Ametyanのデジカメ……2025年再開した東北縄文遺跡の旅……縄文の女神、ストーンサークル、貝塚遺跡を訪ねて
東北縄文遺跡を訪ねて……山形縄文の女神、伊勢堂岱遺跡、小牧野遺跡、御所野遺跡、二ツ森貝塚 4泊5日の旅
2025/05/17〜05/21
山形博物館で「縄文の女神」に対面する 6月17日
山形空港から直行し山形県立博物館で縄文の女神に対面し 続いて舟形縄文公園を訪ねる
早朝自宅を出て、伊丹発8:00、山形9:15着のJAL2233便に乗り、10時過ぎに山形駅に着く。JR構内の案内所に寄って山形県立博物館への案内と市内地図を頂く。JR西口を出ると 旧山形城祉霞城公園が目の前に現れる。南門からよく整備された公園を10分ほど歩くと山形県立博物館に到着する。まだ11時前であった。縄文の女神の巨大レプリカが出迎えてくれる。
国宝 「縄文の女神」をじっくりと眺める
入館料金300円を払って、縄文の女神の待つ特別コーナーへと向かう。縄文の女神は特別コーナーの展示ケースにでんと構えている。前からも後ろからも眺め見つめることができる。 女神の横には国宝「附」(つけたり)、国宝に指定された47点の土偶残欠もケースに入れて展示されていた。また国宝指定書(考第四五号)土偶一箇 附土偶残欠四十七点 山形県西の前遺跡出土 法量 高45.07センチメートル肩幅16.8センチメートル 右を国宝に指定する。平成24年9月6日 が展示されていた。 国内最大土偶である。年代は縄文中期(約4500年前)重量は3.155Kgである。なんと堂々たるものである。突き出したおしりはなんとも言えぬ独特の落ち着きである。 この女神は支えなしに自立できるそうだ。 大いに満足して、出土した舟形町西の前遺跡を訪ねるために山形県立博物館をあとにした。
山形名物冷やしラーメンを頂いて、JR奥羽本線で舟形町西の前遺跡(女神の郷)を目指す
縄文の女神をみた後は、出土した西の前遺跡を訪ねるために13時過ぎのJR奥羽本線で新庄の一つ手前のJR舟形を目指した。 まだ時間があったので、昼食をとることにした。ここはやはり山形と言うことで、名物冷やしラーメンを食べることにして駅前のラーメン屋に入る。 まだ6月と云うこともあり、出汁に氷りが入っているわけでもなく、冷たい出汁に水で冷たくした麺が入っているだけのものであった。味は普通と言って良い。まずくはなかった。 食後に山形駅周辺をぶらついたが、人が少なく落ち着いた地方都市と云った感であった。 JR山形新幹線はこの日から故障続きで欠航が続いたのであるが、同じ線路を走る普通列車には遅れなどの不具合は全くなかった。予定どおり旅を続けることができた。
西の前遺跡を訪ね、新庄駅前 ポストホテルに泊る
西の前遺跡はJR舟形駅から徒歩15分ぐらいの処にあって、レプリカの大きな女神像立っている野っ原であった。遺跡はたぶん埋め戻されており、国宝の実物は県に持って行かれ、 観光するようなものは何一つ無い野っ原であった。舟形町に力があり国宝を展示する施設を造り、周辺で出土した土偶なども展示もすれば、比較的交通の便も良いので 大いに賑わうのにと思った。今回訪ねた縄文遺跡の中では東京にも近く、駅からもすぐでピカイチであった。力の無い小さな自治体の悲哀を大いに感じた。 道路建設で遺跡が発掘されることになり、そこから国宝となる日本最大の女神像と言える土偶が出てきた。想像するに、きっと時期が早くて 町の人にとってはあまり価値のないものだったのであろう。県(山形県立博物館)が管理することを承認した?しぶ渋かもしれないが。
舟形駅でアイスクリームを頂きながら土産をみたが、女神の金属製レプリカしかなく重くて購入を断念した。もう少しお手軽なレプリカを売ればと良いのにと思った。
