたあと、JRに乗り三ノ宮、阪急で帰路についた。  
 
 
     2024年5月吉日             
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