2003年を終わるに当たって 自分史の回顧と展望
今年も正月2日を鹿児島で迎えた旅行の年
1月の鹿児島に始まり、4月白川郷と金沢の旅、5月秋田男鹿半島の旅、10月淡路鳴門の旅、年末年始の下関 ・福江 ・長崎の旅で終わった。秋田ではよく歩いたが、車とか観光バスとか市内電車だとかを駆使して今年は旅行した。
その他小旅行と言えるようなことはなかった。9月に肇の結婚式があり、その準備で忙しかったのと、
夏から秋にかけては夏ばてがひどく元気がなかった結果出かける気力がなかった。
今年も健康維持のため休日には市内でのウォーキングに励んできた。9月末日曜日には天王山に登り長岡京まで光秀を思いながら歩いた。
11月には六地蔵巡りを開始した。もっともこれは未だ3地蔵しかできていない。来春までには6地蔵巡りをやりきりたい。
昨年の回顧と展望に「こうして書くと身軽にあちこち動いたように見えるが、その実仕事に追われ、2連休ではどこにも行く気力がなく体が元気になったのを見計らってだましだまし外へ出かけたというのが真実である。」と書いている。
今年はさらに疲れがひどかったように思う。股関節は比較的おとなしかったが、夏ばてがひどく寒くなるまですっきりしない日が続いていた。
秋から飲み始めた漢方薬が比較的効いてなんとか外にでる気力が生じたというのが正直なところである。
仕事が不況で厳しくなったせいもあるが、連休で歩かない日も幾日かあった。歩かないとやはり不健康に体重が増え、現在65Kと上限いっぱいに太ってきている。
たまに一生懸命歩いても、夕食を腹一杯食べてしまう。仕事中どうしてもボリュームのある昼食をとってしまう。
うどんやそばではとても我慢できない。そんなこんなでオーバーウェイトを克服できてない一年でした。
釣行はわずか1回?
去る者は日々に疎しとはよくゆうもので、釣り師匠転勤2年を迎え、夏ばて、結婚式、Eteと例会一回のみで終わった。
一日かかる釣行より、半日ですむウォーキングの方がお手軽であった結果であろう。
もっとも今年はこのお手軽ウォーキングもきつく感じた。なお今年のお手軽ウォーキングのコースは松尾橋から渡月橋をまわる嵐山方面でした。
一昨年は鴨川方面が多かったと記憶している。
財産形成
今年こそ株も底打ちと期待し、財産形成をかけて買いを続けた年であった。もっとも9月肇の結婚での出費等で売りも比較的多くあった。
ここでの売りも早めの利益確定で、その後の急騰では臍をかむ思いをしてしまった。人からは羨ましがられたがそんなに大きな利益は確定できなかった。
しかし昨年同様、才能のない貧乏人が金持ちになる数少ない好期と確信し、額面割れ株にもに果敢にチャレンジしてきた。
住金、日新鋼、日立造船で含み益を確保し、松村組の業績回復に期待した。
株式投資して4年目にしてようやく含み益を確保した。開始以来約25%増である。
老後のためにと開始したさわがみ投信は、今年ようやく成果が出始めている。
もっともこちらは比較的低迷期に始じめ、毎月の積み立てでもあるのでそれ程大きな成果ではない。着実に増えることを期待している。
運用成績10.56%、設定来複利年率計算で2.33%で終わった。
目標は年利にして15%、六年で2倍の運用である。今後を期待しつつ老後資金として積み立て続けたい。
今年も、大和証券の武蔵と野村の日本戦略株ファンドは塩漬けの年であった。沢上ファンドの益では未だ解消できない損がある。
基準価格もこの一年でちょっとは上がったのであろうか、ちなみに年末の価格は5000円である。
住宅ローンはこの五年で元金510万ほど返した。この一年は元金ベース約六〇万の返済であった。
定年時にはなんとしてもローン地獄より解放されていたいと願っている。
そのためには繰り上げ返済が必要で、株でなんとかと捕らぬ狸の皮算用の毎日である。
今年も日々の無駄使いを無くし、投資を続けることと確信して慎ましやかな生活に心がけた。
なお心ばかりであるが、ユニセフに今年も寄付できたことを感謝している。
不況で給与収入は全く増加していない。来年は給与のカットの話もでる嫌な一年でした。
仕事はリストラ人減らし合理化で大変きつい一年でした。残業の増加があって、収入面では昨年の年収を維持した。
2004年はよい年であるよう願う
世界に平和が来るよう願いたい。願望とは裏腹にイランを始め戦火の収まる様子がない。残念ながらこの現実を変えることはなかなか難しいように思える。少しでも役立てることをやらなくてはと思う。
生活の基盤なくしては何もできない現実がある。健康を維持し、財産を形成し、実りある老後を建設する年としたい。
記 2003年12月吉日