宿泊したポストホテルは駅近で、ラウドリー設備があり、大いに汗を掻き衣服が汗でべたべたになっていたので早速洗濯をした。洗濯できて本当に良かったと感じた。
いせどうくん(土偶)とストーンサークル(環状列石)の伊勢堂岱遺跡へ 6月18日
秋田内陸縦貫鉄道の待ち時間で角館武家屋敷通り(内町)を散策
この日は新庄7:48発に乗り、横堀で乗換大曲9:40着。大曲9:50発の秋田新幹線こまち14号に乗って10:00に角館に到着した。秋田内陸縦貫鉄道急行もりよし2号、角館11:05 発に乗って伊勢堂岱遺跡のある縄文小ヶ田へ向かう予定である。1時間ほど時間があるので、片道25分で行ける角館武家屋敷通りを訪ねた。滞在時間は0分。大きなお屋敷が並んでいるのを確認して大急ぎで角館駅に戻った。 観光地で有名であるが、観て廻るにはやはり時間が必要と思われる。短時間では様子を知っただけになった。
駅前でやたら熊よけの鈴が鳴るので、誰が鳴らしているのか気になってよく観察したら、 犬を散歩させている人から大きな鈴の音がしていると判った。さらによく観察すると犬の首に鈴がつけられて、犬が走ると大きな音が出ているのである。 実は今日泊る予定の「縄文の湯」の人から、「どんなに近くても 熊が出没しているのでホテルへは歩いてこないで下さい。必ずタクシーで来て下さい」と云われていた。熊鈴はいつでも鳴らせるようにリュックに用意し遺跡は大丈夫かななんて 思い、頭の中が"熊熊"状態だったのが敏感に反応したのだろう。こんな新幹線停車駅前という町中でも熊を警戒しながら散歩をしているとだとあらためて熊出没の恐ろしさを思った。
秋田内陸縦貫鉄道に乗って伊勢堂岱遺跡を目指す
伊勢堂岱遺跡のある駅は縄文小ヶ田である。角館から秋田内陸縦貫鉄道で約91Km2時間の鉄道旅となる。急行とはいえ、車両は一両、途中停車駅も9駅ある。10駅目鷹巣の手前の 駅である。一度は乗ってみたかった鉄道路線で、のり鉄の自分としては大いに満足できる列車旅である。ちなみに秋田内陸縦貫鉄道は角館と鷹巣を結ぶ総延長94.2Km、 駅数は29駅ある。急行停車駅は12駅縄文小ヶ田は角館から11番目の駅となる。伊勢堂岱遺跡が「北海道・北東北縄文遺跡群」に選ばれたので縄文小ヶ田駅に急行が止まるようになったと 推測している。縄文小ヶ田は小っちゃな何も無い田園の中の無人駅であった。
伊勢堂岱遺跡の見学と北秋田市伊勢堂岱縄文館を訪ねる
5月中旬ごろ熊出没で伊勢堂岱遺跡は立ち入りが出来なくなっていた。ホームページに依れば閉鎖は一日だけであったとのこと。縄文の湯の方から熊に注意を口説く云われていたので、 縄文小ヶ田駅で熊鈴を取り出し、手に持って鳴らしながら案内板を目印に伊勢堂岱遺跡に向かった。目指す遺跡は里山の一角にあって、高速道路と県道が交わるところにである。10分ほど歩くと到着できた。 入口から縄文の森すべてが二重の電気柵で遺跡は熊から守られていた。もっとも私はそれでも恐ろしくて、鈴を鳴らしながら観て廻りました。また見学中誰1人見かけることがなく、 1人であったのも恐ろしく感じました。
ここには4ヶ所のストーンサークル(環状列石)があり、遠くは白神山地を望むことが出来る台地にある。周辺から集まり葬送をはじめ様々な儀式の場であったのだろう。また国宝級の板状土偶が出土したことでも有名です。 ちなみに愛称は「いせどうくん」とのことです。環状列石は小牧野式石組という独特のものだそうで、翌日訪れる予定のところが小牧野遺跡である。ここのストーンサークル (環状列石)はいくつかの石が塊になって形を作り、それが環状に配置されストーンサークル(環状列石)をなしている。この一塊の石の置き方が 小牧野式石組みというとのことである。ちなみにここは北秋田市、小牧野遺跡は青森市(青森空港そば)にある。県境を越え山の彼方である!!縄文人の交流の広さ人間力をあらためて感じる。
遺跡の近くに立派な北秋田市伊勢堂岱縄文館があり、「いせどうくん」をはじめ「笑う岩禺」など北秋田市から出土した重文級の48体の土偶が展示されている。さらに円盤状土製品、うずまき状土製品、 円盤状石製品、三角形土版、耳飾り、石棒、石器、岩版などなど北秋田市から出土した品々が展示されている。しかも入場無料であるが、願わくば音声案内などを充実させてくれれば もっともっと楽しめると感じた。
なお館内の方によると伊勢堂岱遺跡は二重の電気柵で守られており、熊の危険は全くないと強調・断言されておりました。5月の熊もここからは離れたところで出没様子見で一日 閉鎖しただけですとのこと。もっとも縄文の湯まで歩いて行くこと(村の住宅街を徒歩40分)にはあまり賛成できないとのことでした。
伊勢堂岱 縄文の湯に宿泊
北秋田市伊勢堂岱縄文館から歩くこと30分で熊に出会うことなく縄文の湯に到着できた。もっとも歩いている時は熊鈴を手に持って、チリンチリンと 鳴り止む暇が無いくらい鳴らしながら歩いた。途中、犬を散歩させていた方が 「何処へ?縄文の湯ですか」「はい、そうです}と答え、「縄文の湯の方から熊が出るので、絶対歩いて来ないようにと云われたのですが……」と云ったら、 少し困ったような、むっとされたように感じた。 何しろ犬を散歩されていたのは近所のご婦人でした。ここは熊は出ないよ、大丈夫!と返事されたのでしょう。
縄文の湯で、北秋田市から宿泊者に3000円のクーポンが出ているとのこと、ありがたく頂き旅の費用にいたしました。きりたんぽ鍋など付いた夕食を美味しく頂きました。 温泉にもゆったりと浸かり、体を休めることが出来ました。また館内には宿泊者用のランドリー設備があり、前日に続いて洗濯でき大変ありがたかった。
小牧野式石組の青森市小牧野遺跡へ 6月19日
弘前から空港バスで青森空港、タクシーで小牧野遺跡を目指す
この日朝8時過ぎ、「縄文の湯」の車で鷹ノ巣駅まで送っていただいた。JR鷹巣8:58発、弘前行に乗車する。青森まで乗車の予定であったが、 青森までの切符では途中下車は出来ないとのことであった。 青森からバスで小牧野遺跡に向かう為に、昼食の調達と云ってもパン購入するだけだが、弘前で一旦下車する必要があった。仕方なく弘前までの切符を購入した。電車の中でどのようにして小牧野遺跡に行くか考えていたら、数年前大森勝山遺跡に行った帰り、弘前から空港バスに乗った記憶が よぎった。空港バス時刻表を調べるとちょうど弘前到着5分後に空港バスが出ることが判明。到着後は慌てて構内で駅弁を購入し、空港バスに乗って青森空港を目指した。
小牧野遺跡は青森空港の側で1Kmも離れていないところにある。もっとも歩く道など無く、タクシーは空港をぐるっと一周するので2500円もかかった。青森からバスで向かうと13時過ぎに到着の予定であったが、 ルート変更で、11時過ぎに青森市小牧野遺跡保護センター縄文の学び舎・小牧野館に到着できた。館内で情報を収集し、どのように遺跡を廻るか、青森市内へはどのように行くかなど を決めることができた。途中下車不能と駅員さんに云われ、弘前までの切符購入が幸いした。事前に何度も検討したが、弘前から空港経由はまったく浮かばなかった。結果良しである。
小牧野遺跡と縄文の学び舎・小牧野館を訪ねる
小牧野遺跡はこの「学び舎」からまだ歩いて30分の山の中にある。ルート変更で十分時間はあるので、余裕を持って歩くことが出来た。もっとも陽がかんかん照りで、大汗を掻きながらの登り道は 大変きついものがある。程なくして青森市小牧野遺跡観察施設 小牧野の森・ドングリの家に到着できた。遺跡を望む台地に、郊外レストランのような円形のモダンな建物であった。 心地よい風が吹くベランダに腰掛け、弘前で買った弁当を頂くことが出来た。暑い暑い真夏のような日だったので、ずっとこのまま休んでいたいような心持ちになった。
このどんぐりの家にはガイドさんが常駐されていて、お願いすると遺跡を1時間ほどかけて案内していただける。私も是非にとお願いして、小牧野遺跡を隅から隅まで案内して頂いた。 本当に勉強になったしありがたかった。小牧野式列石という石の組み方を目の前のストーンサークルで解説して頂いた。竪穴式住宅を中心に、縄文人が栗やクルミの木を採取したり、 捨て場をきちっと造っていたこと。列石のストーンサークル以外に土壙墓などもあったことなどなどガイドして頂きました。
この後再び30分歩いて「学び舎」に戻り展示品を観て廻わった。疲れもあって十分時間をかけてみて廻ることが出来なかったように思える。ここで出た土偶があるとのことですが、 みた記憶が無く残念である。事前の勉強不足がいがめない結果となった。
青森市内 まちなか温泉 青森ホテルに宿泊
学び舎近くのバス停野沢14:28のバスで青森市内へ向かう。終点古河バス停3番で降りると、なんと目の前が宿泊予定の「青森まちなか温泉」であったのにはびっくりした。歩く距離が短く ホテル青森に到着したので本当にありがたかった。
翌日に備えて、青森駅までの道順や時間を確認し、さらに翌日の東北新幹線の切符も購入した。また駅前のコンビニエンスストア(セブンイレブン)も押さえた。この日も疲れ果てていたのですぐにホテルに戻り 温泉に浸かって何処にも出かけなかった。夕食もホテルの食堂で頂いた。
新幹線で岩手県一戸 御所野縄文博物館へ 6月20日
青森駅から新青森発東北新幹線はやぶさ14号で二戸へ いわて銀河鉄道に乗換一戸で下車
青森8:24の電車で新青森に着き、新青森8:37はやぶさ14号に乗り9時17分に二戸に到着した。ここでいわて銀河鉄道に乗り換え一戸に向かう。一戸は二戸から一駅であるが、 電車は1時間後の10時8分までない。仕方ないので二戸駅周辺をぶらつくが、どうも郊外に駅はあるらしく、何も無いコンビニもない二戸町郊外の立派な新幹線駅周辺 、いわゆる商店はまったく無かった。朝青森駅前セブンイレブンでパンを購入したのが正解であった。
10時13分定刻通り 一戸駅に着く。駅に併設の案内所で御所野遺跡への地図を頂き約40分の道のりを歩いた。案内に依れば、2.5Km・徒歩25分とあったが実際には約40分近くかかった。案内地図が よく出来ていて、まったく迷うことのない徒歩MAPであった。何処の駅でもこうした歩行者用MAPを創ってくれるとありがたい。御所野遺跡さまさまであった。
御所野遺跡(御所野縄文公園)と御所野縄文博物館を観て廻りました
炎天下40分の道のりは大変であった。汗が噴き出し御所野遺跡に着いて、先ずは木陰で30分ほど休憩した。落ち着いてから御所野博物館を じっくりと観て廻ることにした。ここでは鼻曲り土面、皿形土器、土面、亀形土製品、注口土器、さらにいくつかの土偶など国重要文化財に指定された一戸蒔前遺跡のものや、岩手県出土の 品々が見ることが出来た。しかし残念なことに椛の木遺跡出土の「縄文ぼいん」と羽付き縄文人(土器の表面に人が描かれている)は貸し出し中でレプリカもなく観ることが叶わなかった。 その他展示されたものはいずれも珍しい国宝級のものばかりである。大変勉強になった。
一通り博物館を観た後は眼前に広がる御所野遺跡(御所野縄文公園)の探索である。大きなグランド3〜4個分ほどある大きな公園である。東ムラ、中央ムラ、西ムラなどの 復元された竪穴建物や配石遺構など観て廻るだけで小一時間はかかる。私は木陰の休憩場所で遅めの昼食、朝青森駅前のセブンイレブンで買ったパンと牛乳を頂いた。 一回り観た後、、再度木陰で1時間ほど休憩した。なにしろいわて銀河鉄道16時31分一戸発八戸行の電車までまだたっぷりある。 14時32分には間に合わないし、電車は2時間に1本しか走っていない。
一戸駅への帰路は下りになるのだが、暑さのせいもあり結構しんどい思いをしながら歩いた。 駅にある喫茶でアイスコーヒーを飲んだときには生き返る心地がした。
座敷童子の温泉 金田一温泉に泊る
一戸から少し八戸より拠り、県境に近いところの金田一温泉に今日は宿泊予定である。電車に乗って10分ほどで金田一温泉駅に着いた。金田一温泉へはここから また徒歩30分はかかる。駅で頂いた温泉への地図を便りに国道から県道と歩いて向かった。ちなみに金田一温泉は座敷わらしの出る温泉として全国に名をなしているそうである。 もっとも私の泊った宿は金田一温泉の日帰り入浴できる「新たな拠点」、日帰り入浴施設に併設されたモダンな宿であった。
長七谷地貝塚と二ツ森貝塚を訪ね 三沢空港から帰路につく 6月21日
長七谷地貝塚まで往復1時間歩く
この日は旅行最後の日である。ゆっくり出かけることにした。金田一温泉10:17→八戸11:01着、同11:04→陸奥市川11:10の予定で金田一温泉から電車に乗車した。 しかしなぜだか判らないが、11:04発の電車には乗ることが出来なかった。不案内のせいか?どうもダイヤが変っていたようである。仕方が無いので八戸で早めの昼を食べ次の 12時10分発で行くことにする。陸奥市川で次の時間まで1時間15分ある。駅から長七谷地貝塚まで往復1時間とあったので、ひたすら歩いて現場を確認してきた。 出土品等は八戸博物館にあり、ただ工場団地の中に大きな森があるだけであった。
二ツ森貝塚を訪ねる
上北町駅に13時51分について、タクシーで二ツ森貝塚を訪ねた。先ずは二ツ森貝塚で遺跡を観て写真などを撮る。そして、ここから800m離れた二ツ森貝塚感を訪ねた。 ここでは貝塚が再現されたり、この地二ツ森貝塚をはじめ七戸町内縄文遺跡から出土した貴重な土偶・土器や鹿角製櫛・骨角器、石器など展示されていた。 足まであれば国内最大国宝間違いなしの山屋(2)遺跡から出土した遮光器土偶や人面付き土器など本当に貴重な展示を見ることが出来ました。
帰路の時間もあって、15時15分にはタクシーでここを後にした。往復とも同じ三八五(ミサゴ)タクシーにお世話になった。
三沢空港からJAL便で帰路につく
三沢駅前から空港バスにのり、三沢空港へ行く。定刻(17:45)の1時間半前には三沢空港に無事到着した。伊丹には定刻(19:25)5分前に到着した。伊丹空港が 混み合っていて、着陸が早まったとのアナウンスがあった。大阪上空ではいつも大阪城が真下に大きく見えるのだが、今回は別ルートであったようだ。
20年かけて、これまで訪ねた世界遺産北海道・北東北の縄文遺跡群
今回の縄文旅で、2005年三内丸山遺跡訪問を手始めに、2021年大湯環状列石、亀ヶ岡石器時代遺跡、田小屋野貝塚、大平山元遺跡、大森勝山遺跡、是川石器遺跡、そして今回の 伊勢堂岱遺跡、小牧野遺跡、御所野遺跡、長七谷地貝塚、二ツ森貝塚と廻ることが出来た。
元気であれば北海道の遺跡に次は挑戦したい。
2025年6月吉日
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